二章 16-20
二章 16
『ホゥ、ホホゥ』
シークレットルームの秘密出入口からオウルアイが帰還した。今の鳴き声は「ただいま」の挨拶らしい。
「ご苦労だったな、オウルアイ。戻れ」
瞬時にボール型へと戻ったオウルアイを充電棚に戻し、権三郎は可動式チェアに腰を下ろす。
「メデューサ、今日はもう店仕舞いだ。お前もスタンバイモードに入って休め」
『了解ですS1号。どうか貴方もごゆっくり』
メデューサは仰々しく頷くと、頭上の蛇たちを静止させる。装甲を覆う赤紫色も褪せ、銀色に近い色調へと変化した。
「さて、そろそろシャワーでも浴びるか」
大きく伸びをひとつして、権三郎はシークレットルームを出ていった。
翌朝。権三郎は車を飛ばし、S県H町の役場を訪ねた。
受付で用件を伝えると案内されたのは「農政係」と書かれた小さな一角だった。
応対した職員に軽く一礼し、権三郎は胸ポケットを探る。
「初めまして。私はこういう者です。お納め下さい」
胡散臭さ満点の名刺を差し出すと、職員は一瞥した途端に眉をひそめた。
「探偵……ですか。失礼ですが、そのような方が農政係にご用件とは?」
疑わしげな眼差しを真正面から受け止めつつ、権三郎は怯まず口を開く。
「用件はズバリ、この町と連携している猟友会の名簿を拝見したい」
「はっ? 無関係の方に見せられるはずがありません」
「いいえ、関係はある。私は三ヶ月前、この町で起きた熊害事故の犠牲者の娘さんから依頼を受けて来たのです」
念のために持参していた人材派遣会社の名刺を差し出す。
「依頼人は、そこに記された鳩森郁美氏。犠牲者・鳩森要蔵氏の長女です」
「……娘さんですか。その方からはどのような依頼を?」
「猟友会の皆さんへ改めて御礼をしたいそうです。ただ捜索時は顔を合わせる余裕しかなく、個人情報までは聞けなかった。時が経ち、気持ちが落ち着いた今、もう一度感謝を伝えたい。そこで我が社へ依頼が来た――というわけです」
「ふむ……事情は理解しました。その方へ直接確認を取ってもよろしいですか?」
「もちろん。お願いします」
権三郎は事前に郁美へ「役場から連絡がある」と伝えておいた。
職員は奥で電話をかけ、数分後に戻ってきた。
「確かに、鳩森郁美さんから依頼があったようですね」
「それでは、要求を呑んでいただける?」
「親子関係を市役所で確認の上、上司に相談します」
役所仕事の回りくどさに小さく溜息をつきつつ待つことしばし。
戻ってきた職員はクリアファイルを差し出した。
「裏は取れました。今回は事情を斟酌して、特別にこれを」
そこには会員名、住所、電話番号まで記された猟友会の名簿が。
「ここまで詳細に……本当に頂いてよろしいのですか」
「ええ。市民から直接感謝を受ければ、猟友会の士気も上がるでしょう」
役場を出ると、権三郎はすぐに郁美へメールを送った。
『先程は的確な対応ありがとうございます。名簿を入手できました。思うところがあるので、昼休みにお電話します』
送信後、権三郎は再びI丘陵へ。
新たな区域の森に入り、ホークアイをメタモルフォーズさせる。
「今日は探索レベルをMAXまで上げるぞ。メデューサと連携し、クマのあらゆる痕跡を徹底的に探せ。毛一本も見逃すな!」
『クエエッ!』
低空で飛び去るホークアイを見送り、権三郎はモニターを睨みつける。
しかし収穫は乏しい。見つかるのは大型動物の遺骸が関の山で、クマの痕跡はない。
「くっ、このエリアも空振りか……」
歯噛みしたその時、正午の鐘と同時に携帯が鳴った。郁美からだ。
「探偵さん、鳩森です」
「おお、早いですね。恐縮です」
「電話でって、何か進展が?」
「新事実ではありませんが、名簿を見て思ったより人数が多い。効率が悪いので、ヒントをいただければと」
「ヒント……ですか。うーん……」
