森ガール討伐作戦
モーリモリモリモリモリ……。
闇夜に響き渡る不気味な鳴き声を、隊員の柴田ロドリゲスは聴いた。
総勢二十名におよぶA級戦闘班がこの大森林シブヤに足を踏み込んで三日。
森の中は薄暗く、日の光は遮られた梢によって薄く地に届く程度のものだ。そのためか、じっとりとぬかるんだ地面は歩き難く、体力の消耗も激しい。
「隊長、あの鳴き声は」
その言葉に、隊長と呼ばれた男は振り向かずに頷く。
「ああ―――」
大森林シブヤの奥地に踏み込んで、いままで生きて帰ったものはいないと言われている。
その理由が先ほどの奇怪な鳴き声である。
「間違いない―――森ガールの鳴き声だ」
◇ 森ガール討伐作戦 ◇
森ガール―――大森林シブヤに生息するA級クリーチャーの一種である。
かつてこの大森林シブヤは、天を突くかのような高い建造物で埋め尽くされた大都市であったという。
しかし、いまではその面影はない。
樹齢一千年を超える巨木がビル群の代わりに立ち並び、人の歩みを阻む。
この大森林に棲むのは森ガールだけではない。
A級戦闘班であっても、油断をすれば不覚を取りかねないクリーチャーが多数生息しているのだ。
その中でも、最も凶悪といわれる森ガール―――その討伐が、今回の任務である。
凶悪な怪物が棲息する土地は数多いが、シブヤはその中でも折り紙つきの魔窟だ。
だがそれでも、ヒト種―――それも柴田ロドリゲスらが所属する国家「弧状列島ワークライン」には、この大森林を攻略しなければならない理由がある。
それは―――魔素溜まりにある魔核の存在である。
魔素溜まりとは、この世界に普遍的に存在する物質―――魔素が集結した地域の呼称である。
ワークラインの各所にある森林地帯にはこの魔素溜まりが存在する。
それはヒト種が生存する上でなくてはならないエネルギーであると同時に、クリーチャーたちの活動を大規模に活性化させてしまう。
魔素溜まりの中心部には「魔核」と呼ばれる結晶体が存在するといわれる。
ヒト種のみならず、エルフ、ドワーフ、龍種、のような知性体はこぞってこの魔核を求める。都市国家を数百年分まかなえるだけのエネルギー結晶体だ。手に入れようとしないわけがない。
大森林シブヤに魔核の存在が確認されたのは、ほんの10年ほど前の事である。
本来、大森林シブヤは魔素溜まりではない。
ゆえに魔核も存在しないはずであった。
しかし観測されないレベルの薄い魔素溜まりであったのか。
ゆっくりと成長し、C級の魔核が生成されるまで誰も気付かなかった。
「……まだ、近くには居ませんよね」
討伐隊は、森の木々が途切れた岩場の付近にて野営の準備を始める。
ここから森ガールの生息地と思われる最奥地までは徒歩で2日かかる。にもかかわらず、ここまで鳴り響く巨大な遠吠えを聴かされて、隊員の中には動揺するものがちらほら散見される。
「……安心しろ。森ガールの鳴き声はよく響く。小型種であっても数十キロ先まで届くからな。まだ先だ」
討伐部隊の隊長―――円藤ロマノヴナは内心で舌打ちする。
たとえ他のクリーチャーとの戦闘経験が豊富であったとしても、あの奇怪な鳴き声には人間の心の奥底にある本能的恐怖を呼び起こさせるナニカがある。
かつて一度だけ遭遇した事のある森ガールの事を思い起こし、円藤は背筋を上るような怖気を無理やり押さえ込む。
奇怪な鳴き声に相応しい、奇怪なその姿。
そしてその戦闘能力。
だが問題はない。
いかに森ガールが強力な固体であろうとも、円藤たちはワークラインが誇るA級戦闘班だ。
数の利で囲んでしまえばどうとでも料理のしようはある。
円藤は不安を打ち消すように首を振ると、野営準備中の部隊に指示を出しに向かった。
◇
コトの始まりは、異様に活発化するクリーチャーたちの動向であった。
大森林シブヤは強力なクリーチャーたちの生息する魔の森ではあるが、魔素溜まりの存在する地域とは異なり、森ガールなどの主級は存在していなかった。
魔素で活性化された土地には強大なクリーチャーが現れる。大瀑布ヨシワラに棲息するS級クリーチャー花魁ガール、廃都キョウトに生息するビブラート麿などが有名だ。
危険地帯ではあれ、主の存在していなかった大森林シブヤに、唐突に現れたクリーチャー。
それが森ガールである。
