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三、イデ山にて

 刈谷仁と米沢広司はイデ山の山の中に降りていた。巨木の森である。あたりはすでに暗い。

 刈谷は枝の上に降りていた。背中にしょったパラシュートバッグを外す。あたりを見回し、やはり枝にひっかっかっている米沢をみつけた。


「おい、大丈夫か?」


 米沢は失神している。刈谷は米沢のパラシュートを外した。パラシュートのひもで支えられていた米沢の体ががくんと下がる。巨木の枝は太いが、さすがに大人二人が乗るとたわんだ。刈谷は米沢の体を持ち上げると、そろそろと幹の方へ運んだ。米沢を寝かせ、もう一度、自分と米沢のパラシュートバッグを取りに戻る。パラシュートバッグには救命グッズが入っている。刈谷は二つのパラシュートを枝から回収、米沢の元に戻った。

 刈谷は米沢の脇腹の傷を見た。米沢の鍛えられた筋肉のおかげで、内蔵は傷ついていないようだ。刈谷は止血しようと救命バッグの中を探した。水と非常食の他に、消毒薬と包帯がある。刈谷は傷を消毒すると、米沢の腹に包帯を巻いて止血した。

 刈谷は自分達が落ちたのはイデ島のどのあたりだろうと思った。イデ島の地図を思い出し、大体の検討をつける。朝になったら救援を呼ばなければと思った。気絶している米沢をパラシュートで巻いてやった。多少は暖かいだろうと、刈谷は思った。自身も水を飲み、非常食で食事をする。


(凛や西九条さんは大丈夫だったろうか? まさか、シチューが飛び出して来るとは思わなかったな。メリーナはどうしただろう。シチューが一人でヒノヤマ神社から格納庫までくるとは思えない。メリーナに乗ってきたんだろう)


 そんな事を考えている内に、刈谷は幹にもたれてうとうとと眠ってしまった。


 翌朝、刈谷が目を覚ますと、米沢がナイフを持ってギラギラと刈谷を睨みつけていた。


「な、何をする!」


 いきなり米沢がナイフを投げた。

 ナイフは刈谷をそれて、刈谷の頭の上にささった。

 刈谷の肩に何かがポタッと落ちてシミを作った。刈谷が見上げると、気味の悪い多足動物が頭をナイフで幹に留められていた。落ちて来たのはその動物の体液。


「うわっ!」


 気持ち悪さに刈谷は大急ぎで幹から離れた。

 米沢はどさりと横になった。


「ふう、助かったよ。なんだか、気持ちの悪い動物だな。なんだろ? これ?」


「知らんが、あんたを頭からかじろうとしていた。これで仮りは返したぞ」


 刈谷は立って、ナイフを抜いた。落ちて来たムカデに似た動物の死骸を枝から蹴り出す。ナイフを拭いて、バッグに入れる。


「水をくれ」


「ああ……」


 刈谷は米沢の体を起し、水の入ったボトルを口にあてがった。ゆっくりと水を飲ませる。ごくごくと米沢が水を飲んで行く。


「ふう、うめえ」


 刈谷は米沢の体が熱いのに気が付いた。熱が出ている。早く医者に見せた方がいい。


「……パラシュートのロープを使って下に降りよう」


 刈谷は米沢のナイフを使って器用にパラシュートのロープを外した。ロープとロープを繋いで長くする。枝に結んで垂らした。二つのバッグの中身を出して一つにまとめ下に降ろす。地上まで十メートル程だ。


「僕につかまって」


 刈谷は米沢を背中にしょった。そろそろとロープを伝い、枝から降りる。五メートル程下に、足がかりになりそうな枝があった。その枝の上で一息つく。刈谷の肩に米沢の体がずしりとのしかかる。ロープが刈谷の手に食い込んだ。刈谷は歯を食いしばって耐えた。

 やっと地上に降り立った刈谷は、米沢を降ろすと自分もその横に座り込んだ。

 肩で息をする。

 刈谷は立ち上がって、救命バッグを取り上げ、背中に背負った。


「さ、行くぞ」


 刈谷は米沢を立たせ肩を貸して歩かせた。

 二人は森を下っていった。イデ島はイデ火山を中心に、ほぼ円形をしている。どこにいても、下っていけば、海岸線にでる。刈谷は凛がシチューと共に落ちるのを見ていたので、海岸線のどこかに凛がいるだろうと思った。


「あんた、モビは持ってないのか」


「あるが、壊れてる」


「そうか……」


(飛行船が落ちた事はきっと、警察か役所に誰かが届けてくれているだろう。鹿園寺茉莉子かキラのおばあちゃんが、異変に気づいてくれている筈だ。シチューは僕らの事を鹿園寺さんに言ったんだろうか? 一体誰がシチューを起動させたんだろう。西九条の清香さん達は無事だろうか?)


