第5話 「ツイテル」
日が傾きだしたころ、例によって俺はデデドンにハリセンで叩き起こされた。
「パシンッ!」と乾いた音が顔面に響く。
鼻血がツーッと頬を伝う。なんて暴力的なんだ。
頭はまだ枕に沈み込みたがっているのに、鼻にティッシュを詰められ、容赦なく現実に引き戻される。
レプヤンらは俺を指差し、「デデド、デン~」と腹を抱えて大笑い。
「やかましわっ」
仕方なく体を起こすと、窓の外は橙に染まり始めていた。沈みかけの太陽が、急げ、とまるで背中を押しているようだ。
その色は異様に不吉で、夕焼けというより燃えさかる警告灯のようだった。
何かに少しずつ確実に近づいている予感がする。
とても嫌な予感だ。
キックを踏み込み、バイクに火を入れる。
そのエンジン音を耳にした瞬間、そんな不安は一瞬かき消された。
ドッドッドッドッ…
規則正しい低音が大地を伝い、体を揺らす。
まるで心臓とシンクロするみたいで、血が一気に巡り、止まっていた鼻血が再び吹き出した。
新ピカの、水冷エンジンを積んだ相棒に跨れば、目的地が宇宙の果てでもどんと来いって気分になる。
吹き抜けるモワッとした風さえ、全身を包む喜びに変わる。
◆油断するなガソリンは走れば減る
今日も進路は北。
乾いた路面にタイヤがかすかな砂埃を巻き上げる。俺は空に向かって叫んだ。
「絶好調!」
なんたって今の俺のバイクは、デザインも一新され走ることに特化した、バイクとして当たり前になったのだから。
だが、道は次第に険しさを増していった。
舗装道路はいつの間にか消え、獣道へと変わる。
頭上では木々が鬱蒼と枝を伸ばし、時折肌にパシッと当たる。
夕日を遮るせいで空気はひんやり。鳥の声さえ途絶え、ただエンジン音だけが森を震わせていた。
やがて、鬱蒼とした森の先に、ぽつんと古民家が現れた。
どの窓も煤けていて、人が住んでいる気配が全くしない。
だが、その建物には得体の知れない存在感があり、懐かしいのに気味が悪い、その妙な感覚が背筋を冷やした。
そのときだった。
絶好調と思えたエンジンが、ここでプスプスと止まる。
(えっ!?ガス欠…?)
タンクキャップを開けてみるとガソリンは空っぽ。
ガソリンコックはオンとオフしかない、リザーブはないのでお手上げ状態だ。
デデドンと知り合ってから今まで減らなかったガソリンがなぜここでガス欠?
振り返ると、レプヤンたちも次々にAKのエンジンを切っていく。
どうやら、ここが目的地らしい。
ガソリンはまた後でみんなに分けてもらおう。
俺たちはバイクを下り、古民家に近づいた。
レプヤンたちが呼びかけると、空き家かとおもった二階の窓に人影が浮かんだ。
デデドンたちと似た背丈。きっと仲間に違いない。
窓を開けるでもなく、こちらに反応するでもない。
なんとも気まずい時間が流れる。
◆ツキに取り憑かれた人形
…もしかして、人間の俺がいるから、怖がって出てこれないのかもしれない。
「…人見知りみたいやし、俺はバイクに戻って待って……」
そう言いかけたその瞬間。
月明かりが、うっすらと二階の窓を照らした。
そこに立っていたのは、日本人形だった。
(いや、マジで無理やわ…)
青白い頬。じっとこちらを見すえるガラスの瞳。
光を受けてきらりと揺れたその瞬間、胸の奥で封じていた記憶が弾けた。
子どものころの、あの夜。
仏壇の横の箪笥の上でなぜか後ろ向きでガラスケースに入っていた日本人形。
後ろ向きなのに感じる視線に金縛り……。
これから先が思い出せない。ただ、息が詰まり、声にならない叫びだけが蘇る。
月明かりが全身を映し出す。
あのときの記憶が一気に蘇る。
そうだあの顔だ。ガラスなのに艶消しの瞳、感情を映さない顔。
喉が渇き、背中を冷や汗が伝う。足がすくんで動かない。
人形は動かない。だが俺が瞬きをするたび、確実に距離を詰めてきた。
心臓が喉を突き破りそうなほど暴れ、呼吸は浅くなる。
ドン! ドン!! ドン!!!
