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不穏な領地見学(後編)

 メリルに案内され、馬車が通る道を追うように森に辿りつく。

 時刻はまだ陽が沈むには早すぎるほどだったけれど、鬱蒼と木の並ぶ森の中はそれをわからなくするような薄暗さだった。


(そうおどろおどろしい雰囲気はない……ねえ。冗談)


 というか、怖くないと思う人にはわかるまい。

 かろうじてメリルが一緒にいることと使命感でこの場に立っているけれど、一人なら絶対に近づかないし帰っている場所だ。ちらちらと後ろを気にしつつ、ちゃんとレクバートさんが手配してくれた護衛の人たちはついてきてくれているか確認する。


「アネット様、大丈夫ですか?」

「……ええ、多分」

「多分ですかっ!?」

「ごめんなさい、大丈夫。大丈夫。平気よ」


 うっかり弱音が出てしまった。違う違う。メリルも心なしかさっきまでの元気がないので、それほどこの場が得意なわけではないらしい。不気味だもんね、わかるよ。

 私の意見で連れてきてしまった以上、ここでやっぱ怖いから帰ろうなんて提案するのはなんとも中途半端でわがままが過ぎる。


「……もう少ししたら森の出口が見えてくるはずです。そうしたら引き返して帰りましょう」

「わかった。じゃあそう長い森じゃないのね」


 怯えに気づいたわけではないと思うけれど、メリルはそう言った。どことなく固い声だった。それでも、その内容に私は安心した。延々薄暗い森の中を歩くのかと思ったけれど、半刻もあれば抜けられてしまうほどの規模らしい。


「はい。なんというか、壁みたいなもので」

「壁?」

領内(うち)を囲む壁です。この先は王都の方面ですけど、なんだか向こうからこちらが見えないようにしているみたいだなって思って。……逆も言えますね」

「壁……ねえ……」


 私はぽつんと呟いた。森の壁。何か父が酒に酔うと始める防衛戦術の話みたいだ。

 視界が明瞭ではない上、景色の変わりにくい森の中は惑わせるのには十分有効だとかなんとか。森を利用した奇襲、撹乱、撤退時の心得……もう少ししっかり聞いておけばよかったかしら、とか考える。ミドスは国境近くでもなんでもないし、幸い国内は平和なので活かす機会はないかもしれないけれど。


 ……道に迷う人や足を滑らせる人が多いという話を思い出した。


「……アネット様?」

「あ、なんでもないわ。ちょっと考えごと。もし壁ならこちらとあちら、どっちに向けた守りなんだろうと思って」

「ふふ、流石はタルシラート候のお嬢様ですね。頼もしいです」

「そ、そう……?」


 父の血筋と考えるとなんとも言えない気持ちになる。あの力技思考、受け継いでないと信じたいんだけど……遺伝は別においても育った環境からして、避けられないのかもしれない。

 メリルはにこにこしていた。なんだかそれが居心地悪くて、私は話を変えた。


「それで、もうそろそろ森を抜けるのよね?」

「はい、そのはずですが……」


 言いかけたメリルが、足を止めた。


「……あれ?」

「え? どうかしたの?」


 呆然とした様子でメリルが瞬くものだから、不安になる。けれどどうしたのかともう一度しっかり聞く前に、私も違和感に気がついてしまった。

 足元は土だった。木の根張り、木の葉が落ちる森の地面。いつの間にか、私たちは道から外れていた。


(まっすぐ歩いてきたはずなのに……)


 迷いようがない。だって前に進むだけで、方向を変えてすらいないのだ。道に沿って歩いていたのにどうして外れることがあるんだろう。いくら私たちが話しながらだったとはいえ……。


「メリル……これって、例の不思議な現象?」

「他にないですよ! 私だってこんなの、初めてだし……!」


 取り乱す彼女が頭を抱えて叫ぶ。メリルだって同年代の子。私も怖いけど、彼女だって不気味に思う気持ちは同じのはず。そう考えるとすっと頭が冷えて、私は彼女をなだめようと手を伸ばしていた。


「ねえ、メリル……」

「ああ、やっぱり魔の土地になったって本当なんだわ……!」


 素に戻ったような口調でメリルは叫んで、座り込んだ。市で買った荷物をひしと抱きしめるように抱え込んでしまった彼女の肩の上で私の手が空を切る。


「落ち着いて、メリル。大丈夫よ、同じようにまっすぐ引き返せばなんとかなるかもしれないじゃない。それに護衛の人……も……」


 振り返り、人気のない薄暗い森が一面に広がっていることにぞっとした。

 メリルはまだ顔を上げていないから気づいていないけれど、それを知ったらどんなにか怯えることだろう。足が震え始めるのを感じた。


(誰もついてきてない……私たち、いつから二人で……?)


