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嵐の前の静けさ

 エレーヌの一件があったあとの夕食会はなんだか楽しい話をする雰囲気ではなくて、静かに済んでしまった。


 ようやく事件が解決したのだから、もう少し祝杯を上げるような雰囲気でもよかったのかもしれない。だけど皆、きっと疲れていた。

 リュカはまだ絵の中だし、祝杯はそのときまでお預け。


 ヴァルサスさまは当初の予定通りこの屋敷に泊まっていくことになったし、何ならその滞在日数が延びた。捕まえたエレーヌを王都に移送するために馬車が往復しないといけないからだ。


 流石に罪人と王太子殿下を同じ車の中に入れて帰すわけにはいかない。そこでヴァルサスさま本人が「それならエレーヌを先に王都に届けさせて、迎えが来るまでの間自分はここに滞在する」と決めたらしい。


 私たちもそれで構わないと了承して、今に至る。


(……やっと寝られる)


 夜着に着替え終えて深く息をつく。


 未だ目の覚めないメリルに寝支度を手伝ってもらうことはできず、「そのぐらい一人でできるわ」とうっかり言ってしまった手前代理の人も呼べなくて自力で脱ぐことになった夕食会用の正装は思ったより手ごわかった。


 ようやく眠れると思うとどっと疲労を感じる。早くベッドに入ってしまおうと考えていると、扉が叩かれた。


「アネット、僕だけど。起きてる?」


 リュカの声だった。

 今寝ようとしていたこの瞬間に? と少しだけ思って、その考えと眠気を首を振ることで振り払う。ついこの間は私が遅くに彼を呼び出してしまったんだから、お互い様だ。


 扉を開けると、律儀に彼は部屋の前の額に立っていた。


「寝る前に少し話があるんだ。いいかな」

「……どうかしたの?」


 急ぎの話にしては落ち着いている気がする。

 話題が読めなくて首を傾げると、彼はやっぱり落ち着いて言った。


「城にいた頃の僕とエレーヌの話」


 ぱちぱち瞬いて、私は彼を見た。

 意外だった。それは彼の隠し事の一つだとばかり思っていたから、まさか自分から話しにくるなんて。

 

「一区切りついたし、ちゃんと話しておこうと思ってさ。変に誤解されるのも……嫌だし」

「いいの? 私に話して」

「いいよ。むしろ君にだから話せる」


 視線で促すと、彼はようやく私の部屋の中に入ってきた。


 部屋の壁にかけられた額の中を移動して、私が椅子にかけたときにちょうど目を合わせて話しやすいような位置のものに落ち着く。


 私は扉を閉めて、それを追いかけた。

 リュカは相変わらず穏やかな目で私を見ていた。


「君は魔法の存在を恐れたり嫌悪したりしてないだろ。この前、使い方次第だって言ってた……だからエレーヌについての話も、きっと偏見を持たずに聞いてくれるだろうなと思ったんだ」

「……偏見?」

「僕が絵の中に閉じ込められてすぐ、犯人探しが始まった。と言っても消えたエレーヌに最初から狙いは定められてたんだけど。父上たちはそもそも彼女が僕を陥れるために近づいてきたんじゃないかって疑ってたんだ」


 だんだん不満そうに口を尖らせる彼を見ながら、椅子に掛ける。


「でも、貴方は違うと思ってるのね。貴方を呪ったから、魔女だから、全て悪いと考えるやり方に違和感があった。……それでやけに寛大で、犯人探しに乗り気じゃなかったの?」

