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選択の時(後編)

 様変わりした屋敷の中を進み、いつかも訪れた部屋へ向かう。そこに彼がいると確信して。


 後ろは振り向かない。立ち止まらない。そのどちらかでもしてしまえば、途端に足が竦んでしまう気がした。

 何があっても、私は彼にもう一度会わないといけない。


 ようやく見えた目指す場所に向け走りだそうとしたとき、聞いたことともないような轟音がして床が大きく揺れた。


「きゃ……!?」

 

 突き上げるような振動に、立っていられず膝をつく。

 

(何……爆発でもしたの……?)

 

 揺れは幸いにも一度でおさまったようだった。

 状況が全然掴めない。私の周りはなんともなさそうに見えるけど、どこかが崩れたり吹き飛んだりしたんだろうか。


(もう時間がない)


 思った以上の火の広がりを感じて、そう悟るしかなかった。


 体勢を立て直すと、今度こそ走り出す。「木の額縁の絵」があるのは廊下の突き当たり、さらにその奥だ。

 

 あと少し。危険を承知で走り込もうとしたとき、意外な場所からその声はした。


「アネット!?」

「!……リュカ!ここに居たの!?」


 奥に入るまでもなく、彼はいた。

 しかも声をかけてきた。

 驚いた顔をしているけれど、怪我もなく元気そうな姿で突き当たりにあった大きな絵の一枚に収まっている。


「馬鹿っ、何で戻ってきたの!?」

 

 焦りを表情に滲ませて、リュカはキャンバスを叩いた。

 言いたいことはわかる。ヴァルサスさまの言う通り彼が私を逃がそうとしてくれたなら、今私が取っている行動はそれを水の泡にするものだ。でも、私にだって言いたいことがあった。

 

「そっくりそのままお返しするわ。勝手に戻ったりなんかして、どういうつもり?」

 

 まだ燃えていないキャンバスを叩き返す。

 リュカを見つけることは思ったよりも早くできたけれど、この絵を外して持って行ったところで結局同じことの繰り返し。私は先に進む決意を変えてはいなかった。


「この先のあの絵が大切なんでしょう? 私が持っていくわ」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。早く引き返すんだ」

 

 厳しい顔を作ってみせる彼に、私は言い返す。

 

「ここまで来ておいて?」

「そうだ。ここまで来てもらったけど、帰れ。まだ間に合う」

「そんなことできないわよ」

「ついさっき、下の爆発でこの先の床と屋根がいくらか吹き飛んだんだ。本当に危険だから」

「なら尚更早く取ってこないと、貴方の絵が燃えちゃうじゃない」

「アネット。帰れ」


 リュカが私を睨んだ。思わずひるんでしまうほどの迫力だった。

 でも脅すように低い声で言ったのはそれきりで、彼は力なく私から視線を外した。


「……周りを見てよ。今の屋敷はめちゃくちゃだ。僕のいる(せかい)とは大きく変わってしまった」

 

 彼の言う通りだった。

 絵の中に描かれた世界は変わらない。描かれた時のまま止まっている。キャンバス上の扉は傾いていないし、カーペットも綺麗なまま。


「もうこっちからそっちへはろくに干渉できないんだ。何が起こっても助けてやれない」

 

 諭すように言って私をもう一度見る彼に、はっとさせられる。

 説得しに来たのに、いつの間にか私が説得される側になっていた。

 

 メリルを操ったエレーヌに襲われたとき、切り抜けられたのは彼が絵の中から助けてくれたからだ。それはこの屋敷の中が彼の動きやすいように整えられていたおかげで、今はもう同じようにはいかない。

 

「……っ、だけど……そうしたら貴方はどうなるの?」


 この瞬間も屋敷の中の絵は次第に燃えていっている。それはそのまま、彼が存在することのできる世界が消えていっているのと同じことを意味していた。


 彼はあの絵のためにここに残ったことを否定しなかった。


 たぶん、どれだけ言い争っていてもあれがこの屋敷の中にある限り彼はここを動かないだろう。


「あの木枠の絵は他の絵と違う、特別な感じがするものだって言ってたわよね。あの絵が燃えたら? ……ううん、そうじゃなくても、今貴方がいるその絵が燃えてしまったら……? 貴方はどうなるの?」


 もし私が今彼の収まっている絵を無理やり持ち出して、彼がどこか途中の絵から逃げないように目を光らせながら外に出たとして――彼の言う彼の「本体」が燃えたときに何が起こるのかはわからない。


「それは……賭けだね」

「賭けないでよ!」


 あまりにも凪いだ()で彼が答えたので、咄嗟に声を荒げてしまった。


「賭けないでよ。私を未亡人にする気……!?」

 

 自分に迫る危機に対して落ち着きすぎている彼が、何故落ち着いていられるのか。それが諦観ゆえのように思えて、私は息継ぎもそこそこに訴えた。


「貴方ね、勝手に人の結婚を進めておいて、勝手にいなくなろうとしないでよ。そんなだからエレーヌにひどい人だって罵られるんだわ」

「いや、今エレーヌは関係な」

「まだ半年も経ってないじゃない! 結婚記念日どころか、貴方の誕生日すら祝ってないわ。まだ。まだ……!」


 捲し立てながら、言葉が詰まる。

 まだやりたいことがある。やってあげたいことがある。していない話が山ほどあって、諦めてあげられない。


 ぐっと奥歯を噛んだ。


「これから先もずっと後悔する方が……煙に巻かれるよりずっと怖い」

「アネット!」


 リュカの制止を無視して、私は勝手に奥へと走った。どうせ彼は絵の中なのだ。私を捕まえて止めることはできやしない。


 彼に警告されたように一部の床や屋根は壊れていて、炎と月明りで照らされた廊下はまるきり普段とは別の姿に変わっている。足元や倒れてくる物、考えつく限りの危険に気を付けて先に進む。


