1.胎動 ─Fate Re:thm─
───これは絶望の物語。
神とは何か?人とは何か?人は何故神を信じるのか?
絶望をテーマにしたダークファンタジー小説。
View of the world
大厄災──。そう呼ばれる災いが世界に降り注ぎ世界は混沌に沈んだ。
戦争と禍根が嵐を生み、厄災を喚び、世界を傷付けた。
多くの生命が失われ、星は色褪せ荒廃し、創造神であるイシュタリアさえこの星を見捨てた。
イシュタリアがこの世を去り、この世の生命が皆、等しく尽きようとしていた時。
この地に新たな神が舞い降る。神の名はマキナス。
マキナスは世界を導き、混沌を退け、世界に再び調和を齎した。
世界は自然の法則を取り戻し、嵐の様に錆びれた風も、全てを飲み込む大波も、焦土と化した大地でさえも、再び命の息吹を吹き返す。
世界は再び、美しい蒼さを取り戻し、新たな芽吹きと時代が幕を開ける。
───しかし、時代と共にあらゆる物は忘れ去られ、全ての事象が知識と化したころ。
世界を滅ぼす産声が再び世界に響き渡る。それは大地を震撼させ、風を荒らし、海を濁らせた。
美しく新緑で彩られたこの蒼き星で、再び多くの血が流れようとしていた。
偽りの平穏は砕かれ、星天は綻び、彼方の声は、今、此方へと至る。
物語りはこう始まる。
全ての人の業が生み出した因果の歯車であったと。
悲しみも苦しみも希望も絶望も、全ては歯車の一つでしかなかったのだと。
物語りは絡まり糾う運命の輪。それらは幾重に重なりあい、回り出す因果の鎖となる。
全てはそう、〝魔王〟として生きた哀れな少年の物語
悲劇の幕が今、上がる。
初めて見たのは赤錆びた空だった。
灰に燻ぶったその空を今でもよく覚えている。
静かな夜、耳に残るのは物が焼ける音のみ。それは自分さえも飲み込んで灰の底へと沈もうとする無慈悲な制裁。熱さを感じていた筈の身体は気が付けば冷たさを覚え始め、死という影は己を掴んでは離さないというのに少年はぼんやりと月を眺めていた。肺の中には既に煙が充満しその身体の内側すらも燻ぶらせる。身体の芯までじっくりと焼き焦がしていくその最中であっても少年の中身はただの無。何も感じない心だけが本物だった。その日の夜は月が紅く視え、朱色と蒼色が混ざり合いただ美しかったのを少年は覚えている。その心は余りにも純粋無垢であり、復讐心を知らぬあどけない心。目の前に転がる存在が何かすら分からないまま、ただ自分が死ぬことだけを正確に理解し、全てに諦めていた。
それと同時に自分がこの世に生まれてはいけない存在だったのだと、悟っていた。その残酷な答えを決定づけるのは目の前に横たわるヒトだったものだ。彼らは少年に巻き込まれたのだろうか?しかしそれは少年にとっては与り知らぬところだ。大人が勝手に決め、勝手に選び、勝手に招いた結果でしかないのだから。少年にとってはそれはどうでも良い事だった。
そして遂に少年にも審判を下さんと白銀の鎧に身を包んだ騎士が彼の元へと歩み寄る。既に血を吸い赤錆びた刃は、彼らの血で染まったものだ。冷酷に剣を振るう騎士達の甲冑が月と炎の色を得て、燻ぶった銀灰を讃えている。
少年は見た。胸を満たす高揚と大義を成す為の犠牲に板挟みになりながら、どうか自分が過ちを犯していませんようにと小さな声で祈っている彼らの姿を。
同じ人でありながら彼らは人にあらずと下し。斬り捨て築いた屍の山。それらを踏み分けながら、彼らは少年へと歩み寄る。
