四章 5-8
四章 5
タイマン勝負、第二戦。
警備員9号――長髪の男は、まるで野武士のような面構えだった。アーミーシャツを脱ぐと、下にはごく普通の長袖Tシャツ。だが、漂う殺気は尋常ではない。
「本来なら真剣でいきてぇところだがな。アンタにスタンをOFFってもらう以上、こっちもハンデをつけねぇとな」
9号が持ち出したのは一振りの日本刀。一見すると真剣だが、よく見ると刃先が丸められている。
「真剣に似せた模造刀だ。ただし硬度はあるぜ。居合の稽古用だが、直撃すれば骨までいっちまうシロモンよ」
権三郎はその刀を凝視した。
「模造刀にしては……随分と長いな」
刀身は120センチほど。市販品とは思えぬ迫力だ。
「業者に頼んで造らせた特注品さ。太刀は剣士の浪漫ってやつだ」
「だが重さがハンデになるんじゃないか?」
「特殊合金製だ。軽さと硬さの両立――俺の理想形ってやつよ」
権三郎は納得したように頷くと、ゴンザブロッドを少し縮め、刀の横に置いた。二本の長さはピタリと一致した。
「これで条件は五分だな」
立会人の10号がルールを確認する。
「基本は先ほどと同じ。ただし9号は古流剣術の果し合いを希望している」
「俺はお遊びの剣道に飽きちまってな。今は“古流”を修めてる途中ってとこだ」
「つまり、脚も有りってことか?」
「脚だけじゃねぇ。上腕も腹も腰も。全身を使う」
「いいだろう。それで構わん」
条件は即座に飲まれた。
「決着は先ほど同様。時間無制限、どちらかが動けなくなるまで」
10号の声が張り詰める。
両者、間合い一メートル。
「――死合、開始!」
9号は摺り足で緩やかな弧を描きながら回り込む。開き足の構え。そしてその姿勢は――下段。
刀の切っ先が地に触れそうなほどの低さだった。
(なるほど、ただ者じゃねぇな)
権三郎が間合いを詰めようと送り足を進めた瞬間、9号はササッと横や斜めに滑るように移動する。
「どうした? ずいぶん消極的だな」
「ルールは時間無制限だろ。焦んなよ」
9号の口元が歪む。
(チッ。こっちは日没までにケリをつけてぇんだ。長引かせるわけにゃいかねぇ)
権三郎はギアを一段上げ、つま先立ちのまま早歩きで距離を詰めた。右足を止め、左足を踏み込み――上段。
「チェストォッ!」
振り下ろそうとした瞬間、9号の突きが閃いた。
「うおっ!」
権三郎は横に飛び、直撃を免れる。だが脇腹をかすっただけで、ズキリと痛みが走る。
(クソ、掠っただけでこれだ……。やはりカウンター狙いか)
「俺の突きを避けるとは。だが、次はねぇぞ」
9号の目に殺気が宿る。
構えが中段へ。そこから――
ヒュン、ヒュン、ヒュンッ! 三段の連撃。唐竹割、袈裟斬り、横薙ぎ。
バチィン! 金属音が響く。
二撃目まで弾いたが、三撃目は紙一重で回避するのがやっとだった。
「俺の三連撃を防ぐとは。人間離れした反応速度だな」
(やべぇ、こいつかなり強えぞ、さっきのボクサーより上だ)
9号の猛攻は続く。下段からの斬り上げ、突き、斜め斬り――まるで疾風のようだった。
9号の剣の切っ先が今度は脚を掠める。
権三郎は超人的な体捌きで受け流し続けたが、体力の消耗は確実に積み上がる。
(長引けば不利……だが攻めればカウンターが待ってる。――そうだ、逆に俺が仕掛ければいい、後の先だ)
権三郎は距離を取って、わざと肩で息をする。
両手はだらりと垂れ下がり、目はうつろ――完全に“限界”を装った。
「さすがの超人さんも、そろそろガス欠か?」
9号が嗤いながら前進。構えはいつの間にか上段。
「ドタマ、かち割ったるぜッ!」
刀が稲妻のように振り下ろされた刹那――
ゴンザブロッドが右下から左上へと疾る。
バチィィン! 刀が弾かれ、宙を舞った。
カラン、と乾いた音。9号の顔が蒼白になる。
「てめぇ、わざと疲れたフリを――!」
「貴様のカウンター狙い、お株を奪わせてもらった」
権三郎は目を細めた。
「いい腕だったが、駆け引きは俺の勝ちだ」
ヒュン、ヒュン、ヒュンッ!
