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Tale of Despair  作者: ナシ・ミゾレ
緋色と灰の物語
13/15

12.緋色と灰の物語 序 ─Over The Lament─

「ディアッ…!」

 シルヴァントゥスの魔法に力無くぐったりとした様子を見せるディアにルクは手を伸ばす。しかしディアは見向きもすることも無くただ虚ろに空を眺めているだけだった。ルクは必死に人の山を押しのけて這い出るとシルヴァントゥスに対して再び刃を構えた。しかし、シルヴァントゥスはそんなルクに目も向けることなく、両手を広げ天啓を授けるかのようにディアに命令を告げる。


「さぁ、ディア。ルクを殺しなさい」


「!」

 その刹那、ルクは喉を詰らせた。瞬間的に身体を通り抜けた視線は純然たる殺意だ。それはルクの身体に纏わり付き足先まで痺れさせる。命蝕む強烈な劇毒。死ぬ、そう、ただ死ぬ。それだけを悟らせて、生きる事を手放させようとする。ルクは息を呑み込み、迫りくる死線に耐えかねた様に、精一杯の抵抗でもするかのようにナイフを振るった。その直後、刃同士は激しく衝突し、渇いた鉄の音と錆び濡れた鉄の音が耳を劈くが如く響き渡る。


「ッ…!」


 宙に浮いた身体が地面に投げつけられる。


「カハッ…!」


 鈍い痛みが身体を奔り、血反吐を吐き出した。一撃で勝敗を分かつほどの純粋な暴力的な一撃に、ルクは沈んだ。しかしディアは止まらない。ディアはすぐさま地面を蹴り、刃を掲げるとルク目掛けて振り下ろす。


「ッ…! ディアッ! 目を覚ませ! ディア!」


 ルクは既所でその刃を受け止め。激しい鍔迫り合いの中でディアに叫ぶ。こんなに纏わりついて離れない殺気をディアが放てるわけが無いと必死に自分に言い聞かせる様に叫んだ。しかし理想のディアはすぐさま崩壊していく。この肌が痛いまでの鋭い殺気は時々ディアがカニスやあの修道士たちに放っていたものに違いない。それが今、自分に向けられている。冷たい視線はただそれだけの事だと物語り、ルクにディアの本当の姿を教えているようだった。


「クソッ!」


 ルクの感嘆と刃が風を斬る音だけが響く。それに連なる丁々発止はルクを追い詰め、ディアのバケの皮を剥ぐ。


「なんと、まさかこれほどとは…。ディアもルクも素晴らしい逸材の様だ! これは神が私に下した最後の試練。嗚呼なんと心が痛む事でしょうか。しかし貴方の尊い犠牲によって大義はなされるのです!」


「ふざけんな! ディアにこんな事、こんな事させやがって!」


 ルクは死ぬ訳にはいかなかった。例えディアが最初から自分が思った通りのディアで無かったとしても、ディアだけには殺される訳にはいかなかったのだ。例え、その鋭い凶刃が容赦なく自分を切り裂こうとも。


「ぐッ!」


 白刃が舞い、血が躍る。ルクの腕は深く切り裂かれ、その手からスティレットを落とした。ルクは喉に悲鳴を押し殺しながら腕を抑え、必死に思考を巡らせる。


 どうすればディアを戻せるだろうか?


 自分ではディアには勝てない。


 どうすることも出来ないという絶望が冷静に自分の死を悟らせる。魔法に長けている訳でも無く、力で抑え込むことも叶わない。

 無力だった。どこまでもルクは無力だった。自分なら何処かどうにかなるなんて浅はかな理想はこんな形で自分に突き返され、もう言葉も鼓舞も意味をなさない。創造力が足りなかったと言われればきっとそうだ。()()()()()()()のだ。絶望は常に己を責め立て、後悔を強いて来る。しかしルクはその責め苦に耐えながら弱音を飲み込んだ。まだ諦めていない。例え恐怖と困難が立ち塞がろうともルクはそれに挑む胆力があり、絶望を前にしても立ち竦むことなどは決して無かった。後悔は後でも出来ると自分に必死に言い聞かせ、ディアを、皆を助ける事に意識を集約させ、再び立ち上がる。


