リリィちゃんになりたい
私のかわいいリリィちゃん。
あなただけは全部分かってくれる、私の心からのお友達。
私を分かってくれるのはあなただけ。
お父さんも、お母さんも、学校の同級生も、私の本当の気持ちなんか分かってくれない。
だから私は、あなたとしかお喋りしない。
あ~ぁ、学校なんて無ければいいのに。
今日も学校、明日もあさっても。
ずっとリリィちゃんとだけお話ししていられればどんなに楽しいだろう。
リリィちゃんが羨ましいよ。
まなみちゃん、明日学校に行ったらまた私の悪口言ってるのかな。せいかちゃんも、いつもどおり私のこと仲間はずれにするんだろうな。しゅんくんも、かずくんも、またイジワルして私の教科書隠してるかもしれない。お父さんもお母さんも、早く塾行きなさいしか言わないし。
みんなみんないなくなっちゃえばいいのに、私の気持ち分かってくれない、イジワルなみんななんかいなくなっちゃえばいいのに。
ずっとこの部屋にいられるリリィちゃんが羨ましいよ。私もリリィちゃんの隣でずっとここに座っていられたらいいのに。
でもだめね、明日もあさっても、これからずっと、嫌な学校に行かなくちゃならない。
そんなこと分かってるけど、でも、行きたくないな、誰とも話したくないな。
だけど、仕方ないんだよね、行かないわけにはいかないもの……ふふっ、やっぱりリリィちゃんと話してる時が一番楽しい。リリィちゃんだけは私の気持ち分かってくれるもんね。
じゃあ、今日も寝るね。
おやすみ、私のリリィちゃん。
朝日が眩しくって、目が覚めちゃった。
あれ? おかしいな? 私カーテン開けっ放しで寝たっけ? あれ、違う……私、窓に寄り掛かって、寝てる? それに何だか、窓、スッゴク大きい……
「おはよー! リリィちゃん! 今日も元気だねっ! じゃ、私は学校行ってくるからね」
目の前に近付いてきたのは……
わ、わたし?
何度も見直したけどやっぱり私。
「いってきまーす!」
ま、待って! 行かないで、私はここにいるのよ? 何で私が行っちゃうの?
声を出そうと思ったけど、出ない。追い掛けようと思ったけど、体が動かない。
う、うそでしょ? 何、これ。
しぃんとした私のお部屋が、スゴク大きい。
どうなってるの? これ、夢? お父さん、お母さん、来て! どうしよう私、おかしいよ、動けないよ、声でないよ!
頭の中がごちゃ混ぜになって全然考えが浮かばない。
そのままの状態で時間がいっぱい過ぎたみたい。覚えてないけど、お母さんが仕事から帰ってきたからもう夕方なんだって、それだけ気付いた。そういえば、背中の窓越しに入ってくる光もオレンジ色になってる。
どうしよう、どうしよう。
まだ頭の中がまとまらない。
私どうしちゃったの?
このままずっと動けないの?
泣きたくても涙も出ない。
「ただいま~!」
あっ、私の声が聞こえてきた。
戻れるかもしれない。
そう思った途端。
お母さんの怒鳴り声。
「塾行きたくないって、優佳、それどういう事?」
「だって学校から帰ったら塾ばっかり、行きたくない、もっと遊ぶ時間が欲しいよ! お母さんいつも勉強勉強って、たまには私とどこかに行ったり、色んなお話ししてよ」
ケンカ、してる……お母さんと、私が。
信じられない、私、お母さんにあんなこと、言ったことないのに……。
驚いて、頭が真っ白になってる間も、二人の言い争う声。
やめて、やめて!
そんなこと言ったら、お母さん、私と口きいてくれなくなっちゃう。
行きたくなくても、行っておけばお母さんを怒らせないですむのに、何でそんなこと言うの? ねぇ、私……
「優佳!」
お母さんが大きな声で私に呼び掛ける声が聞こえたのと同時に、部屋の中に入ってくる私。ドアを叩かれても開けようとしない。
ねぇ、私! 今から出ていって謝って! それでちゃんと塾に行って! そうすればまだ許してもらえるかもしれないから! 元に戻れるかもしれないから!
だけど、私はその日塾に行かず、ずっと部屋に閉じこもってベッドに横になっていた。
お母さんもそのうち諦めたみたいで、ドアを叩かなくなった。
どうしてくれるの、私! きっとお母さん、もう私と口きいてくれない、私のこと無視するよ! こわい、こわいよ……
泣きたいのに、やっぱり涙は出ない。
そして結局その日は、お父さんともお母さんとも顔を合わせず、私は寝ちゃったみたい。
勝手なことして、取り返しのつかないことになっちゃった。
でも、それより私、元に戻れるの?