三連撃。X字に胴を打ち据え、最後に頭上へ一撃。
9号は呻き声を上げ、ゆっくりと地に崩れた。
「――死合終了。勝者、探偵」
10号が淡々とコールする。
そして、静寂の中――
「さて、最後の相手はこの俺だ」
10号がアーミーシャツを脱ぐ。続けてタンクトップも脱ぎ捨てた。
剥き出しの上半身は、まさに“鎧”。
隆起した大胸筋、刻まれた腹筋。腕は丸太のように太く、身長はゆうに二メートル、体重は一ニ〇キロほどありそうだ。
「俺には決まった得物はねぇ。この身体そのものが武器だ」
挑発でも誇示でもない。ただ、事実を述べる口調だった。
権三郎は静かに頷く。
「中ボス戦か。望むところだ。雑魚はもう飽きた。――もっとも、さっきの奴はなかなかの強者だったがな」
権三郎もYシャツを脱ぎ、鍛え抜かれた上半身を晒す。
10号は一瞬だけ驚き、やがて微笑む。
「それはありがたい」
権三郎はシャツを籠に放り込み、真正面から向き合った。
「駆け引きはもう沢山だ。――真っ向勝負といこうじゃねぇか、大将」
四章 6
二人は五メートルの距離を隔てて相対した。
張りつめた空気の中、10号が低く吠える。
「ルール説明は不要だな――始めるぜっ!」
「OKだ!」
権三郎が両腕を胸前に構えた瞬間、空気が弾けた。
「せいやぁっ!」
雄叫びとともに10号が猛牛のように突進する。
間合いを詰めると同時に、左肩を前に突き出してショルダータックル。
権三郎は即座にサイドステップし、腰を沈めて水平に左脚を振り抜いた。
「水面蹴り――ッ!」
バシィッと乾いた音。だが、弾き返されたのは権三郎の方だった。
「うおっ!?」
身体が宙を舞い、地面を転がる。
追撃を逃さず、10号が腹部を両腕で掴み上げた。
「おりゃあ!」
巨体が跳ね、権三郎の体を肩に担ぎ上げる――カナディアン・バックブリーカー!
「フンッ!!」
そのまま反動をつけて放り投げた。
「くっ!」
権三郎は空中で体を捻り、辛うじて脚から着地する。激しく舞う土埃。
「……なんちゅう怪力だ」
荒い息が白く散った。
10号は腕を十字に交差させながら、獲物を狩る獣の歩調で近づく。
権三郎はチーターのように滑り出し、右横へポジションを取った。
「前がダメなら、横からだ!」
連続のローキック、ミドルキック、ハイキック――三段蹴り。
だが、金属のような肉体はびくともしない。
「どうした探偵、そんなもんか?」
10号が嘲笑する。
「くっ……ならこれはどうだ!」
権三郎が背後へ回り込み、左手で地面を押しつけながら再び水面蹴りを放つ。
鋭い衝撃音。だが10号はクルリと反転し、鋼の右拳を振り下ろした。
「くっ!」
風切り音が耳を裂き、髪の数本が宙を舞う。
地面を転がって間合いを取る権三郎。
(あのパンチ……一発でも貰えば、意識が飛ぶ)
「俺の武器は投げだけじゃねえ!」
10号が走る。
ブォン、ブォンと唸る拳と脚。どれも熊を仕留める威力。
権三郎は紙一重で回避を繰り返すが、防戦一方だった。
パンチが肩を掠り、蹴りが脇腹を擦る。巨体にも関わらず、10号の攻めは一向に途切れない。
やがて膝が腹に浅く入り、権三郎の体勢が崩れる。そして―
「ドッセイ!」
弾丸のような頭突きが胸を貫いた。
「ぐはぁっ!」
権三郎は吹き飛び、地面を転がる。
「今のは浅かったな。ギリで下がったか」
10号が舌打ち混じりに呟く。
「俺のヘッドバットを耐えたのはお前が初めてだ」
呻きながら立ち上がる権三郎。
だが次の瞬間、10号の太い指が彼の首に絡みついた。
「ぐっ……!」