 ずっと私の名を呼ぶ声が聞こえていたけれど、私は最後まで足を止めなかった。

 辿り着いた先で、目的の絵が今まさに燃えているのを見るまでは。


「……どう、して……」

「だから止めたんだ」


 どうして。他の屋敷の中の絵にはまだ無事なものもあるのに。

 やっとの思いで絞り出した声に、リュカの声が重なる。


 ゆっくりと欠損していく絵の中にそっと入ってきた彼は、半分は欠けた姿で苦笑した。


「こんなもの見たら、君はショックを受けるだろ?」

「リュカ……熱くないの? 知っていたから外にいたの?」

「熱くはない。窓が塞がれていく感じだ。それをずっと眺めてるのも暇だったから、最後に屋敷の散歩でもしてようかと思って」

「最後なんて言わないでよっ」


 いつもの能天気を咎めるつもりで叫んで、彼を見た。でも、彼はもう呑気な顔をしていなかった。


「アネット。きっと君を助けようという人手も割かれてるはずだ。僕がなるべく安全な経路(ルート)を探してあげるから、もう一度避難して――」

「嫌」

「我儘言うなよ」


 はっきりと拒絶の言葉を口にする。

 だけどそれはただの我儘や、自棄のつもりじゃなかった。

 今のリュカの様子を見ていれば、まだ手遅れになってはいないのが明らかだ。


 覚悟を決め、燃えていく絵に手を伸ばす。


「一緒に行くなら避難するわ。今外すから……熱ッ」

「やめろ!」


 想像以上の熱さと痛みが、外そうと絵を掴んだ手を離させる。

 リュカが怒鳴る声が聞こえたけれど、怒っているのだろうその顔は欠けている。


「素手でやるのはちょっと無理があったわ」


 じんじんする両手を直視しないようにして、あはは、と笑いかけて見せた。たぶん火傷してるけど、あまり程度を確かめたくない。


 夜着の裾を思い切って破り、手に巻き付ける。布を介せば、少しはましになるんじゃないだろうか。


「馬鹿なことはやめろ」

「大丈夫、きっと外れるから。そうしたら一緒に逃げましょう」


 絵の中から彼が訴えてくる。綺麗な明るい金髪が褪せたようにくすんでしまっていた。


 もう一度、今度は慎重に額縁を掴む――けれど、外れない。


「うそ、固定されてるの……!?」


 びくともしない絵は、よく観察すると壁に釘打たれているようにも見えた。結構な強い力で引っ張ってみているつもりだけど、外れない。


「結婚式の時は外してたじゃない。なんで……」

「アネット」


 一体いつの間にこんなに厳重に壁に取り付けてしまったのだろう。それとも、どこかに外せる仕組みがある?


 焦る私を、リュカが呼ぶ。その先に続く言葉はもうわかりきっていた。


「アネット、もう逃げ」

「逃げないわ。わかってるでしょう」

「……アネット……」


 私が彼のしそうなことを考えたように、彼だって私のしそうなことを考えられるはずだ。

 短い夫婦生活とは言っても毎日顔を合わせていたし、会話もけして少なくはなかった。


 この国の夫婦の中では比較的仲が良い部類に入るんじゃない? なんて私は思っている。


「少し壊れても、怒らないで頂戴ね」


 多少燃えても彼に影響がないなら、多少壊れても大丈夫だと思いたい。

 外すからくりがわからない私は、潔く力業に訴えることにした。


 もう少し頭を使って考えてよなんていつも父や兄に言っていたのに、私も結局これである。それがおかしくて、真剣に手に力を込めながら口元だけは笑ってしまった。


 壁に固定された絵は渾身の力を込めても外れない。

 ほんのちょっとだけ軋んで捲れたけど、たったのそれだけ。あとは息が上がって苦しくなるばかりだった。


 熱さと、煙たさと、静かに迫る死の足音。

 それに知らないふりをしてでも、私は最後まで諦めなかった。


「アネット」

「……な、に……?」


 回らなくなってきた頭がぼんやりリュカの声を認識する。いつの間にか座り込んでいた私は、垂れていた腕を持ち上げた。


「馬鹿だよ。最初に屋敷を出たとき、そのままヴァルと合流してればよかったのに」

「……失礼、ね……」


 馬鹿はどっちなんだか。


 もう一度立って額を外すのを試みようとしたけど、無理だった。

 リュカの顔を見るのも、もう無理だった。


 既にそれすらわからないほど、キャンバスの布は燃え落ちてしまっていた。


「リュカ……」

「……なに?」


 声がするということは、彼はまだ生きている。

 まだ、そこに。


「……聞いておきたかったの。どうして……」


 ぱちぱちと炎が爆ぜる音がしたかと思えば、前にも感じた突き上げるような衝撃と轟音、そして無音。


 ――どうして、私を結婚相手に指名したの?


 答えは聞けないまま、私の記憶はそこでぷつりと途切れた。

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