「特に『二流のセンセイ』と貴女へ言った人物。おそらく猟友会のリーダー格でしょう」
「あの猟師さん……あ、思い出しました! たしか仲間から『ゲンさん』って呼ばれてました!」
「ゲンさん……どれどれ……」
名簿を確認すると、一番上に「熊野源次」の名が。
「でかした! 当たりですよ。恐らくこの方だ」
「候補が絞れたんですね?」
「ええ。急ぎで接触を試みます。その際はまた電話に出ていただくかもしれませんが」
「構いませんけど、覚えててくれるかしら……」
「その辺は出たとこ勝負で。では、お昼を邪魔しては悪いので」
「はい、朗報を待ってます」
通話を終えると、権三郎は小さくガッツポーズを決めた。
探索を切り上げ、再び役場へ。先ほどの職員に尋ねる。
「この辺りの猟友会には、詰所のような場所は?」
「支部は三市町村で構成されていますが、出動は少なく拠点はありません。窓口はここ。事務所に当たるのは支部長・熊野さん宅でしょう」
やはり熊野がリーダーか。権三郎は確信した。
「依頼人は全員に御礼をと望んでいますが、人数も多い。まずは支部長宅を訪ねては、と提案しました」
「確かに現実的です。支部長を代表に感謝を伝えれば十分でしょう」
警戒心を解いた職員に、権三郎は踏み込む。
「不躾ですが、役場から熊野支部長へアポを取っていただけませんか」
「ここから、ですか?」
「ええ。『犠牲者遺族の代理人が面会を希望している』と」
断られたら突撃するつもりだったが――職員は意外にも協力的だった。
「苦しいところですが、一応そのように頼んでみましょう」
数分後、笑顔で戻ってくる。
「大山田さん、運がいい。熊野支部長は今日在宅で、今から会ってよいそうです」
「ありがとうございます! 大山田がすぐ伺うとお伝え下さい!」
熊野源次の自宅は役場から車で十分。I丘陵の森に囲まれ、他に民家はない。敷地は広く、二階建ての堂々たる和風建築――豪邸だ。
車を止め、権三郎は門扉のインターホンを勢いよく押す。
「先程連絡した大山田です! 熊野源次様はいらっしゃいますか!」
やがてドアが開き、初老の男性が姿を現す。
「おぅ、アンタがあの事故の関係者って人か」
近づく顔には、筋者のようにも見える大きな傷跡が幾つも刻まれていた。
二章 17
権三郎は熊野の巨体に一瞬たじろぎながらも、それを顔に出さず訪問の趣旨を簡潔に告げた。
「私、大山田と申します。三ヶ月前の熊害事故で山狩りを担当された猟友会の代表がこちらだと伺い、参上いたしました」
熊野はじろりと権三郎を見据え、値踏みするように沈黙したのち、ぼそりと口を開いた。
「……あのお嬢ちゃんの代理人って話だな」
「はい。熊害の犠牲となった鳩森要蔵氏のご長女、郁美さんからの依頼で参りました」
熊野は何か言いかけて黙り込む。痺れを切らしかけた権三郎の前で、ガチャリと門扉の錠が外された。
「どうにも胡散臭ぇが……まあいい。入れ」
顎で玄関をしゃくる仕草は粗野だが、どこか威厳を帯びていた。
和室に通された権三郎は、正座して静かに待った。
そこへ娘らしき若い女性が現れ、盆に載せた茶と和菓子を木製の卓に並べる。
「猟友会の方ですか?」
一瞬言葉を詰まらせた権三郎は、正直に答える。
「いえ。私はある人物の代理で参りました」
「ある人物?」
「動物事故の関係者です」
「……クレーム? 父たちが熊を仕留められなかったから?」
娘の顔に不安が浮かぶ。
「いえ、とんでもない。依頼人はむしろ感謝しておられます」
「……そうですか。それなら」
安堵の笑みを見せたその時、ガラリと障子が開き、熊野が姿を現した。
「おいサキ。すぐ首突っ込むその癖、直せって言ってんだろ」
「だって父さん、いつも私の質問はぐらかすじゃない。私がこうなったのは父さんのせいよ」