巨腕が絞め上げ、権三郎の顔が紫に染まる。
「まだ殺しはしねえ。情報を聞き出すまではな」
10号が口元で笑う。
「……そろそろ落ちるか?」
その時、権三郎の閉じかけた瞼がカッと開いた。
「おりゃあっ!!」
渾身のサマーソルトキックが顎を打ち抜く。
「ぐぉっ!」
10号がのけ反った瞬間、権三郎は着地と同時に脛へローを叩き込み、間髪入れず腹へと飛び蹴り。怒涛のコンボに巨体が尻餅をついた。
権三郎は荒く息を整え、人差し指をピシッと突きつける。
「やるじゃねえか。おかげで――全盛期の勘が戻ってきたぜ!」
その眼光はもはや人ではなく、猛獣のそれであった。
そこからの権三郎は圧倒的だった。
立ち上がった10号の背後へ瞬時に回り、両の膝裏へローを二発。
背中へミドル、肩へハイの連撃。
膝が震えた瞬間、脇腹にローリングソバットを叩き込む。
「ぐ、うぅぅ……!」
呻き声と共に10号の膝がガクガク揺れ始めた。その隙に権三郎は再び正面へと向き直り、肩口にチョップを一閃、追加で側頭部へ上段廻し蹴りをぶち当てる。着地の直後に腰を落とし、素早く片足を踏み込んだ。
よろめいた10号の胸へ、権三郎の正拳が突き刺さる。
そして――跳躍。
「トドメだ、踵落としッ!!」
ゴキン、と鈍い音。
脳天を撃ち抜かれた巨体がスローモーションのように倒れ込んだ。
10号は意識を失いかけながらも、マジかよ……と微かに呟く。
「……さすが、リーダー格だ。強かったぜ、アンタ」
権三郎は一瞬だけ眼差しを和らげた。
「再び動かれると面倒だ。悪いが拘束する」
肩を押さえ、関節を外す。
「ぐおっ!」
「特別扱いだ。お前だけ念入りにな」
太ロープで縛りながら、淡々と訊く。
「密猟班の居場所は? 今もアジトにいるのか?」
「……リーダーは、昼寝中だ」
「昼寝?」
「夜に動くから……防音室で、な」
「他の三人は?」
「新人を……迎えに行ってる」
「新人?」
「お前が……スペアキーを盗んだせいでな。警備を増やしたのさ……」
「なるほど」
権三郎はうなずく。
「つまり、リーダーAは今ここにいる」
「ああ……」
「なら叩き起こしてもらおうか」
「……負けたら、そのつもりだった」
ポケットから取り出したのは、小型のボタン装置。
「緊急呼出ボタンだ。押せば……リーダーの部屋でアラームが鳴る」
「よし」
権三郎は冷たい声で言った。
「お前――なぜ格闘家を辞めた?」
「賭博の疑いで……追放された。だが、やってねぇ」
「惜しい話だ。お前ほどの実力なら、まだ上に行けた」
「……格闘家なんて、潰しが効かねぇ仕事さ」
権三郎は短く息を吐き、口をテープで塞ぐ。
残り九人を拘束し終えると、ピンマイクを押した。
「メデューサ、警備班は全員制圧。時刻は?」
『17時15分です』
「もう50分経ったか……遊びすぎたな」
『焦りは禁物です、エスイチゴウ』
「分かってる。――探偵業の鉄則だ」
そして静かに、決意を込めて呟いた。
「これより最終局面。アジトのボスと、ご対面だ」
カチリ。
緊急ボタンが押され、沈黙が震えた。
四章 7
権三郎は、アジトリーダー・Aを待つあいだ、10号から受けたダメージを癒す為の回復に充てた。
『ハイパースプレーパッチ。』権三郎が属する機構が開発した、主に打撲傷などに用いられる超強力な液状湿布である。受傷部位に一通りスプレーすると、権三郎はホッと一息つく。
「これであと半日はまともに動けるだろう」
権三郎はドアの正面、数メートルの位置に陣取ってAを待つ。
(おっせえな……まさかAの奴一人でズラかるつもりじゃねえだろうな)