「ディア、お前にこれ以上辛い思いはさせてやらないからな。俺はお前の攻撃じゃ絶対死なない。だから…目を覚ませよ!」


 根拠はなかった。でもそう叫ばなければ立っていられなかった。それが嘘だったとしてもルクの両足はこうして立つことを許し、心はまだ奮い立ってくれる。それだけを力に立ち上がった。

 その様を見てシルヴァントゥスは顎をしゃくる。指先を振れば彼の風前の灯であるルクは簡単に殺せるだろう。だがそれ以上に疑問だった。


「私の魔法を解いたとて、それが殺人に長けている事には変わりませんよ? こんな血に塗れた獣の脅威がまだわからないのですか?」


 シルヴァントゥスは純粋な疑問を持ちかける。こんなにも簡単に人を殺せる存在にどうしてルクは心を砕くことができるのだろうかと。シルヴァントゥスには彼がカニスの様に愛玩と愛情を間違えているようにはどうにも見えなかった。


「彼は獣だ。人を殺す為に生まれた獣なのですよ?」


 事実を述べる。ただの純然たる事実だ。彼の言う通りこの十才前後と思える少年は文字通り簡単に人を殺している。何の躊躇いも無く一直線に。カニスを文字通り八つ裂きにしたのも、ここで相対した修道士の大半を殺したのも紛れもなくディアだ。戦闘をしていたとはいえ、それはルクが見たくなかった真実のディアだ。薄々勘付いていながらもずっと見ないふりをして、たった今身をもって知った真実だった。


「ディアは獣じゃない! 人間だ! 例え俺をここで殺してもそれは変わらない!」


 それでもルクはその言葉を否定した。そう思えたのはきっとルクだからだろう。だがそれでも良かった。


「わかりませんね。こんなモノの一体何が人たらしめるというのです? 穢れた四肢に烙印をこさえ、その身体を焼き尽くさんとしたであろう痕跡は罪人の証でしょうに。判断するには充分です。」


「なんで…!なんでお前たちは何時もそうやって見た目だけで判断するんだ!? どいつもコイツも! お前らはディアに何を奪われた!? 何を殺された!? 何をされたんだ!? 何もされていないだろう!」


 ルクは叫ぶ。喉が張り裂けんばかりに叫んだ。彼等がきっとディアを不当に扱わなければこうはならなかったとルクは主張する。ディアがもし獣だというのなら、放逐し、差別し、檻に閉じ込め、そうであると糾弾したのはシルヴァントゥス達だ。彼に獣の烙印を押したのは紛れもない彼だった。しかし


「当り前じゃないですか。それこそが神の教え。見た目とは神が授けた魂の映し鏡。なればこそ、彼が罪人であろうことは明白の理。それに我らは生きる為に神を信仰しているのですよ?」


 しかしそれは彼等にとっては当然の事だった。

 その言葉を聞きいたルクの中では、ディアを見ていた少年たちや周りの大人が何処か彼を不気味に思い遠ざけようとしていた光景が蘇る。


「何…?」


「教えてあげましょう。愚かな仔羊。人は生きる為に神を信じるのです。この混沌暗明の世界で人は標無くして生きていけないのですよ? 一体、個人の痛みを誰が受け止め、誰が癒すというのです? 超然的な脅威の前に打ちひしがれた時、人は誰を恨めばいいのですか?」


「神です」


「人は神に畏怖と責任を押し付ける事によって安寧を享受するのです!」

「だからこそ(マキナス)の教えは絶対なのです!」


 神、神マキナス。世界に秩序と法則や理を作り上げたとされる彼等の信じる唯一の神。自然現象ですら彼の神の作り上げた現象だと信じる彼等にとっては、神が敷いた掟というのは何よりも重視されるべき絶対の理だ。


「彼はその不気味な見た目に、烙印を持っていた…これ以上に理由がいりますか? 皆、臭い者には蓋をしたいし、見たくないものは見たくないでしょう? 不快ですし」


「…だからディアを牢屋に閉じ込めたのか!? そんな理由で!?」


 それがマキナスの教えだと言われれば納得できた。だがルクは知っている。マキナスの教えの中に烙印者に対する扱い等記載されていないことを。確かに烙印者は異教徒者の証だとはされているだが、不当に扱い追い込みそして閉じ込めるなど、人として扱わなくてよいなどとは何処にも記されていないのだ。


