並べられた真実
「放火だよ。後始末はきちんとつけよう」
驚かずにはいられなかった。
昨夜の出来事が全て誰かの手によるものだと、リュカはそう言っているのだ。
犯人がいるのならエレーヌのときと同じく、私たちはその誰かを見つけ出して捕まえなくてはならない。
私は何か冷たいものを首筋に当てられているような気分になった。
「君だっておかしいと思っただろう? あの絵が固定されているのに気付いたとき」
「あれは……じゃあ、特別な仕組みがあるわけじゃなくて、あの日だけ本当に固定されていたの……?」
「僕も君が外れないって言ったときに知った。別に僕はしっかり固定しろなんて誰にも指示してないし、外して運んでもらった覚えもある」
リュカが言うのなら実際そうなんだろう。外していたこともあったじゃないと思った私は、間違っていなかった。
「それと……屋敷とあの絵の燃え方。絵になった以上火事は一番警戒していたから、ここに越してきて屋敷を直すときになるべく燃えにくい素材のものを使うようにさせていたんだ。だから屋敷が燃えるのには時間がかかるはずだったけれど、あの部屋に炎が到達するのは早かったし――あの絵が燃えるのも想定以上に早かった」
「……誰かが火事とは別にあの絵に火をつけた、それかあの部屋に早く火が回るように細工していたとか?」
「そう考えると筋が通るって思わない?」
同意を求めるように、彼はじっと私を見た。
何者かが火をつけた。不自然な燃え広がり方をするように。それが示すのは、愉快犯や屋敷の強盗目的の放火ではなく「あの絵」を特別に狙った放火だった可能性だ。
むしろ屋敷の火災は、その真の狙いを隠すためのカモフラージュだったと思えなくもない。
「……思って……しまうわ。でも、それは……」
「こうなってしまうと、僕も身内を疑わざるを得ないわけだよ。嫌だね、本当に」
事故ではなく、外部犯でもなさそうだとなれば疑う先は自然と絞られる。
エレーヌが捕まったときも、彼は寂しそうな瞳をしていた。今もまったく同じ瞳をして、彼はふっと笑う。
そのとき、ノックの音がした。
誰かと私が問う前に、リュカが「いいよ」と返事をする。
(あの、私は良くないんだけど)
今の私の服装はと言えば、ところどころ焼けた夜着にガウンを着ただけだ。色々と良くない。何も良くない。
……そんなことを怒っている場合ではないのかもしれないと思いつつリュカから少し離れて、せめてもの足掻きでガウンの前をきゅっと閉じる。
入ってきたのは、ヴァルサスさまとレクバートさんだった。
「ああ、アネット。気が付いたようで良かった。とんでもない無茶をする」
私を見て安堵したように緩めた表情をぐっと険しくさせてから、ヴァルサスさまはそう私を咎めた。
そこまで厳しく叱責するつもりはなさそうな雰囲気だったけれど、悪いことをした自覚はあるので私は深く頭を下げる。
「……誠に申し訳ございません……」
「結果的に君も無事で、リュカも元に戻ったからいいようなものの。私に弟と義妹を一度に失わせないでくれ」
「……はい」
強い言い方をするのは、心配して下さったから。だからこそ罪悪感も増す。
申し開きもなく謝罪をした私が顔を上げると、リュカが気まずそうに視線を泳がせているのが目に入った。もしかすると彼は既に説教されたあとなのかもしれない。無茶をしたのは彼も同じなので、怒られていてもなんらおかしくはない。
「今しがた完全に消火したと確認された。その報告と今後の相談をしようと思って来たんだが……」
「あの屋敷、完全に建て替えになりそう?」
「致し方あるまい。何しろ三割も残っていないんだ」
リュカが残念だなあ、と肩を落とした。
私はというと、被害を聞いてじわじわと恐ろしくなった。必死になっているうちは全然意識していなかったけれど、相当私は無謀だったらしい。
「レクバート、詳しい報告を頼むよ」
「はい」
リュカがレクバートさんに促すと、彼は巻いて持ってきたらしい屋敷の間取り図を広げた。指で示されたのは、以前リュカが「お化け退治」に意気込んでいたときに行った下階の一角だった。