権三郎がイライラし始めたとき、ドアがギギギと音を立て、一人の男が姿を現した。
男はカーキ色のギリースーツを纏い、肩にストラップ紐を掛けた大型ライフルを携えていた。
Aだ。
身長180センチもなさそうだが、全体的にガッチリした身体つきをしているのが一目で分かる。髪型はベリーショートの金髪で、頬には引っ掻き跡のような大きな傷痕があった。
そして、どこか蛇を連想させる酷薄そうな顔立ち。切れ長の細い目が迫力を助長する。
権三郎はAの武装した姿を見ること自体初めてだったが、いきなり戦闘モードで現れたことを少々意外に感じた。
(コイツのイメージって、ガウンで寛いでる絵面しか無かったからなぁ)
権三郎はクスリと笑いそうになるのを堪え、すぐに気持を戦闘モードに切り替える。
「よっ、ボス様のお出ましだな」
権三郎は片手を上げて軽口風の挨拶をかました。
Aは、アジト手前の空地に展開されている壮絶な情景を一頻り眺めた後、権三郎に一瞥をくれる。
「一体全体、この状況は何事だ? そして、お前は何者だ?」
「俺は……探偵だ」
「はぁ、探偵だと?」
「そうだ。そして貴様は『A』。リーダーのお前だけは配下からコードネームではなく『アニキ』と呼ばれてるようなのでな。だから便宜上貴様を『A』と呼ぶことにする」
「オメェ、なぜそんな事を知っている?」
「探偵だからだ」
Aは『ハァッ!?』といった顔をして、呆れた様子で問い返してきた。
「冗談はその派手なスーツだけにしとけ。どうせ警察だろ。ところで、お前はなぜ一人なんだ?」
「個人営業だからだ」
「冗談はもういい。仲間はどこだ。近くに潜んでるのか?」
Aが問いを連発してくるが、権三郎はあくまでペースを崩さない。
「本当なんだから仕方無いだろう。俺は基本嘘は言わない主義だ」
Aは、話にならんとばかりにポケットから携帯を取り出して、素早く通話を開始する。
「Bか。今どこにいる? そうか、もうだいぶ近いな。ところでな、困ったことになった。恐らくだが、サツの野郎がカチコミかけてきやがったようだ。アジトの方がひでえことになってる」
AはどうやらサブリーダーのBと会話しているらしい。権三郎はとりあえず待機する。
「警備班は全滅のようだ。あの10号までが拘束されてる。たぶん相当な人数をかけてきてるな、こりゃ」
本当に一人なんだけどな、と言いたくなったがそれを堪らえる権三郎。
「ただよ、この場にいるのは変なスーツ着た刑事が一人だけなのさ。ああ、何かとぼけた野郎でよ、自分のこと『探偵』なんて言い張りやがんの。わけがわからん」
Aが愚痴を零すようにBへ説明している。
「とにかく相当やべえ状況なのは確かだ。思いっきり飛ばして、秒で帰って来い!」
AはBにそう命じると通話を切り、権三郎に視線を戻した。
「おい、妙な刑事さんよ。いい加減正体を明かせや。俺もそう気が長えほうじゃねえ。これ以上とぼけるつもりなら……」
Aはそこまで言うとライフルの銃身を権三郎に向けた。
「分かってると思うが、コイツはサバゲー用のレプリカじゃねえ。本物だ。その心臓ぶち抜かれたくなきゃ、さっさと全部ぶちまけろ!」
権三郎はそこで、両腕を上げて降参のポーズを取るかと思いきや、両手を頭の後ろ手で組んで、ヒューっと口笛を吹いた。
「テメェ、舐めてっとマジで撃つぞ!」
Aの怒号が飛ぶ。
「そうカッカすんなよボス。本名は明かせねえが、特別だ。リーダーの貴様にだけは、俺の❝通り名❞を教えてやる」
「通り名、だと?」
「そうだ。俺は人呼んで『ゴンさん』、首突っ込みたがりのゴンさんと呼ばれてる男さ」
