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出逢い

ある晩、一匹の猫が僕の部屋へ現れた。


開いた窓から揺れるカーテンを超えて、

僕の前へ現れたのだと思うのだけど、あまりにも突然だったものだから、

まるで、今そこで生まれたみたいに感じたよ。


思いもしなかった訪問者に、僕は飛び上がってしまった。

今まで生きてき中で 驚くこと なんてざらにあった。

けれどね、驚くこと なんていうものでは片づけられないことが起きたんだ。


それはね、その猫がはっきりと言葉を喋ったんだ。こんな具合にさ。


「君、歳はいくつ?」


その猫は僕を見るなりそう尋ねたんだ。

猫が喋るだなんて!


僕は目の前で起きている事が

現実に起きている事だと、理解するまでちょっと固まってしまった。

そしたら、その猫ときたら、そんな僕にはお構いなしにしゃべり続けている。


「ねえ、君の好きな食べ物は?僕の一番のお気に入りはチョコレットだ。

ミルクのチョコレット。人間は僕たち猫の好きな食べ物は、魚だと思っているだろう。君だってそうだろう?でもね、それは全くの間違いだよ。猫にも好き嫌いや、’個性’ っていうものがあるんだよ。」 


僕の受け答えなんて期待していないようだった。それにしてもチョコレットってなんだ?

