鳥の歌に、弦は震う
どうしたの、どうしたの、と次々に鳥が集まってくる。泣かないで、という声に、フーは眦を拭った。
「大丈夫、何でもないの、もう」
応えると、鳥はよかった、よかった、と歌った。鳥は素直だ、こちらが大丈夫だと言えば、その通りに受け取る。消してその裏を探ったり、探ろうとしたりしない。小さなものは膝や窓の桟に、大きなものは楼の屋根や近い建物の上に止まり、鳥たちはこちらに向かって、そわそわとこちらを見ている。
陽山にいると殆ど出回らない鸞に、鳥たちはその目や耳の代わりとなって色んな事を覚えて来る。鳥は話すのが好きだから、鸞が知りたいことは鳥たちの間を伝わって、数日のうちには遠くの話も陽山に届く。今も、街の様子を話したくて、窓の桟に小さな音を立てながら、ちょこちょこと左右に跳んでいる。
「いいわよ、教えて。順番にね」
手元まで上ってきた小さな鳥の首のあたりを指で撫で、微笑む。くすぐったそうに、だが、嬉しそうにすり寄ってくる更に命短きものに、フーはようやく心安さを感じた。
鳥たちは、町人たちの話をしている。花火の職人たちが砲を持って出たこと、祭りの飾り花を間違えて食んでしまったこと、その後の野火に備えて、平原へと獣化できる武官が出ていること。フーは一つ一つに頷き、応えた。
野火が始まるまで、夜は飛んではいけない。大きな音がしても、飛び上がってしまうと危ない。何でもかんでも食べては駄目。武官に手伝うように呼ばれている、と言ったのは、番いの鴉だった。いつもは羽根のない鴉の兄が、宮殿から離れられぬ自分の代わりにと言ったそうだ。夕になったら、草原を見て来るらしい。鴉の兄とはと聞いてみれば、あの黒い近衛のことだと言った。自分の獣性と同じ獣は、主であり従であり、友となる。鴉は特に賢く自尊が強いから、それが兄と呼ぶのは大したものだ。他の鳥よりも人めかしい鴉は、兄も想い人と早く番いになればいいのに、と言って飛び立った。
ひとしきり聞いたあと、ひと際高い声の白鷺がやってきた。王宮の池にいた、と足元の泥を振り落としながら言う。
「そう、南王が」
衝立の絵を描く絵描きの男に、ここに残って絵を描かないかと言った、と。その応えは、と問うと、そこから先は泥鰌を追うのに夢中で聞いていないと白鷺は申し訳なさそうに応えた。
「いいのよ。そう、よね。いろいろ描きたいって言ってたから」
なら、黙って飛び立ってしまおうか。陽山に帰ろう。そうして、火の山の轟きに、鳥たちの歌に、静かに暮らすのがいい。いくら仙の寿命と言っても、やはりイェンジーも人間、自分よりもはるかに短いそれなら、好きに使う方がいい。それにもう、人が変わりゆくのも、失われるのも見たくない。
王宮は住みよく、常人も仙たる官も多い。彼らと同じ時を過ごし、天賦の画才を揮うほうが好ましいだろう。
「お礼くらいは、言った方がいいのかしら」
呟いては見たが、鳥たちは首を傾げるばかりだった。鳥たちは、感謝した時にはもう礼を言っているからだ。りん、と風鐸が鳴り、風が髪を揺らした。
木の軋む音に、フーははっとして後ろを振り返った。鳥たちが、また嬉しそうに歌う。抱えるような竪琴と、小さな袋を手にした弟だった。
「ここにおられたか、姉上」
「なんだ、あんただったの」
ため息をつき、窓の桟から楼の内に下りた。一瞬でも期待に胸を打たせた自分に嫌気が差す。
「なんだ、とは。……すまぬの、姉上。待ち人ではなく、まこと気のきかぬ愚弟よ」
そう言って笑い、朱雀は床にそっと竪琴を置いた。ゆるり、とフーは頭を振った。謝ろうと思ったが、わっと沸いた鳥たちの声に、声を出し損ねてしまった。朱雀様、朱雀様、と鳥たちがはしゃいでいる。大きい鳥が来ている間、遠巻きにしていた小鳥たちまでがまた返ってくる。朱雀は小袋を手に窓までやってきた。
