森の前で
どうでもいいが。
ほんとにどうでもいいんだが。
もし目の前に2本の分かれ道に出会したら、必ず右か左を固定して進みなさい。って何かの本に書いてあったのを今思い出した。
…おい。何で今なんだ私。はぁ、せめて2時間前に思い出していなら、今頃ここから抜けだしていただろうに…。通り掛けの木の幹に工夫して印つけとけば、今頃こんな思いをせずに楽に抜け出していただろうに…。
ああああ!!!最悪だ!!!!あれだけ意気揚々と家出して来た癖に、こんな風に冒険を断念する主人公、アリ?
「どっ、どうやって、でるんだっけ。」
四方八方から鬱蒼とした霧が立ち込めて、視界は無いに等しい。一旦家に戻ろうと思っても、帰り道が分からない。ああ、まさに四面楚歌。
ーーーそんな私は、迷子になりました。
私は、魔女だ。
さっき聞いたわボケって頭の中で思ったヤツ、今から重要なこと話すんだから黙っとけカス。
…で、実は私、まだ一度も自分の棲みかがあるこの森から出たことがない。人間の世界に下りるには単にこの森から出ればよいのだが、まず私はこの森の終着点を知らない。
この森は、それほどに広大である。
それでもその内に外に出られるかなぁーなんて考えていた2時間前の自分を殴り殺したい。母のように瞬間移動とか透視眼とか使えれば話は違ってくるのだろうが、生憎私はまだ修得していない。瞬間移動も透視眼もかなり上級魔法なのだ。見た目15歳、中身12歳でしかない私がバンバン発動できる代物ではない。
因みに、瞬間移動とは瞬間転移魔法の別称、透視眼とは身体強化系魔法の一種、視力強化魔法の別称だ。
転移魔法は名の通り、自身を含むあらゆる物質を異なる場所へ強制転移させる魔法だ。通常、魔法陣と呪文詠唱が発動必須条件だが、上級者の中には魔法陣なしの無詠唱で発動する凄腕もいる。てか、母がそれだった。
身体強化系魔法は、身体の全体或いは一部分に魔力を集中させて特別強化させる魔法全般を指す。例えば目に集中させるとめっちゃ視力が良くなるし、足に集中させるとめっちゃ速く走れる。通常の効力はその程度だが、上級者の中には何百㎞離れたある特定の場所に視線を飛ばしたり、大気を蹴って空を飛ぶ凄腕もいる。てか、母がそれだった。
そんなこんなで、今この状態を挽回できて、尚且つ私が使える丁度良い魔法は無い。棲みかから勝手に拝借してきた魔導書をリュックの底から取り出して魔法を探ってみても、私には到底無理な上級魔法か、使っても無意味そうな下級魔法しか載っていなかった。
そう、もう残る道は徒歩しかないのである。食糧面が不安定だが、此処等の木の実とか食べておけば死にはしない(筈だ)。
よし!いざ行かん!
「……どこに行くの?」
「ッッウギャァァァァァアアア!!!!」
びっ…、ビックリしたぁぁぁぁ!!!誰だよ!?
少し歩いたところで、何処からか知らない声が降ってきた。警戒しながら周囲を見回すが、人影はない。だが、人の気配はある。残念なことに、場所の特定は出来なかった。クソ、何処から話してるんだ?
