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「じゃあ、あの男は単に行き連れということかの。姉上もまた、変わったの。人は面白かろ?」

 屈託なく笑む朱雀に対して、フーはつんと外を向いて応えた。変わった、変わったとはしゃぐ心理は、理解しがたかった。まるでそれが良いことのようにいうから尚のことわからない。変わったということは、変わる前のものが失われたということではないか。

「私は変わってないわ。人は、嫌い。嘘をつくもの」

「人でなくとも、嘘はつくぞ。それに、人も嘘ばかりではない。姉上」

 それに応えず、フーは衣を引いて、椅子から降りた。そんなことは知っている、充分に知っている。椅子の足に裾がかかってフーは少しばかり乱暴にそれを引っ張った。

「どこぞへ行かれるのか」

「ただの散歩。あんたも、たまには外に出たら?」

 そういうと、茶菓子に手を伸ばしていた朱雀はようやくむっとした表情でこちらを見た。

「余が外に出られぬのを知っているだろう、姉上」

 神獣も王も、気安く外には出られない。だから、自分はその役を蹴った。どんな利点も籠に囚われることを良しとしなかったのだ。で、自分が蹴ったから、弟がそれを受けて神獣朱雀となった。それに先に自分に命が来たとて、弟のほうがふさわしかったはずだ。共にただの火の鳥だったが、弟は真っ赤な火のようで、自分は灰や煙のようで。同じ地に生まれた同胞(はらから)でありながら、見た目がまったく違ったのだ。自分が醜いのは知っていたし、どうせ国の主になるなら、見栄えのする神のほうが人間も喜ぶだろうと思った。

「東の龍に会ったわよ。子供を連れて、天のほうへいったわ。何の旅か知らないけど、急ぎだっていってた」

句芒(こうぼう)か! そうか、無事金環山を越えたか……」

 朱雀は俯き、呟くように言う。

「やはり、初王のことを病むのかの。彼の者らが特別な王ゆえか」

「初めの王なんだから、そうなんじゃないの。あんただってそうでしょ?」

 扉に向かいながら、フーはそれに応えた。

「初めの王は善き王よ。否、いつの時とて、王は皆善きものたちだったぞ。あれは確かに善き王だったが……のう、姉上、初めだからゆえ特別だったわけではあるまい」

「あたしには、わからない」

 その問いは、何を問おうというのだろう。扉の引き手に手を掛け、ふとその手を止める。自分は、人といるのを避けて生きてきた。それは自らの身をさらして生きるのも、人生の伴を人にするのも厭わしかったからだ。だが、人を好み、人生の伴を人とした弟が、幾度も失うことを経てきたのは、自分がそれを味わうより辛かったのではないか。

「……悪かったと思ってるわよ。あんたに神獣の(めい)を押し付けたこと」

 引き手に掛けた手に力を入れる。

「姉上、余は……」

 弟は声を詰まらせた。振り返ってみたが、ほんの少し悲しそうな顔でこちらを見るばかりだった。薄絹とはいえ重たい衣の裾を引き、扉を押し開ける。

「悔いても、恨んでもおらぬよ、姉上。余は」

 弟の声が、背中に届く。その言の葉の先には続きがありそうだったが、構わずフーは外へ出た。弟はいつも自分に振り回されてきた。弟をここに閉じ込めたのは自分だ。ずっと申し訳なく思っていたが、やはり目まぐるしく行き過ぎる王宮の時間に、人の命に触れているのに耐えられそうになかったのだ。

 否、一度はそれも良しと思えて、耐えようと思った。そして、僅か十数年ここで過ごしたが、結局耐えられなかったのだ。時間という酷な定めに耐えられなかった。

「ごめんね」

 小さく呟いた。本人の前で言うことは躊躇われるし、開き直ってただ謝るだけの度胸もなかった。一度逃げたからには、もう全てが遅すぎる。

 陽山に戻って聞いた、火王の訃報。そして、それより自分は王宮に戻らなかった。死にすらまっすぐ向き合えず、王宮を離れた自分には、もう謝ることすら許されない。

 唇を真一文字に結び直し、フーは足を踏み出した。


 きっと何度も建てなおされたのだろうが、王宮の造りはあまり変わっていなかった。確か王宮の端には、物見の楼があったはず。衛士のいる見張りとは別の建物だから、きっとあの場所なら人もいないはずだ。

「お、どうした、フー。散歩か」

 廊下を進んでいると、別の廊下との交差で、イェンジーに会った。色とりどりの服を着た女官たちがその周りにいたが、服も身づくろいも変わっていないから、これから湯屋なのだろう。

「あんまりもたもたしないでよ、どうせあんたは大して変わらないんだから」

 どこから湧いているのかもわからない苛立ちを乗せて言うと、イェンジーは笑う。

「そりゃそうだ。俺は大して変わらねぇけど、服は良いのに替わるんだよ」

 そして、いつもと変わらない飄々とした様子で、廊下の向こうを指した。替わって無ければ、王の居室のほうだったか。

「いや、南王様ってや、ただ美人ってだけじゃあねぇんだな。色々こっちに気を割いて手間掛けてくれてよ」

 はぁ、と感嘆のため息を漏らして、惚けた顔でイェンジーは言う。

「心根が外見に合うから、余計に綺麗に見えるんだろうなぁ。そうだ、お前も充分綺麗なんだから、もうちっと素直になりゃあ……」

 気がつけば、やっと届くようなその頬に平手を入れていた。突然のことにイェンジーはそこを手で抑えて、唖然としている。女官たちも充分に驚いたようで、戸惑いながらもこちらの様子を窺っていた。

「……なんだよ、怒ってんのか?」

 わからん、といった風のイェンジーの問いに、フーは唇を噛みしめた。知らない。何で自分は今叩いたのだろう。いや、理由なんて本当は解っている。でも、それを頭の中でも言葉にしてしまったら、もっと自分を嫌いになれるだろう。

「知らない!」

知らない、知らない。勢いよく、元から向かっていた楼に向かって歩き出す。かっかと掌が熱い。ひりひりと痛む。熱いし痛い。何故。知らない。

「知らない……っ!」

『や、素直なほうが、ずっと可愛らしい。そうしているともったいないじゃないか』

 見えた中庭の、陽のあたる花壇傍の長椅子。にこやかに笑む、楽人の男。その王たる者のつま弾く、妙なる琴の音。幻が視界の隅できらめいて消える。

 灰に炭に染まったこちらを見て、綺麗だと言った男。そんな馬鹿なことを言うのは、弟くらいだと思っていた。その上、こともあろうにこちらに向かってそう何度も言ったのだ。ああ、そういえば。傍に来やれといきなり手を引かれたときに、ああ、そうだ。同じように頬を叩いた。それでも彼は笑った。うっすらと赤くなってしまった頬に手をやって、ならまた今度、と。

良く似た顔で、後ろになった男は、今どんな顔をしているのか。怒っているだろうか。いや、怒っていたほうがいい。

 掌が熱い。フーは手を胸に抱いて、駆けるように物見楼へと向かった。

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