ああ、そうかチョコレートの事か。ミルクチョコレート。

でも待てよ、猫がチョコレートを好むだなんて聞いたこともない。

僕は一言も発することなく、上手に喋る猫を前にして考えていた。


どうやら、この猫の名は ルーカス というらしい。「ちゃんとした 猫だ」とも言っていた。

薄い灰色の毛をした猫だ。触ったら柔らかそうな毛並みをしている。

僕は、口をつむったまま猫を見ていた。

少しすると猫はハッとした。きっと、お喋りをし過ぎてしまっていたことに気づいたのだろう。

口元に右の手をあてて、コホンと一つ気まずそうに小さく咳をした。


そして、僕の顔を見つめてこう言った。


「初めまして。君の名前は?」

あれだけのお喋りを聞いてしまったので、僕にはこの挨拶がわざとらしく聞こえた。

「僕の名前はハル。君の名前・・当ててみようか?」

僕は猫に聞いた。猫は目を丸くして

「君に分かるはずはないよ。」

そう言うと嘲笑った。


僕は目を閉じ、右手の人差し指を眉の間に置き、あたかも考えている様に見せた。

薄目を開けて猫を見ると、猫は目を丸くして僕を見ている。興味津々の目つきだ。


「君の名前は・・・」

僕は眉間に置いた人差し指をトントンとしながら


「ルーカス。」

それと同時に目を開いた。

「君の名前は ルーカス だろう?」


「なんだって?どうして君に僕の名前が分かったんだい?こりゃたまげた!」

猫は飛び跳ね驚いた様子を見せた。そして

降参だと言わんばかりに両手をあげた。

猫のその様子を見て、僕は思わず笑ってしまった。

吹き出す僕を見て猫はきょとんとした。


「だって、君、さっき僕にそう言っていたよ。名前はルーカスだって。」

僕が笑いながらそう言うと

「はて、そうだったかな。」

猫は首をかしげた。

ルーカスはさっき話した内容を全く覚えていない様子だった。

「興奮してしまうとつい、お喋りが過ぎてしまう。悪い癖だ。」

そう少し恥ずかしそうにもじもじと呟いた。そして、頭を器用に掻いたかと思うと、今度は落ち着いた様子で僕に話し始めた。


「僕は王様のいいつけで君の元へやってきた。

王様が是非とも君に逢いたいと言っているんだ。僕と一緒に来てくれるかい?」

「王様のいいつけ?僕に逢いたがっている?」

僕はルーカスの言葉に頭がまた、驚いてしまった。王様だって?ルーカスは、一体何の話をしているんだろう。この世界に王様なんていやしない。

「そうだ、君に逢いたがっているんだ。」

ルーカスは僕の頭の中の状態に気配りもせず、当たり前のように言う。


「ちょっと待って。ルーカス君は一体、どこの世界の話をしているんだい?それに仮にだよ、

この世界に王様がいたとしても、僕に逢いたがる王様なんていやしないよ。」


僕がそう言うと、ルーカスは大きく空気を吸い込んだ。

ルーカスの小さな胸が上へあがった。

「そうだな、これは君の住んでいる世界のことではないんだ。

僕はね、君の住んでいる世界から、少しだけ離れた世界、そこから君の元へやってきたんだ。」


「僕の住んでいるこの世界から、少しだけ離れた世界?それは近くにあるの?」

僕は聞いた。ルーカスはちょっと考えてからこう言った。


「近いところに在るけれど、とても遠いところに位置するんだ。」

近くて遠い。真逆じゃないか、僕はそう思った。


「電車やバスで行かれるの?それとも、飛行機?」

そう尋ねる僕にルーカスは首を振った。

「そんなものは必要ない。もっと簡単さ。

簡単で在って、もっと難しい。普段は行かれない場所なんだ。」

ルーカスはまるで僕で遊んでいるようだった。

近くて遠い、簡単で難しい、言葉遊びに付き合わされている様に感じていた。

僕には何が何だか分からなかった。

ただ、もしルーカスの言っている 近くて遠い世界が在るとするならば、

それは一体どんな世界なんだろう。

僕の胸の中にちょっとした好奇心が生まれた。


「その世界は、君の世界と僅かなずれに位置しているんだ。

僕たちは普段とても近くに居るんだよ。ただ見えないだけ。

ただお互いがお互いの世界を知らないだけ、気づかないだけなんだ。まあ、君たちが僕たちの世界に気づくことは滅多にないことだけど。それでも、背中合わせのように、確実に近くに在るのさ。」


ルーカスは言った。相変わらず僕にはその世界というものが、どんな世界なのか分からなかったが、

ルーカスが一生懸命僕に伝えようとしてくれているのは分かる。


「そこへは」

ルーカスは続けた。


「君たちが場所を移動するために使っている乗り物は必要ない。

ただ君は僕に摑まってさえいてくれれば、辿り着く。ね、簡単でしょ?」

ルーカスはウインクをしてみせた。

その仕草は少しでも、僕を安心させようとしてくれていることが伝わってきた。


「そこは、どんな世界なの?」

僕は興味から尋ねてみた。ルーカスは丸い目を細めた。そして徐に横を向き話し始めた。

「そこは、風が空を優しくかき混ぜるんだ。仕切るものがないから、何でもうまい具合に混ざり合う。国と国を隔てるものもない。たった一つなんだ。木々は笑う。そしたら漏れた陽が陰をくすぐる。花々は、そうだな、僕みたいにお喋りをするんだ。そこに居る生き物たちは、限られた時間というものを知っているから、今在る瞬間を全部自分のものとして扱う。だから、誰として、自分のものではない時間というものがないと知っているんだ。」

ルーカスはどこか遠くを見つめているようだった。

僕には見えていないどこかを見ていんだろう。そう感じた。

僕の視線に気づいたルーカスは僕の方を向き

「もしかしたら、ちょっと、難しかったかもしれないな。」

そう言って笑ったような顔を見せた。


「近くても、なんだか、僕の住んでいるこの世界とは随分違うように感じるよ。」

僕は言った。


「でも、君の世界と時に重なる時もあるんだよ。

ほら、こんなことはないかい?一人で歩いている時に、とても懐かしさを感じる風が吹いてきて、帰りたい、そんな風に君に思わせること。木々に耳を当てたとき、君の耳に鼓動が聞こえてくること。そんな時は、僕たちの世界とつながった時に起きることなんだ。でもね、人は皆気のせいだって忘れてしまう。仕方がないことさ、君達の住んでいる世界以外に ’見えなくても在る世界’ なんて、誰も理解しがたいものだもの。人は目に見えるものが全てで、そういうものだ という枠が大好きだからね。」

ルーカスは再び器用にウインクをしてみせた。


そう言えばそんなことあったな。

僕はルーカスの話を聞いて、昔に感じたことを思い出していた。


あれは、いつかの秋口一人で道を歩いていた時だった。風が吹いてきて僕の足にまとわりついたことがあったんだ。秋の風なのに暖かくて、まるで小さな猫が足にまとわりついて、甘えているようだった。

長い間僕の足元にいたんだ。右の足絡まったかと思うと、次は左の足へと絡まる。

胸が締め付けられるような風だったな。


僕は独りぼっちじゃないって、漠然とだけれど感じたんだ。


そしたらさ、その風、ふわっとどこかへ吹いていってしまったんだ。


僕は思い出していた。あの風にどこかでまた会えたら、そう思った。


え?この話を誰かに話したかって?