それを聞いたAは、首を傾げながらポリポリと頬を掻く仕草をする。
「『首突っ込みたがり』……どっかで聞いたようなフレーズだな。とにかく、テメェの名前はひとまずゴンってことにしとく。で、ゴンさんよ、次はアンタの職業と、ここに来た目的をゲロしてもらおうか」
Aが酷薄な表情で改めて銃口を向けてきた。
「ボスさんよ、職業についちゃ嘘は言ってねえから改めようがねえ。んで目的は、最終的にゃ勿論この密輸団を潰すことさ。但し、その前に貴様らと直接話したいことが幾つもある」
その言葉を聞き、Aの面相に凶悪な色が浮かび上がる。
「どこまでも巫山戯た野郎だ。もう勘弁ならねえ。まだ殺しはしねえが、ひとまず脚でも撃って監禁してやろうか?」
「そのМ82でか? 脚だろうと、そんなもん喰らったら脚ごと吹っ飛んで、出血多量で数分も持たねえと思うが」
権三郎の返答に、Aは虚を突かれたような顔になる。
「なんだ、この銃の威力については把握済か。解ってんなら素直に降伏しろや」
「お断りする」
権三郎は口の端を歪めながら即答した。
「なら本当に撃つ! 脅しじゃねえぞ」
「本気か?」
「それはテメェの出方次第だ」
「それでも断ると言ったら?」
Aが凶暴な眼差しを強めて口を開く。
「撃つ。ウチのメンバーの中にはよ、実は闇医者がいてな。テメェが口を割るくらいの時間なら生かしておけるさ」
権三郎はフッと息をつくと、Aに提案を持ち掛ける。
「それにしてもこれじゃ至近距離すぎるだろ? 貴様ご愛用のギリースーツも返り血で使いもんになんなくなるぜ?」
Aは、コイツ頭おかしいのか? という顔をして言う。
「じゃあ距離をとりゃいいってのか? それでよけりゃお望み通りにしてやるぜ」
権三郎は素直に頷く。
「それでいこう。今から20メートルほど離れてやるから、そしたら俺の腕でも脚でも好きに撃つがいい。そのくらい離れれば貴様の服が汚れることもないだろう」
「テメェ、マジで狂ってやがんな。自殺志願者か? 言っとくが、俺はやると言ったら本当にやるぞ。いいんだな?」
「覚悟はできてる。じゃあ、離れるぞ」
権三郎はそういって本当にその場からゆっくり歩き始める。そして、約20メートル離れた位置で歩みを止めた。
「さあ、撃って来い!」
権三郎が大声で呼びかけた。
Aはそれでも暫く逡巡する様子を見せたが、やがて覚悟を決めたように銃身を構えスコープに目を当てた。
「よし……じゃあ、脛をブチ砕いてやるとするか」
引き金にAの指がかかる。
「アーマーモード、オン!」
その時、権三郎が袖口のカフスボタンを押した。すると一瞬にして、白いスーツが光沢眩しいシルバーへと色を変える。Yシャツ部分も同様だ。但し赤いネクタイだけはメタリックレッドになった。そして手も自動的にシルバーの手袋に覆われて、靴も銀色に変わった。
これらの変化は0.01秒ほどで起こったことである。
次の瞬間、バーンという炸裂音の直後に、パチーンという滑稽な音が鳴り響いた。
Aの顔が驚愕の色を湛える。
「な、何だ今のは? 間違いなく脛に当たったはずだぞ!?」
Aは再び銃身を構え直す。
「何かの間違いだ。あり得るわけがねえ!」
Aは次に、バァーン、バァーンと連続で引き金を引いた。しかし権三郎の身体は血に染まるどころか、まるでダメージを受けてる様子が無い。ただ、パチーン、パチーンという音がマヌケに響くだけだった。
Aが愕然とした顔でその場にしゃがみ込む。
「オイオイ、冗談だろ。そんな普通のスーツがよ……。ん、なんかテメェの服、いつの間にか銀ピカになってねえか!?」