「上だよ。上見て。」
挙動不審になっていると、また、声が降ってきた。声に従い上を見る。すると、すぐそこにーーすぐ側にある大樹の幹と枝の分かれ目に、その声の人物は座っていた。
「こんにちは、おねーさん。」
その人物は一見、只の美少年だ。美少年からちゃっかり『おねーさん』とか言われている私の、見た目15歳、中身12歳はやはり伊達ではない。多分、実年齢は相手の方が上だろうが、見た目は私の方が老けてみえる。…何故だろう、素直に喜べない自分がいる。
おおよそ、眼前の美少年は魔女の子供だ。理由はこの森にいることもあるが、それよりも、少年から希薄な魔力の気配が読める。
男の魔女ーー魔導師と呼ばれているーーは珍しいものの、一定数存在する。魔女が子を孕むと、産まれてくるのは99%以上の確率で女だ。必然と残りの1%以下は男が産まれてくるのだが、その特別な出生からか、魔導師は高度な魔法能力を誇る者が殆どである。
眼前の少年も、それに漏れない。一見、魔力が低そうに感じられるが、注意深く読むと、少年が意図的に魔力を抑えているのが分かる。事実、母も抑えていたし、今私も抑えている。美少年の将来は色んな意味で有望そうで何よりである。
「こんにちは。」
取り敢えず、私はチャーミングな年上お姉さんの設定でいくことにした。
チャーミングなお姉さん風笑顔を少年に向ける。少年は年上がお好みなのだろう、顔を真っ赤にしていた。あ、チョロいよコイツとか不覚にも思ってしまったが、大丈夫、顔には出していない(筈だ)。
「何してるの?」
勿論、絶賛迷子中なんて恥ずかしくて言えたもんじゃないので、そこら辺ははぐらかしておく。迷惑をかけるが、少年には道案内役になってもらおう。
「…道を聞きたいんだけど、あなた、ここらの地理詳しい?」
「うん、まぁ。」
「森を出る道を教えてくれる?」
少年の顔が驚きに変わった。まぁ、妥当な反応だろう。相手も私が魔女だって気付いているだろうし、そもそも人間の世界に下りようなんて魔女は滅多に居ない。
「森を出るの?…おねーさん、魔女だよね?」
「そうだよ。」
「なのに、人間界にいくの?」
「そうだよ。」
「なんで?」
「なんでって…、」
訳が分からないといった表情の少年が、まるで未知の生命体と話しているような口調で問うてくる。その態度がちょこっとだけ目に付いたが、私は現在チャーミングなお姉さんだ。大人だから、これが人間界への通常の認識なんだと思い直すことにしよう。
それに、私の、腐っても人間界に下りる理由は1つ。
「強くなるために決まってんじゃん。」
意思の強さが伝わるように、私は少年の目を自分の目でしっかりと捉える。私の無言の圧力に押されさのか、少年は息を呑んだ。だが、すぐに少年は納得したように、意味深な笑みを浮かべる。
「いーよ、おねーさん。…案内してあげる。」
こっちわと少年は続けて、樹伝いに歩いてゆく。地面に下りて歩かないのかとか思わずツッコミたくなったが、先ずはなんとか私の本気が分かってくれた事に安堵した。
先を行く少年を追いながら、私は考える。
ここからが始まりだ、と。自分が本当に強くなるための、旅。力を付けて、出来れば近い将来、私は必ずここへ戻ってくる。絶対に母をギャフンと言わせてやるんだ。
ーーー気合いいれろ、自分。お遊びじゃなくて、本気の旅。
自分に葛を入れるために、頬を両手でパンと叩く。腹から声を出して、気合いを充填する。これぞ、いざと言うときの私のルーティーン。
「あーーーー!!!!…よし、頑張る!」
「………。」
「ハハハハハ。何でもないよー?」
急に叫んだら、振り返った少年に変な目で見られた。
うん、やっぱいきなり叫ぶなんてキチガイだよね。
「おねーさん、ついたよ。」
「ハァ、ありがとう…。」
数時間後、私は少年の言葉のとおり森の出口にいた。念のために体力強化の魔法を施してあったのに足に疲れが出るくらいだから、相当な距離を歩いたと思う。少年の疲れている様子が感じられないことが癪に障った。
森の出口からは、見渡す限りの草原に細い路がポツンと1本引かれている。どうやら、この路から街へ出るらしい。ボケーと見ていると、樹から降りてきた少年が私の隣に来て説明し始めた。少年の身長が私より顔半分くらい高くて、厭に変な感じがする。
「この路を真っ直ぐに進むと分かれ道があるんだ。右に進むと、商業の街が見えてくる。すごく広い街だよ。……でも、左、に行くことはお薦めしないかな。」
「どうして?」
「魔窟っていう魔物の巣窟があるんだ。結構厄介な。」
「魔物?」
「過剰な魔力摂取で覚醒しちゃった動物たちのこと。そいつらは魔窟の中の魔力だまり(魔力が集まってる場所)に寄ってくるからね。ヒト達がダンジョンとかクエストとか呼んでいる、周辺の住民に危害が及ばない内に魔窟の魔物達を討伐する仕事もあるんだよ。」