だが、それでも、同じ特徴を持ち同じ言語を話すという存在は、たったそれだけの共通点で騎士達の心を惑わせるには十分だった。彼らはお互いの目を覆い合う様に祈りの言葉を口にする。
「どうか悪魔に魅入られませんように」「我らは正しく、日の出は我らを祝福しますように」「それに連なる者達の平和と安寧を」彼らは祈る。祈りながら剣を構え、炎の中息絶えようとする少年に最後の白刃を振り降ろす。鮮血が飛び散り流れ零れた。熱を帯びていたはずの身体は熱を失う。溢れた血液に炎が伝い、逆巻いた。ごうごうと燃ゆる炎はそうして少年を飲み込み喰らい、その小さな身体は炎の中に溶け行く。そんな時だった。
「嗚呼、見付けたよ。ワタシの愛しい、愛しい、愛すべき仔」
それは母親の声の様に慈愛に満ち、少年の心に入り込む。静かに両目を塞ぎ恐怖を感じさせない様に甘く耳元に囁く。白く細い指先が少年には見えていた。
「ワタシに愛されるべき仔よ、お前の命をワタシがくれてやろう。生きる理由も、生きる術も、生きる価値も。全部ワタシが与えてやろう」
「お前はワタシのモノだ。お前はワタシに愛され、ワタシの為に生き、ワタシの為に死ぬんだ。なあ?光栄だろ?」
「ワタシはアスタロト。お前をこの世界でただ唯一愛する存在だ。さぁ、ワタシの手を取り、ワタシに誓え。口先躍らせる舌も、思考する脳も必要ない。お前はワタシのモノなのだから」
アスタロト、そう名乗った存在は指先を振るう。するとその指先から魔力の糸が迸り炎に飲み込まれた少年の身体を、操り人形の様に吊り上げた。それは夜闇の中で炎と月明かりに照らされ淡く光りを零す銀星の様にほろほろとあどけない輝きを零すが、その手足は既に千切れ、或いは焼け落ち、色を宿さない瞳と物言わぬ抜け殻は彼が既に死している事を知らしめている。それ故に不快な存在だった。死したものは動かないという神が定めた法則こそが今この場で最も死んだという事実を刻む。そう、彼等にとってこの場は既に〝神の手〟から遠く離れ、その恩恵が得られない不毛な地獄であると悟らせるには余り在る物であった。
「嗚呼、憐れな愛しき仔。お前は手も足も心臓も持たないのか?」
アスタロトは芝居のかかった口調で悦を食みながら指先を躍らせる。すると少年の身体から無数の糸が蜘蛛の巣の様に張り巡らされた。その糸は辺りに散らばる肉片を漁り始める。そして誰かの腕、誰かの脚、誰かの肉、誰かの臓器。それらは少年に向けてゆっくりと運ばれ、そして少年の肉片へと置き換わり、身体に馴染み始めた。失った身体を再構築し始める。
なんと怖ろしく歪な光景だっただろうか?少年に剣を振り下ろした男はその光景を震えてみる事しか出来なかった。あまりにも冒涜的かつ、汚辱に満ちている。それは生命の理何ぞを無視した悪魔の所業。見る見るうちに少年は肉体を取り戻しとうとう、騎士の男が斬り殺す前と変わらぬ姿で目の前に降り立った。
「・・・?嗚呼。心臓は生きたままじゃないと駄目だったね。不便な身体だ」
力なくぐったりと項垂れたまま自ら動くことは無く、綺麗な死体という言葉に沿ったその姿は精巧な人形にも見えた。アスタロトは指先を払うと少年の肉体は彼女の指先通りに踊り舞う。そうして目を付けたのはこの少年を斬った騎士の男だ。瑞々しく育ちも良い。身体付も恵まれたその姿にアスタロトは興奮を覚えずにはいられなかった。アスタロトは少年の唇を介して彼に声をかける。
「アア、可愛らしい坊や。お出で、おいで、オイデ。ワタシの所へ来ておくれ。そうしたらお前も愛してあげよう。お前の泥の様に股座に詰まらせた欲望も、ワタシが全部吐き出させてやろう。さぁ、オイデ?」