人になんて言えやしないよ。こんな感覚の話なんて。馬鹿にされておしまいだもの。

本当だ。ルーカスが言う通りだ。自分が感じた何かよりも、誰かにどう感じられるかを僕も選んでしまう。この世界で見えないもののことを話すって難しい。黙っている方が、この世界で生きていくには都合がいいものだって いつからか 馴染んじゃっているものだ。


「ハル」

ルーカスの呼び声に僕ははっとした。今僕はどこかへ行っていたようだった。

「大丈夫かい?」

ルーカスは僕の顔を覗き込んでいた。

「ありがとう、大丈夫だよ。」

僕がそういうと、ルーカスは小さくため息をついた。そして上目遣いで僕を見ると

「それでだ・・・君は僕と一緒に来てくれるのか?」

ルーカスは少し控えめに、でも、少し急かすように僕へ尋ねた。躊躇している僕を見ながら

「その場所へ行ってみたら、君の世界のことがもっと、分かるようになるよ。」

そう言った。

僕はルーカスの丸い瞳を見つめながら小さく一つ頷いて見せた。


わからないことだらけだった。聞きたいことも沢山ある。

こんな状態でルーカスの言う世界へ行くことを 怖くない と言ったら嘘になる。


だけど、一つだけ明確に分かっていることがある。それは


ルーカスというこの猫が僕に嘘を言ってはいないということだ。


「よし、決まりだ。」

ルーカスは両手をポンっと叩いてみせた。そして僕の手を指さしながら、

「両手を僕の方へ差し出してみて。」

と言った。僕は言われた通り、両手をルーカスの前へと差し出した。ルーカスは、一歩二歩と僕へと近づき、差し出されている僕の手のひらに、小さな自分の手を出来るだけ大きく広げ重ねた。柔らかい小さな両手が僕の両手をできる限り包んだ。そして、きゅっと力を込めたのが伝わってきた。それと同時に僕は、思わず不安で手を引き抜いてしまいそうになった。


「何か分からないこと、知らないことが始まる時は、いつだって不安と恐怖で足がすくむものさ。でもね、ハル、一歩進んでみたら、不安や恐怖って、自分が創り出した‘存在しない壁’だったと気づくものだよ。飛び込むしかないんだ。未知という不安と恐怖を君の勇気と自信として味方にするにはね。」

そして肩をすくめた。僕はルーカスがしているように自分の手に力を込めた。


すると、体は下へ下へと引っ張られ始めた。なんだ、これは。


頭だけが置いてきぼりに在っているみたいだ。急激な回転と共に体は、下へ下へと更に引っ張られていく。僕はルーカスの手を離さないように強く握った。呼吸が浅くなる。光が現れたかと思うと影が生まれ包まれた。影が現れたかと思うと、光が生まれ包み込まれる。闇が光を生み、光が闇を生む。それを繰り返していた。その入れ替わりは更に早くなる。それに合わせるように、僕の体は伸び縮みを繰り返しているように思えた。呼吸を忘れないように、僕は幾度も慎重に深く呼吸を繰り替えした。