「ふーん。あなた、やけに詳しいんだねぇ。」
私は率直に感心した。生活範囲が森しかない私達に比べると、少年は詳しすぎる位にヒトに詳しい。
そんな私に、少年は少し困惑した顔を見せる。そして、後ろめたそうに口を開いた。
「母が冒険者だからさ…。」
「へぇ。」
ここ半年人間界から帰ってきてないんだ、と続く言葉に合点がいく。
冒険者とは、この森を出て、人間界に入る異端な魔女や魔導師を指す。私たちの種族にも、そんな変わり者がほんの一握りだがいる。てかよく考えたら私もじゃん。
少年が持つ人間界の情報は、本場の母親仕込みだった訳だ。私は永遠と続く細路の彼方を見つめて、羨望を含んだ声で言った。
「憧れちゃうな、貴方のお母さんに。」
「え?…………それは、ありがとう。」
「?」
よく分からないが感謝された。加え、隣から異常な視線を感じる。
ああ、そうか。分かったぞ。お母さんに長いこと会えてなくて、無意識に悲しがってんだな。…しょうがない、胸ぐらいいくらでも貸してやろう。なんせ私は美少年に弱いチャーミングなお姉さんだ。
行動に移すのみである。私は私の顔をガン見したままの少年と正面から向き合って、バッ!と両手を広げる。少年はビクッとして、「ナニコレ?ドウシタノ?」みたいな視線で私を凝視している。そんな身構えてくれなくてもいいだろう、ただ胸を貸してやるだけだ。
「ほら!」
「え?」
「私に抱きついて!」
「ハァ!?…ちょっ。」
抱きつくのワードで赤面する位に初な少年。焦れったいので、私から抱きついた。途端に上でギャーギャー喚き出す少年を制す。
「大丈夫、分かってるよあなたの気持ちは。お母さんが居なくて寂しいんでしょ?」
「え!?」
「私の前では虚勢なんて張らないでいいんだよ?幾らでも私の胸くらい貸したげるから!」
「……。」
親切心からの好意なのに、少年からなぜが冷めた目をされた。
…あれ?私なにか間違えたかな。もしかしてこういうのは口外しない方が良かったのか……。
「…プッ!あっはっはっはっはっ!!」
予想外の反応に戸惑いを隠せずに少年から身を離した私に、少年は爆笑し始めた。
数分後、私は、少年の爆笑の真意の全貌を悟った。
そして、不本意なことに、私がかなりイタい勘違いをして、かなりイタい暴走をしていたことも悟った。
少年は母に会えずに寂しくて私を凝視していたんじゃなくて、母に憧憬の念を抱く魔女を初めて見たから驚いただけらしい。
「あー…そういうことだったのねー…。」
「うん。…プッ!」
「…。」
笑い出した少年を冷めた目で傍観した私は、拳を上げて殴るジェスチャーをとる。そんな私の冗談に、少年は両手を胸辺りでヒラヒラさせて、苦笑いをした。
「ごめんごめん。あんだけ熱心に話してたからさ、ついね。」
そんなこと言われたって、私の融通が付かない。せめてもの抵抗に、忌々と少年を睨む。少年はまた苦笑を浮かべた。
エンドレスである。
先程から、会話の途中で少年が吹き出して私が少年を睨む、虚無であり羞恥なエンドレスが片手を超える回数繁出されている。このエンドレスにより、私が一方的に恥ずかしい思いをしている。はっきり言えば悔しい。
しかし、イタい勘違いと暴走に至ったのは完膚までも私の責任であり、少年に非はない。少年はどっちかというと、私のイタい妄想の被害者サイドである。
エンドレスという名の負の回路を遮断するため、私は新たな話題を持ち掛けることにした。
「あ!そうだ!ねぇ、良かったあなたのお母さんの名前を教えて?」
「俺の母さんの?」
「うん、もし暇があれば、お会いしてみたいし。」
「うん、それはいいと思うけどさぁ…う~ん。」
少年は綺麗な御尊顔に皺を刻んで、困惑したような、妙な顔になった。どうしたのだろうか。少年につられて私も妙な顔になってしまった。
少年は言い出しにくそうに口をパクパクさせていたが、言わねばという使命感に見舞われたのか、拳をグッと握って重たそうな口を開いた。
「母さんはね、人間界に定住先を作らないんだ。ブラブラと、あちこち旅をしているみたいで。……だから、名前を教えてもいいけど、逢えるかは保証できないかな。正直、名前を教えても、おねーさんのメリットは皆無だと思う。」
会話の内容は残念だったが、その反面、納得もしていた。確かに、人間界に定住する魔女の方が珍しいかもしれない。人間界に定住するくらいなら、この森の中で暮らした方が安全で快適なのだから。
だが、やはり人間界に下りる異端同士(まだ私は下りてないけど)、何かしら連絡がとれる経路は確保しておきたかった。人間界初心者になる私としては、気休めだが、必要な行為なのだ。
「そっかぁ~…。」
ガックシ、と肩を落として分かり易く項垂れる私に、優しい少年は助け船を出してくれた。私の眼前に、細い右手が差し出される。
