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火の王

 しばらくして、ざわつきがぴたりと収まり、人垣が割れた。紅を基調とした、軽い貴妃服に身を包んだ女が現れた。きっと、これが王だろう。本来の王の服ではないのだが、それでも他を圧倒するのは、その美貌ゆえなのだろう。王はこちらの前へ進み出ると、優美でしとやかなやり方で礼をする。

「お初にお目にかかります、鸞様。現、赤の国国主ランファでございます」

声にはその年齢独特の艶があって、男女問わず惚れ惚れしそうなものだと思った。傍らのイェンジーが、へぇ、と嘆息するのを見て、フーは短くため息をつき、その前へ踏み出す。

「わざわざ呼びつけてすまないの。陽山への帰り、久しぶりに弟の顔でもと思って参った次第よ」

 普段なら、あの子はどこ? とだけ、問うただろう。偉ぶった口調に、自分でも辟易する。しかし、自分はどうであれ、人前では取りつくろうものだと、その方がよいのだと言われたのだ。大勢といる時は、人の望む姿でいるのがいいのだと。

『フー、君は朱明の姉さんだろう。なら、偉い風に話すのがいい。そうすると、皆勘違いすることも変に気を遣うこともないし、君が不要に貶められることもない』

 “彼”の言葉が脳裏に甦る。ああ、そうだ。それでも慣れぬものは嫌だと応えた自分に、彼は、人好きのする笑みをこちらに向けたのだ。

『なら、慣れるまでそれに付き合おう。もし疲れたら、私の前ではいつもの君でいればいいから』

 好ましい笑顔、温かな声。遠い記憶。

「鸞様?」

 声を掛けられて、はっと顔を上げる。王がこちらを不思議そうに見つめている。どうかなされましたと問う声に、何でもないと首を振る。

「貴女様は大勢を好まないと聞いております、部屋を用意してありますゆえ、こちらへ。お伴の方は」

「連れる。目を放すと何をするかわからぬ故」

 王は小さく首を傾げて了承し、歩き出した。今度の嫌味には、イェンジーは何も言わなかった。この男は、いつも自分の好きなようやりたいようにやるくせに、こういうところは変に弁えているから、調子が狂わされる。南王の斜めについて行くと、後ろにあの近衛がついたのに気付いた。その視線の先は、イェンジーか。

 こんなこと言うんじゃなかった。きっと、イェンジーは何もしやしないのに。まるで無実の罪を被せたかのような罪悪感が、微かに胸にわいて、痛んだ。


 王宮の奥へ通されて、一つの部屋の前で南王が足を止めた。近衛に、外で待つように言ったようだった。黒衣の近衛は一度だけちらりとイェンジーに視線をやったが、御意に、と扉の脇に控えた。

 茶と茶菓子の用意をしていた女官たちが、王が入ってくると一斉に礼をして退室していった。完全な人払いだった。相当に気を遣ってくれているのは弟が先になんやかやと言ったおかげだろう。勧められた席にめいめい座ると、南王は奥へと声をかけた。

「朱雀様!」

 視線の向こうには花鳥風月の描かれた朱漆の衝立があって、そこからひょっこりと子供の顔がのぞいた。裾の膨らんだ袴と、滑らかな裸の上体に赤い布を見に付けた、美しい少年だ。生まれた時から、火の華やかさそのもののようだった、火焔の化身の我が弟。

「いらっしゃったか、姉上! 最後にお会いしてどのくらい経つであろ」

 弟――朱雀は出て来るなり、心の底よりの嬉しそうな笑顔でそう声を上げた。そして、こちらの姿を見て少なからず驚き、傍らのイェンジーを見て、ぎょっと目をみはる。が、すぐにこちらに視線を戻すと、さっきまでの笑顔になった。

「あいや、見違えたかと思うた。やはり姉上は美しいの。此度はその姿を見せに来たのか、それとも」

「あたしは来るつもりなかったの、朱雀。これがあんまり来たいっていうから、連れてきただけ。……あんたくらいよ、私、前の私を綺麗だって言うの」

 口調を元に戻して、余所見をしていたイェンジーの袖を引っ張った。おう、と応えてイェンジーは居住まいを正す。どうやらあの衝立のほうを見ていたようだった。

「南王、口調を戻していいわね? あたしもともとああいう話し方苦手なの」

「ええ、構いません。ついでなら、私の話し方も戻したいのだけど」

 ならお互い様、とフーは頷いた。良かった、と笑み、南王は続ける。前に見た王も、こんな風に気だての良い美丈夫だったと思いだした。

「聞いていた姿と違っていたものだから、衛士達にまで話が行っていなかったの。中庭での無礼はごめんなさいね。それに、人が一緒だと思わなかったわ。そちらは?」

 寸時返事がなく、フーはまたイェンジーの袖を引いた。また衝立を見ていたのか。

「そんなに気になるなら、後で見ればいいでしょ」

「そうする。えっと、フーだけならまだしも、目の前の二人は王と神獣なんだよな? 俺ぁ……」

 困った顔で頬を掻いたイェンジーに朱雀が応える。

「構わぬぞ、世は気安く話されるほうが好きだ」

 そいつぁ良かった、とイェンジーは応えて、ようやく笑み崩した。

「俺ぁ、絵描きでイェンジーっつうんだ。陽山が火を噴くのを見ようと思ったら、こいつが帰るついでに連れてってくれるってんで、ついでのついでに都が見たいって連れてきて貰った。いや、さすがに南の主だな、王も美女なら神獣も紅顔ときた」