それも分からない。
そしてまた次の日。
朝日が眩しい。
この場所、眠れないよ。
恐る恐るベッドに目をやると、やっぱりまだ私はそこにいた。
昨日よりちょっと元気がなかったけど、私はベッドから起きあがると、こっちに来て私に挨拶した。
「おはよーリリィちゃん……今日も学校行くね」
それだけ言って、私はまた学校に出掛けていった。
二日目になってやっと少しだけ落ち着いてきた。確かここ、リリィちゃんがいつも座ってる場所だ……。
じゃあ私、もしかしてリリィちゃんになっちゃったの?
夢だって、何回思っても目が覚めないし、もしかして本当に今私、リリィちゃんなの?
その日も、それ以上考えが進まないまま、夕方になっちゃった。
そういえば私、昨日お母さんとケンカしてそれからどうなったんだろう……。
何であんなこと言うの? もう一人の私。
「ただいまー」
昨日より少し元気のない声だけど、私が帰ってきたみたい。
お母さんとは、今日はケンカしてない。
今日は水曜日だから、ちょうど週一回だけの塾無い日だ。
私は、静かに部屋で勉強してる。
ねぇ、私、あなたは誰なの?
ききたいのに、やっぱり声が出なくて、黙って、見てるしかない。
その時、電話が鳴った。
お母さんが、ちょっと気まずそうに部屋に来て、私に受話器を渡した。
あーぁ、やっぱりお母さんと気まずくなっちゃったよ。どうするのよ私!
ちょっと腹が立った私だけど、私が受話器の向こうとやりとりする声でそんなことはどこかへ飛んでいった。
「……うん……うん、わかった、いいよ、ううん、私の方こそゴメンね、まなみちゃん」
えっ、まなみちゃん?
電話の相手はどうやらまなみちゃん。
他の子に私の悪口ばかり言って、私を仲間はずれにしようとする、イジワルで、きっと私を嫌いな子。
学校ではなるべく関わらないようにしてる、こわい子。
そのまなみちゃんから、電話……?
一体どんな話?
電話でまで私のこといじめてるの?
ドキドキしてる間に私は電話を切った。
それでまた、私は机に向かって、夕飯の時間に下に下りていった。
今日もまた、私はこの窓枠に座ったまま。
もしかして、ずっとこのままなの?
私がリリィちゃんになりたい、なんて言ったから、もう戻れないの?
こわい、こわいよ。
……でも、もしかして、このままの方がいいのかな?
優佳として生きてたって、どうせいいことなんか一つもない。学校ではいじめられて、お父さんもお母さんも私の気持ちなんか気にしてくれないし、その上もうひとりの私が勝手にケンカしちゃって、余計に仲が悪くなっちゃったし。
そう思ってたら、私が夕食から帰ってきた。
あれ? お父さん? お母さん? 何で二人が一緒なの?
私の後に続いて、お父さんとお母さんが部屋に入ってきた。
「優佳、お前塾に行きたくないと言ったそうだな、どうしたんだ急に」
お父さんが怖い顔をしてる。
あぁ、そうか、怒られるんだ。
バカな私。口答えなんいかしなきゃいいのに。
「別に勉強したくないわけじゃないよ」
私がそう言い返すと、お母さんはちょっと怒ったような声。
「じゃあどうしてあんなこと言って、昨日は塾に行かなかったの?」
「だって、お父さんも、お母さんも塾とか勉強の話ばっかりで、私の言ってることちゃんと聞いてくれないし、私はもっと、お父さんやお母さんと遊びに行ったりとか、したいの」
びっくりした。
だってその言葉は、私が思ってても口に出せない気持ちそのままだったから。言ってしまったら、余計にそうなれない気がして、ずっと怖くて言えなかった言葉だったから。
お父さんとお母さんは、それを聞くと何も言わずに顔を見合わせた。
「そうか……」
お父さんがただ一言そう言って、それで、二人はそのまま部屋を出て行った。
こわかった。見てるだけですごく、こわかった。
私があんなこと言うなんて信じられない。
見ている以上にこわいんだろう、もう一人の私。
でも私は言った。
お父さんとお母さんに。
あんなこと言う私、ありえないって思ってた。
でも、ありえるんだ。
その日は、それでおしまい。
また、朝日で目が覚めた。
この窓枠で目を覚ますのも、もう三回目。
だんだん、戻れるような気がしなくなってきた。
「リリィちゃん、行ってきます!」
私が私に話し掛けるのも、もう三回目。
もしかして、このまま私、リリィちゃんになっちゃうのかな?