 そもそも自分達を殺そうとした米沢を、何故助けたのだろうと、刈谷は今更ながらに自分のお人好しな性格にあきれた。

 米沢を半分担ぐ格好で、刈谷は巨木の森を歩いて行った。

 あの気持ちの悪いムカデのような生き物とは出会わなかったが、刈谷の目の端に時々、何かが滑るように動いていった。

 樹々が深い影を落とし、あたりは薄暗い。

 ゴー!

 突然、大地が揺れた。地震だ。が、すぐに収まった。


「そういえば、カガミハラの地ノ宮神社でも地震があったな」


 刈谷はいつのまにか、独り言を言っていた。半病人をかかえ、道のない森を歩いて行く。自分自身に思考が向っていたのだろう。


「地震? 地震かあ、多いよな」


 突然、米沢が応えた。


「なんだ、起きてたのか? びっくりした! まさか、イデ火山が噴火するとかじゃなければいいけど」


「ははは、あれが噴火したら、俺達はお陀仏だな。いてててて」


「縁起の悪い事を」


 刈谷の耳に川のせせらぎが聞こえた。刈谷はあたりを見回した。


「やった、川だ!」


「川だから、なんだっていうんだ! 助かったわけじゃあるまい。いちいち、いてて、騒ぐな」


「何言ってる。川があったんだ。川沿いに歩けば、水を確保出来る。川に沿って下っていけば、海岸に出られる。助かる確率がグーンと上がるんだ。枯れ木があればな、あんたを乗せて運べるんだが」


 二人は森を抜けて河原に立った。目の前に川が流れている。幅は五メートルほどだ。夏なので水量は少ない。しかし、米沢を乗せて運べるような都合のいい枯れ木はなかった。

 刈谷はそのまま、河原を歩いていった。米沢の体が重く刈谷にのしかかる。


(自分を殺そうとした男だ。捨ててしまえばいい。そしたら、体力のある内に、海岸まで降りていける。一人ならもっと身軽に動ける)


 刈谷の額に汗が流れる。ふっと、川から涼しい風がふいてきた。


(いや、駄目だ。一度は助けたんだ。最後まで面倒をみなければ)


 河原の丸石が刈谷の足を捉える。滑りそうになって、慌ててバランスを取る刈谷。


「おい、こけるな」


「わかってる」


(面倒をみても、結局助からないかもしれない)


 米沢の体が熱い。刈谷は立ち止まった。


「少し休もう」


 刈谷は岩陰に米沢を寄り掛からせた。水の入ったボトルを米沢の口にあてる。水を飲む米沢。

 刈谷は救命バッグについている救難信号のスイッチをいれた。ところが、故障しているのか動かない。


「くそっ!」


 刈谷は発信器を投げた。発信器に怒りをぶつける。


「俺を置いて行け……」


「え!」


「いいから、置いていけ。さっさと行って、助けを呼んでこい。俺は……、疲れた。休みたい」


「何言ってるんだ。がんばるんだ」


「いや、俺はもう動きたくない。置いて行け。一緒にいても共倒れになる」


 刈谷はあたりを見回した。安全そうな場所を探す。ここ以上に安全な場所は無さそうに思えた。


「わかった……。救命バッグとナイフだ」


 刈谷は米沢の体をパラシュートで包んだ。


「これで、寒くない筈だ。必ず、救援を連れて来る」


 刈谷はその場を立ち去ろうとした。

 その背中に米沢が声をかけた。


「帰ってこなくても、俺はあんたをうらまねえよ」


 刈谷は一瞬、立ち止まった。が、振り返りはしなかった。




 米沢は意識が朦朧とし始めていた。脇腹の傷がずきずきと痛む。


(くそ、俺はこんな所で死ぬのか)


 米沢の体は寄り掛かっていた岩からずるずると落ちた。米沢が見上げると明るく晴れた青空が目に飛び込んできた。


(けっ、つまらねぇ人生だったなぁ。もし、生きて帰れたら、やり直したい。きっと、やり直す)


「奈津子、へへ、あいてぇなぁ」


 米沢は気絶した。




 米沢が次に目を覚ました時、空に行く筋もの飛行機雲が見えた。そして、彼はまた気絶した。




 米沢は混沌とした意識の中で、銀色の光をみた。


「……れ……か……。……を……」


 銀色の何かがキラキラと光っている。虹色の影が反射した。

 米沢は誰かに体を持ち上げられていると思ったが、また、気を失った。


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