ゲームを買いに その③
「ゲームを楽しんでいるかい?」
三つ指の声が心なしか弾んでいる。
「いや、まったく」
「せっかくゲームをしに来たのに」
「だから私はゲームを買いにきただけなんだよ」
三つ指の顔が元の悲しげなものになる。
「それならゲームを楽しめばいいじゃないか」
「まあ、それはもういい。私にはゲームがなんなのか、それ自体わかっていないんだよ」
「ゲームはゲームだろ? それ以外に何があるんだ」
何をどう聞けばいいのか途方に暮れて、私は少しの間三つ指の顔を見つめてしまう。
三つ指は私の視線に少しはにかんだような表情になって、顔を伏せてしまった。
取り敢えずもう一度まだら熊を訪ねようと歩き出すと、三つ指が慌てたように顔を上げる。
「あの、あの、あの」
振り向くと、意を決したような固い表情で三つ指が言った。
「ま、ま、またな」
それだけ言うと、伺うような目で私の顔を覗きこむ。まさか私の返事を待っているのだろうか。
「あ、ああ、また」
仕方が無いのでそう答えると、三つ指は満足げに何度も頷いた。
勿論私は、もう二度と三つ指の前には戻る気は無い。そのことで、仄かに罪悪感のようなものが湧きあがり、戸惑ってしまう。
戸惑いを振り払って売り場の奥へと進む。
そのまま直接まだら熊を訪ねようかと思ったが、もしかしたら決められた手順を踏んだほうがいいのかもしれない。ルールすらわからないゲームをしていると、何が正解かまったくわからない。
やはり一度ルイーダの前へ行こう。
「ああ、わたしはかわいそうなプリマドンナ。わたしの手にはもう花が無いの。シクシクシク」
泣き崩れているルイーダ前に立つと、ルイーダが顔を上げる。
「あら、あなた、花は手に入れたのかしら?」
「いや、まだだ」
「花も持たずにわたしの前に姿を現すなんて、どういうご料簡なんでしょう」
「まだら熊が」
「やめて! その名前を口にしないでって言ったでしょ! おお、耳が穢れる、おお」
「なんでそんなにあの熊を嫌っているんだ。すごく悲しんでいたぞ、彼」
耳を塞いでしまう前に聞いてみる。
「ふん。あなたにはきっと理解出来ないでしょうよ、わたしの気持ちなど。あれがわたしにどんなひどいことを」
「ああ、余計な事を聞いてしまったな。すまない、忘れてくれ。次に来る時はきっと花を持って来るよ」
「ふふん。あなたになど何の期待もしてなくてよ? まあせいぜい努力をすることね」
「わかった。まあ、出来るだけはやってみるよ」
まだら熊の広場へ行くと、ヌイグルミどもが騒ぎだす。
「花持ち人が来たぞ」
「何しにきたんだ」
「きっと我々を獲って食う気に違いない」
「いやいや、花持ち人はまだら熊の友達だ」
「まだら熊の友達か」
「それならぼくらの友達だ」
「友達なら大歓迎だ」
ヌイグルミたちは歓迎のつもりか、一斉に歓声をあげながら飛び跳ねる。お互いぶつかり合い、木に激突し、そして私にぶつかってくる。
その中にリス犬を見つけたので、捕まえた。リス犬は期待に満ち溢れた顔で、私を見ている。私は、リス犬に向かって大きく口を開けて見せた。
「うわあああ、食われる、食われていまううう」
リス犬が嬉しそうに叫ぶと、周りのヌイグルミたちも「食われてしまう、食われてしまう」と合唱しながら大笑いだ。ここまで喜んで貰えると、満更悪い気はしない。ヌイグルミたちの狂騒に思わず両手を挙げて応えてしまった。
まだら熊は先ほどと同じように木に寄りかかって座っていた。
「おお、どこへ行っていたのじゃ。ルイーダのところには寄ったのかい」
「はい。寄って来ました」
「ワシのこと、何か言っておったか?」
「まだら熊さんによろしく、と言ってましたよ」
「おお、そうか。そうか。よろしくと言っておったか。あれはいい娘じゃ。そうか、よろしくと言っておったか、そうか、そうか」
ルイーダとまだら熊の間にいったい何があったのか。気にならないと言えば嘘になるが、私にはそんなことにかまっている余裕は無い。嘘をつくことに抵抗はあったが、ここでまた、まだら熊を木の裏に引き籠らせるわけにはいかないのだ。