いまだ主級と成って日が浅いのか、観測された結果判明した森ガールの戦闘力はB級とのことだったが。
油断は出来ない。
「隊長!」
この暗い森に似つかわしくない明るい声音で円藤に話しかけてくるのは新人の女性隊員、馬場村ニナだ。
「馬場村か」
「もう! ニナって呼んで下さいって言ってるじゃないですか。その苗字嫌いなんです」
ぷんすかと口で言いながら怒ったフリをする馬場村に円藤は苦笑する。
わが隊のムードメーカーである彼女に救われている部分は多い。
こんな場所であっても明るい彼女の性格は好ましいものがある。
「しかし本当にいたんですねー。森ガール。噂ばかりと思っていましたが、先ほどの鳴き声は間違いありません」
「成り立てとはいえ最低でもB級の主だ。我々が接近しているのもとうに気付いているだろう。先ほどの鳴き声は威嚇だな」
己が縄張りを侵す不届きものどもよ。疾く立ち去れ。
そう言っているかのような鳴き声だった。
「勝てますか」
「勝つしかあるまい」
焚き火に枝を放り込みながら円藤は答えた。
木々の燃え弾ける音が闇夜に響く。
「森ガールの戦闘能力はB級。被害は出るかもしれないが……勝てぬ敵ではない」
「隊長がそう言うなら安心ですね」
にこりと少女は笑う。
完全に上官を信頼しきっている顔だ。
それで良い、と円藤は思う。
自分の隊のメンバーは全員、円藤が死ねと命じれば死ぬ事ができる。
妄信ではない。
円藤の判断を信頼しての事だ。そして共に戦う仲間を思うが故だ。
かれらは鉄の結束で結ばれているからこそ最強の部隊なのだ。
円藤はそんな部下達を誇りに思った。
◆
闇夜にひとつの影が動いた。
それは円藤達が野営する開けた岩場を木々の隙間からじっと見詰めていた。
己の縄張りに侵入した小さきものども。
許すまじ。
決して許すまじ。
疾く去ね。
―――――疾く去ね!
モリモリモリモリモリモリモリッ! モリモリモリモリモリモリモリッ!
モリィッ! モリィッ! モリモリモリモリモリモリッ!
◆
円藤は天幕の中で飛び起きた。
この鳴き声は!
装備を手に天幕の外に出る。
「隊長!」
「状況は」
「距離300! 敵固体1です!」
「対象は」
「―――――、森ガールです!」
「―――――ッ!」
やはり。やはりか。
森ガールがいる。
あの化け物が。
ヒト種を食い殺そうとやってきたのだ。
しかしまだ距離があったはずだ。
どうやってこの短時間にこの距離を移動したのだ?
円藤は考える。
答えは出ない。
だがいまは迎撃が優先だ。
「円陣! 円陣を組め! 魔術師を中心に近接隊は防御を固めろ! どこから来るかわからんぞ!」
理想はこちらからの奇襲であったが致し方がない。
森の深部でなく開けたこの岩場での戦闘であるだけマシというものだ。
「柴田ァ!」
「うす!」
「プロテクション用意! 何秒で出来る!」
「すでにやってます! あと10秒!」
「馬場村ァ!」
「はい!」
「貴様ら魔術師が最大火力だ! 備えておけ!」
「イエッサー!」
柴田のプロテクションが作動し、部隊全てを青白い光が包み込む。
近接部隊はすべて抜剣し暗い森の奥を見詰めている。
モリ……モリモリモリモリ……
来た。
薄暗い森の奥。
我こそが森の主。
我こそが森ガール。
その巨体に相応しい威圧感を備え、その威容に相応しい堂々たる歩みで。
森ガールは彼らワークライン戦闘部隊の前に姿を現した。
森ガール。
恐るべきはその醜さ。
そしてとある呪いだ。
森ガールは見たものに、ある印象を強制的に刻み込むが故に恐れられた。
―――嗚呼、なんてゆるふわで、可愛い。
森ガールを前に、隊員たちすべてがそう思った。
その汚らしい肌。馬鹿でかい口。はみ出した牙。
3メートルを越す巨体であるというのに、顔だけで1メートル近くもあるのだ。
ぎょろりと飛び出す血走った瞳が彼らを睨みつける。
決して可愛くなどない。
醜い。
醜過ぎる。
ゆるふわなんかではありえない。
だというのに。
「チキショウ……チキショウ!」
隊員の一人が歯を軋ませて唸った。
こんなにブサイクなのにそれを可愛いと強制的に思わせる呪い。
それが悔しくて悔しくて仕方ない。
悔しくて涙が滲み、怒りのあまり肩が震えだす。
「ぶっ殺してやる! ぶっ殺してやる!」
「興奮するな! 思う壺だぞ!」