「そんな理由で良いのですよ。それに彼の存在は、我らを統一するのに大いに役立ってくれました。共通の脅威にこそ人間は融和し立ち向かう意思を示すのですから」


 それはまるで美談でも語るかの様だった。


「脅威…?」


「彼という異質な存在(イレギュラー)が与えたのは恐怖ですよ? それは敬虔な信徒で在れば在るほどに。君はなぜ彼が虐げられていたのか理解できますか?」


「は…?」


 その問いにルクは言葉が見つからなかった。考えてもみなかった事だ。ルクは心のどこかで彼等を理解しようとは思っていなかった。だからこそ、その理由を考える事等今の今までなかったのだ。シルヴァントゥスはそれが解っていたかのように言葉を続ける。


「異教徒だからです。不気味だからです。…我々には彼が恐ろしいのですよ。人は皆その身体を焼き尽くしたであろう姿を持ちながらも、〝我人ぞ〟として振舞うこの存在が恐ろしく、畏怖をしていたのです。だから排斥しようとした。貴方だってここで薔薇につく害虫を駆除してきたでしょう? それと同じです」


「同じ…!? そんな…そんな事…だって、俺達は…」


「皆、獣が怖いのです。」


 そう、特別なのはルクだった。ルクだから畏れなかった。ルクだからその垣根を越えられた。しかしそれは誰にでも出来る事では無かった。


「…だからって…だからってそんな…!」


 ルクの考えている事は決して間違などではなかった。最初から理解できないものとして扱うのは違うという考えは確かに、人同士の隔たりを失くし、誤解無く分かり合えるために必要な努力なのだ。しかし誰もが必ずしも心にゆとりがあるとは限らないように、人に心を砕く行為は何時だって大きな努力が必要な事だった。その中に置いて、解り合えないと最初から人を分別するのもまた大切な行為であり。そしてその主張はどう転んだとて幼い理想論者の戯言だった。人間の許容容量(キャパティシー)はルクの様に大きくはない。誰だって未知を恐れ、知らないほうが幸せで在ることを本能的に理解しているからだ。


「理解するまでも無く、理解する必要も無いのですよ? 誰もがそんなに他者を知りたいと思いますか? 思いますまい!」

「〝余計な事〟は忘れて考えず。そしてやがて淘汰する。それこそが安寧を望む人が繰り返してきた安息。でも独りでは生きていけない。だからこそ宗教。だからこその(マキナス)なのです。同じものを享受し合える安寧は何にも代えがたい。だから異教徒者は必要ない!」


 忘却と無知は時に人に安寧を齎すもの。難解な事は考えず、知らなければ。嫌な事も忘れ、知らなければ、それだけでも幸せと言えるのだ。


「異教徒者全員が最初から悪だって…だからそうやって決めつけたのか!? その人が何を思って生きて来たのか…、そんなこと、少しも考えようもしないで…?」


「理解する必要が無いのですよ。人は皆、全ての人と解り合いたいなんて思っていません。出来ないからです。戦争や略奪、烙印者に…貴方達。ねぇ? 答えは目の前にございましょう? 貴方だって私の行いを理解しようともしないのだから。」


「それはこの儀式が可笑しいからだろ!? アンタは気付いていないのか!? このすぐ下に蠢いているものはアンタの語る神の一端なんかじゃない! もっと歪な…! 普通じゃない! だから止めに来たんだ!」


「おやおや、ディアもそんなこと言っていましたね。唆されたかと思いましたが…」


「ディアが…?」


「まあ、些細な問題です。現に彼は手中に堕ち、私の障害は貴方のみとなった。後は貴方達の血で門を開くと致しましょう。丁度血が足りなかったのです。」


「まさかお前…!」


「魔力に富んだ血を持つカリーナとモニカ。そして超全的な身体能力と類まれな感性を持つ貴方達二人。これ以上に素晴らしい素材は…。無いのではないでしょうか?」


「…ッ……お前……!」


 ルクは神経が尖るのを感じた。全身を脈打つ血の鼓動が強くなる。全身の血が沸騰し、体中が焼ききれそうな程ぐらぐらと煮え滾る感情は憎悪だ。ルクは今かつてない程の怒りを覚えた。自分にこんな感情があったのかとそう思える程の憎悪が頭の中を駆けまわる。