それは堕落の誘いだった。少年の唇を介したそれは恐ろしく蠱惑的で恐怖感を刺激する悪魔の誘惑。騎士は恐怖のあまり立ち尽くす己を律し、剣を引き抜く。
「ば、化物め!やはり悪魔の仔は存在したというのだな!?此処で仕留めてやる!我らの神よ私に加護を!」
男は目を血走らせ、少年の身体に向けて剣を振るわんとするが、その刃が少年に届くことは無かった。びちゃ、とその足元に何かが零れる。それは鮮血だ。やけに胸元が熱く視線を泳がせば、少年の手にはどくどくと脈打つ心臓が握られていた。その手にべっとりとこびり付いた鮮血が、血の匂いが、少年の手が鎧事胸を貫き心臓を引きずり出したことを教えてくれる。
「あ゛ッ!?がっ・・・な・・・ん・・・で・・・?」
理解できぬままその心臓を取り返そうと手を伸ばすが、少年はその心臓を彼の前で
貪った。
それは熟れた果実を味わう様に、崩れて零れてしまわない様に大切に口いっぱいに頬張って、ゆっくりと咀嚼しながら余すことなく全部を飲み込んだ。胸が燃える様に熱くなり、少年の動かなくなったはずの心臓は再び鼓動を刻み始める。こうして彼は全てを奪い再び地面に立ったのだ。アスタロトはほくそ笑みを浮かべながら少年にまとわりつく。少年の目がようやく色を帯び、己に命を与え直した存在と初めて向き合う。
それは美しい女性にも視え、何処までも歪な恐ろしい不可解な存在に見えた。腰まで伸びた長い髪と、濁色した左目に浮かぶのは反転した五芒星。この目の前の存在がヒトの形をした何かであると幼い少年ですら骨の髄まで感じていた。
アスタロトは黄金の蛇が巻き付いた右腕で少年の顎をしゃくる。
「嗚呼、実にワタシ好みだ。フフフ、今すぐ食べてしまいたいほど愛おしい。」
彼女は熱のある愛を囁きながら、その蛇を彷彿とさせるような長い舌を躍らせる。アスタロトは興奮から来る本能的リビドーを抑える様な仕草をしながら僅かな理性で少年に語り掛けた。
「ああ、愛しい仔。愛しい仔よ。神から愛されず与えられず報われず。失うだけの哀れな哀れな持たざる仔。さぁ、この実をお食べ?この実をお食べ?」
アスタロトはそう言って少年に動かなくなった男を差し出して見せる。
少年にはそれがご馳走に見えた。
「お前は何も持たない仔。そう、持たないが故に、与えられるが故に・・・お前は・・・」
アスタロトの言葉を聞きながら少年は一歩ずつ、ご馳走へと歩み寄る。ゆっくりとその殻を剝がしながら、その果実をむき出しにして口を開く。自然と空腹を覚えた空腹が唾液を生み出して、少年の唇の端から、とろりと零れ、渇いた地面を湿らせる。
「奪えるのだ」
少年は目の前のご馳走に牙を突き立てる。それを見てアスタロトは嬉しそうに微笑みその頭を優しく撫でた。噛みつき咀嚼し、その実を飲み込んだ時、少年の中には様々な物が流れ込んでくる。それは経験、記憶、そして・・・
「嗚呼、ああ・・・ボ、く、は」
喉を伝わらせ、零れた声。頭の中を埋めていく知識。彼が今まで知り得なかった叡智が流れ込んでくるのを感じた。それは手足を動かすのと同じくらい当たり前のことの様に。慣れている感覚だった。
「そう、これが君の力だよ。お前は何も持たないからこそ、全てを奪えるのだ!」
アスタロトの言葉を理解するのに、時間がかかったが、自分の身体に溢れる充足感が自分に出来る事を教えてくれる。少年は今、周りから手足を奪い肉体を作り直したように、喰らった男から力を奪った。他者から力を〝奪う〟これこそが神に疎まれ、殺されるはずだった少年の力なのだ。
「!なんてことだ!あ、悪魔だ!悪魔が本当に!」
