最後の謎
屋敷に住めなくなったこと、一度に事件が解決してしまったこと――もろもろの想定外事項から、ヴァルサスさまの迎えが来るのを待つ予定は考え直しになった。
私たちの王都行きの方が早まったのである。
色々なことがあったあとだし休みたい、というのは叶わず、城に到着した私たちを待っていたのは新たに用意されたスケジュールだった。
まずリュカが元に戻ったことの陛下への報告。つまり私からすれば義実家への初挨拶。
次にリュカに協力的な――これまでの一連の件でも事情を知り様々な形で力を貸してくれていたらしい――王都住まいの有力者たちへの挨拶。
滞在中の仮住まいとなるかつてリュカが暮らしていた離宮の案内を受け、ヴァルサスさまが元々用意していた「仲良し夫婦アピール」の計画の全貌を聞き、極めつけは私が最も避けたかった大規模な夜会への出席。
大の苦手なパーティーだ。
歓迎というよりも屋敷を失うという不幸に遭った私たちを励ますという名目だからそこまで派手にならないとは聞いているものの。
(……嫁いだ後に何か舞踏会の類の招待状が来てもなるべく断りたいと思ってたら、まさか私がメインゲストになるとはね……)
宴が始まるのにはまだ時間がある。
先にホールの二階でゆったりくつろぐ時間を与えられたのは私とリュカ、そしてヴァルサスさまとその婚約者のルイーズさまだった。
三兄弟の末にあたるマルク王子は、時間も時間なので今回は出席しない。
そのほかにも急な招集に応えられる者のみが出席するこのパーティーは、おそらく慣れている人にとってはだいぶ小規模なものに感じられるんだろう。
私は慣れてないけどね!
(こんな状況でくつろげないし、いっそ今すぐぱっと始まってぱっと終わってくれればどれほどいいか……)
慣れない場所、慣れない相手の同席(ヴァルサスさまの婚約者と直接顔を合わせるのはおそらくこれが初めてだ)。疲れていてもくつろげる気がしない。
元の体に戻ってのびのびしているらしいリュカは、これから大勢の人の前に出るのがわかっているくせに少しもいつもと変わらない。
ヴァルサスさまたちと「絵画あるある」の冗談で談笑する余裕もあるみたいだった。
(リュカだってこういう場にあんまり顔を出さないって話だったじゃない……なんで緊張しないのよ)
あまり体に合っていないドレスの襟や腰の部分をつまんでは、小さくため息をつく。
手持ちのものは燃えたし、急すぎて仕立ても間に合わなかったからこれは既製品だ。
どうせ自分に合わせて仕立ててもらっても煌びやかで優雅なドレスには気後れしてしまうんだけど、今日初めて袖を通すものだと尚更だった。
「……アネット、どうしたの? サイズ合わなかった?」
「どちらかというと、サイズっていうか私自体が合わないような気がして……」
「主賓なのに? ……ああ、着慣れないってことか」
そう言うリュカは正装が憎たらしいくらい決まっている。
ヴァルサスさまと似すぎていることを怪しまれないようにか少し目元に化粧をしているようで、正面から見ると雰囲気が見慣れた彼とは違うからまさに「社交モード」だ。
「ドレスの問題でもないの。場違いじゃないかって」
ちらっと二人で話し込んでいるヴァルサスさまとルイーズさまを見た。どちらも社交界慣れしているし、高貴な風格がある。王太子とその婚約者に相応しいふるまいを叩きこまれているんだろう。
……対して私は、弦楽の演奏の代わりに訓練中の兵の掛け声が聞こえてくる環境で育った半ば社交界出禁の女だった。
まあ、出禁というのは実際に言われたわけではないんだけど……とても今更顔を出す勇気を持てないようなやらかしを小さいころにしたのは本当。
「僕らのための集まりなんだから場違いなんてことはないよ」
「そうかもしれないけど……」
「別に長々スピーチしないといけないわけじゃないし、付き合う相手をよく考えて言葉を選びながら話すなんてこともしなくていい。アネットはそういうのが苦手なんでしょ?」