「……まあ、うん。それに、知り合いを疑うのはちょっと、しんどいものがあるだろ」


 それはそうでしょうね、と頷く。

 彼の意見には同意できる。私自身、アンナとあの森で出会ってからはエレーヌを咎めることへの躊躇いがあったから。

 エレーヌと直接の面識がなかったのにそうなんだから、実際の知り合いの気まずさはそれ以上だろう。


「彼女、貴方の洗濯係だったのよね」

「そうだよ。僕はエレーヌという女の子と、少なくとも父上や兄上よりも話す機会があった。彼らより知っていた」


 リュカは静かに、自分の手元を見つめながら話した。


「……エレーヌは身寄りのない子だった。たまたま得た城で働くチャンスを活かそうと、懸命に働いていた。自分の育った孤児院に仕送りもしていたようだし」

「それって、アヴァルの孤児院?」

「そうだけど……なんで知ってるの?」


 ちょっと気になってつい口から転がり出た質問は、私があの森でアンナと話したからこそのものだった。リュカには疑問だろう。

 うっかりしてたな、と思ってももう遅い。


「あー……いいえ、貴方が隠し事を一つ話そうとしてくれてるんだから私も話すべきよね。この前、散歩のときにエレーヌの友達だって言う女の子と話してきたのよ」

「えっ!?」


 リュカが驚くのも無理ない話である。だって、そもそも内緒であの森に行ったんだから。彼が心配して止めてきそうだなと思って。


 それを今になってあっけらかんと話せば、まあそういう反応になるよね。


「大丈夫、別に危ないことをしたわけじゃないし、こうして無事にここにいるんだから安心して。その子はエレーヌがお尋ね者になってることも知らなかったみたいだし、無関係よ」

「……君って本当に人の心配に反して大胆だよね……」


 彼は頭が痛そうにこめかみを押さえて唸ったけれど、怒りはしなかった。今更だからかもしれないけど。

 それよりも、今はエレーヌの話だ。


「エレーヌには故郷で探してくれてる友人がいるのよ。単純に悪人だとは思えない。それに……」


 思い出すのは、さっき目にしたリュカとエレーヌのやり取りだった。二人しか知らない何かがあるように――実際あるのだろう――話す二人の様子。


『覚えてるよ。君は僕の秘密を他言しないでいてくれたからね』


 あのリュカの言葉は、「知り合い」に向けるものを超えている。


「さっき話してた貴方たちを見て、ただ洗濯を任せるだけの関係じゃなさそうだと思った。何か事情があったんでしょうと思ったわ。もっとも彼女、私には絶対話してくれなさそうだったけど」

「あはは……だろうね」

「笑いごとじゃないでしょう。あの子、貴方のこと好きだったのよ」


 いかにもな苦笑いをこぼすリュカをじろりと見ると、彼は素直にしゅんと俯いた。


「……うん、そうなんだろうね。ちゃんと断りはしたけど、結局はそこではっきりクビにしなかった僕が悪いんだろう。彼女が望んだとはいえ、その後も彼女を雇い続けたのは僕だ」

「断……え? もう既に告白された後だったの?」


 それはなんというか、エレーヌもなかなかに度胸がある。もとい、図太い。


 正直使用人に手を出す主人はそれなりに聞いたことがあるけれど、逆を堂々とやる人がいるとは思わなかった。しかも相手は並の貴族では済まない、城住まいの王子だ。


「話すようになったきっかけは、僕がヴァルからの手紙をうっかり洗濯物と一緒に持っていかれたことでさ」


 リュカは懐かしむように少しずつ語りだした。

 

「城中の洗濯物を集めて一箇所で洗うから、混ざって誰のものかわからなくなってもおかしくはなかったんだけどね。あの子は読み書きができた。宛名から僕のものだと気づいて届けてくれたんだ」


 そういえば、エレーヌは頭が良いという話だった。どこで身に着けたのか読み書きが問題なくできると。それならそうした機転もきかせられるかもしれない。


 ただ、今の話は別のところに謎がある。


「ヴァルサスさまと普通に話さなかったの? 同じ城に住んでるんだから手紙を送る必要なんてないじゃない」

「僕はあんまりうろうろできない立場だったから。ヴァルも今でこそあれだけ訪ねてくるけど、一時期は会うのも周りに咎められてたし……それで、手紙」

「あ……そういうことだったのね」


 変でしょ、とリュカは笑ったけれど、これもまた笑い話ではない。リュカがそれだけ特殊な、異常な立場だったってことだ。


(……正体を隠していた魔女と、正体を隠さなければならなかった王子……こうして考えてみると、境遇が似ていたのね)