 振り返り振り返り、歩いていたつもりでいた。道を外れたときから? それとも、もっとずっと前から……?

 こうなっては領内に慣れているも何もない。それでも道案内しろなんてとても言えないし、蒼い顔をしているメリルも心配だ。……なんて努めて毅然と振る舞おうとしてるけど、私だってめちゃくちゃ怖い。今すぐ屋敷を出る前まで時間を戻したい。


「と、とりあえず引き返してみましょう。今度はちゃんとまっすぐね」

「……はい……申し訳ありませんアネット様、取り乱して。本来なら私がアネット様をお守りしないといけないのに……」

「無理もないわ。不幸中の幸いだけど、今が夜じゃなくてよかった」


 暗いとはいえまだ陽が射してくれている。それがせめてもの救いだった。もっとも、それはいつまでもここでぐずぐずしてしていたらいずれ奪われてしまう救いだけれど。


 足元には気をつけて、と互いに言い合いながらメリルとぴったり肩をつけるようにして歩く。流石にここではぐれたら笑えないし、本気で心が折れそう。絶えず言葉をかけ続けていれば、いつの間にかいなくなってしまうこともあるまい。そう考えて私は他愛のない話を振った。


「今日市に出て思ったんだけど、やっぱり土地が変わると全然違うわね」

「え……」

「売ってる物。食べ物もそれ以外も。例えばうちの実家は冬が厳しいから夏の終わりぐらいから分厚い防寒着を作り始めたりなんかして……あ、それと燻製とか干物とか作るわね。領内を歩いてると洗濯物みたいにぶら下がってるの」

「洗濯物みたいに? ふふっ……それはちょっと見てみたいですね」


 最初は戸惑っていたメリルだけど、少し笑みが引き出せた。困ったときには天気か食べ物の話題。これは鉄板だ。


「そうそう、前の領主のこととかメリルのお母様の実家のこととか色々聞かせてほしいって屋敷を出る前に言ったわね。今話してくれない?」

「い、いいですけど……面白いことはあまりないですよ。ありふれた土地です。平和と言えばよく聞こえますけど、逆に言えば何も大きな出来事はなくて」

「のどかな場所なのね」


 農耕地も今日見に行ったけれど、皆穏やかなイメージだった。いや、実家が殺伐としているって言いたいわけじゃないけど。そうじゃないけど、流れる空気がやっぱりどこかゆっくりに見えるのだ。王都付近とはいえ、そこまで都会的というわけでもない。


「はい。……昔はこんな不気味な話もなかったんですが」


 困り顔でメリルは言って、俯いた。


「……魔の土地になった?」

「……」


 さっきメリルが叫んでいたことだ。最初ぴんとこなかったけれど、今の話を踏まえればそういうことになる。


「もしかして、リュカが来てから……とか? 何かそれが関係してる?」

「そんなことは!」


 焦った様子で首を振ってから、メリルは「いえ……」と唇を噛んだ。


「強いて言うならリュカ様がああなってからです。ここに来るよりも前。お城で事件が起きた後あたりから」

「……聞くからに怪しい話ね」


 なんだかただの不気味な話でもない気がしてきた。べたりと張り付くような厭な予感に私も荷物を抱く。それじゃまるで関連性があるようにも思えるじゃないか。


「でもその時までリュカ様との縁なんてほとんどなかったんです。だって、あの方はずっとお城にいらしたでしょう?」

「まあ王子様だものね。どこかの家が主催したパーティに招かれるとか、そういうことがなければ出ないでしょう。ミドスの前領主はそういうことしなかったの?」

「さあ……そのとき私は奉公に出る歳ではなくて。慎ましい方だったからそこまで派手な催しはしていないと思いますが」

「そう……」


 奇妙、というなら最初から全てが奇妙ではある。でも、どうにもこの件は私が思っているよりも随分複雑そうだ。ここに来て二日でこれだけややこしい事情が次々明らかになっているんだから、きっと本体はとんでもない厄介事に違いない。

