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深夜の内緒話

 今日は本当にいろんなことがあった。よくパンクせずに耐えたぞ、私の頭……。


 夕食も寝支度も終わって慣れない部屋で一人になると、改めて自分が嫁いできたんだって納得する。そういえば、私とリュカの関係は限りなく夫婦に近い婚約者なんだけど、それは結婚に伴う儀式やお披露目のあれこれをどうするかがまだ詰められていないのが原因だ。リュカのせいではないとはいえ、私はなんとも微妙な立場である。


 ただ、これで(私にとって)よかったことももちろんある。リュカは表向き体調不良などの理由で人前に出るのを拒んでいるから、私にも「婚約者の付き添い」という名の夜会を断る言い訳が誕生した。各種夜会にあまり良い思い出がない&今行くともれなくリュカの件を突っ込まれそうで気が滅入る身としては、ほっとした気分だ。




 持ってきた荷物を自分の使いやすいところに置いて、これで完璧。初対面のインパクトの強さに気絶するという失態をやらかした私が運んでもらえた部屋が、まさに私の部屋だった。一応リュカの部屋の隣らしい。どうやって使っているのかまったく想像つかないけど。

 いずれは一つの部屋にすることもできるんですよとはレクバートさんの談だけど、それもいつになるかはまったくわからない。少なくともしばらくは、この部屋を私の領域として思い切りくつろいでも良さそうだ。

 ごろんとベッドに転がる。ふわっふわだ。そこに身体が沈んでいく感覚がとても気持ちいい。


(リュカは部屋で何してるのかしらね)


 あまりに想像がつかないので逆に気になってきた。絵の中にいるってどんな感じなんだろう。リュカにとってものすごく真面目な問題なのはわかっているんだけど、好奇心は止まらない。

 額縁の前に本を置いて読書とか? でもめくれないか。そんなことをつらつら考えながら寝転んでいると、だんだん瞼が重くなってくる。


(あー……眠くなってきた)


 コンコン。

 うとうとしかけたところで響いたノックに、私は飛び起きた。危なかった。

 急いで服をしゃんと直して扉を開ける。──けれど。


「……誰も、いない?」


 私は首を傾げた。

 さっきノックを聞いたばかりなのに、誰も廊下には立っていなかった。向かいの壁にかかった絵が一枚あるだけだ。去っていく足音は聞こえなかったのに……いや、もしかして来た足音もしなかった?


「あのー……?」


 おそるおそる声をかけて、右と左を見る。いよいよ聞き間違いか、それとも。


「アネット」

「ぅひゃああああっ!?」


 至近距離で聞こえた声に思わず全力で悲鳴を上げてしまった。軽くパニックだ。


「あっ、驚かせてごめん。気持ちはわかるけど落ち着いて」

「りゅっ、リュカ!?えっ、どこ!?」


 リュカの声が宥めようとしてくれてるのはなんとなくわかるけど、それがどこからしてるのかまったくわからなくて混乱する。

 とりあえず私の悲鳴を聞きつけて何事かと廊下に顔を出してくれたメイドさんたちにはなんでもないです〜と手を振ってごまかしておいた。いや、これ本当心臓に悪いって。


「アネット、右向いて。こっちだよ」


 まだ心臓が耳の側にあるんじゃないかってぐらい脈の音がうるさかったけれど、なんとか落ち着けと自分に言い聞かせつつ私は右を向いた。

 部屋を入ってすぐの壁に掛けてあったのは花瓶に活けられた色とりどりの花の絵だった。可愛いなぁって思った覚えがある。……まさか、とは思うけれど。


「こんばんは」


 ひょこっ、と音でもしそうな調子で、額縁の中にリュカが顔を出す。まるで木枠の窓の向こうに花瓶が置かれたテーブルがあって、リュカがその前に立ったみたいに。


「……絵の中ならどこでもいいの?」

「そんなに身構えないでよ。ほら僕なにもできないし」


 ひらひらリュカが額縁の中で手を振る。ついでに何も持っていないことをアピールしているらしい。


「よく考えたら中に入るのが早かったね。難しいな」

「ええっと……?」

「さっきまではこっちに居たんだ」


 何気なくこちらからあちらへ歩くようにリュカは額縁から額縁へと渡る。今度は部屋の扉の真ん前にある、扉の絵の前に。それから彼は絵の中で、その扉を叩いた。それと同時にノックの音が聞こえて、私は自分の部屋の扉を見る。


「ほら、こうやって、扉を叩いたんだけど。開けてすぐに僕が目の前にいたらアネットは驚くかなと思って、どうしようか悩んで」

「……むしろ突然横から声をかけられたほうがびっくりしたんだけど……」

「……それは、ごめん」


 ばつが悪そうにリュカは耳の後ろを掻いた。それから、彼は少し首を傾けて私に手を差し出す──もちろん平面なので、差し出せてないけれど。


「あのさ。君さえ良ければ、眠る前にお話しない?」







 リュカに案内されたのは、応接間でもホールでもなく、もっと奥まったところだった。私が歩く間、リュカはずっと、私と並んで歩くように廊下にかかっている絵の中を通って行った。


「隣あっている絵なら通り抜けられるとか?」

「例えるなら窓みたいな感じかな。長い廊下にのぞき窓がたくさんついているような感覚なんだ、こっちからすると」

「なるほど……」


 キャンバスを隔てた向こうには向こうの世界があるんだろう。なんだかそうすると、すりガラスの窓越しに話しているような感覚になる。実際は油絵の具で輪郭がぼけているだけなんだけど。