「ところで、花はどこにあるんですか?」
「花か。花はここにはないんじゃよ、気の毒だが」
「それならなぜルイーダはあなたを訪ねるよう言ったんでしょう」
「それがあの娘の優しさじゃよ。あんたには理解出来ないのかもしれんな」
「私にとっては理解出来ないことばかりですよ。ここはどこなのか、ゲームとはなんなのか、だいたいあなたが何なのかも理解出来ない」
「なんと。ワシが何か理解出来ないと。なんと。なんと」
まだら熊の黄色い顔に傷ついたような表情が浮かぶ。
「あ、待って、それを理解するためにも花が必要なんです。お願いです。花がどこにあるのか教えてください」
オレンジ色の右手と濃紺の左手で顔を覆いかけたまだら熊が、手を止めて私を見る。
「魔女なら知っているのかもしれないな。その先に少し奥まって小部屋のようになった場所があるじゃろ。あそこが魔女の住処じゃ。行ってみるがいい」
「ありがとうございます。行ってみます」
「ああ、気を付けて」
歩き出すと、ヌイグルミたちが一斉に歌いだした。
「さーよーなーらー まーたーあうーときをー たのしみにー」
音程も声質もばらばらの声がそう歌っていた。もう会うことは無いだろうと思うと、なんとなく彼らに応えることが出来ず、私は広場を足早に立ち去った。
魔女の住処は、扉こそ無いがそこだけ独立した小部屋になったスペースだった。
メインのフロアより少し明度を落とした柔らかい照明の中、ヨーロッパの童話がモチーフとなった人形が並んでいる。
魔女は一番奥まった棚に、左右にガーゴイルを従えて座っていた。体を包み隠すような大振りのロッキングチェアに揺られながら、膝に置いたぶ厚い本を読んでいる。私が前に立つと、規則正しく揺れていたロッキングチェアの動きが止まる。
「何も言わんでええぞ」
私が口を開こうとすると、魔女は本から目を上げもせずに、右手の人差指だけを振って見せた。
「まあ、そこに座れ」
座れるような場所などあったかと後を見ると、いつの間にか小人たちが七人がかりで、人間が座れる大きさの椅子を運んできていて、私の後に置いたところだった。椅子は、見るからに手触りの滑らかな肘かけがついた木製のアンティーク調で、座ってみると、オーダーメイドのように私の体にフィットした。椅子に座ると、魔女のいる棚が丁度私の目の高さにあった。小人たちが、椅子と対になったテーブルを運んで来て、私の前に置いた。
同時に、魔女が本を閉じて、顔を上げる。
「聞きたいことがあるんだろ」
「はい。わからないことだらけで、何から聞いていいか」
魔女は大きな鼻に乗っていた小ぶりの老眼鏡を外して閉じた本の上に置き、少しの間私を見つめる。
「ふん、確かにまるで何もわかってないようだな。まずはゆっくりお茶でも飲め」
魔女が言うと同時に、テーブルの上にティーカップが現れ、その中で湧き出すように薄赤茶色の液体が溜まっていく。
言われて見て、確かに私はひどく喉が渇いていたことに気付く。
カップに口を付けると、品のいい紅茶の苦みと、仄かなりんごの甘みが絶妙に溶け合い、爽やかな香りが口の中に広がる。やがてそれが柔らかに喉を滑り、胃まで流れ落ちると、そこからじんわりと暖かさが体全体に広がる。
「美味い」
思わず声を上げてしまう。
一口飲むごとに、おかしな出来事に翻弄され走り回った体の疲れが解きほぐされていくようだ。私は、魔女の紅茶を一気に飲み干してしまった。
カップを置いて魔女を見ると、いつの間にか老眼鏡をかけて本を読んでいる。
「まず、一つだけ教えてやろう」
突然視界が揺れて魔女の姿がぼやけ、耳に綿を詰められたようにその声がくぐもって遠くなる。
「ゲームは楽しむものだよ」
同時に私は深い眠りに落ちた。
私は夢を見る。緩やかな流れに乗った小舟に横になり、うららかな春の川をゆっくりと下って行く。空の高いところでさえずる鳥の声が聞こえて、鳥の声が聞こえて、鳥の声が。
けたたましいプラスティックバードの声で、私は目を覚ました。
慌てて体を起こすと、私を見ていた三つ指の不安げな顔が、ほっとしたような笑顔になった。