目まぐるしく変わる光と影の中、僕も飲み込まれ消えてしまうのではないかと不安が僕を襲おうとした。

その時、ルーカスと目が合った。


ルーカスは、僕を見つめながら大きくうなずいた。

その仕草は、「大丈夫だよ」 そう伝えてくれているようで僕を安心させてくれた。心強かった。


そうだった、僕は今一人じゃない。


僕もルーカスに向かって頷いた。

ルーカスも一人じゃない。


そして、強く唇をかみしめた。

光は生まれなくなり一面暗黒に包まれる。体が引き裂かれるような痛みを感じる。

もう限界だ、僕がそう思った時、ルーカスの口元がスローモーションのように動いた。


「マ モ ナ ク ト ウ チャ ク ダ」


僕はぎゅっと瞳を閉じた。


すると、突然体が軽くなり痛みから解放された。

僕は地に足が着いているのを感じたが、僕は目を閉じたままだった。

閉じられた瞼から明かりが入り込もうとしている。


「ハル、もう大丈夫だ。目を開けてごらん。」

ルーカスの声と共に僕は目を開けた。暗黒に慣れてしまったのか、うまく開けられない。

幾度も瞬きを繰り返し、ようやく明るさに慣れてきた。


そして見えてきたのは、見渡す限り山々が立ち並び緑で覆われた景色だった。

「どうだい?君の世界と似ているだろう?」

ルーカスは立ち尽くす僕に言った。僕はうなずいた。

自然豊かな場所は、僕の住んでいる世界にも僅かながらでも残っている。

でもここには、見える限り電線や家々や、背の高い建物は見当たらない。

壮大な緑でしかないのだ。


「僕の世界と似ているけれど、違う。それがどう違うのかは、わからないけど。」

僕は目の前に広がる景色から目を離さず言った。

何となく感じる違いであって、どうして僕がそう思うのか分からない。

僕の肺に入ってくる空気も同じ。僕の目に映る空は青い。僕の体に触る風も同じ。


でも、違うんだ。

同じものなのに違う。

体が受け取るものは僕の世界のものと同じようなものなのに、

体ではない、見えない部分が受け取るものが違う。

こんな曖昧な言い方ではずるい気がするけれど。僕は頭の中で思っていた。


「ハル、ずっと先にある、赤い屋根の建物が見えるかい?」

ルーカスは小さな手を伸ばし僕に言った。僕はルーカスの指先の方を見たけれど、見当たらない。

「見えないよ、どこだろう。」

「もう少しだけ左、そうそう左側をみてみて。」

ルーカスは片目を瞑りながら言った。僕も真似をして片目をつむって探した。

「あ、あれだ!」

赤い屋根の建物が小さく見えた。思っていたよりも遠くに在る。

太陽の光が反射しているおかげで辛うじて僕にも分かったのだと思う。


「あれさ、僕の言っていた王様が居るお城は。」

ルーカスは言った。


そうだった、僕は王様に逢いにここへ来たんだった。


僕に逢いたいと言っいる王様。一体どんな王様なんだろう。僕は赤い屋根の城を見て、王様が実在していることを徐々に実感してきた。僕に逢いたいだなんて、なぜそう思うのだろう。


「君は」

ルーカスが僕の顔を見つめながら言った。

「ちょっと不安になっているんだろう。」

僕の心の中を見てるように、そしてちょっとばかり、からかうように言う。

「猫に心を読まれるなんて。」

僕は少し嫌味っぽく言った。ルーカスは笑った。そして


「猫だから君の心が分かるんだよ。」

そう言った。


猫だから分かる


ルーカスの言葉を聞いた瞬間、僕の心が本来の位置に戻った気がした。

僕の住んでいる世界で僕の心は正しい場所に居なかった。さっき離れたばかりの僕の世界だけれど、長い間離れていた気がしてくる。ルーカスが現れたあの時だって、久しぶりに窓を開けたんだ。

揺れるカーテンを見るのも久しぶりだった。高校に入学したものの、衣替えが始まる前に、僕は高校へは行かなくなった。そして二年が過ぎようとしていた。


「君は単なる猫じゃないんだね、ルーカス。」

「いいや、僕は君の言う 単なる猫 さ。君の世界に居るどの猫とも違いがない。ただ

僕と君のように繋がり合おうとするのか、わかり合おうとするのか、平等に目線を向き合えるか、その違いだけさ。」

「じゃあ、僕の世界にいる猫たちも、繋がろうと思えばこうやって、繋がれるの?」

僕は聞き返した。

「そうだよ、君達人間が 猫はこういうものだ って思いこまなければね。猫というものは喋らない、猫というものは・・魚が好き なんていう思い込みをなくせばね。」

一番最初のお喋りでルーカスはそう言っていた。

「概念というものは、人それぞれ異なっているものを持っている。ある人にとって猫は、ペットであって、ある人にとっては家族となるんだ。でも、大元とは同じものから発生している。」

ルーカスはそう言うと、あ!という表情を見せた。

「中には猫というものは、単なるお喋りをしない飾りもの としてみる人間もいるな。」

「君の言う通りだよ。本来猫も人間も 命を持つもの という部分では全く同じだよね。」

僕とルーカスは目を合わせ

そして空を見上げた。青い空だな。目がまだ慣れていないんだと思う。


だって、僕がこうやって外へ出たのは久しぶりだったんだから。


おかしな話だ。

僕は猫に連れ出してもらったんだ。僕をあの部屋から出してくれたのは人間じゃない、猫だった。

僕は笑ってしまった。それを見たルーカスは

「どうしたんだい?ハル、何か面白いものがあったのか?」

興味津々で僕に尋ねた。

「ルーカス。何でもないよ。」

僕は答えた。


空はどこまでも青く地はどこまでも緑だった。境界線のないこの世界の果てでは空の青と木々の緑が混ざり合わさって、青緑色の世界が見られるのかもしれないな。僕はそう思った。



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