「ああ言えばこう言う。……母親にそっくりだ」
「また人のせい! 『男は黙って』がカッコいいと思ってるかもしれないけど、それってただのコミュ障だからね」
父娘ゲンカに困惑した権三郎は、ただ苦笑を浮かべて座るしかない。
「とにかく引っ込んでろ。これから客人と話す」
「もう、分かったわよ」
娘は「ごゆっくり」と笑顔を向けて退室した。
「まったく口うるさくてかなわん。あれだから三十近くなっても嫁の貰い手がねぇ」
ぼやきながら熊野は正面に腰を下ろす。
「いや、とても快活で素敵なお嬢さんですよ」
「世辞はいらん。……まあ楽にしろ」
促され、権三郎は恐縮しつつ胡座に組み替えた。
「役場から聞いたが、あの嬢ちゃんが俺らに礼を言いたがってるそうだな」
熊野はもなかを摘みながら問いかける。
「はい。郁美さんは面と向かって感謝を伝えられなかったのを悔やんでいるそうです」
「まあ仕方ねぇ。あの時ゃまだ熊の捜索中だった。素人が近付いたら流れ弾で危ねぇ。強引に追い返すしかなかった」
「そこは理解しています。それでも、改めて感謝を伝えたいと」
「ふん……」
熊野は半信半疑のまま権三郎を見据える。
「ところでアンタ、一体何者だ?」
権三郎は名刺を差し出した。
「私、こういう者です」
「……なんだこれ、妙な名刺だな。探偵? 興信所の類か」
「はい。人探しや調査を専門にしております」
熊野は怪訝そうに眉をひそめる。
「嬢ちゃん、隣の市に住んでたんだろ? 近所の役場にでも聞きゃ済む話だ。なんで探偵を?」
「彼女には猟友会が敷居高く思えたのです。そこで私どもに仲介を、と」
熊野の目が鋭さを帯びる。
「……アンタ、嘘ついてんだろ」
「なっ、なぜそんな」
「世間知らずの嬢ちゃんだって、こんなことで探偵なんか頼まねぇ。腹に一物あるんだろ」
「そ、それは……」
「いいから全部吐け。でなきゃ何も話さん」
熊野の眼光に射すくめられ、権三郎は観念して頷いた。
「分かりました。正直に申し上げます」
「おう」
「郁美さんは、あなたが口にした『二流のセンセイが調べた』という言葉に強く引っかかっているのです」
「……ああ、確かに言ったかもしれねぇな」
権三郎は真剣な眼差しで身を乗り出す。
「熊野さん、なぜそう断じられたのですか?」
熊野はしばし沈黙し、やがて語り出した。
「少し昔話をしよう。俺は北海道の出でな。親父は猟師で、若い頃は熊撃ちを仕込まれてきた」
「北海道の……」
「そうだ。やがて女房と出会い、関東に移り住んだ。義父の建設会社で働きつつ猟も続け、剥製工房まで与えられた」
権三郎は相槌を打ちながら聞き入る。
「息子も跡を継いでくれた。今じゃ別の地区で猟友会に所属し、工房も引き継いでる。……つまり俺は、それなりに経験を積んできたってことだ」
「よく分かりました」
「だから言える。今回のあれは、ツキノワじゃねぇ」
熊野の口から断言が飛び出した。
「断言できるんですか?」
「できる」
沈黙ののち、熊野は立ち上がる。
「……証拠を見せてやる。少し待ってろ」
障子を開け、部屋を後にした。
二章 18
数分後に戻ってきた熊野は、チャック付きの透明ビニール袋を手にしていた。長さ十五センチほどの袋の中には、黒ずんで干からびた物体が収まっている。長さは十センチ、太さは三センチほど。
熊野は権三郎と向かい合うと、無造作に袋を差し出した。
「これだ」
権三郎は袋をくるくる回しながら、目を近づけて観察する。
「熊野さん、これって……」
「お察しだろ。フンだ。ヒグマの糞だよ」
「やはり」
熊野は確信を持った声で言う。
「ヒグマの糞はツキノワよりも大きく、しかも形が崩れにくい。ツキノワはだいたいペースト状、半ば下痢便みたいなのが多いんだ」
「なるほど」
「間違いねえ。こいつはヒグマのウンコだ」