 こうやって落ち着いて観察すると、画廊か美術館かと言ったほうが正しいぐらいにこの屋敷には絵画が多く飾られていた。リュカが自由に顔を出せるようにしてるってことなのかもしれない。ただし絵の雰囲気や使われている技法、古さなんかは様々で、違う額縁に移るたびに隣を歩くリュカの姿が微妙に変わるのが見ていて面白かった。さっきまで油絵だったのに、今は水彩画だ。モノクロにも、青一色にも、カラフルにもなる。


「リュカ、どこまで行くの?」

「もう少し先。この邸の一番奥になるように部屋を作らせたから」

「……?」


 いいからついてきて、とリュカはどこか機嫌良さげに歩き続ける。よくわからないけれど、何か私に見せたいものがあるらしい。


「ついた。ここだよ」


 リュカが立ち止まったのは、廊下の突き当たりだった。そこからさらに奥へ部屋が続いている。入ってもいいのかとリュカを見ると、彼は「どうぞ」と柔らかく言った。

 部屋の中には、何も置かれてはいなかった。奥の壁に、抱えられるほどの大きさの木の額縁がぽつんと一つかけてある。額縁の中には何もないキャンバスがあって──今、そこにリュカが収まった。


「この額縁がどうかしたの?」

「これ、僕が最初に閉じ込められたやつなんだ」


 あっと声を上げかけて口を閉じた。ある朝目を覚ましたら肖像画になっていたという、例の。まじまじと観察してみるけれど、特に変わった額縁ではない。屋敷に飾られているほかの絵画の額縁は意匠が凝らしてあったり金粉が貼り付けられたりしているけれどそれもない。市の露店で重ねておいてありそうな、なんの変哲もない、言葉を選ばず言えば地味な、木を組み合わせただけの額縁だった。


「……あんまりに普通だって思ってるでしょ」


 顔に出ていたのか、態度に出ていたのか、はたまたこの額縁を見た人は大抵同じ反応をするのか。リュカは私が思っていることをずばり言い当ててみせた。いや、別にがっかりしたわけではないけども。


「何か特別な素材だったりするの?」

「ううん、普通の木だよ。王都の市場で売ってるやつだって」


 本当に何もないらしい。思わせぶりだしフリかと思ったよ。でも、リュカがわざわざ見せるということは何か特別なものだと思うんだけど。


「ただ、なんとなくこれだけは『違う』気がするから。僕はこれを本体だと思ってる」

「本体?」

「さっき言ったみたいに、僕にとって絵画は窓みたいなものなんだ。でも、これは窓っていうより……僕自身のような気がして」


 よくわからないことを言ってごめん、とリュカは苦笑した。リュカ自身が、この絵。魔女に封じ込められた直接の絵がこれなのだとしたら、あながち不思議な話でもない? ような気もする。よくわからないというのならまず絵の中にいることがわからないのだから、この際なんだってありえるかもしれない。


「つまり、一番大事な絵ってこと?」

「そう、そういうことなんだ」


 ぱっとリュカは顔を輝かせた。わかりやすい。当事者であるリュカがそう言うのなら、それが大事な絵であるのは間違いないだろうとは思う。


「だからアネットに見せておきたくて」

「……な、なるほどね?」


 だからってなんだ。

 理屈はわからないけれど何かこっぱずかしいことを言われたような気がして照れてしまった。自分でも何に対してなのかわからないけど。


(……リュカって犬っぽいな)


 いたずら好きの犬。そんなフレーズが妙にしっくりくる。


「色々気になることがあると思うけど、僕はできるだけ聞かれたら答えるよ」

「……ありがとう」

「僕に今説明できる僕の状況の説明っていうと……絵の中同士なら行き来ができる、それから絵の中から現実に条件付きで干渉することはできるってことかな」

「条件付きで……」

「鏡みたいにさ、部屋のものと同じものが描かれた絵を置いておくと僕がそれにやったことが現実にも影響するんだ。逆はできないんだけどね。……さっき、ノックしたでしょ?」


 リュカは扉を叩くジェスチャーをしてみせた。そういえば、さっき確かに絵の中のドアを彼が叩いたら不思議と私の部屋のドアが叩かれたように聞こえたんだった。


「扉を開けることもできるの?」

「できるよ。でもアネットがひっくり返りそうだからしなかった」

「……否定できない……」


 あれでドアがひとりでに開いていたら、私はさらなる心霊現象かと思って震え上がっていたはずだ。


「アネットって非現実的なものが苦手なの?」

「非現実的……というか、怪談話とか迷信が苦手っていうか……」


 言ってからあっと思う。これでは弱味を晒しているも同然だ。けれど、リュカはからかうわけではなく、じっと私を見つめていた。


「意外。信じてないから怖くないとか言うタイプかと。君の父君もお兄さんもそう言ってたからてっきり君もかと」

「ああ、それなら痩せ我慢よ」


 あっさりと私は家族の秘密をばらした。ここに父と兄がいたら睨まれていそうなものだけれど、いないし、それに相手はリュカだ。性格はともかく周りに言いふらせるような状況にないし、父たちの築き上げたイメージはそう簡単に壊れないでしょう。多分。


「えっ、強がりなの?あのお二人が?周りに言ってもまず誰も信じないよ」


 ほらね、と内心思いつつ、私は返す。


「あの人たちにとっては恥ずべきことだから」

「恥ずべきこと……確かに。王国最強の議論じゃ欠かせない二人の弱点が怪談って、それはなかなかに愉快だ」


 くすりとリュカが笑うのに、私もふっと笑って返した。


「うちは現実的なものに対してのことには強いけど、それ以外にはどうしたらいいかわからないから、それで怖いの」

「なるほど」


 絵の内から手を打つ音が聞こえる。

 そういえば、私たちはお互いのことをまだよく知らない。だから、こうやって話す時間はとても大事だと思った。



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