耳元で響く幻聴。金縛りで動けない俺の目の前に、人形のドアップ。
「うわぁぁあぁーーー!!!」
俺の叫びが夜の森にこだました。
けれど、俺より驚いていたのはその日本人形だったらしい。
ドタドタと駆け出し、林の奥へダイブ、ガサガサッ──ドシンッ!
派手な音と共に姿を消す。
恐怖から解放された俺は思わず膝をついた。
だが、レプヤンたちは肩を震わせて笑っている。
「まさか今のんが…仲間?」
俺の問いに、ウンウンとうなずく。
仲間なのになぜ逃げるのか。
足跡を辿って追いかけると、デデドンが手を上げて静止を示した。
足元には獣用の落とし穴。……中にはうつ伏せに串刺しになった日本人形。
(もうダメやろこれは…)
串に貫かれたまま、日本人形がゆっくり顔だけが…ギギギギッ…こちらを向く。
「カカカカッ…」
瞳が怪しく光る。
子どものころに体験した、恐怖体験を完全に思い出す。
「うわぁぁああぁ!!」
俺は盛大に失神した──。
気づくと、俺は古民家のシルエット越しに月を眺められる場所で寝ていた。
頭の奥にまだ恐怖の残滓があり、体が震える。
また空に、飛行船が浮かんでいる。
一体あれは何をしているのだろうか。
その幻想に目を奪われていたその背後で──ゾワゾワと寒気が走った。
「カカカカッ…」
耳元で響くあの声。顔を向けると、日本人形のドアップ!
「うわぁぁぁーーーっ!!」
そこら中の石や木片を投げるが、なぜか当たらない。全然避けてないのに。
これはもう…日本人形の周りの時空が歪んでるような。
レプヤンたちは腹を抱えて笑っている。
その様子に俺は確信した。
「…お前、運が良いってよりツキに憑かれてるやん、『ツイテル』、そう名付けるしかないわ。」
◆秘密はアピールしないと思う
皆がそれぞれのAKに乗り、俺もバイクに跨ると、ツイテルは、当然のように俺の膝の上にちょこんと座った。
「いや、俺、ツイテルの見た目、マジで無理なんやけど…自分のAKは? ねえ、自分のに乗ってーな」
ツイテルは静かに首を横に振った。
自分のAKは持ってないらしい。
「せや、パワモチのAKにでも乗せてもらったら、力持ちやし」
4台はすでに出発している!背中がもう小さくなってる。
しまった、ガソリンをもらうの忘れてた。
ため息をつきつつ、俺は覚悟を決めた。
「しゃあないな…一緒にガソスタ探そうか、こんな山奥に24時間のとこあるんかいな?」
ツイテルは首を横に振る。
何が違うのか聞こうとすると、シートに違和感。下半身がスースーする。あら、やだ。
振り返ると、シーシーバーになびくズボンとパンツ。
ツイテルは俺に「シーッ」のポーズ。
──二人だけのヒ・ミ・ツ。
いやこれ、ほんまに“二人だけの秘密”なんか…?
なびくズボンのポケットから割れたペンダントを取り出すと、念を込めるように両手で握り、俺の首にかけてくれた。
あら不思議、割れたペンダントは元通りになってる。
もう一つ不思議、ガソリンが満タンになってる。
「ツイテル、何をしたん?」
「カカカカッ」
その笑い声。やっぱり間違いない、子どものころの恐怖体験に出てきた人形と同じものだ。
背筋が凍る。
「その笑いやめーや、いつでも降ろすで?ほな行こか」
だがツイテルは楽しげに俺の膝の上で揺れるだけ。
ズボンとパンツを風にはためかせながら、俺たちは山頂を目指して再び走り出した。
膝の上にはトラウマが肌に直接触れている恐怖と、しかしそれ以上の不可思議な高揚感が混じっている。
早く乾かへんかな。
次回、テペテペの正体がついに明らかになる。