「心配しないで、これあげる。これがあれば大丈夫だよね。」
少年が差し出した掌の上では、多種類の緑を含んだ腕輪がきらきらと輝いていた。勿論、只の綺麗な腕輪ではない。この腕輪には、かなり魔力が籠められている。それも、意図されて。
「これって、魔力腕輪だよね?……こんな大層な物、私が貰っちゃっていいの?」
「うん。むしろ是非貰ってほしい。俺、他にもいっぱい母さんから貰ってて、持て余しちゃってるんだ。」
私は狼狽した。少年は軽すぎる。この魔法具は気軽に『これあげるわー。』『えーありがとー。』みたいな二言返事で受け取ってしまっていい道具ではない。
魔力腕輪とは、単体の魔女、或いは魔導師の魔力のみが籠められた腕輪のことだ。
効力としては、魔力を籠めた者の場所や生死などの情報を腕輪の色や放たれる魔力の周波で特定できる……とまではいかないが、朧気に推察できる。幼少時には子供が迷子になった時の為に親が子供の魔力腕輪を携帯するくらい、私達の間ではメジャーな一品である。
推察の精度はどのくらい魔力が籠められているかにもよるが、この腕輪は水準より2~3倍は濃い魔力が漂っているので、精度もその分比例してくるのだろう。
「いや、やっぱり悪いよ。見ず知らずの私なんかにあげちゃダメだよ。」
悩んだ末に、私は固辞することにした。なけなしの倫理感からである。
魔力腕輪は、場所やその他諸々(もろもろ)の個人情報を誰にでも漏洩してしまうことから、家族や親しい者以外に渡すことは推奨されていない。
従って、今回私が腕輪を譲り受ける事は、少年のお母さんの情報を横流しする事に等しいのだ。
「いいんだって。おねーさん、悪いことには使わないでしょ?」
「当たり前だよ!……むむむむ、じゃあ、お言葉に甘えておくね。頂きます。ありがとう。」
少年に圧され、渋々受け取ることになった。恥ずかしいが、ちょっとだけ受け取ることを嬉しがっている自分がいた。心中で、心底自分に辟易した。
私は慇懃に礼をする。私の様子に、少年が慌てているのが視界の端に映った。
「えぇ、ほんとにいいって。」
「じゃあ!そのかわり!対価として、私の腕輪を貰って!」
私はここぞとばかりに、私の魔力腕輪を献上した。色はごっちゃごちゃである。先程貰った少年のお母さんの腕輪の固定された緑色とは違い、彩色も模様も絶えずぐにゃぐにゃと変化している。何故か私の腕輪はこうなってしまうのだ。魔力が安定していない証拠だろうと以前母が言っていた。
まぁ、不格好だが、一応これで対等な取引になる。というか是が非でもそうしなければ私の気が済まない。自分の腕輪は幾つか所持しているし、これが悪用される程、私は母のような凄腕の天才魔女ではない。
「…………分かった。」
少年は暫くアワアワしていたが、最終的に受け取ってくれた。すっごく不満気だったけど。
「それにしても、おねーさんの魔力腕輪、不思議な色合いだね。」
少年は私の腕輪を太陽に翳すようにして観察している。その間にも、私の腕輪は、まるで生き物のように模様を変化させてゆく。私は自嘲気味に笑った。
「私もそう思う。」
既に日は傾きかけている。もう出発しなければ、今日は街に到着する前に、野宿しなければならなくなる。それも一興ともや思ったが、夜営道具を持ち出して来なかったので諦めた。
「そろそろ、私行くよ。案内、助かりました。」
「いいよいいよ、そういうのは。俺も楽しかったし。それよりも、気を付けてね………えぇと。あ、俺達自己紹介まだだったね。」
「あっ、ほんとだ。」
二人して今まで気付いていなかった。私達の二人称は、「おねーさん」と「あなた」から変わっていなかった。一頻り笑いあってから、少年が自己紹介をする。
「俺の名前はリーアム・バセット。ついでに母さんはアン・バセットだよ。」
「うん、覚えておく。私はカトレア・グリーンだよ。忘れないで。」
「え?グリーン?……グリーンってもしかして……ーーーあっ!待ってよ!」
少年、もといリーアムの言葉を遮って、私は延々と続く細路を走った。後方でリーアムの叫ぶ声が聞こえる。私の行動が突然すぎて、訳が分からなくなっているのだろう。こんな短時間で、私はリーアムのことを沢山理解できたように感じる。
だが、この森を出るまでに最後に出会ったのが彼でほんとに良かったと思う。私は熟こういうところの運は良いようだ。
未だ叫ぶ声が聞こえるので、私は振り返ってリーアムに手を大きく振った。すると、遠方で小さくなっているリーアムが、黙って手を振り返したのが見えた。
暫く振りあって、私はまた前を向いた。まだ細路の分かれ道は見当たらない。
地平線の向こうに続く、希望と不安の入り混じった1本の細路を私はひたすらに駆けた。
2015.3.2.Mon.
追記しましたーぁぁ!
2015.3.6.Fri.
誤字訂正しましたー