優佳だった頃のことも忘れて。
そう、実感してみて、すごくこわくなった。
じゃあ、あの私は、誰?
あの私が、優佳としてこれから生きていくの?
それで、この私は?
消えてしまうの?
最初からいなかったみたいに?
嫌だ……こわいよ。
涙を流さずに泣いていたら、あっという間に夕方がきちゃった。
夕焼け色の部屋を見て、余計に寂しくなっていると、私が帰ってくる音がした。
「ただいまぁ!」
「お邪魔しますー」
あれ、誰か、一緒?
私、家に連れてくるような友達……いないはず。
なのに、私は誰かと話しながら階段を上ってくる。
もしかして、この声。
「うそぉ、やっぱまなみちゃんもそうだったんだー!」
「そうだよぉ、だってこの前だってさぁ」
まなみ、ちゃん……?
目の中に入ってきた、信じられない光景。
イジワルで、こわいまなみちゃんと、私が、楽しそうに笑ってる。
「待ってて、今飲み物持ってくる」
なんで? どうして?
私の頭は混乱して、何が何だか分からない。
もしかしたらやっぱりこれは夢の世界で、私の知ってる現実とは違っているんじゃないか、なんて、思えた。
でも、やっぱり、これは三日前までは確かに私がいた、あの退屈で嫌なことしかない毎日の続きなんだって、気付かされる。
「でも、おとといはびっくりしたよお、ゆうかちゃんたら私達のグループの所まで来て、スゴイ迫力で怒るんだもの」
「えへへ、だってまなみちゃんたら私のこといっつも悪く言ってたでしょお? もう我慢出来なくなっちゃって、ぷちっとね」
「あ~、ごめんね、ホントそのことは反省してる! ゆうかちゃんがそんなに嫌な気持ちになってたなんて分からなくてさぁ、考えてみりゃ当たり前だよってね」
「ま、わかってくれればいいけどね」
顔を見合わせて笑う、まなみちゃんと私。
「でも、まなみちゃんってもっとこわくてイジワルな子かと思ってたよぉ、意外と面白い子だったんだね」
「私も私も! ゆうかちゃんってもっと暗くて、自分のことしか考えてない子だと思ってたけど、話してみるとイイコじゃん! いや~わからないもんだね」
「あー、言ったなぁ!」
膨れる私に、おちゃらけて舌を出すまなみちゃん。
「お返しだよー」
まるで、別の世界の、別の人みたいにまなみちゃんが優しくて、私のこと分かってくれる人に見えた。
イジワルで、こわいまなみちゃん。
それだけがまなみちゃんの全部だって思ってた。
でも、違うんだ。
まなみちゃんを悪者にしてた私の方も、もしかしたらまなみちゃんにとってイヤな子だったのかな?
絶対に私が良い子で、まなみちゃんが悪い子だなんて、どうして思ってたんだろう。
そんなこと、言い切れないのにね。
まなみちゃん、ごめんね。
一時間くらい話して、まなみちゃんは帰っていった。
私は、塾に行く支度をしてる。
今日はちゃんと行くんだね。
お父さんとお母さんとは、どうしてるんだろう。昨日、言ったこと、二人ともきっと怒ってるんだろうな。
だから言えなかったの。
こわかったから、お父さんとお母さんに無視されそうで。がっかりされそうで。
ねぇ、私、あなたは平気なの?
部屋を出て行こうとする私に、心の中で話し掛けてみる。
そしたら、私が立ち止まった。
えっ、聞こえたの?
