第352話「ゲームマスターの部屋」
「たぶん、それ着なくなるよ」
眠りの微睡みから目覚める時、最近はその言葉だけが木魂した――。
◆
「おはよ、お姉ちゃん。つっても、ここ世界樹ホームの中なんだけどね」
世界樹ホーム。厳密にはVR空間の中で。ここは現実世界では無い、仮想空間だ。
もう、ずっと前。天上院咲のホームは紹介したが。天上院姫のホームの紹介はまだである。
現実世界の姉妹は、同じ部屋で眠っているので部屋が別々というわけでは無いが。仮想では、ちょっと数タップしないとたどり着けないので。逆に面倒である。
「あぁ、咲か」
「VR空間で寝るなって。夢遊病になるって言ったのお姉ちゃんのはずなんですけどぉ?」
もう何日の何時間前に言ったのかさえも忘れてしまうぐらいの、忘却の彼方を彷徨った気がする……。
天上院姫の仮想ホームルーム。
つまりはこの世界のゲームマスターの仮想制御ルーム、と言った形だろう。
良い意味では〈狭間〉、悪い意味では〈中途半端〉なあの世とこの世の中間地点。それがココだ。
上下左右前後。全てにおいて中途半端な特異点とでも言うべきか、判断に迷う。
「やーまー考え事をしててな、そのまま力尽きて寝てしまった」
ある意味、寝落ちは現代病ではあるけれど。VRMMO空間でそれをやられるとどう対処して良いのかで困ってしまう。
ゲームマスターが微睡んだ世界を右往左往している中、数秒。再び覚醒する。
目の前には天上院咲が居て、姫を見下ろしていた。姫は久々に顔を見上げた気がした。
「調子は?」
「良好」
「体力は?」
「まあまあ」
「今後の計画は?」
「散々考えたが微妙」
「じゃあこの記録は何なの?」
言って、咲は姫に一枚の紙を姫に見せる。そこには、【ある男】との会話ログが残っていた。
『たぶん、それ着なくなるよ』
姫が微睡みで観た言葉だ、その他にも色々と洒落た言葉が陳列していたが。咲は看破する。
「これ、お姉ちゃんが神様になって私に相談した日でしょ?」
脈絡も誤解もすっ飛ばして結論から言う。
「あぁ、その通りだな」
「色々な文脈から察するに。……お姉ちゃんココから出て行くの? もっと違う、私の手の届かない場所に行っちゃうの?」
「まさか、行きたくないから。今こうして目覚めてる。大事な大事な妹だからな」
それは建前か本心か。
「この黒い男は誰?」
「たぶん、秘十席群だな。ま、留まりし思念とやらで。本人もそう望んでやってるかは微妙だが」
「というと?」
「あいつに聞いても『知らない』と言うだけさ。……、ただここ数日で解った事と言えば。私は闇を支配できるようになったと言うことさ」
「……、光じゃなくて?」
「どっちを選んでも同じさ、ただ。咲のために闇を選んだ。それだけさ」
容量の得ない単純明快な会話が続く。
結局、答え合わせは出来たが。本当のところの真相はブラックボックス行きとなった。
「というわけで、新しくやりたいことを持ってきたぞ」
「ほほう、それはどんな楽しいこと?」
「ずばり! 【攻略本を作る!】 じゃ!」
きょとんとした表情から一転、笑顔が戻った咲。
「それはクエスト? それとも仕事?」
「お仕事じゃ」
なるほど、遊びじゃない方か。と、納得する咲。
「ん~じゃ今度は攻略本作りかー。色々今までのまとめないとなあ~」
そんなことを言いながら、咲と姫はその空間から出て行く。
姫は何も無い和室の座椅子に向かって微笑んで。そして冒険の旅へ出発した。
――残存する上位空間は、その時確かに微笑んだ。




