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不穏な領地見学(中編)

「アネット様! お似合いです!」

「あ、ありがとう……?」


 果たしてお忍び用の地味な変装が「似合い」と言うのは褒め言葉として受け取っていいものか。目の前の少女はきらきら()を輝かせているので、多分他意はないんだろうけど。

 姿見の大きな鏡に映る自分は、まあそれなりに別人だった。目を引きかねない赤みを帯びた髪を隠すため、ウィッグを被ることになったのが大きい。いつか兄にかつらを被らないといけない頭皮環境になってしまえなんて悪態をついたものの、まさか自分が先に被る経験をするとはね。


「この服はメリルのものなの?」

「はい! あ、もちろんしっかり洗濯していますよ!?」


 あわわと両手を胸の前で振る彼女に、私は苦笑いした。大丈夫、借り物に抵抗があるタイプではない。


 メリル・ルー。彼女はレクバートさんに紹介された、私付きの侍女だ。本当に私だけの担当。もし何か人手が入り用なときは他の使用人の方々も助っ人してくれるらしい。……と説明は受けたものの、人数が少ないことが心配なんじゃなくて、実際は逆だったりする。

 実家では特別専属の使用人を雇っているわけではなかったから、どういう距離感で接して良いのかよくわからなかった。一人で私の話し相手や相談役を兼ねている……のだと思う。多分。歳も特に近いみたいだし。そう考えると、婚約者であるリュカの次によく話して仲良くなりたい相手だ。


「気にしているわけじゃないから安心して。汚さないよう気をつけるわね」

「そんな、お気遣いなく! 使い捨てにするぐらいでも……あっ、別に領内がそれほど汚れやすい環境というわけではないのですが……」

「使い捨てなんてもったいない! もちろんちゃんと洗濯して返……って、それこそ貴方の仕事ね」


 いけないいけない。ここは実家とは違うんだった。口走ってから気がついて肩をすくめた。

 この土地では、のこぎりを持って大工仕事をする必要はない。ドレスの裾を縛って草刈りをしてから作業なんてしなくてもいいし、そうしてまでも結局汚れる裾をその場で自分で洗わなくてもいい。というか、むしろそういう仕事をすることは望まれない。


「アネット様は少し変わっておられますね」

「あはは……やっぱり?」

「……あっ、申し訳ありません! 私としたことが、つい口が滑って……でもなくて、不躾なことを……!」


 やっぱりそういう印象になりますよねー、なんて思ったんだけど、メリルはすぐに失言と口を押さえた。お互い、よく考えずに発言しがちな癖があるのかもしれない。

 大丈夫大丈夫、と彼女を宥めてから改めて自分の姿を見る。うん、お忍びには完璧。ここで顔を知られているとは思えないのでそこまでがちがちに警戒する必要はないと思うけど、一応ね。


「それじゃあ、今日はよろしくお願いします。色々聞くかもしれないけれどいいかしら?」

「もちろん構いません。何でもおっしゃってください。小さな頃から知っている土地ですし」

「小さな頃から……ここの出身なの? レクバートさんからは別のところから来たように聞いていたけれど……」


 メリルの故郷の人間を装え、という指示も得たし彼女は別の土地から奉公に来たのかと思っていた。屋敷には使用人たちが住み込めるようになっているから、彼女もそういう立場なのかと。

 違和感を放置しておいても後々問題になりそうなので聞いてみると、彼女は「ああ」と手を叩いた。


「母方の実家がこの辺りなんです。それで少し縁がありまして、リュカ様の前の領主様の時代から知って……あまり大声では言えませんね」

「なるほどね。ふふ、そういう話もあとで少し聞かせて。とりあえず、ここでお喋りに花を咲かせていても他の皆さんに迷惑かけるだけだし……行きましょうか」


 メリルを促し、私は新しい土地に思いを馳せた。なんだかんだあるけど、結構楽しみなのだ。領の外に出ることはあまりなかったし、父の用事で出ても観光なんてしなかったから。

 旅行気分、このときの私はまさにそれだった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 新しい土地というのは意識していたけれど、ところ変われば住む人の雰囲気も変わる。見学をするのは想像通り——いいえ、それ以上に楽しい体験だった。