権三郎は力強い断言に深く頷いた。
「冷蔵庫で保管してたんだが、時間が経つと干からびちまうな」
「このフンを見つけたのは、郁美さんと遭遇したあのエリアでしょうか」
「いや、全然違う場所だ。あの辺りの森からは何も出なかった。ただ、嬢ちゃんと顔を合わせたのがたまたまあそこだっただけさ」
「では、発見現場は?」
「丘陵の外れに小さな川が流れていてな。河原で見つけた」
権三郎が意外そうに眉を上げる。
「河原? ハイキングコースの近くですか」
「いや、コースからは離れてる。外れって言っただろ。いわば周辺地帯だ。森の中を探しても痕跡が出ねえから、痺れを切らして単独で川まで足を伸ばしたんだ。熊が水を求めて来るかもしれないと思ってな」
「水溜りもあったのでは」
「だが、熊だって濁った水は避けるだろう。流れのある川を選んだんじゃねえか」
権三郎は思い切って切り出した。
「熊野さん、ご足労とは思いますが、その現場に案内していただけませんか」
熊野は少し黙った後、肩を竦める。
「仕方ねえな。暇を持て余してたところだ。案内してやるよ」
熊野は自分のジムニーに権三郎を乗せ、山道へと入った。四駆は岩肌をものともせず進み、すれ違いざまには傾斜に車体を寄せて難なく対向車をやり過ごす。
「随分と慣れてらっしゃる」
「俺にとっちゃ日常だ。西のT地区にも出向くが、あっちはもっと狭い道が多い」
やがて川辺が見えてきた。鬱蒼とした森に挟まれた小さな河原だ。
「ここからだとМ山公園まで1.5キロほどは離れてるだろうな」
「そんなに……」
車を降り、河原を歩く。熊野は石の上にしゃがみ込み、あたりを指差した。
「この辺りでフンを見つけた」
「なんというか、普通の河原ですね」
「だろ? だが熊はここで痕跡を残した。あの警戒心の強い熊が、だ。俺も驚いたよ」
「……急に催してしまったのかもしれませんね」
熊野は笑わずに続けた。
「フン以外にも足跡や体毛、爪研ぎの跡を見つけた。足跡は踏みならされた形跡もあったがな」
「人為的に……?」
「ああ。だが証拠は残せなかった。その時はカメラを持ってなかったんだ。ウチに取りに戻ろうかと考えたが、結局やめた」
「なぜ報告しなかったのですか。仲間にも」
権三郎の問いに、熊野は苦い顔で答えた。
「……言っても信じちゃくれねえ。公園から遠いし、猟友会も今はデータ重視だ。昔みたいに経験談だけじゃ通じない。若い連中ほどそうだ。警察もツキノワ犯人説で固めてた。俺一人じゃ覆せなかった」
「なるほど」
「結局、気持ちが萎えて形だけ探索を続けた。仲間もそれを感じ取ったんだろう。よそよそしい雰囲気になっちまった」
熊野は肩を落とし、それでも最後に言葉を結んだ。
「あの嬢ちゃんに漏らした一言が、せめてもの意地、いや詫びだったのかもな」
現場付近を一通り撮影した後、熊野邸に戻る。熊野は糞のほか、ヒグマの体毛を入れた袋も差し出した。
「証拠は全部アンタに預ける。後は任せた」
「熊野さん……」
「探偵、アンタは終わらせる気じゃねえだろ」
「はい」
「最初は胡散臭えと思ったが、今は違う。アンタの眼だ――人間離れした、虎みてえな眼をしてる。ヒグマよりも怖ぇ、猛虎の眼だ」
「私は只の探偵にすぎません」
「フン、誤魔化せねえよ。だからアンタに賭ける。俺のモヤモヤを晴らしてくれ」
権三郎は深く一礼し、熊野邸を後にした。
二章 19
熊野邸を訪れた翌日の午前中、颯太から電話が入った。
「ゴン、この忙しい俺様が、早くも動物園を調べてやったぞ。ありがたく思え」
冒頭からのハイテンションに、権三郎は思わず苦笑する。恐らく書類仕事に疲れて気が昂ぶっているのだろう。
「さすがは親友、一課のエース様だ」
「お前の口から『親友』なんて出るのはこういう時だけだな。あと、その“エース”ってのも嫌味に聞こえるからやめろ」