 帰ったらリュカを問いたださないと。そうは思うけどまずは帰れないと話にならない。


(しばらく歩いたし、そろそろ何か変化があっても良さそうなもの……あ)


 少し先の方に視線を向けたとき、私の目には白い舗装が見えた。道だ。目立つように白い煉瓦で作られた道をどうやったら見失うものかと思うけれど、外れていたのもまた事実。というかこの場所どこに当たるんだろうか。


 方向感覚もいつの間にか危うくなっていたことに気がついて、私は一つ怪奇現象の真実に気がついた。景色の変わらない森の中を延々歩けば、現在地がどこかわからなくもなる。不安にもなる。この場所が不気味と言われるのにはそういう事情もあるのだろう。今まで遭難して犠牲になるような人が出ていないなら、それは幸いなことだ。


「メリル、ほら」

「あ……よかった。ひとまず道には戻れましたね。それにあそこ! 見てください、馬車も止まってます」

「本当だ……木の陰で気づかなかった。あとはどっち向きに進めばいいか話を聞けば良いわね」


 お互い声を弾ませて、私とメリルはそちらへと足を急がせた。どのぐらい時間が経ったか、他の人たちともはぐれているからきっと心配をかけているに違いない。早めに戻らないと。


「…あの、すみません…!」


 メリルが馬車に向かって声を張り上げる。程なくしてそこから人が降りて来た。行商だろうか、服にじゃらじゃらと飾りをつけた見慣れない装束の男の人たち。

 道に迷ってしまって、と彼女は続けようとした。でもその前に気づいてしまったのだ。彼らの手に握られていたのは——斧だった。


「……え?」

「メリル、駄目!」


 硬直した彼女の手を私は引いた。一瞬のち、男の腕が振り下ろされる。もしもそこにいたなら彼女に直撃していた。

 胸の中に湧いた厭な予感が現実として実を結んで、私はメリルを連れて走り出す。拍子に紙袋から買ったばかりのカラフルな果実がころころと転がり出た。思わず視線でそれを追い、ぞくりと背筋に寒気が走る。


『……逃すか……』


 メリルに斧を振り下ろそうとしていた男の唇の端から、地を這うような低い声がこぼれたのだ。それに共鳴するように他の男たちもぼそぼそと口を動かしていて、不気味なんて三文字で表せるような状況じゃなかった。


 逃すか。

 逃さない。

 逃がしてなるものか。


 声が聞こえる。

 幾重にも重なり合うそれらは森で反響しているのか、頭の中に直接響かせているかのように聞こえてきて余計に恐怖を煽った。荷物を抱えることなんて二の次で、私はただメリルの手を引いて走った。

 靴も借りていてよかった。使用人用の動きやすい靴は、昨日履いていた余所行きのハイヒールよりもずっと走りやすい。どこに向けて走っているにしろ、森だって有限だ。いつかは抜けるはず……そう信じて走り続ける。


「ねえ、メリル……」


 大丈夫だからね、と声をかけようとして。

 隣を見ると、いつの間にかメリルではなくて爛々と目を赤く燃やす黒髪の女がそこにいた。









「——アネット様!」


 はっ、と目を開けると青い背景にぽろぽろと涙をこぼすメリルの顔があった。

 ……え、一体どういう状況?


「アネット、さま……よかった、よかったです……っ」


 全然状況が読めなくてぱちぱち瞬くしかできない私に、彼女は声を詰まらせて泣きじゃくる。何があったのと訊こうにもとりあえず泣き止んでもらいたい。


「ああ、気がつかれました?」

「レクバートさん……? これは、一体……」


 別の知った声に少し安心して、私は体を起こす。見覚えのある白い道路の上に絨毯を引いて、私は横になっていた。振り返ればぽっかり奥へと口を開けるあの森。

 いつの間に彼が来ていたのか、というのも気になるけれど……まず第一に気になるのはそこだ。薄々状況を察し始めてはいたけれど、それはにわかには信じがたいもの。

 レクバートさんは眉を少し寄せて、事実を告げた。


「……森の入り口付近でメリルと共に倒れられたんです」



 まさか、本当に夢?

 今のが……どこからが、夢?



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