「このアーマードスーツは、極めて特殊な繊維で出来ている。その程度の弾丸ではカスリ傷一つ付かんぞ」
権三郎は淡々と説明する。
「な、何だそのアーマー何とかってのは? 訳が分からねえっ!」
Aが錯乱するように叫んだ。
「こいつをブチ破りたきゃ、ロケットランチャーでも持ってくることだな」
権三郎は胸をパンパンと二回叩き、不敵な笑みを浮かべた。
四章 8
Aは混乱を堪えながらも理性を繋いでいた。弾をことごとく弾かれ、表情は粘ついた焦燥に染まっている。
「クソッ、こうなりゃピンポイント連射だ。装甲が薄そうな一点に集中させれば、或いは——」
スコープが微かに震え、Aの指が引き金を引く。パン、パン、パンと三発。律動的な銃声が空気を切り裂く。
弾は寸分たがわず同じ箇所を穿った。だが返ってきたのは、例の反響音だけ──パシーン、パシーン、パシーン。Yシャツの上で弾は弾かれ、血も裂けも生じない。
「諦めろ、A。弾を無駄にするだけだぜ〜」
探偵の声が、遠くから明るく響いた。挑発を含んだ、あざといほどの余裕。
「ちなみにこのスーツは、どこに当たっても跳ね返った弾が俺の頭部に向かわない設計になっている。その辺も抜かりねえんだわ」
探偵が人差し指をチョイチョイ振りながら自慢げに零す。
「うるせえ!」
Aは冷静さを失いかけるも、手袋・靴の装甲は薄いのではないかと当たりを付け、そこを狙って撃ち続ける。だが結果は同じだった。弾はことごとく跳ね返されるだけ。
「クソっ! 巨象すら一撃で倒せるM18が、手袋一枚破れないだと!? 何だその素材は!」
Aは怒りに任せさらに引き金を引く。やがてガシュッと音が鳴り、あとは空虚な手応えが返るばかり。残弾表示が虚しく0を刻む。
「弾切れか……」
Aが歯噛みする。遠目に探偵がニヤついているのが見える。
「弾切れのようだな。潮時だ。再装填は勧めねえぜー」
Aは一旦呼吸を整え、心理戦に切り替えることにした。精神的揺さぶりをかければ、相手の真意を引き出せる──そう判断したのだ。
「装填する。ちょっと待て」
腰のホルダーから弾薬を抜き取り、手際よくマガジンに装填する。弾倉に差し込みカチリと音が鳴ると、初弾をチャンバーに送り込む。Aの仕草は荒々しくも確かだ。
「貴様も諦めが悪いな」
探偵が嘲笑るように言う。
「次はお前の無防備な部位を狙う」
Aが低く、冷たい声で宣言した。だが探偵は怯まない。
「頭か。自然な成り行きだな」
「ああ。それしかオメェの減らず口を封じる手立てがなさそうだからな」
「ボスさんよ、それはちっと短絡的に過ぎるかもしれないぜー?」
探偵が不用意に近づいてくる。じりじりと距離を詰め、約五メートルまで迫る。
「ボスさん、あんたが俺の頭を撃たなかったのは、俺を警察だと思ってるからだろ?」
「当然だ。お前は警察に決まってる。身内を殺されたら奴らは激怒する。それにお前らがどこまで掴んでるかも分からん。吐かせるために拷問するつもりだったが、計算が狂った」
「決めつけは良くないぜ、ボス。例えばインスタントコーヒーは焙煎には敵わない、みたいな思い込みってことだ」
「は? 何の例えだ?」
「つまり、俺が探偵ってのは本当の話だ。あんたは頑なに俺を刑事だと勘違いしているが、刑事が単独で動くか? 一介の私服刑事がこんな特殊スーツを装備しているか?」
Aは言葉に詰まった。警察じゃないという主張にはある程度の説得力を感じるも、かといって探偵などという肩書は戯言にしか聞こえない。