「出火元は使用人の利用している区画です。最近行った部屋替えに伴って屋敷の暖房器具に不慣れな者が居たこと、まだ連携の上手く取れていない点があったことなどが可能性として挙げられます」
「なるほどね。爆発が起こって延焼が広がったのは厨房や倉庫?」
「はい」
何度か私も感じた屋敷の中での爆発。厨房に置いてある設備や備蓄が引き起こしたものだと言われれば、納得がいく気がした。
爆発が起こり火が広がったと思われる経路を、レクバートさんが図の中に示していく。それを私は目で追った。
「詳しいことはさらに聞き取りを進めて結論を出しますが、出火の原因となった使用人には責任を取らせる方針でよろしいでしょうか」
「そうだね。ヴァル」
ちら、とリュカがヴァルサスさまを見た。ヴァルサスさまもリュカを見た。二人の兄弟の視線が交わり、それを何かの合図にしたようにヴァルサスさまが口を開く。
「弟とその夫人の命が危険にさらされた。さらに言えば、私も一歩間違えば死んでいた。これは立派な殺人未遂になる」
「うん。流石にもう目を瞑ってはやれないな、レクバート」
鞘から剣を抜く冷たく鋭い音がした。
次の瞬間私の目に飛び込んできたのは、レクバートさんの首に剣を突き付けるヴァルサスさまの姿。
「……え? レクバートさん……?」
何故、幼いころから一緒だと聞いていたレクバートさんのことを二人が冷ややかに見ているのか。
何故、こんなにも突然この部屋の空気は張り詰めてしまったのか。
それなのに何故、レクバートさんは表情を変えないのか――。
それらを理解するのに少し時間がかかった。理由はたった一つ、レクバートさんが犯人であると考えれば説明がつくのに。察しはついても、心の方が理解を拒んでいた。
リュカの洗濯係であったエレーヌは彼を絵に変え、私付きだったメリルは操られて私に短剣を向けた。それに続いてレクバートさんが屋敷に火をつけたのだと言われたら、どう気持ちに整理をつけたらいいのだろう。
知り合いを疑いたくない、どころの話ではない。
「初めは消去法で絞っていったけど、メリルの証言で確定した。彼女にエレーヌから装飾品を買わせたのは君なんだろ」
語り口こそ優しかったけれど、リュカの手も腰に提げた剣の柄にかかっていた。
もしもレクバートさんが抵抗をするようなら、ヴァルサスさまと二人がかりで制圧するつもりなんだろう。それはとても悲しいことだけれど。
「メリルに聞いた。君から贈り物をもらったって、嬉しそうにつけてたよ。……はめられてるなんて少しも思わなかっただろう。今も思っていないはずだ」
「……」
「レクバート。僕が初めに閉じ込められた絵の特別さとその事情を知っている人間は限られるんだ」
レクバートさんはいつも指示を受けているときのように落ち着いた様子で、けして動揺を見せなかった。
肯定も、否定もまだその口からは紡がれていない。私は祈るような気持ちでいた。否定してくれれば、と。
けれど、沈黙を割ってようやくレクバートさんが口にしたのは否定の言葉じゃなかった。
「……そうですか」
積極的な肯定ではなくとも、リュカの話を受け入れるようなその返事は罪を認めているようなものだった。
リュカが悲しそうに目を閉じるのを、私は見た。
「君さ、アネットのことは本当に逃がそうとしてくれただろ。だから僕はちょっとだけ、ほんのちょっとだけまだ、断罪するのを躊躇ってる」
ヴァルサスさまはリュカを見たけれど、何も言わなかった。レクバートさんに突き付けた剣先だけはぶらさずに、弟の判断を待ってくれているようにも見えた。
リュカに判断を迫るように畳みかけたのは、むしろレクバートさんの方だった。
「私の意思ですよ。第三王子派からの申し出はあれど、最終的には私の意思」
リュカが、目を見開く。
心のどこかで信じたくないと、情状酌量の余地を探していたのは私だけじゃないようだった。彼も間違いなくそうだったのだ。
レクバートさんの口は動きを止めることがなかった。