「う、嘘だろ!?嘘だろ!?喰ったのか!?ヒトが、ヒトを食ったのか?!」
慟哭に似た悲鳴が木霊する。少年は口元を拭いながらゆっくりと振り返ると其処には彼の仲間の騎士たちがいた。在る者は怯え、在る者は憤慨し剣を構え。彼らは化物を見る目で少年を見ていた。
「まだ足りないだろう?さぁ、あれらも召し上がれ。全部、食べていいんだよ?」
悪魔は嗤う。少年の頭を愛おし気に撫でながら、少年は食べた男の剣に手を掛ける。使い方は身体が知っていた。後は思うがままに振るえばいい。そう、思考が訴えかける。
少年は剣を片手に、騎士達へと襲い掛かった。
その後、一つの晩に一つの村が焼け落ち、一つの騎士隊が忽然と姿を消した。理由は不明だが、平民たちの間では様々な噂が錯綜し、それらも軈て忘れられていく事となる。
灰が降り積もる空の下、全ての痕跡は降り積もる灰の下へと沈んでいく。しかし
───マキナス聖教皇国
マキナス聖教皇国、それはマキナス教と呼ばれる宗教の聖地、エリシュピアに存在する宗教国家だ。過酷な自然環境に囲まれながらもその教えを救いに生きる強靭な教皇国である。
そんな宗教国家の上層は今、騒然としていた。
「・・・以上、報告でございます。」
一人の使者が男の前に跪き、報告を終える。それは彼の地で起きた騎士隊喪失事件の顛末の報告だった。その報告を聞いた男、トゥルギア枢機卿は「ご苦労、さがれ」とだけ口にし、従者を下げさせる。
「枢機卿、いかにお考えか?」
そう彼に話しかけたのはマキナス聖教皇国の現教皇聖王ヴァーレンティスだった。ヴァーレンティスの言葉に枢機卿は腕を後ろで組んだまま、空を見上げる。
「間違いなく。魔王となるべく存在は既に降臨したと考えるのがよろしいかと。」
「・・・ふむ。やはりか。それも烙印者から出るとは」
スティグマ、聖王はあの村に住んでいる人々をそう呼でいた。それは旧神イシュタリアと呼ばれるこの地を去った神を信仰している者たち、或いはその末裔を指す言葉だ。その言葉を聞き枢機卿は顎をしゃくる。
「我らの聖典の正しさがこれでまた一つ立証されましたな」
「嗚呼、しかし我らは民、信者を守らねばならない。」
聖王はそう口にしながら聖典を捲る。それは最後に刻まれた神の言葉だ。
〝古き神の信徒の末裔より、世を乱す魔王が誕生する。それは黄金の杯を血で満たし。全てを飲み下して地に根を降ろさん。魔王は軈て人の子らに審判を求め、天地を覆す動乱を招かん。悪しき種は既に巻かれた。汝、恐るるであれば罪を恐れよ。人の業こそ、根を育て、樹木を強くするのだ。汝、勇敢なる使徒を愛せよ。証刻まれし勇敢なる神の使者が、悪しき邪悪を退けるだろう〟
その言葉は今、現実のものになろうとしていた。
「だからこそ、我々は魔王討滅をかかげるべきだ。先ずは旧神の信徒共・・・烙印者の動向を全て把握し、掌握せねばならん。覆されてはならんのだ。民を、世界を守るため、魔王等の存在を許さぬために」
「えぇ、私もそれがよろしいかと思います。」
枢機卿は聖王の言葉を首肯する。聖王はすぐさま使者を呼びつけ、勅令を発した。それは視えざる手となり世界へと響き渡る。世界を構成する歯車は今、歪に噛み合い動き始めてしまった。動き出したものは止まらない。全ては巡り、全ては廻りだす。
灰に沈んだ奥底で、芽生えた悪意は、留まることを知らないのだから。
第一章完結まで毎日21時に投稿されます!
宜しくお願いします!!
この作品は全体的にゆっくりと物語が進行します。どうかお付き合いくださいませ