その恐るべき呪いはヒト種の正常な判断力を奪うという。
「モリ……モリモリ。……アタシガカワイイカラッテ嫉妬シナイデヨネ」
鳴いた。
それが言葉でなくただの鳴き声だというのはわかっている。
だが愚かにも隊員の一人は乗せられた。
「テメエエエエ! ブッッッ殺してやらああああッ!!!」
「アタシ美人系ヨリ可愛イ系ジャン?」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あッッ!ホザいてんじゃねええええええ!!!」
「馬鹿! よせぇ!」
円藤の制止も聞かず、その隊員は一人森ガールに突っ込む。
バクン
その隊員が突き出した長剣ごと、森ガールは丸呑みした。
「ゴッツァンデス」
鳴いた。
円藤は暴走した隊員を止められなかった事に歯噛みする。
一人ではダメだ。
数の利でかからなければやられる。
「やつは一匹だ! 近接隊! 囲めィ!」
円藤の号令に合わせて抜剣した隊員たちが森ガールを囲みこむ。
「ニンキモノッテツライワ」
「魔術師隊! 火球準備!」
火球をいっせいに打ち込み、ひるんだところを抜剣部隊が攻撃しつつ、次の火球までの時間を稼ぐ。
抜剣部隊のみではおそらく森ガールを殺しきれない。
魔術師隊の火力こそがすべてだ。
「撃て―――ッ!」
十を超える火球が魔に殺到する。
「モ゛リ゛ッ!?」
当たる。
当たる。当たる。当たる。
直撃する火球が燃え盛り、森ガールの体毛を焼き焦がす。
森ガールは両腕を振るってなんとか火を消そうともがく姿が可愛らしい。可愛くない。
「近接隊ィィ! 構ええ! 突撃ィィ!」
抜剣部隊に突撃させる。
わずかではあるが傷を与えひるませる。
やれる。やれるぞ。
このまま繰り返せば確実にダメージを与えられる。
剣、魔術、剣、魔術。
この繰り返しでひるませ続けるのだ。
手ごたえを感じた円藤がぐっと拳を握り締めたその時だった。
森の奥深く、いま円藤たちがいる森のさらに奥深いところから鳴き声が聞こえた。
モリ……モーリモリモリモリモリ……。
その鳴き声に円藤たちは驚愕する。
まさか2匹。つがいだったとでも言うのか。この森ガールとは別に、もう一匹固体が存在する。
まずい。まずいぞ。
「隊長!」
馬場村の声で我に帰る。
そうだ。この鳴き声の主はまだここから遠い。
この場に現れるとしても、どんなに急いでも1時間は確実にかかる。
ならば。ならば各個撃破だ。
この森ガールを倒し。あの森ガールも倒す。
連戦は厳しいがなあに、やってやれぬことなどないさ。
やれる。やってやる。
円藤がそう覚悟を決めたその時だった。
モリ……モーリモリモリモリモリ……。
すぐ近くに―――――。
モリ……モーリモリモリモリモリ……。
モリ……モーリモリモリモリモリ……。
大量の鳴き声が。
モリ……モーリモリモリモリモリ……。
モリ……モーリモリモリモリモリ……。
モリ……モーリモリモリモリモリ……。
モリ……モーリモリモリモリモリ……。
「群れだとォ―――――ッ!」
現れたのは総計6匹の森ガール。
どいつもこいつもメチャクソゆるふわで可愛い―――醜い化け物だった。
「チキショウ! チキショウ!」
隊員の誰もが泣き出す。
恐怖ゆえか悔しさゆえか。はたまたそのどちらでもあるのか。
円藤は死を覚悟した。
こんな事になるとは。
先遣隊の連中は何をやっていたのだ。
森ガール1匹だと? 馬鹿を言え。群れだ。群れではないか。
クソッタレの大馬鹿野郎。無能の本部どもめ。
巨大な口から舌が伸び、ぼとぼとと唾液を地面にこぼす森ガール。
興奮しているのだろう。目の前にこんなにもたくさん餌があるのだから。
チクショウ。チクショウ。食われて死ぬのか。
こんなところで俺は食われて死ぬのか。
俺の部隊はこんなところでおしまいなのか。
否。
最後まで指揮する必要がある。
戦うためではない。一人でも多く生き延びる為に。
「撤退する!」
円藤は吼える。
「馬場村! 火壁を用意しろ! 最大火力だ!」
「はい!」
「近接隊! 5名ついて来い! 血路をひらく! 突撃用意! 残りは殿だ!」
円藤は指揮をしながらこの作戦が上手くいくなどとは思っていない。
あわよくば。あわよくば1人、2人逃げ帰る事ができれば良いだろう。
おそらく、ほぼ、全員が食われて死ぬ。