「いい加減にしろよ…ッ…」


「全ては神の御心のままに」


「いい加減にしろっ!」


 ルクの怒声が落雷の様に鳴り響く。その声は大気を震わし、強すぎる感情の炸裂は力を宿し、魔法へと転じる。その衝撃は修道院全体を軋ませた。


「馬鹿な! この期に及んでこんなことが…!」


 シルヴァントゥスの魔法が揺らぐ。ディアは精神呪縛から解かれたのかその場に倒れ伏し、動かなくなった。

 その光景を前にシルヴァントゥスは血の気が引き、身体が冷えていくのを覚えた。目の前の少年は、ルクは今では獅々だ。怒り狂った獅子に見えた。そして己を守る剣は皆倒れ伏し、残すは僅かなその身のみ。先ほどから感じて居たルクへの劣等感はプレッシャーとなってさらに自分に圧し掛かる。蔓延っていた恐怖が一気に芽吹いた。


「この…! こんなことが!」


 ルクは怒り狂った勇み足で落ちていた剣を拾い上げ、シルヴァントゥスに突きつけた。自身の魔法も通じず、やっと追い込んだと思った途端にそれをひっくり返す様な奇跡を巻き起こす。そう、彼はまるで神が味方したかの様に奇跡を起こして見せた。


「あってはならん! あってはならんのだ!」


 シルヴァントゥスは焦燥に苛まれルクに向けて魔法を幾つも放った。火球も氷柱も思いつく限りを放ったが、ルクを避けていく様にまるで当たらない。空虚な爆炎だけがただ広がりその歩みを止めるには至らなかった。


「クソォ!」


 痺れを切らしたシルヴァントゥスはルクに過剰にまで巨大な火球を打ち込んだ。その爆炎はいよいよルクを飲み込んだ。もう儀式の素材などと考える余裕はなく、ただ彼の存在を抹消し、自分の身の安全を享受したかった。だがしかしその希望は容易く打ち砕かれる。


「…!」


 轟々と逆巻く煙幕中から少年の影が浮かび上がる。その魔法が全く効いていない様子にシルヴァントゥスは畏怖した。ルクの蒼い瞳が暗がりの中で揺れる。剣を握りしめ、ゆっくり歩み寄るその姿はシルヴァントゥスに決定的な敗北感を植え付け、この存在にはどうしても勝てないと知らしめるようだった。


「ば、バケモノめ…!」


 シルヴァントゥスは息を呑み侮蔑の言葉を吐き捨てる。しかしルクはもうそんな言葉で靡くことは無い。ルクはシルヴァントゥスの抵抗の魔法を掻い潜ると勢い任せに踏み出した。一気に彼我の距離を詰め切る様に跳躍するとシルヴァントゥス目掛けてその白刃を振るった。


「ぐぁあっ!」


 その一撃は逃げ腰の男を仕留めるには足らなかった。スティレットの時よりもずっと重たい手応えがルクの手に伝わる。不愉快な感触だった。人の命を絶てるものだというのになんと軽いものか。だが、今はそれでいいと思えた。今のルクにシルヴァントゥスを殺す事への躊躇いは無いのだから。軽く、重たくないと信じ、思い込みたかった。