 じっと黙っていたせいか、早口にそう話したイェンジーに、いつも通りの気安さを感じながらも、微かに苛立ちを感じてフーは口をつんと尖らせた。

「あたしを呼び捨てにしてる時点で、充分無礼よ。――こういうこと。せがまれたから寄っただけよ。すぐに陽山に帰るわ」

 その答えに、三方から驚きが返ってきて、フーは、一斉に注がれた視線にたじろいだ。何よ、と応えると、誰よりも先にイェンジーが不満げに応えた。

「せっかく久しぶりに都にきて、王宮に入れて貰えたんだ。もうちっといたっていいじゃねぇか、色々描きたいもんがあるんだよ」

 そうだ、とそれに賛同して、朱雀も惜しげに言う。

「久しぶりに会ったのだぞ、姉上。もう少しゆっくりしたってよかろ。それに今宵は祭りなのだ、見てゆかれると良い」

 フーは二人の視線に、耐えきれずにへの字口のままそっぽを向いた。人をじっと見るのも苦手なのに、見られるのに耐えられるわけがない。こちらが困っているのに気付いてくれたのか、南王がそこに割り込んだ。

「イェンジーさん」

「お、イェンジーで構わん」

「なら、イェンジー。あの衝立が気になっているようだけど、何かあるのかしら」

 朱塗り木枠に絶景を描いた図を乗せた金銀箔押しの見事な衝立だ。ああ、と応えて、イェンジーはさっと左目を覆った。残された、濁した右目でそれを見て言う。

「大した作だが、何か画が妙だと思ってよ。何か隠してあんのか、ただ誰かが直し損ねたのか、元の絵と違う」

 南王と朱雀がようやくイェンジーの右目に気付いたらしい。そうだ、イェンジーの右目は視力を持たない。だが、その代わりにものの真実の姿を映す。どういうことなのか、と問いたげな二人に、フーが応える。

「仙だって。描いた通りに物を現せるの。私の姿もそう」

 なるほど、と朱雀が応え、南王はその顔を花が咲くようにぱっと輝かせ、手を打った。

「なら、その本当の姿に、描き直してちょうだい。その間の衣食住はこちらがまかなうわ。鸞様、貴女の伴を、少しお貸し願えないかしら。その間、ゆるりと休めるよう人払いも充分にしますから」

 それがいいと言わんばかりに、傍らの男と弟の顔が喜ばしげにほころんだのが解った。フーはまたまた溜息をつく。それに苛立ちはしても、これを拒否してしまったところで、自分は年頃の娘が我がままを言っているようにしか見えないのだろう。こちらの応えを待つ、二人もまた断りにくくなるような眼でこちらを見ているのも、また耐えがたかった。

「いいわよ、もう。でも、もたもたしたら、あたし一人で帰るから」

 おう、と応えたイェンジーは、ぽんとこちらの頭の上に手を置いた。顔が赤く、ぽっと熱くなるのを感じて、フーは急いでその手を払った。

「ちょっと、何するの」

「いや、別になんでもねぇ。礼を言おうと思っただけだ」

 痛むように胸が打つ。二度としないで、と言おうと思ったのに、言葉がでなかった。頭にさわられるのは、なんだか屈辱的で不快だ。なのに、それだけでないのが、きっと人目にわかるほどに頬を赤らめた理由に違いない。

『照れることはないのに、ただの礼だ』

 今度はまるで、耳元で響くように、記憶が返る。この場所は、彼の影で満ち過ぎている。きっとゆるりとなど休めないだろう。

 話がまとまった、と南王は手を叩いて、外で控えていただろう、女官と近衛を呼んだ。

「ルーユウ、この方々は今よりしばらく、私の客として滞在される。その間、御無礼のないように、他の者に伝えておくれ」

 短い返事の後、近衛はすぐに部屋を出ていった。きっと誰かに伝えて、すぐに戻ってくるだろう。案の定、すぐ外で誰かを呼びとめる声がした。そして、次いで女官たちに、湯の用意と衣裳部屋からいくつか物を取ってくるように言った。

「イェンジー、それではうちの者が客人だと気付けないわ。服を貸すから、湯屋へ向かって頂戴」

 イェンジーも、そりゃそうか、と改めて自分の服を見、袖や襟の臭いをかいで頷いた。待っててくれ、と言って、女官たちの後について行く。南王は部屋の用意もさせるわ、と席から立ち上がって、部屋からを出ていった。朱雀と二人残されて、フーはようやく落ち着いた、と言わんばかりに息をついた。

「これだけで随分疲れたわよ。それにしても、あんたが選ぶ王はみんなああなのね。気安くて、朗らかで、大抵美形。そんなにあの王が好きだったの?」

 問うと、弟は意味ありげに笑んで応えた。

「そうではない、王を選ぶのは余だが、天命があってのことだからの。それをいうなら、姉上のほうこそ、そうだ。――あの男の本当に火王に良く似ておることよ」

 のう、と強く言われて、まるで反射のように、そうじゃない、と応えた。図星かと思うほど、それを認めるのは嫌だったからだ。似てないわよ、全然。朱雀が、気のせいか、というまでそれを否定した。ああ、それでも。

 やはり、自分だけの思い込みではなかったのだ。イェンジーが彼と――火王と似ているのは。

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