 おとぎ話なら夫婦になっていてもおかしくなさそうな組み合わせだ。

 それがどういう運命の悪戯か、今こんなことになっているけれど。エレーヌがどうして(アネット)なのかと訴える気持ちがわからなくもない。


「とにかく、それをきっかけに僕は彼女にお使いを頼むようになった。洗濯物に隠してもらえば、父上や宰相たちに知られずに色々なことができるだろ?」

「……妙な閃きをしちゃったわけね」


 それは機転というか悪知恵に分類される気がする。私がぼそっと言うと、リュカは「心外な」と憤慨した。


「自分じゃ何も決めさせて貰えないし、人目にあまり触れないよう行動だって制限されてたんだ。囚われの身だよ。哀れだろ」

「そう言ってる時点で何か『哀れ』のイメージと違うのよ……」

「確かに特に自分のことを哀れだとは思ってなかったけどね」

「ほら」


 いまいちリュカは悲壮感がないのだ。境遇に反して。

 それは器用だからなのかもしれないし、そうだから器用になったのかもしれない。どちらが先にしろ、彼はそれなりに上手くやるタイプだ。


(……何なのかしらね)


 茶化すその根元のところに、決して不真面目なわけではない彼の本質のようなものがあるような気がするから……嫌いにはなれない。


「それが貴方たちの関係の正体ってこと。何て言うか……エレーヌにますます同情するわ」

「ええー。ちょっとぐらい妬いたりしてくれないの?」

「今の話のどこに羨む要素があったの」


 同情こそすれ、嫉妬はしない。

 突っ込むと、いつもの軽口だったらしくくすくす笑われた。相変わらず、何を考えているのか掴みづらい男である。


「エレーヌの弁護、するつもりなのよね?」

「もちろん。言っただろ、流石に死刑はやりすぎだって」

「当たり前じゃない」


 細かい事情や過去や、彼女の人柄を知ってしまったら……エレーヌに情状酌量の余地を見出したくなる。

 リュカもそうなんじゃないかと思っていると、彼はとんでもないことを言い出した。


「あと……たぶん彼女だけの企てじゃないと思うからね。そっちの方が重大だ」

「え?」


 リュカの絵画化が、エレーヌだけの企てじゃない?

 ひいては、私を殺そうとしてきたアレも?


「何度もお使いを頼んで、その度話していたからわかる。私怨に狂って誰かを陥れようと考えるような人間じゃない。彼女は」

「それじゃ、誰かがエレーヌを唆したってこと?」


 リュカは深く頷いた。


「君だってエレーヌの友人から話を聞いたんだろう。苛烈な魔女のイメージとは、少し違ったんじゃないかな」

「それも……そう、かも」


 アンナはふらりといなくなるエレーヌのことを心配していたけれど、彼女が何も知らないのは裏を返せば何も聞いていないということ。エレーヌがアンナに何も話していないということだ。


 追われていることも、その言い訳も、あるいは助けてほしいという頼みすらエレーヌは誰にもしていない。

 私に襲い掛かったとき、あれだけ追い詰められている様子だったのに……。


「なら黒幕がわかれば、少しはそれが考慮されるのかしら」

「きっと。まったくの無罪放免というわけにはいかないだろうけどね」

「そう……いつか友達と再会することも、不可能じゃないかもしれないのね」


 何も知らないアンナは友人を探し続けている。

 このまま一度も顔を合わせずに永遠の別れとなるのは、不憫だとも思うのだ。


 殺されかけておいて甘い考えかもしれないけれど……リュカもこんな感じなんだろうか。


「まだどうなるのかはわからないけれど、上手く収まることを祈ろう」

「そうね。上手く収まれば……」


 エレーヌが魔法を解くことを渋っていることを思い出して、不安になる。彼女が了承しなければ罪はますます重くなるだろうし、リュカは元に戻れない。


「……長々と付き合わせてごめんね。おやすみ」


 絵の中の夫は、少し困ったような顔で笑う。


「ええ……おやすみなさい」


 彼を送り出すべく扉まで向かう。別にそんなことしなくても彼は出られるのだから、扉をわざわざ開け閉めするのは無駄な行為だとわかっているのに。


「また明日、リュカ」

「ふふ、そうだね。良い夢を、アネット」


 廊下の絵に出て小さく手を振るリュカに、私もなんとなく手を振り返した。変な夫婦だ。本当に。


 政略結婚の割には上手く行っている気がするし、今の暮らしが特別不自由なことはない。彼が平面であることを除けば。


(無事に、戻れるといいけど)


 扉を閉めながら、そう思った。




* * *



 ――深夜、激しいノックの音で目が覚める。




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