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君は忘れない  作者: 哉城 弌花
第一章 「記憶の欠片は、心の中に」
2/25

1-2

――懐かしい夢を見た。

 

 目を覚ますと橙色に照らされた、くすんだ白い天井が視界を覆っている。

 

 一定の速度で甲高く鳴る機械音は妙に頭に響く。


 全身が痛く、だるい。まるで梅雨の朝みたいだ。

 

 口に付けられたどこか見覚えのある緑色のマスクのせいか唇は異常に乾燥している。

 

 寝起きのため意識はまだ朦朧としており、ここは自分の部屋ではないという事以外はまったくもって把握できていない。

 

 

 ふと、お腹に重みを感じる。

 

 頭だけを起こして見ると、栗色の髪を流れるように布団に委ねる少女、妹の花濱はなはま鈴香すずかが眠っていた。

 

 薄紅色に瞼を染めてそこから一筋の線が布団に向かって入っている。悲しいことでもあったのだろうか、そんなことを思いながら彼女の頭にゆっくりと手をのせる。

 

 太めの紐みたいなものが腕に絡まり動かし辛かったが解く気力もなかったのでそのまま続けた。僕が兄として妹にできることは、これくらいしかない。

 

 両親がいれば嫌な顔をされるだろうが、幸いここにはいそうにない。


「誰?お母さん?まだお兄ちゃんが……」


 妹が起きてしまった。というか起こしてしまった。


 寝ぼけて僕を母親と間違えているらく、顔を布団に埋める。


「おはよう。鈴」

 

 乾燥して詰まっていた声を、できるだけいつも通りに、喉の奥から絞り出した。自分でもわかるほどに変化はしていたがまあ僕の声だ。


「おはようお兄ちゃ……て……お兄ちゃん!?」


 勢いよく頭を上げながら立ち上がりわかりやすい驚き方をする鈴は面白かったが、今にも泣きそうな表情で僕を見つめてくるので今はそんな状況ではないことを察する。


「やっと……やっと……。」


 力が抜けたように床に膝をついて、ベットに手をのせる鈴は「よかった」と何度も呟き僕を見る。


「私が誰だかわかる?」


 わけのわからない質問を飛ばして来るがあまりにも真剣に聞いてくるので普通に答える。


「花濱鈴香、五月三日生まれの十四歳。羊羹など和菓子が好きな中学生。ただ一人の僕の妹さ」


 鈴は満足そうにうなずき、安堵するように大きく息を吐いた。


「それより、水分をくれないか?喉が乾燥して気持ち悪い」

「わかった。だけど少し待って。お医者さん呼ぶから」


 そう言って、僕の横にある壁に線で繋がれた筒を持つ。するとインターホンのような音が鳴り、「今行きます」と女性の声が聞こえる。


 ここは病院か。おそらく緑色のマスクは酸素マスクで腕に絡まる紐は、点滴の管だろう。お医者さんと聞くまでわからないのは不思議なほどに、この部屋には医療機器が多いことに今気づく。


 どうやらおぼえていないが、何らかの事故か病気かで僕は病院に運ばれたらしい。全身が痛いのにも、鈴の反応にも合点がいく。


 三回扉を叩く音がして、「入ります」と誰かが扉を開けてこちらへ歩み寄りベッドを囲むカーテンを開く。看護師の女性は、はっ、とした顔をする。


「先生を呼んできます」


 彼女はそう言って小走りで部屋から出ていった。




 数分後、駆け足で清潔感のある白衣を着た中年の男性と共に再び部屋に入ってくる。


「ほんとに信じられない……」


 目覚めてすぐの病人に対してかける言葉としては少し不謹慎な第一声だと思うが、経験豊富そうな医者の驚愕の表情から察するに、相当僕は異常なのかと思ってしまう。


「お兄ちゃん、喉乾いているみたいなのでお水飲ませてあげていいですか?」

「いいですよ。水分補給が終わったら軽く検査しましょう」


 医者はずれた眼鏡を直しながら、機材の準備を始める。


 酸素マスクを外しベッドの半分、頭の方をリモコンを使って起こす。水をコップに注いだ鈴は、僕の口元までそれを持って来て飲ませてくれる。正直恥ずかしいが、妹の厚意を断るほど僕も野暮ではない。


 喉の奥まで乾燥していたのか、飲んだ水分が胃まで到達したのがわかる。これが染み渡るという感覚なのだろう。


「では心臓の音を聞きますんで、服を上げますね」


 冷たい聴診器が触れて、体が過剰に反応してしまい肩に力が入る。


 医者たちは事故でできたであろう傷口の確認など一通りの検査を手早く行っていく。終始、驚嘆の声を呟きながらしているので、僕の身に何がおきたんだと心配になる。


「検査は終了しました。大掛かりな検査は明日以降行いますので、今日はこのまま安静にしておいてください。点滴はなくなり次第回収しに来るので終わったらナースコールで呼んでください。では…」


 彼らは入ってきた時とは逆に、控えめな営業スマイルで落ち着いて部屋を出て行った。


 僕は緊張を解いて全身をベッドに預けて大きく息を吐く。外はもう暗く街の明かりがポツポツと輝いている。窓際に備え付けられたテレビの下には7:15と緑色で表示されていた。