「餌をやろうと思うての。いつも外の話を聞かせてもらうから、その分の礼をだ」
姉上もどうか、と言われ、フーは手を器に差しだした。さらりと入れられた、黍や粟の粒が指の隙間から零れて、小鳥たちが階下へとそれを追う。
「下になったのを追わずとも、まだあるぞ」
弟は張り出した屋根の上にざっと撒くと、空になった袋を窓の外で叩いた。鳥たちは我先にと、聞きとれないほどに鳴きながら餌をついばんでいる。呆気にとられながらそれを見ていると、足元に入ってきた鳥が、鸞様、と呼んだ。自分の手の中にあるのが欲しい、ということなのだろう。両手の隙間から細く、線を描くようにこぼしてやると、小鳥たちは一列になってそれを拾い始めた。くちばしの先で粟の殻を器用に剥いている。
「殻は屋の内に残さぬようにの」
弟は面白かろうというように笑んで、床に置いた竪琴を持ちあげた。弟の身には大きい、鳳の首を模した飾りのある竪琴だ。
「あ、それって……」
見覚えのあるそれに声を上げると、弟は然り、と頷いた。火王の残した、赤の国の至宝のひとつ。飴色に艶のある木の胴の部分と、細かに飾りが施された首の部分。ぴんと張られた弦は、風に吹かれるだけで微かに音を立てた。
「あやつの箜篌ぞ。今は、余がたまに弾くだけだが」
「弾けるの?」
傍に寄って尋ねると、朱雀はささやかに笑い、頷いた。
「ほんの少しばかり、あやつに習ったのだ。あとは……時間はたくさんあったからの」
窓の桟に腰かけて、弟は指先で弦をはじいた。弦の張りに狂いはない。次いで、奏でるのは、確かに火王が――彼が引いていた、歌そのものだった。鮮やかなる南の地を歌った、明朗な調べ。
「それ、結局あんまり使ってくれなかったのよね」
呟くと、朱雀はぴた、と弦を弾く手を止めた。残る余韻に、フーは言う。
「弓だけじゃ、貰ってくれないと思ったのにね」
その竪琴はもうひとつの神器、紅焔弓と共に、戦に向かおうという火王に自分が贈ったものだ。人の和を好んだ火王は戦いを厭い、元が楽人ゆえに戦いが苦手だった。四方で一番、こと戦に関しては不安のあった王だった。朱雀に変ぜても、尚何かあったらと思い、弓を作らせたのだ。不思議に粘りを持つ鸞の血を、弦を張る膠となして。
武器だけでは受け取ってくれないかもしれない。なら、彼が得意とする琴も、共に添えて贈ろう。そう思って、自分は指を切り、これを作った。良い出来の琴ならば、きっと喜んでくれると思ったのに。ところが弓こそ使えど、琴のほうは、以前のものを使うばかりで、これを引くことは滅多になかった。
「姉上、あやつはの」
弟が眉尻を下げながら微笑んだ。
「姉上がこれを贈ったのは、自分が戦いとうないとごねたせいだと思っておったよ。ぐずる子をあやすように、くれたものだと思っていたのだ。奴はずっと申し訳なさそうだったぞ、自分に意気地がないから、姉上は自らを傷つけてまで、これをくれたと」
違う、とフーは首を振った。違う。何も戦にやろうとて作ったのではない。できることなら、戦になど出したくなかった。王宮の、あの陽のあたる庭でずっと、琴を弾かせてやりたかった。自分も、その傍で聞いていたかった。
「命を守るためとくれた弓は、何としても使うと言ってな。だが、自分の不甲斐なさと、余技のために、結果、姉上を傷つけてしまったことが申し訳ないと常々言っておった。だから、あやつは使えなかったのだ。その代わり、こうしてずっと大事にとってあった」
朱雀は再び、白い指で弦をはじく。
『ごめんよ、フー』
楼の内に外に流れるのは、彼にあてた優しい音色のそれ。フーは流れる歌の向こうに、彼のやわらかな笑みを見た。
※箜篌……竪琴の一種、ハープのようなもの。