だとしても指揮せねばならない。生き延びるための全力を尽くさねばならない。
なぜなら俺は指揮官だからだ。
「俺が死んだら柴田、貴様が指揮官だ。いいな」
血路をひらく為の突撃には円藤自身も参加する。
死ぬ可能性は高いが、そうでもしなければこの状況では誰もついてこないだろう。
「行くぞ――――――」
号令を掛けようと円藤が腕を振り上げたその時だった。
ズン、
地面を伝い体全体をゆする様な振動があたりに響き渡った。
こんなときに地震か? 弧状列島ワークラインは地震が多い国でもある。
クリーチャーはヒト種よりも自然現象に敏感な為、もしかすると地震によって混乱してくれるかもしれない。
円藤はそんな思いを抱く。
ズン、
だが。
すぐに思い直すことになる。地震などではない。
もっと恐るべき何者かがこの地に向かってやってきているのだから。
ズズン、
「……なんだ」
円藤は呟く。
森ガール達も騒がしく鳴き、この振動の音源を探ろうと左右を見回している。
何が起きているというのか。
木々を揺らし、地響きを鳴り響かせ、そしてそいつは現れた。
円藤たちの前にそいつは現れたのだ。
めきめきと鈍い音を立ててシブヤ大森林の古木がなぎ倒される。
その真っ黒な肌は黒曜石の如き光沢を持ち、黒一色であるにもかかわらず鈍く光り輝いて見えた。
その巨大で真っ赤な唇は、黒い肌の中で唯一あざやかな色彩を放ち、その生物の在り方を強く主張している。
そして怒髪天を突くような金色に輝く毛髪。
「あ……あ……」
円藤は呆けた老人のように震え恐怖のあまり小便を地面に撒き散らし。
隊員たちは小鹿のように震え漏れなく小便を地面に撒き散らし。
森ガールたちもゆるふわで可愛く小便を撒き散らした。
ヴォオオッ! ヴォォヴォオオオオオオオオ――――ッッ!!
獣は吼えた。
なにか爆発物を目の前で炸裂させたといっても信じただろう。
それほどの大音響が響き渡り、この暗黒の森にこれほどまでに鳥類が生息していたのかと思うほど大量の鳥が羽ばたき空へと逃げ去った。
「や、ヤマンバ……」
黄金に輝く長い髪。
黒の中の黒と伝説で謳われる漆黒の肌。
真っ赤な唇からは白い牙が2本覗き。
伝説の神獣ヤマンバが大森林シブヤに降臨した瞬間であった。
◆
ヴォォヴォオオオオオオオオ――――ッッ!!
ヤマンバの振り上げた拳が森ガールの頭蓋を叩き割る。
ひしゃげた頭蓋から脳漿が飛び散り一瞬にして森ガールは絶命する。
B級クリーチャーが。主級と呼ばれる強力な魔物が。
一撃で殺されるその信じがたい光景に円藤たちは数瞬の間意識を現実から乖離させた。
「―――――はッ」
我に返った円藤は状況を確認する。
突如現れた太古の神獣ヤマンバと思わしき強力なクリーチャー。
それが森ガールの群れと戦闘を繰り広げている。
もはや森ガールたちは円藤らのことなど眼中に無い。
最初の一撃でやられた一匹はともかく、ヤマンバを囲い込むようにして一撃離脱を繰り広げる森ガールたち。
この機を逃す手は無い! 円藤は叫んだ。
「――――撤退ッ!」
走る。
一歩でも遠くへ。
あの化け物どもから少しでも逃れる為に足を動かす。
心臓が爆発してもかまわぬとばかりに呼吸を荒げ。
2本の足に鞭を打ち走り続ける。
走り続ける。
喉が焼けても肺が悲鳴をあげても走り続ける。
あの化け物どもから、一歩でも遠く離れる為に。
この森の奥地にたどり着くまでにかかった3日の距離を、円藤たちは1日で走り抜けた。
その先の事など知らぬとばかりに。
途中で他のクリーチャーには一切遭遇しなかった。
他の生物もこの森の異変を感じ取っていたのだろう。
◆
森の入り口に到達し、その先にある暖かな太陽の光を見たとき、円藤らは自分達が生き延びたことを知った。
生き延びたのだ。
泣き叫び、小便を漏らし、恐慌に駆られ。
それでも俺たちは生き延びた。
その安堵の気持ちが隊員たちすべての心に染み渡る。
「本部には」
円藤は言った。
隊員たちは何事かと、疲れ果て、しかし安心した表情を浮かべながら円藤の顔を見る。
「――――いや。今はいいか」
今は生き延びた事を喜ぼう。
本部への愚痴を部下の前でこぼすなど、自分も相当参っていたらしい。
森の入り口へ。
ゆっくりと日の光の中に向かって歩き出した。
一発ネタでごめん(´∀`)ノシ