「鈴、僕はどれくらい眠ってた?」

「ちょうど一週間……。一週間もずっと眠ってたの」


 再び瞳に涙を浮かべながら、傍らに置いてある椅子に腰を掛ける。鈴の声は小刻みに震えている。


 せいぜい一日、二日だと思っていた僕は一週間という長さには動揺を隠せない。


「本当はもう目覚めないかもしれないってお医者さんに言われてたの。起きたとしても植物状態、あるいはあなたの記憶を失っているかもしれないって……。だから……」


 鈴がここまで取り乱して、言葉に詰まっている所はあまり見たことがない。高校受験について両親と揉めたとき以来かそれ以上かもしれない。それほどに僕は鈴にとっての不安要素だったのだと思う。


 僕も立場が逆であったら、そうなっていただろう。


 しかしながら、命を揺るがすような出来事とは何だったのだろうか気になる。僕の手を握りながら泣きじゃくる鈴に聞くのは気が引ける。だから、少し落ち着いたら聞こう。


 そんなことを考えながら手を握り返す。



 鈴がようやく落ち着きだしたのは、時計が8:00を示した時であった。


 そろそろ家へ返さないといけない時間なので、まだ鼻をすすっているが僕がどうしてこうなったのかを聞いてみることにする。


「ねえ鈴、どうして僕がこうなったのか教えてくれるか?」


 目元をこすりながらゆっくりと姿勢を正して僕を見つめてくる。


「覚えてないの?そっか……しょうがないのかな?うん」


 なにやら自問自答しているが、微笑ましいのでつい口角が上がってしまう。鈴がたまにだす間の抜けた言動はいつも僕を和ませてくれる。


 鈴は真面目な顔して「なに笑ってるの」と聞いてくるので、「何でもない」とだけ答える。


「まあ、いいや。私も一部始終を見たわけではないから詳しくは話せないんだけど、警察に聞いたところによると、入学式の日、お兄ちゃんは学校の帰りに同じ学校の女子生徒を庇ってトラックに轢かれたの……それで……」


 その後、救急車で病院へ搬送された僕は、緊急手術によって一命を取り留めたが即死級のダメージをおっていたため、いつ容体が悪化するかわからない状態にあったらしい。


 だから、一週間で目が覚めこれといった症状がないので医者もあんな反応だったのだろう。


「……このまま目が覚めないのかと思って…だから本当に良かった」


 語り終わった鈴はティッシュで目元を抑えて涙をぬぐう。


「そっか、僕が助けたっていう女生徒は助かったの?」

「彼女は軽傷ですんだらしい。けれど、事件の後すぐはしばらくの間、頭を抱えてその場から動かなかったらしいから精神的な傷は大きいかもしれないって……それで……」




――ドンッ


 鈴が次の言葉を紡ごうとした瞬間、勢いよく扉が開かれてコツコツとヒールの音を立てながら誰か入ってきた。


「鈴香!こんな時間まで何しているの!」


 スーツをきっちりと着た真面目そうな女性が不機嫌そうに入ってきた。


「あなた、起きたのね」


 表情一つ変えず僕を冷たい目で見降ろす、義理の母だ。


 義理とは言え、一週間ぶりに一命を取り留めた息子に対する態度がこんな粗末なのは、つまりそういうことだ。


 まぁ、初めから義父母からの優しい言葉など期待していなかったので僕はなんとも思っていないが、鈴の癇に障ったらしい。


「お母さん!せっかく目が覚めたお兄ちゃんに慈愛の言葉も言えないの!?なんでそんな…」

「そんなこと言ってないで帰るわよ鈴香」


 鈴はまた言い換えそうとするので僕はそれを制する。


「鈴、もう夜遅いし帰りな。受験勉強だってあるだろ?今日は来てくれてありがとね」



 このまま僕を庇って口喧嘩しても鈴にいいことは何もない。死んでいればよかったのにと言わんばかりの形相で見てくる母に従った方がこの場は穏やかに収まる。


 それに鈴がいくら反抗したところで彼女の心は微塵も動かないので体力の無駄遣いだ。


 鈴も僕の心情をくみ取ってくれたらしく、諦めて大きくため息をついて立ち上がり、鞄を持った。


「バイバイお兄ちゃん。明日も来るから」


 そう言って母と共に病室を後にした。




 静寂に包まれる。


 僕は無意識に入っていた力に気付き、ゆっくりベッドに全身を委ねる。


 父もそうだが母に会うのはまだ慣れない。


 ずっと眠っていたせいで、眠気は一切なく机の上に置いてある携帯を手に取り電源をいれる。


 一通のメールが届いていたので確認すると鈴からだった。


『さっきはお母さんがあんなでごめんなさい』


 鈴が謝ることではないという文面の返信をしておく。




 この時には「試練」とやらはもう始まっていた。


 タイムリミットも刻一刻と迫っている。


 そんなことには気付かず僕はただ、薄暗い天井を見ていた。


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