「仮に特殊部隊だとしても、単独行動はあり得んだろ。仲間を潜ませてるにしても、この状況でそれが意味あるのか?」
探偵の言説に押し切られそうになるも、Aは理解を拒み続ける。
「それは、こちらを油断させるためだろう」
「それにしたって、最低二人で動くのが普通だろ。俺一人しかここにいないのは不自然じゃないか?」
「ああ、かなり不自然だ。むしろ不自然さしかない」
探偵はゆるりと肩をすくめる。Aの心に戸惑いが広がった。
「だからさ、俺が警察官じゃないって、いい加減信じなさいよアナタ」
探偵の口調は剽軽で、挑発的だ。
Aは少し考えた後、冷徹に答える。
「だがよ、冷静に考えれば、オメェが本当に警察じゃねえならこっちのもんだ」
「その心は?」
「ここでお前の脳天をぶち抜けば、手っ取り早くお悩み解決だ」
Aの瞳に殺気が宿る。だが探偵は指を一本、ピシッと前に突き出した。
「甘い。スイーツより甘い考えだ」
「どういう意味だ、説明しろ!」
「俺はいち探偵に過ぎないが、関係者がいないとは言ってないぜ」
Aは唇を噛む。
「仮にだ、俺に協力者がいるとしよう」
「ふむ……」
「そして俺が、その協力者にこう言ったとしよう。『もし今日中に俺が帰らなかったら、警察に捜索願を出してくれ。地図はこれだ。さらに、このUSBメモリを渡してくれ』——と」
「何だと、そんなものがあるのか!?」
「落ち着けボス。仮に、だ」
探偵はAの追求を遮り、ゆっくりと説明を続ける。
「そのUSBにこのアジトの機密、映像や音声のデータが詰まっていたらどうなる?」
Aは思考が追いつかず、「いや、それはむしろ俺が聞きたい」と言い返した。
「結論だ。俺をここで殺すことは、お前らにとってリスクの方が大きい。拷問にかければ証拠を潰せるかもしれんが、殺せば外部に情報が流れる可能性がある。お前たちにとってベストな選択は——俺を拘束して情報を引き出すことだろう」
探偵は粛々と言い切った。言葉は冷たくも理路整然としている。
「けどオメェ、あれだけ“仮に”って強調してたじゃねえか」
Aが非難口調で返すと、探偵は斜め上を向き、貧乏揺すりを始めた。
「言葉ってのは難しい。一つの文脈で多様な解釈が可能だ」
のらりくらりと焦点をぼかす語り口に、Aの苛立ちが募る。
「煙に巻こうとすんな! はっきり言え!」
探偵の表情が少し真摯になり、声色も落ちる。
「ふ、シュレディンガーの猫ってやつさ。もう一度言う。貴様がいま俺を殺せば、明日にでもここにガサ入れが入る可能性がある。だが、俺を捕獲して拷問すれば、俺の握る証拠を掴めるし、預けた証拠も回収可能かもしれんぞ。要は、貴様らにとってリスクとリターンの比較だ」
Aは沈黙する。探偵は続ける。
「ちなみに、俺は痛みに弱い。意志も強いとは言えん。そんな俺が激しい拷問に耐えられるかどうか……正直自信ないわ〜」
探偵の白々しい小芝居に、Aは思わずイラッとする。
「話は分かった。どこまで本当か分からんが、脳味噌ぶちまけるのは保留にしてやる」
Aはライフルを壁に立て掛けた。少しの安堵が顔に差す。
「ご理解頂けて嬉しいわー。少し見直した♡」
探偵の軽い一言に、Aは吐き気にも似た嫌悪を覚えた。
その時、遠くから車両の走行音が届いた。Aの表情はぬっと緩む。
「おう、確かゴンとか言ったな。どうやらお前さんの拷問タイムが迫って来たようだぜ」
遠方から、二台の車が近づく。ジープの助手席で腕を振るうBの姿が見えた。
『アニキー!! とりあえず全速力で帰ってきやしたぜー』
Bの明るい叫びが空地に弾ける。




