音の砂時計
誰かの特別な恋
私、煙草吸う人は好きじゃないの。
貴方に言ってるんだけどね、似合ってないよ。
早くやめて欲しい。
私、お酒は強い方だから、無理して張り合わないでいいの。
そういうところ本当子ども。
帰ったら誰が面倒みるの。
そんな調子で、いつも私が彼の面倒見てるの。
出会いはいつだっけ。
そうそう、あの古びたライブハウス。
「知り合いが出るんだけど、お客さんが少なくてかわいそうだから」って、友達に言われて、嫌々足を運んだの。
その時の私はロックバンドなんて興味無し。
音楽もお母さんのウォークマンに入ってた昔の歌しか聴いてなかった。
狭い狭いライブハウス。思ったより人が多かったわ。
そして狭い狭いステージに、小汚ない服装の4人組が出てきたの。
「はあ、こんな誘い断るんだった」
って思った次の瞬間
私から見て右横の男のギターが、酸素が舞うだけの空気を一瞬で音の海へ沈めた。
立っているのが不思議なほどの衝撃だった。
次にギターに似た楽器が低い音を鳴らした。心臓の鼓動を制御されるかのように、そのリズムに染まっていた。
あとから知ったけど、その楽器はベースって言うんだって。
気付けばドラムの4拍子に合わせて自然と手を上げていた。
私の体なのに。
初めてのことばかりで混乱する私の頭に、力強くて繊細な声が突き刺さる。
「人を睨んで細くなる視界より、人と笑って細くなる方が幸せ」
そんな歌詞から始まった、小汚ない男たちの、綺麗な音と言葉の世界は、私に見たこともない色を見せ、一瞬で終わった。
最後に聞いたそのロックバンドの名前、Drowning-Sound(溺れる音)
その名前の通り、私はその人たちの音に溺れたわ。
なんで思ったより人が多かったわかった気がしたの。
こんなバンド、売れないわけない。
同時に寂しくなったの。このバンドは将来、私が今日見た距離では見れなくなるのかなって。
その次の日、私は近くのCDショップに寄ったの。
ロックバンドなんて聴いたことなかったから、興味が湧いて。
その入り口の横の喫煙所には、見たことある髪の長い男がいたわ。
ちょっとがっかり。煙草なんて吸わなきゃ、あの力強くて繊細な声、もっといい声だったかも知れないのに。
そう、それが貴方。
私は大嫌いな煙草の匂いを我慢して話しかけたの。
「昨日のライブ行きました。」
嬉しそうな顔してた。
そのあとは貴方のおすすめのバンドのCDと貴方の連絡先を持って帰った。
お互いいい年してたから、そっからは早かったね。
素敵な歌詞を書く割には子ども。
カッコつけて煙草吸ってるとか高校生みたい。
お酒だって、無理に合わせなくていいのよ。本当はビールも苦いんでしょ?
初めて会ったライブハウスでの印象とはだいぶ違ったわ。
だけど、あの時思ったことは杞憂で、今は誰より近い距離で、貴方を見れてる。
しかも私だけしか知らない曲もあるの。ファンの子には内緒ね。
ただ、初めて会った時に思ったことと違うことはもう一つあった。
もうあの日から何年も経つけど、ライブハウスの大きさはあの日のまま。
だんだん貴方は焦ってきて、私もどんな言葉をかければいいか分からなかった。
歌詞も、量産型になってきて、「いつもありがとう」「同じ空を見てるよ」
ねえ、その歌詞、皆聴き飽きてるよ。そう思えるほど私は音楽の虜になってた。
だから尚更、貴方の書く歌詞が平凡になっていくのが辛かった。
サラサラサラ。
月曜日の朝、ごみ捨て場に見慣れたギターがあるのを見て、別れの日への砂時計は動き出した。
「なんでこれ捨てようとしたの?」ギターを持って部屋にあがった私を、貴方は凄まじい目で睨んだ。
その視界、嫌いなんじゃないのかよ。
貴方は口を開く「余計なことすんじゃねえよ。」
パリン。
私の心が、硝子のように音を立てて壊れた。
そこからの言い合いは、わざわざ話すようなことじゃないわね。
それから貴方が帰らない日が続いたの。
貴方がいない部屋で、貴方が吸ってた銘柄の煙草を吸う3回目の夏。
お昼時のテレビのoriconチャートから聞いたことのある声が聞こえた。
「第5位、Drowning-Soundで……」
知らない、知らない、知らない。その曲。どこにいたの。誰といたの。そのメンバー、あの時の人たちじゃないよね。
あんなに大好きだった声が、猫の交尾、黒板を引っ掻く音、排水溝が詰まる音みたいに聞こえてすぐにテレビを消した。
混乱する頭の片隅で、悔しいけど、こんなことが浮かんだの。
「また、ライブが見れるかも。」
本当に馬鹿な私。子どもなのはこっちかな。
その年の秋、私はZeppTokyoに足を運んだ。キャパは2000人。あの頃とは比べ物にならないほど大きいライブハウスだ。
そこの入り口には、髪を短くした貴方が写るポスター。
帰りたくなった。
18:00。照明がステージに点いた。見たこと無い右横の男が、空気を沈めるどころか、タンポポの種も飛ばせないほど弱い音を出した。
ああ、本当にあの時の私が溺れたバンドはいないのね。
淡々と時間が流れる。知ってる曲も知らない曲みたい。
「次が最後の曲です。」
やっと帰れると思った私。でもその最後の曲で、私の涙腺が音を立てたの。
「子どもだった俺を、ずっと見捨てないで居てくれてありがとう。」
そう言ったあと、何回も何回も、あの部屋で聴いた私だけの歌が、大きな大きなライブハウスに流れ出した。
頭の中に思い出が駆け巡る。ロックバンドのボーカルを一人占めする贅沢なカラオケ、嫌々私に着せられた浴衣を着て回ったお祭り、内緒で最前列にしてくれたいつものライブ。
こんなにこの曲で泣いているのは私だけなんだろう。
最後の1小節、歌詞が加えられていた。
「貴女だけの歌じゃなくなってごめんね。愛してるよ。」
「別れよう」にも「ありがとう」にも聞こえたその言葉は、私に「さようなら」と言わせた。
砂時計が落ちきったみたい。
私、煙草吸う人は好きじゃないの。
貴方を思い出しちゃうから。
結局私も吸うようになっちゃったけどね。
2年前に初めて書いてみた短編です。




