魔女の居場所(後編)
エレーヌがついに捕らえられた。
長らく行方をくらませていた彼女が、やはり今回の件にも噛んでいた――。
応接間に戻ってきたヴァルサスさまは私たちにそう告げた。
私は自然とリュカを見てしまった。
彼はかつて城勤めの使用人として働いていたエレーヌを知っている。
二人の関係性の真相は私には知る由もないけれど、レクバートさんの話を聞くに少なからず接点はあったんだろう。
それは、魔法が使えることを隠して慣れない土地で働いていた少女が恋に落ちるほどに。
「……そっか、やっぱり彼女だったか」
リュカはそれだけ呟いた。特別怒ったり悲しんだりしていないようなのは、予想通りの真相だったからなのかもしれない。
エレーヌが捕まるまでに長い時が過ぎた。
彼のところにやってきてその話を聞いてからまだ半年も経っていない私に比べたらずっと、ずっとこの結末を覚悟する時間があっただろう。
(エレーヌが捕まった。彼女が魔法を使えるというのも、リュカに魔法をかけたというのもこれで間違いないことだって確かめられた)
これまで状況証拠と推測で彼女だろうとされてきた様々なことが、メリルの一件で一本の線に全て繋がった。
エレーヌが捕まったならメリルがこれ以上操られることもないはずだった。それに……。
「……ということは、リュカの魔法もこれで解けるの……?」
ヴァルサスさまと、リュカへ順番に視線を送る。少しの差はあるけれど、瓜二つの双子の兄弟。彼らが現実に並ぶ日も、近いのだろうか。
もしそうなら、替え玉なんて要らなくなるし……今抱えている問題のほとんどが一気に解決する。
「いや」
ヴァルサスさまは残念そうに首を振った。
「今のところ、エレーヌ・デラはそれを拒否している。時間がかかりそうだ」
「……だろうね。僕が彼女なら魔法を解ける立場を盾に交渉をするよ。それが最後で最大の切り札だもの」
リュカがため息をついて俯く。でも次に顔を上げた彼は、普段とは違う冷たい目をしていた。
「最終的には解いてもらうことになるんだろうけど……そういうことだよね、ヴァル」
「当然だろう。ずっとこのままで良しとするはずがない。どれだけの人員と、時間がかかるかは不明だが」
「……それって」
続きを口に出そうか出すまいか悩んで止めていると、リュカが頷いた。それはまだ喉で止まっている私の言葉への肯定だった。
エレーヌに魔法を解かない選択肢はない。
以前リュカが今のままでは彼女の処刑は間違いないと言っていたように、彼にかけた魔法をエレーヌが解かないという道は許されないのだ。
初めからエレーヌが魔法を解くか解かないかというのは問題になっていなくて、今心配されているのは彼女が魔法を解くまでにどれだけ抵抗するかということだけ。
(何をされるのかはわからないけど……拒否する人間を無理やり従わせようとするんだもの。きっと生易しいものじゃない)
そして、その先には絞首台が待っている。
私が思わず手を首に遣って目を伏せていると、リュカが言った。
「エレーヌと話をさせてくれない?」
リュカはいつの間にかいつもの調子に戻っていた。飄々として、自分の現状をちゃんと重く捉えているのかいないのかわからない彼だ。
ヴァルサスさまはリュカの頼みに大して驚いた様子は見せず、彼が入ってきて以降開けたままの応接間の入り口を見た。
「そう言うと思って、待機させている」
それは外の廊下にエレーヌがいるということだった。
今、まさに壁一枚隔てた先に。
驚いてえっ、と思わず声を漏らしてしまったけど、それは私だけ。リュカは全く動じていない。
「よくわかってるね、兄上」
「直接顔も見ずに幕を引く性格じゃないだろう。私もそうだ」
にやりと顔を見合わせる二人は、本当によく似ている。
さっきから兄弟同士だけで通じ合って私ばかり驚かせるような会話を繰り広げるのやめて欲しいんだけど……顔合わせのときから既にそんな感じだったから今更か。
「……でも、アネットはどうする?」
「私?」
「ついさっき自分を殺そうとしてきた相手だろ。襲ってきたときと姿は違うとはいえ、怖いんじゃないかい?」
そう言われてみれば、確かにそうだ。
喉元過ぎれば熱さを忘れるというか、すっかり安心しきっていたけれど……拘束されているとはいえ、相手は人を操る魔法さえ使える人間だ。危険がないとは言い切れない。
「……何かされるかもしれない、って不安がないわけじゃないけど……」
どうにも向こうは私のことを殺したかったみたいだし、それぐらいの敵意を抱いた人間にひょっこり会いに行けるような図太さはない。
かと言って、怖がってここから動けないような性格でもなかった。
「けど、私も会うわよ。私だって直接顔を見ずに事件を終わりにするのはすっきりしないし」
「心配して言ってるのに」
リュカは口を尖らせてから、笑った。
「まあ、君らしいか」