「魔女を城に導きリュカ様と親しくなるようお手伝いしたのも、彼女の嫉妬心を煽ったのも、絵画となったリュカ様を連れてこの屋敷に移り実質的な領地運営の権を握ったのも――メリルを操ってアネット様を襲わせたのも、屋敷の火事を装ってリュカ様の特別な絵を燃やしたのも。全て私の意思です。生きてここに戻られるとは、誤算でした」
薄笑みさえ浮かべて、さあ断罪してくださいと言わんばかりに彼は述べた。助け船を出す隙間なんて、少しも見出すことができなかった。
リュカが苦しそうに顔を歪めて、質問を絞り出した。
「……協力した動機は?」
「そうですね……」
尋問を先に進めたくないと、私もリュカも共通意見だっただろうと思う。でも進めなければこの時間は終わらないのだ。この重苦しい空間から脱して前に進むことは、できない。
レクバートさんは少し考える素振りを見せて、それから言った。
「生まれてすぐ息を引き取り、与えられるはずだった全てを双子の王子に奪われた弟の復讐――だとか言えば、聞こえが良いでしょうか」
「良くないよ」
被せるようにリュカが言った。悔しそうだった。
「……どうあれ、犯した罪については君が一番よくわかってるでしょ」
「はい。乳母の息子の身でありながら、高貴なるお方たちに牙を剥いた。死刑が妥当、これまでの働きからどれだけ良く見積もっても終身刑でしょうか」
エレーヌのときと同じだ。私はそう直感した。
エレーヌも、レクバートさんも、自分の行動の代償を理解していて――それでも罪を犯した。
(裁かれることは、きっと避けられない。けれど……このまま送り出すことは正しいの? こんな別れ方で、本当にいいの?)
あまりにも潔く罪を認めたレクバートさんは、このままエレーヌと同じく行ってしまいそうだった。
引き留めてどうなるものでもないけれど、私は必死で訴える。
「待って。レクバートさん、待ってよ。メリルはどうするの? あの子、本気で貴方のことを慕ってたのよ。きっとこのことを知ったら――」
「アネット様……」
初めて、彼の瞳が動揺で揺れるのを見た気がした。
レクバートさんが企み事のためにずっと動いていたのだとしても、その行動すべてが偽りだったとは思いたくない。
メリルが言った面倒見の良い彼は、打算じゃなかったと思いたかった。あの子の恋は、虚像じゃなかったと。
「……大丈夫ですよ、彼女は自分のことをまだまだ至らないと思っているでしょうが、もう十分に一人前です。彼女なら、大丈夫」
「どうしてそんなこと――」
「今更、どうしようもないでしょう?」
レクバートさんは微笑した。困り眉のその微笑が嘘偽りだとは、私にはやっぱりどうしても思えなかった。
思えなかったから、やりきれなかった。
「申し訳ありませんが、私が預かっていた猫の世話だけは頼みますと伝えてください。アネット様も、短い間ですがお世話になりました。どうかお元気で……リュカ様のことをよろしくお願いいたします」
何か声をかけなきゃ、かけなきゃと思うのに、言葉が何も出てこない。
「以前からこんな日が来る覚悟は決めていました。逃げませんから、やるべきことを全て済ませてから発ちましょう。そこから先は、全てに従います」
「……レクバート……そこまで考えてて、なんで実行に移した? 僕は……」
リュカも必死に見えた。私よりもずっと長く、レクバートさんと過ごしてきた人だ。彼のことだから、薄々何かに気づいていたとしても今日までレクバートさんを信じてきたに違いなかった。
「僕はどこかで、君がこうなるのを止められた?」
悲痛な問いに、答えはなかった。
「……考える必要はありませんよ。現実にはならなかった、些末な仮定の話です」
レクバートさんはそう言っただけだった。リュカの問いへの答えを教えてくれずに。
本当に彼は一度も、否定しなかった。申し開きも、本当に問われたことに答えるだけの簡素なものだった。覚悟を決めていたというのは出まかせじゃないんだろう。
結局、彼という人間のどこまでが真実でどこからが嘘だったのか、聞くことはできなかった。
そうして彼は――全ての事件を一本の糸で操っていた男は、混乱が生まれないために必要な事務処理や指示出しを粛々と終えたあと、無抵抗で捕縛された。
それは少なくとも、真実だった。