 メリルと二人、友人同士のふりをして歩いているとよく声をかけられた。領内でよく交流をするほうなのか彼女が特別社交的なのかは不明なものの、なかなかに顔が広そうだ。


「お友達かい?」


 と聞かれるのはまだ序の口。


「新しいお勤めの子かい? 早く馴染めるといいね。買い物のときはぜひご贔屓に」

「それで、どこから来たんだい。一人で?」

「ずいぶん利発そうな子だねえ」

「もしかして噂の領主様の奥方のお付きとか? どんな方なんだい?」


 ……なんて次から次へと市の売り子のおばさんたちに囲まれた時には、これ本当にお忍びの意味果たしてるんだろうかと思った。十分注目されてると思うんだけど。私のこと聞かれてるし。

 でも、「アネット・タルシラート」として来るよりかはまだマシに違いない。そう言い聞かせてなんとか乗り切った。


「……お疲れですか?アネット様」


 こそっと囁きながら、自分の持つカゴや紙袋を片腕に寄せたメリルが手を差し出してくる。私の持っている荷物を持ってくれようとしているのがわかったけれど、私は首を振った。


「大丈夫。メリルにばかり持たせていたら変だもの、気にしないで」


 貴婦人と従僕ならともかく、友人同士は普通片方にばかり荷物を持たせはしない。ましてやレクバートさんに買い出しも頼まれてしまっているので、自分の買い物も含めた荷物は彼女一人に任せるには罪悪感のある量だ。


『カモフラージュにもなりますし。広大な土地と武力を持つタルシラート家のお嬢様が市で麦粉を買っているなんて誰も思わないでしょう?』


 レクバートさん曰くそういうことなんだけど、私はこの理論成り立ってないと思う。

 だって私、実家で麦粉を挽く手伝いしてましたからね。兄にも散々令嬢っぽくないとかなんとか言われたけど、まさかここに来てまで似たようなことになるとは。


「もう後は帰るだけだし……じゃない、まだ全部回りきってなかったっけ……」


 事前に聞いたルートを頭の中で反芻する。農耕地に行き、住宅地に行き、市場、街道沿いに進んで……その途中にある森。リュカが渋っていた例の場所を、まだ残していた。

 お化けとか、なんとか。散々不穏なことを言ってくれた。あんまり気は進まないものの、領内を隅々まで知っておくことは今後のためにも大切だという意見には納得できる。仕方ない。自分を奮い立たせて行きましょうと言おうとしたとき、メリルがさらに一段声を潜めた。


「……あのう……それなんですが、リュカ様からは行かなくて良いと……」

「え? リュカから直々に?」


 驚いた。

 朝食の席でレクバートさんに説明を受けたあと、そのままメリルに支度を手伝ってもらって彼女の案内で外に出て……と全然隙がなかった気がするんだけど、いつの間に。


「はい。出発前に、私にこっそりと。他の人には言わなくて良いからと」

「レクバートさんにばれないように、ってことなのかしら……そうまでして隠す何かがあるの? 北の森とやらに」

「え! いえいえ、普通の森ですよ。ただ……」

「ただ?」


 メリルまで含みのある言い方をすると気になる。聞き返せば彼女は視線を彷徨わせた。


「……少し他の場所に比べて治安が悪い、というか」

「治安が? 平和な領に見えたけど……あとお化けは関係ないのね……」


 本当にそこは冗談だったらしい。帰ったら改めてリュカに文句を言わないといけない。完全に脅しとからかい目的ででっちあげたなら、たちが悪すぎる。


「お化け? はよくわかりませんが……ちょっと変な話があるのは事実ですよ。道は整備されているはずなのに足を滑らせる人や道に迷う人がいて」

「何それ……なのに使われてるの?」

「いつもそうというわけじゃないんです。調べても何も異常はないので、結局そのままに」


 ……。…………。

 こういう時、どういう反応を取ればいいんだろうか。私は誰にというわけではないけど聞きたくなった。正直思い切り不気味な話じゃないかと抗議したくなる。けれどその一方で、それはきちっと見ておくべき場所なんじゃないかとも思ってしまうのだ。完全に、父と兄のフォローで走り回らされる幼少期を送った弊害だった。


「……わかった、メリル。少しだけ見に行きましょう」


 今行かなきゃ永遠に足が遠のきそうだし、行くしかない。

 中途半端な隠し事をしたリュカと己の世話焼き気質を呪いながら、私はメリルにその場所まで案内してもらうことにした。



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