「待て、待ちなさいッ…! 今、今私が成そうとしているのは神の為の大義…! これは、崇高な事だ…! 私を殺せば、お前はマキナスから…! ぎゃあッ!」


 ルクは命乞いをするシルヴァントゥスの腕を容赦なく切り裂いた。そんな言葉に興味も無くただ淡々と嬲る様に今までの激情を、憎悪を、痛みを、全て清算させるかのように。


「どうでもいい…どうでもいいンだよそんな事ッ!」


 ルクは慟哭の様に吠え叫んだ。


「お前たちが何だろうと知るものか! 俺の、俺の大切なものを傷付けて、その命を弄んで…!」


「だから、殺すしかないだろッ! お前が生きてたら俺達は生きていけないんだ! 俺達の邪魔すんなよ!」


「何と勝手な! 人の幸福の為に神に近づくことは急務! 人の幸福の礎になりとは思わんのか⁉ 私ならばそこへ導ける! より多くを救うために、より多くの幸福のために! 命を使いたいとは思わないのか!?」


「ならお前が率先して素材になれ!」


 ルクは剣先の狙い定めてシルヴァントゥスへと刺突の一撃を放つ。シルヴァントゥスはそれを待っていたかのように自らの腕を差し出しその剣を態と受けた。


「ぐぅっ…!」


「何!? じ、自分から…?!」


 正しく肉を切らせて骨を断つ。シルヴァントゥスは自分の腕よりも己に貸した使命を全うする事を選んだのだ。彼はすぐさま呆気にとられるルクを蹴とばした。


「うわぁ!」


「私も…! 死ぬ訳にはいかないのだ! まだ、まだ私は神の為に尽力していないィッ!」


 それは狂気の沙汰とも思える遠吠えだった。強き意思でルクが立ち向かうなら彼もまた強き意思でそれに反抗する。シルヴァントゥスは腕に刺さった剣を無理矢理引っこ抜くと、その場から逃げる様に礼拝堂へと駆け込んだ。そこは茨犇めく歪な礼拝堂だった。中には集められた修道士、修道女たちが、相変わらず盲目とした様子で賛美歌を歌い続けている。誰も彼の傷を癒そうとすることも無く、誰も外の喧騒は聞こえておらず、誰もが皆、ただ神を讃える唄を歌い続けていた。そうこれらは全てシルヴァントゥスが作り上げた虚妄の集団偶拝(エクレシア)


「はぁ…! はぁ…! 神よ、嗚呼! 神よ! 私を、私を救い給え!」


 永遠とも思える恐怖の時間の中でシルヴァントゥスは叫びながら、神に救いを求めていた。全てが上手く進んでいる。はずだった。しかしそれはたった二人の子供によって全て崩れ去ろうとしている。あの少年たちは目覚めたらきっと己を殺そうとするだろう。それだけは避けなければならなかった。


「今死んでは…! 大義は為せない…!」


 儀式の準備は全て済んでいた。茨の棺を中心に広がった魔法陣と触媒。その中に安置されたモニカと、魔法陣の結界の中に閉じ込めた生贄(カリーナ)。これに多くの血を足し、祈りを集めれば、あとはこの地に眠る力の一端を開き己の物にする事が出来るはずだった。それなのに彼等は最後の最後に全てを狂わせようとしている。シルヴァントゥスは確信していた。あのルクという存在なら必ず自分の儀式を破綻させるに足る存在であると。だからこそ酷く恐れた。そしてその恐れは、揺るがぬはずだった正解が正解でなくなる瞬間から来るものだ。それはこの老骨には酷く応え、人生そのものの否定に感じてならないという錆びた感情に、酷く焦燥した。



「こんな、こんな事では私は何のためにィッ…!」


 風を斬る音が鳴り響く。それは徐々に大きくなり、シルヴァントゥスの眼前を剣が霞める。


「ヒィッ!?」


 それは彼にとっての死神が来た合図だった。投擲が眼前を翳めた程度の事に舌打ちをしながら、ルクは別の剣を拾い上げる。そしてその眼前に広がる光景を見て、さらに瞳孔を細くした。


「なんだ、これ…」


 その異様な光景は、真摯な祈りとは言い難いものだった。誰もが上辺の言葉を口にする。この部屋の全員から感じるのはシルヴァントゥスの魔法の気配だ。誰も彼も、あの男に踊らされている。全て掌の上だったのだ。ここに蔓延る悪意の権化は彼だったと、全てがルクに囁いている。虚ろのまま座り込むカリーナと、物言わぬモニカ。茨の棺。束ねられた信仰心が散在する中で最後の悪夢が幕を開ける。


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