「……」
絶対に隠したかったわけじゃないけど図星を指されるとなんだか居心地が悪い。目を逸らす私に、リュカは微笑みかけた。
「僕らの今日の目的は、僕が生きていて君とここにいることを証明するだけなんだからさ」
彼の言うことは間違っていない。極論を言えば彼の横に立ってにこにこしているだけでもやり過ごせる。
ただ、問題は私一人のもので済まない。
「それだけど……リュカは本当に私でいいの?」
「えっ。何、今更そこ聞いちゃう?」
「貴方、もう自由の身なんだから自由に相手を選べるでしょう。外国に出ることだってできる」
そういうつもりのお披露目なんだから当たり前だけど、リュカが私と結婚していることを公に示せば容易に離縁できなくなる。引き返すなら今が最後のチャンスだ。
別にふられたいわけじゃないけど、利害関係あってこその縁談はその裏事情に変化の生じた今となっては揺らいでもおかしくないんじゃないだろうか。
「そんなことしないよ」
「結婚の目撃者はそれこそ本当にヴァルサスさまだけだし」
「アネット、君まで懐疑派の意見に乗るの?」
「……いいえ。ごめんなさい、試すようなこと言って」
本気で怒られそうだったので、私は引き下がった。
せっかくの場の空気をぶち壊しにはしたくない。険悪ムードで本番を迎えたら、ただでさえ苦手なますますパーティーにトラウマが生まれそうだ。
「恥ずかしい話だけど、自信がなかったの。縁談が持ち上がったときには兄にも嘘じゃないかって疑われたぐらい、私にはもったいない話だったから」
「アネット以外の相手か。あり得ない話だろうな」
割り込まれて驚く。自分の婚約者と話し込んでいたはずのヴァルサスさまが、いつの間にかこちらを見ていた。
「何しろ弟は、十年以上前に貴女に一目惚れしてからこれまで粘着質に追いかけてきたんだ。万に一つもあり得まい」
「……へっ?」
「ちょっとヴァル!?」
いきなり何を言い出すのか。
私も動揺したけれど、これまでで一番焦ったような素っ頓狂な声を上げて立ち上がったのはリュカだった。
「……粘着質に……は人聞きが悪くない?」
「持ちうる繋がりを利用して彼女の近況を探り、立場を利用して体よく彼女の婚約者の座と彼女と暮らすための土地まで手に入れておいてよく言う。今回のことでよりお前好みの屋敷が構えられるようになったか?」
「屋敷が全部燃えるところまでは想定してないよ、流石に」
否定はしているようだけれど、全てを否定しているわけじゃない。
リュカの態度は私をさらに動揺させるのに十分だった。
立て板に水を流すようにすらすらとヴァルサスさまが述べたことが一部でも事実だと言うなら、それはまるでリュカも一連の事件の裏で暗躍していたみたいじゃないか。
黒幕はレクバートさん(とそれに協力した第三王子派の勢力)ということで決着がついたはずなのに。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。どういうことですか?」
「全て言葉通りだ。以前私に言っただろう? 弟が貴女を婚約者に指名するまでの流れは不自然だと。それで調べてみたんだが」
リュカが完全に否定しなかったことで確信を得たらしいヴァルサスさまは、余裕ありげな笑みで私に語った。
「……アネット、貴女は六つの時にこの城で行われたパーティーに参加していただろう」
「そ、それってまさか……」
嫌な予感がした。勘違いである可能性を強く強く祈ったけれど、無慈悲にもリュカがそれを完膚なきまでに打ち消す補足をくれた。
「君がダンスに誘ってくる貴族の子弟たちを全て突っぱねたパーティーのことだね」
「な……っ」
目の前が真っ白になるような心地で、私は天井を仰いだ。
困った、今すぐ気絶したいのにできそうにない。
動く肖像画から現実逃避する以上に現実逃避したい案件に遭遇するとは思わなかった。
彼らは、私の黒歴史を知っているのだ。