そう思って、もっと話し掛けようとしたけど、どうやら私の声が聞こえたんじゃないみたい。私は廊下に出かかった足の向きを変えて部屋の真ん中に戻り、その後からはお父さんとお母さん。
滅多に私の部屋になんか来ないお父さんとお母さんが、昨日と今日で続けて二回も。この三日間は本当にびっくりの連続。
二人とも、見たことないくらい真剣な顔。
なんだろう、こわい顔、してる。
「優佳、お父さんと話し合ったんだけどね、塾、少し減らしてみる?」
えっ
「優佳の将来の為にと考えて行かせてたが、確かに週六回も塾ってのは、多すぎるような気もしたからな」
う、うそ……
私が嬉しそうに頷くと、お父さんとお母さんも少しだけホッとして、この頃見なくなってた笑い顔をした。
「じゃあ、今日の塾は行かないで、三人で外食でもしましょうか?忙しくて滅多に行けないから、たまには、ね」
「うん! 行きたい!」
「よし、じゃあ今日は優佳の好きなモンでいいぞ、お父さんのおごりだからな」
「まぁ、あなた、今日は気前がいいのね」
楽しそうな笑い声。
お父さんとお母さんのこんなに嬉しそうな顔、見たことない。
まるで、嘘みたいな、ホントの世界。
みんなみんな、私が思い描いてた理想の、どんなに望んでも手に入らないって諦めてた世界。
でも、手に入るんだ。
こんなちょっとしたことで。ほんのちょっとの勇気があれば。
私は、ただ自分の中に閉じこもって、いじけてただけだったんだ。
少しだけ勇気を出して、手を伸ばせば、すぐそこに楽しくて、優しい世界は広がっていたのに。
気付こうとも、してなかったんだね。
やっと、それに気付けた。
だけど、もう手遅れなのかな。
私はリリィちゃんになっちゃって。
きっとこの世界をずっと見ていることしかできないんだ。
しょうがないよね、こんな世界大嫌い、みんなみんないなくなっちゃえって、誰とも話したくないって思ったのは私なんだから。
神様が私を本当のリリィちゃんにしてくれたんだ。
今頃気付いても、遅いよね。
私はリリィちゃんになって、きっと優佳だったことも、いつか忘れちゃうんだ。
悲しいけど、仕方ないよね。
いつの間にか寝ちゃってたみたい。
リリィちゃんのまま寝ちゃってることに体が慣れてきたのかな。夢を見ても、これはリリィちゃんの夢だって分かる。
夢には私、優佳が出てきた。
いよいよ私、リリィちゃんになってきているのかな。
「ねぇ、リリィちゃん、あなた、本当にリリィちゃんのままでいいの?」
私は、その言葉を聞いてはっとした。
「えっ、私、私が私だって分かるの?」
言ってて変だなって思ったけど、それどころじゃないよ。あの私が、リリィちゃんになった私のこと分かってくれてる!
「分かるよ、だって本当は私がリリィちゃんだもの、あなたがあんまり私になりたいって言うから、取り替えてあげたの」
「えっ、あなたが、リリィちゃん?」
びっくりして、目の前の私に聞きかえす。
じゃあ、今まで私になって、学校に行ったり、お母さんとケンカしたりしてたのは、リリィちゃんだったの?
私は頷いた。
「そうよ、でも、段々自分がリリィちゃんだったことを忘れてしまいそうなの、あなたもそうでしょ? 自分が優佳だったかリリィちゃんだったか分からなくなってきてる、このままじゃ、本当に私が優佳で、あなたがリリィちゃんになっちゃうよ? あなたは、どうしたいの?」
「えっ、私は……」
「このままずっとリリィちゃんとして、この部屋の出窓でずっと座ってる? 私は退屈だったけど、あなたはその方がいいって言ってた。今も、その方がいいの?」
そう言われて、思わず考えちゃった。
本当は私、どうしたいの?
急にこんな事になったから、戻りたいって、ただそれだけ考えてたけど、このままリリィちゃんになればもう嫌な思いしなくていいんだ。ただここで、ずっと座ってればいいんだから。私よりかわいくて、明るい優佳になったリリィちゃんをずっと見てればいいんだから……
でも、それで、本当にいいの?
お父さんのことも、お母さんのことも、まなみちゃんや、クラスの子のことも、嫌いだって思ってただけの、いじけてただけの優佳のままで、私は本当にいいの?
一度も勇気を出さないまま、リリィちゃんになっちゃって、いいの?
私がそっと上げた時の顔で、もう一人の私は、全部分かったみたい。
「やっぱり、人間の方が、面白いよ! 人形は退屈。やっとそれに気付いてくれたね」
私は笑って、夢の中の暗闇に消えていく。
待って、理想的な私!
もう少し側にいて、お手本を見せて!
そう叫んだけど、もう一人の私はもうどこにもいなかった。
目が覚めると、久々に感じるベッドの感触。
そっと、カーテンを開けて、出窓を見るとそこにはリリィちゃんがいつも通りに座ってた。
ありがとう、リリィちゃん。私の心からのお友達。
きっと劣等生の私には、すぐに勇気を出すのは難しいと思うけど、でも、がんばるよ、少しでも自分の力で世界が変えられるように。
「おはよー! リリィちゃん! 今日も元気だねっ! じゃ、私は学校に行ってくるからね」