【3】叔父の親友・洋子さん訪れる
『北川古書店 第一部 〜手のひらに灯す光〜』
【3】叔父の親友・洋子さん訪れる
新米店主としての二日目が始まった。
店内の掃除を終えて一息ついたそのとき――。
「勇さ〜ん、今日は開いているんだね!」
と声がして、栗色の長い髪を後ろで束ねた、少しふっくらした中年の女性が入ってきた。
私の顔を見るなり、
「あーら、若くていい男が店番かい」
「はい、よろしくお願いします」
「いくつなんだい?」
「今度、四年生になります」
「若いってのはいいね。この店、急に明るくなったじゃないか。勇さんは、いないの?」
「叔父をご存知なんですね」
「“ですね”じゃないよ、友達ヨ」
と、笑いながら言った。
「入院されたんですか?」
「うん。一ヶ月半ほどで退院予定です」
「そう、やっぱり予定通り行ったんだね。確認に来たんだ。わかったわ」
「掃除を終えたところで、ちょうど休憩していたところです」
「コーヒー、飲む?」
「はい、私が入れます」
「いいえ、私が入れるわよ」
そう言って、食器棚を開けてコーヒーの準備を始めた。
「ありがとうございます」
席に着いてからは、先ほどのざっくばらんな口調とは違い、落ち着いた話し方で語りはじめた。
「勇さんのこと、心配してるの。昨日は来られなかったけど、病院に行って顔を見ると、かえって寂しくなるからね」
その言葉には、彼女の心からの気持ちが込められていた。この人は、機転が利き、心遣いのできる人だ と思った。
名前を聞くと、伊藤洋子さんと名乗った。
二人で20分ほど話をしたあと、
「じゃあ、帰るわね。次に来るときはお土産を持ってきてあげる。何が好き?」
「どら焼きが好きです」
「ドラえもんだね、わかった」
と、手を振って出ていった。
そのあと、勇叔父にLINEで「伊藤洋子さんが来ました」と連絡を入れた。
翌日は九時五十分に鍵を開け、「営業中」のプレートに掛け替える。
今日は穏やかな気持ちで一日を始められそうだ。何事も落ち着いて、考えていた作業が自然にこなせる。
そこへ洋子さんが入ってきた。
「お早う、雅人君」
「名前、覚えてくれたんですね」
「可愛い子は覚えることにしてるよ」
雅人はにっこり笑った。
「その笑顔が良いねえ。お土産のどら焼き、ちゃんと覚えてるから」
と言いながら、十個入りの箱を机の上に置いた。
「おばさんの話を聞く気はある?」
「お聞きします。どうぞ、ソファーにお掛けください」
「伊藤洋子です」と改めて自己紹介して座った。笑顔も素敵な人だ。
「北川雅人です。よろしくお願いいたします」
有線放送からは昔のジャズが流れていて、それが洋子さんに良く似合っていた。
どら焼きには緑茶が合うと思い探していると、
「お茶は私が入れるから座ってて」
そう言って、食器棚の下から茶道具と茶筒を取り出した。
「私より詳しいですね」
「開店当時から来てるから。そんなに本が好きなの?」
「暇な時に来て、勇さんに今まで集めた本の話を聞いていたの。楽しかったし、詳しくもなったわ。勇さんの本に対する愛情って、本当に素晴らしいと思う」
「洋子さん、主婦ですか? お仕事されてるんですか?」
「駅前でスナックをやってるの。今は週三日だけね。勇さんは十年来のお得意さん」
「洋子さん、おいくつですか?」
「言いにくいことをズバリ聞いてくるね。でも若いから嫌味がない。今は五十七歳」
「お若く見えますね」
「それは、“年より若く見える”ってやつよね!」
「じゃあ、叔父が本屋を始めた時も、入院のことも、洋子さんに相談したんですね」
洋子さんはうなずいた。
「私より、叔父さんのことに詳しいですね……。聞きにくいことですが、洋子さんはご結婚されていないんですか?」
「何でも聞くね。そうね、独身よ。これですべて」
「ありがとうございます。叔父も独身ですので、これからも仲良くしてやってください」
「してるよ。だから心配で来てるんだから」
「じゃあ、今日はこれで帰ろうかなあ」
「だめですよ。いただいたどら焼きを食べて、お茶を飲んでからにしてください。そうじゃないと叔父さんに叱られます」
「そう」
「こうして洋子さんと話していると、叔父さんと雰囲気がよく似ていて楽しいです」
「ありがとう」
どら焼きでお茶を飲みながら、洋子さんの出身も聞いた。
「松本よ」
「松本から蓼科は近いですよね。上田、塩尻、高山、新潟……全国へ街道が整備されていて、日本の中心ですよね。音楽の街、水の街でもある」
「しばらく帰ってないから、帰りたくなった」
少ししんみりとなったその時、
「今日は偵察に来ただけ。じゃあ、帰るわ」
そう言って手を振り、洋子さんは帰って行った。