「まぁまぁ、社交辞令だ」
「本人に言うか、それを」
「冗談はこの辺でいい。本題を頼む」
颯太は肩をすくめる気配を伝え、真面目な声色に切り替えた。
「結論から言う。九分九厘、動物園の線は無い」
「理由を聞こう」
権三郎が促すと、颯太は軽く咳払いして説明を始めた。
「まず、M山から一番近い動物園を調べた。すると、驚くほど至近距離にある施設が見つかった」
「なんだと? なぜ依頼人はそれを黙っていた」
「俺に言うな。だが理由は分かる」
「というと?」
「『Tこども触れ合い動物公園』。名前の通り、ウサギやリスなどの小動物を子供が触れるのが売りでな。大きくてもヤギや羊程度。かつてキリンがいたこともあったらしいが、今は一匹もいない。もちろん肉食獣なんて皆無だ」
「なるほど。だから依頼人も候補にすら挙げなかったわけか」
「そういうことだ。で、調べて分かったが、S県内の動物園は数こそ多いが、大半がこの手の“触れ合い系”。本格的に大型動物を揃えている園は、県内でたった一つしかない」
「一つだけ?」
「ああ。政令市のST市にある動物園だ。だがそこは都心に近い大都市圏にあって、ヒグマがH町まで脱走するなんて絶対に無理だ」
権三郎は腕を組み、唸った。
「つまり県内は望み薄か。では隣県は?」
「どの方角からもH町まで遠すぎる。結論は同じだ」
颯太の断言は冷徹だが説得力があった。
「……やはり動物園は駄目か」
権三郎が嘆息すると、颯太が提案を投げる。
「じゃあ動物移送中の事故は? トラックから逃げたとか」
「可能性はゼロじゃないが、そんな大失態をやれば必ず警察に報告が入る。公共性の高い動物園が隠蔽するとは考えにくい」
「確かにな。……八方塞がりか」
「いや、まだ詰みじゃない。別の線が残ってる」
権三郎の含みある言葉に、颯太が身を乗り出す。
「お、何かあるのか」
「昨日、依頼人が会った猟師と接触した。そこで遂に物証を得た。……ヒグマだ」
「マジか! 小原所長の読みが当たったんだな」
「99%、いや100%確実だ」
「凄え自信だな。それはデカい進展だ」
「ああ。証言に加え、遂に物理的証拠も揃った。大詰めは近い」
「いよいよだな。……だがまだ足りないんだろ?」
「そうだ。俺の目的はヒグマの特定だけじゃない。依頼人が求める“真犯人”を引き摺り出すことだ」
「はいはい、相変わらず秘密主義だな。じゃあ切るぞ」
「待て。念のため、その大きな動物園の名は控えておきたい」
「了解。ST市の『T動物公園』。以上だ」
「感謝する」
「おう。また進展があったら連絡しろ」
通話が切れたその夜、権三郎はオウルアイを飛ばし『T動物公園』を偵察した。
大型獣舎は堅牢で新しく、移送車両も整備は万全。脱走や輸送事故の余地は見いだせない。
「メデューサ。これでサーカスに続き、動物園の線も切る」
『他は調べなくていいのですか』
「ああ、無駄だ。残された線はあと一つ」
『次は?』
「明日、I丘陵にホークアイを飛ばす。最後の証拠を掴む。これで第一フェイズを終わらせる」
『その先もあるのですね』
「当然だ。依頼人の望み――真犯人を暴くことこそが、俺のミッションだからな」
権三郎は薄く笑みを浮かべた。
二章 20
翌朝。権三郎は夜明けと同時に出発し、八時にはI丘陵の外れにある河原へと辿り着いていた。
彼はホークアイをアクティブに切り替えると、真剣な口調で語りかける。
「ホークアイ、ここから先はお前だけが頼りだ。ここで大戦果を挙げてみせろ」
『クエエッ!』
ホークアイは、右の翼を折り曲げ頭に当て、まるで敬礼するように応えた。
「対象は説明したとおりだ。その二種類に絞って、河原一帯を徹底的に探せ!」
短く鳴いたホークアイが大空へ舞い上がる。
「さて、人事を尽くして天命を待つか」
