足
雨が降っている。弱くもなく、激しくもなく、普通の降り方だった。玄関から外に出て、傘をさして雨の下に出る。傘に雨があたる音で、少しにぎやかになった。雨で濡れた道路を歩くと、足首からふくらはぎにかけて水滴がついた。しばらく歩いて横に曲がり、砂利道を歩き始める。砂利の混じった水が足につくのが、ちょっと嫌だった。泡の浮いた濁った水たまりを避けて歩き、また舗装された地面を踏む。駐車場だ。ドアを引いて明るい店内に入る。本売り場の前を通り、ドリンクを見る。そのあとお菓子コーナーをチラ見しながらおつまみコーナーを曲がってパンを品定めする。じっくりと品定めする。いろいろ考えたすえに結局、感覚的にピンと来たものを手に取る。だいたいいつもこうだ。そのままレジに持っていき、おつりの2円を募金箱に入れて外に出る。傘入れから傘を取り出して、また傘をさす。違う。この傘じゃない。久しぶりだなと思いながらため息をつき、濡れてもいいやと思ってそのまま帰った。
コンビニと家は近い。たいして濡れはしなかった。なのでそのままにしてコーヒーをいれ、パンを食べる。いつもの味だ。いつも同じパンなのだ。だって値段のわりには、おいしいから。パンを食べ終え、コーヒーをちょっとだけ残して飲み終えると、あとは自由時間だ。やっぱり雨の日は気分が滅入る。いっそのことザーッと降ってくれればにぎやかで楽しいのだが。まあいい。本でも読もう。小説はほとんど読まない。読むのは一般向けにわかりやすく書かれた学術書。これはおもしろい。時間を忘れて読みそうになるので、ちらちら時間を確認しながら読む。もう30分たった、もう1時間たった、あと1時間だけ……結局時間を確認する行為はムダになった。実はいつもこうだ。そのおかげか、なんとなくでだいたいの時間経過がわかるようになった。とにかく、もう夜になっていた。
夜は何を食べようか? ファミレスでなんか食べよう。ファミレスにはブーツの似合う、横顔のきれいな女性がいたので声をかけてみた。「ブーツがお似合いですね」「ありがとうございます」彼女は笑いながら礼を言った。たぶん驚いているだろう。まあそうだろう。今日は汚い音をたてて食事するヤツはいなかった。くちゃくちゃ音をたてて食べるヤツには我慢がならない。殺意すら抱いてしまう。ところで殺意を抱くことと実際に人を殺すこととは、何が違うのだろう? 殺意を抱くことのある人はたくさんいるだろうが、殺人の罪を犯す者はそういない。ニュースなどを見ていると、殺人事件が数多く発生しているように思ってしまうかもしれないが、実は日本はとても殺人事件が少ない。時々殺人犯に共通する特徴を見つけ出して、犯罪者予備軍を見つけようとしているかのような人達がいるが、けっこう的外れなことを言っている。殺人犯に共通する特徴を見つけるだけじゃダメだ。殺人犯に共通し、かつ非殺人犯には見られない特徴を探さねばならないのだ。……と学術書に書いてあった。芸術家、たとえば三島由紀夫なんかは、殺人にとても強い興味を抱いていたようだ。小説と殺人、いや犯罪には強い関連があるとみていたらしい。そういうものなのだろうか。そういえば、すっぱいぶどうについても何か言っていた。三島の考えとはあまり関係ないが、そもそもなぜ、狐はぶどうをとれなかった時に、そのぶどうをすっぱいと決めつけなければならなかったのか? 食べてみなければぶどうがすっぱいかどうかはわからないじゃないか。思うに、狐はぶどうを甘いと決めつけていたのではなかろうか? でなければどうせすっぱいに決まってるなんて、決めつける必要がない。いや、あるいは、とれなかったからこそ、ぶどうを甘いと決めつけてしまったのか? なぜ自分を苦しめるような決めつけをしてしまうのか? わからないな。まあいいか。
家に帰るとパソコンを開いた。足に違和感を感じて足を見ると、ムカデがいた。びっくりして足を机にぶつけてしまった。ムカデのほうは慌てて逃げていき、壁を登り始めた。足の動かし方が見事で、かみ合った歯車のようだった。逃げていったのだからそのままにしていいかと思い、パソコンでコスプレイヤーの画像を見ていた。器用に衣装を作るもんだなあと思っていたら、また足に何かがあたる感じがした。ある程度覚悟しながら見ると、やはりムカデだった。もう驚かなかった。ただ速やかに殺そうと思い、逃げるムカデを後にして殺虫スプレーを取りに行った。戻ってくるとムカデの姿は見えない。ここだろうなと思ったところをのぞき込むと、いた。スプレーをかけるとムカデは大慌てで出てきた。とりあえずスプレーを元の場所に置いてきて、ムカデを観察した。大きいムカデだった。のたうち回っている。たくさんある足で畳をかきむしっている音がする。それがなんとも迫力があった。ムカデの腹ってベージュ色なんだな、と思いながら見ていると、だんだん動きが鈍くなってきた。やがてムカデは死んだ。殺した。大きい生物だったので、殺した感があった。殺人の瞬間もこんな感じなのだろうか? いやまさか。人とムカデは違うだろう。だが人を殺してみないことには、わからない。だがきっとそんな瞬間は永遠にやってこないだろう。たぶん。