そういうのを私らしいと認識されているのもどうなんだろう、と思わないでもなかったけれど、事実会いに行かない方が自分らしくないなと自分でも思うので何も言わなかった。
話がついたのを見計らって、ヴァルサスさまが廊下を示す。
「きちんと拘束しているから大丈夫だとは思うが、念のため私の後ろにいるように。わかったね」
「はい」
後について廊下へ出た私が見たものは、取り押さえられている黒髪の娘の姿だった。
レクバートさんをはじめ、前に私の護衛を務めてくれた人たちや、ヴァルサスさまが王都から連れてきたのだろう頑強な体つきの男の人たちが廊下をぎゅうぎゅうになって一人の少女を捕まえている。
なんとも奇妙な光景ではあったけれど、「魔女」を捕まえていると考えればそれも大げさな対応ではないのかもしれない。少しでも彼女が怪しい動きをしたらここにいる全員が一斉に対処する、そんな張り詰めた空気が漂っていた。
それまで俯いていたエレーヌが、顔を上げる。
「……」
乱れた髪の隙間から除く目が、ぎろりと私を睨んだ。
ここまでで随分暴れたのか、肩のあたりで結んだ髪はすっかりほつれてぼさぼさになっていた。私も応接間に走りこんだときは負けず劣らずの乱れっぷりだっただろうけれど、今はもう諦めて髪を下ろしたので多少ましになっている。
無言でも、痩せた華奢な体でも、エレーヌの睨みには思わず息を呑んでしまうような気迫があった。
その緊張を解くようにすっと廊下の壁にかかった絵の中に現れたのが、リュカだ。
「エレーヌ・デラ。久しぶりだね」
「! 覚えて……」
彼が現れた瞬間、エレーヌの纏う雰囲気が明らかに変わった。瞳に光が灯り、頬に筆で紅を走らせたように表情が明るくなる。
そんな彼女に、リュカは優しげに微笑んだ。
「覚えてるよ。君は僕の秘密を他言しないでくれたからね」
リュカが頷くと、エレーヌも頷く。
ヴァルサスさまとリュカの会話に置いて行かれたときと同じ疎外感をおぼえて、それがすぐに違和感に変わった。
(どういうこと……?)
これじゃまるで二人だけに通じる何かがあるみたいだ。城の洗濯係とその城に住まう王子というだけの関係性ではないような何かが。
とても聞ける状況ではないけれど、それは私の胸に小さな蟠りを残した。
「一応僕からも聞いておこうかな。ここから出してくれる気はないの?」
「……できない相談ですね」
「そっか、残念だな」
ヴァルサスさまの言う通り、エレーヌに自ら魔法を解く気はなさそうだった。説得をするのかと思ったけれど、リュカは存外簡単に引き下がる。
「君はこれからヴァルの馬車で王都に移送される。それから、しかるべき裁きを受けることになる。それがわからない君じゃないだろう」
「……それでも」
エレーヌが私を睨みつけた。その目は私を襲ってきたあのときのメリルと同じだった。怒りと憎しみのこもった視線を私に向け、ぐっと奥歯を噛んで、言った。
「殿下……何故、どうしてその女なんですか」
「僕の妻を侮辱するのかい?」
間を置かずにそう訊き返したリュカは、これまで見たことがないほどに怖い顔をしていた。それはさっき応接間で見せた冷たい表情よりも、さらに冷たく――怒っている。
こっちまで気圧されるような気がしたけれど、凍てつく彼の視線をまっすぐぶつけられたエレーヌはその比ではなかった。びくりと肩を跳ねさせ、唇が小さく震えだしている。
「いえ……その……」
「アネットは見ず知らずの君の今後も心配する優しい人間だ。度胸もあるし機転もきく。疑問を持つ余地なんてないよ。君もわかっていただろう」
「……っですが、殿下……!」
「僕の気持ちが変わることはないよ。……君に、情がないことはないけれど。もしもこの国に魔女の居場所がもう少しあったなら、こうはならなかったのかな」
最後まで話し終えると、リュカは少しだけ金の睫毛を伏せた。
エレーヌはしばらく何かを言いかけては飲み込んでいたけれど、結局、
「……ひどいひと」
とだけ言って掴まれている肩を急かすように揺らした。
「さっさと連れて行ってください。顔も見たくない」
「貴様っ」
「いいよ別に。それだけのことをした。連れて行ってくれ、できるだけ丁重にね」
無礼なと憤慨するヴァルサスさまの護衛の人をリュカは諫めて、手振りも交えて屋敷の外に出るよう示した。
張り詰めた空気ごと、廊下をいっぱいに埋めていた人の一団が去っていく。エレーヌは魔法で抵抗することもなく、大人しく従っているようだった。
ヴァルサスさまはそれについて行ったけれど、リュカはそのまま動かなかった。
「……リュカ?」
エレーヌと相対していたときのまま、同じ絵の中で静かに彼は佇んでいた。どこか浮かない顔で。
彼を絵にした犯人が捕まって、時間はかかるかもしれないけれど元の姿に戻れる見通しが立って……少しぐらい喜んでもいいはずなのに。
「これで、終わりだといいんだけど……」
不穏な呟きが、魔女の去った廊下に落ちた。