灼熱の悪寒
あいつは人を信用し過ぎて疲れているし、あいつは人を信用しなさ過ぎて疲れている。対になった悪寒と灼熱だった。孤独な人間は額より下が陰っていて顔を見通すことができない。僕が人生の灼熱感に気づき始めたのは、彼女がビールを初めて飲んだのは共々16歳のときだった。初対面の段階ですでに彼女は言うべきことを全部喋っていたんだ。
『たしかに全ては自分の願望ってところに収まってしまうけど、でも実際には他の誰かのためって捉えたとき初めて自分の本気が発揮されるんだと思う。これを、その方が効率がいいからそうしましょうって説得してくる人がいるけど、むしろ私はその方が綺麗だと思うから誰かのために頑張る、んです。』
彼女はそう言っていました。
一方で僕は、その効率を訴える人の気持ちも分かって、綺麗なことへの照れくささとか、現代のあまりにも根拠や説得力を求めすぎる時代性へのうんざり感とかを内包した、非常に重たい、誰も冷笑することはできない効率という言葉なんだ。このように僕は自分を含めた人々の営みの全パターンを網羅しているけれど、そうなってしまった以上、他人と関係を築くには人として弱弱しすぎるので、泣く泣く個人主義を主張せざるを得ない現状にがんじがらめにされているのだった。
こんなだからこそ彼女の、他人に曝け出せてしまう無防備さとか、綺麗かどうかが基準である、その取捨選択のロマンチック加減とは裏腹にぜんぶ言葉で説明してしまっているチグハグなところとか、最後の最後に蘇った自覚によって付け添えられた話の勢いを和らげるための敬語、ついさっきまで初対面だったはずなのにほんの一瞬で出てきた情報量と、それをこちらが捉えきるまでの時間差、といった決して既製品では出すことのできない出力のギャップが持つ暴力的なまでの魅力をもろに喰らってしまった僕が、テーブルを挟んで向かい側に取り残されるように座っていたという記憶が鮮明だった。
でもこれは彼女に言わせれば「細分化し過ぎ」ということで、鼻で笑われてしまった。たしかに細分化し過ぎだ。中にはうまく捉えられていないところもあるかもしれない。だがこれは忘れたくないからこそなんとか細かく分けて、自力で消化しようと試みているんだという真意の部分だけは、僕は彼女にはずっと黙っておくことにしたのだった。
ここで注意しておくべきことがある。曝け出すとか自由とか言っていたが、それっぽくみせることができる行動というのがあって、極端に言えば外で突然裸になったら、その人はとても自由そうにみえるだろう。本人の意思は追及できないけれど、たとえば迷惑をかける人や犯罪者は、きっと彼らは自分の思い通り、自由に生きているのだろうという風にみえてしまう。実はそこへの嫉妬から非難の言葉が飛び交っているということは、ままあることなのだった。
つまり彼女は自由そうという判断基準において強みを持っていたに過ぎないんだ。あるいはその点を熟知していての言葉だったのか。どちらにせよそれは彼女の一部でしかないし、自由そうにみえた、魅力的にみえた彼女のなかにも、彼女自身心からそう願っているにも関わらず規範に従って窮屈そうにしている風にみえてしまう、そういった姿があるのだということは常に気にしておくべきなんだ。あまり相手のポップな一面だけに留まっていても、いずれ味気なくなって僕の中で摩耗して映る彼女が視界から飛んで行ってしまうから、だからこそもう一歩踏み込めよという自分宛のメッセージだった。
水面から飛び出したイルカに尾ひれでビンタされて死んだ人がいたらしいけど、海で溺れて死んだ人の方が圧倒的に多い。彼女の背中にはポツポツと青い斑点ができていて、その青い色素が次第に全身へ広がりつつあるようだった。このことを本人にどう伝えたものか、悩んでも結局こうして少しは外部へ吐きだしておかないと居られない性分が、人間には必ず備わっているはずだった。本屋にある本すべてが、文字の並びのパターンが違うってだけで金を稼いでいるように思えたのだとしたら、君はそろそろ灼熱感にも気づいているし、さらにしばらくしたらこの小説と酷似した、まとまりのない文章をスマホのメモの新しいページに打ち込んで、終わったらすぐにゴミ箱に捨て、さらには完全消去まで手動でこなしてしまうんだろう。その夜眠れないときの行動を僕はよく知っている。これは脅しなんかではなく僕から君へ歩み寄っているつもりなんだ。決して君から僕の方へ歩み寄ってくる必要はないけれど、僕の優しさの一面が満足するまではそこに立っていて欲しい。人目に付く可能性があるところにアップするかしないか、それは単なる誤差であって突然変異ですらないが、自分と他人のどちらを動機にするかという選択にはやはり大きな意味があるみたいだ。僕と彼女、共々16歳だった当時感じていた悪寒と灼熱は、たしかに自分本位でとても小さな欠片でしかなかったが、現在の自分たちを支える土台としては申し分ない強度を保っていた。しかしいつか今いるところから大きく動かなければいけないのであれば、僕は一度自分の土台から頂点までを崩してしまっても構わないていどに、10代の妄想には縛られていないし、摩耗してきたその形を大切にも思っているつもりだ。