権三郎は携帯テーブルと折り畳み椅子を広げ、河原のキャンパーよろしく腰を下ろすと、持参のサンドイッチにかぶりついた。
二時間が過ぎても、小型モニターにロックオンの反応はない。
「……出ないな。『あちら』は高確率で出ると踏んでるんだが」
缶コーヒーを煽りきった、その時だった。鋭い警告音が響く。
「来たか、ホークアイ!」
『クエエッ!』
モニターには赤い点が表示された。熊のフンが落ちていた地点からおよそ七百メートル。
「近すぎず、遠すぎずってとこだな」
権三郎はテーブルと椅子を素早く畳んでリュックに収め、歩き出す。十分ほどで、大岩の前にちょこんと鎮座するホークアイを見つけた。
「ご苦労。で、ブツは?」
ホークアイは翼を人の腕のように曲げ、大岩の窪みを指し示す。
「なるほど、上空からじゃ分かりにくいわけだ。嘴も届かん」
権三郎は頭を撫で、労をねぎらった。
窪みには――空薬莢。
「……やった! やっぱりヒグマはこの河原で撃たれたんだ」
摘み上げた薬莢はライフル弾。材質はまだ新しい。
「悪いなホークアイ、もう一仕事だ。これだけでも十分だが、あと一手が欲しい。岩を中心に半径七十メートル、超低空で徹底捜索だ。三十分で出なきゃ諦める」
ホークアイは短く鳴き、低空飛行を開始した。
権三郎は椅子に腰を下ろし、祈るように目を閉じる。
十五分後、再び警告音が鳴った。
「出たか!」
三十メートル先、小川の浅瀬でホークアイが待っていた。石が連なる間に、筒状の物体が挟まっている。
権三郎は慎重に摘み取り、凝視した。半分ほど液体が残った小型の注射器――。
「ラッキーだな。スペアを落としたんだろう」
小さくガッツポーズを決める。
「これで証拠は揃った。第一フェイズ終了だ。でかしたぞ、ホークアイ!」
『クケッ、クケッ!』
ホークアイは河原の上を嬉しそうに跳ね回った。
シークレットルームに戻ると、権三郎はメデューサを起動する。
『こんにちは、エスイチゴウ』
「証拠の検証だ。今回は無機物だ」
一昨日すでに獣糞と獣毛を調べ、エゾヒグマの雄、推定二歳半と判明していた。
メデューサの胸のハッチが開く。
「……機械とはいえ、この部位は気が引けるな」
『セクハラ発言はご遠慮を』
苦笑しつつ薬莢を入れると、蛇の眼が青から赤へ。
数分後、レポートが吐き出された。
「『12.7×99mm NATO』……読み通り、軍用か。バレットM82あたりだな」
『米軍でよく使われる弾薬です』
「こんな化物を撃つ連中……『アレ』の仕業でほぼ確定だ」
権三郎の眼に光が宿る。
『二つ目も?』
「もちろんだ」
注射器を差し込むと、再び赤い蛇の眼が輝き、数分後――。
「火薬式注射筒……麻酔薬はエトルフィンにアセプロマジン。超大型動物用か。完璧だ」
『解析には満足ですか?』
「ああ、大満足だ。これで結論に辿り着いた」
権三郎は力強く言い放つ。
「野生動物の密輸団――おそらく国際規模だ。ヒグマ級を扱えるとなれば、資金も設備も桁違いだろう」
『その先はどう動きますか?』
「こういう連中は、必ずといっていいほど山奥に専用のアジトを持っている。S県西部の山岳地帯を洗う」
『それはS級案件では?』
「ああ、いずれは申請する。ただ俺は探偵だ。依頼人の利益を優先する。だから、その前にもう一段階踏み込みたい」
『……承知しました』
「となれば、お前の本気を借りるしかない」
『アレを、起動しますか』
「そうだ」
権三郎が指を突き出す。
「メデューサ、ハイパーモード起動!」
メデューサの赤紫のボディが鮮烈なレッドに変わり、銀の蛇が金へと輝きを変える。顔色も濃い桃色に染まり、全身が眩い光を放った。
『ハイパーモード、起動完了』
その声は、先ほどまでの甲高いソプラノから、落ち着いたアルトへと変わっていた。
第二章 完




