義兄ふたたび
亡霊疑惑のあとからというもの、私は隙あらば「なくなった何か」について探りを入れてこようとするリュカを誤魔化しながらイヤリングを探すことになった。
何しろ、貰ってすぐに失くしたものだ。
良いことではないけれど、それが幸いしたのかリュカはまだ私があのイヤリングを着けていないことを怪しんではいない。
なるべく話がそちらに行かないように気にしながら話すのであんまり話に集中できない、という点を除けばなんとかやれている……とはいえあまり長くも誤魔化せないだろう。
タンスを動かして貰ってまで探しても見つからないイヤリングに、私はじりじり追い詰められていくような気がしていた。
そろそろ、潔く謝罪するべきときなのかも。
三日目にもなれば少しずつ気持ちがそちらの方に傾き始める。
けれどもちょうどその日届けられた一通の手紙が、一気に私たちの関心を持って行ったのだった。
* * *
「……ヴァル。だからいつも突然なんだって」
「今回はちゃんと事前に手紙を送ったじゃないか。それに供の者も連れて来た。文句ないだろう?」
初めて会った時と同じく私の隣に腰かけて鷹揚に言うのはヴァルサスさまだった。本人的にはちゃんと気を遣ったつもりらしく、得意げににこにこしているのが横目でもわかる。
もっとも、その弟のリュカはひどく白けた目でそれを見ているけど。
「大ありだよ。『これから向かう』って手紙を寄越すのを事前の連絡とは言わない。こちらの事情は無視じゃないか」
「ふむ。覚えておこう」
そんな調子で公務のときはどうしてるんだ、とリュカがぼやく。
初対面で私に強烈な印象を残した義兄、ヴァルサスさまからの手紙が届いたのは昨日のことだった。
私たちの近況を心配するような文や王都の様子を綴った文が連なっていたけれど、衝撃的だったのは今日ここに訪ねてくるという報せもそれが兼ねていたことだ。しかも泊まる気らしいときた。
おかげでイヤリングのことなんて完全にすっ飛んで、私もリュカもメリルもレクバートさんも――屋敷の全員、自由人が過ぎる王太子殿下を迎えるための準備に奔走する羽目になったのだった。
「それと、ある程度用事の内容ぐらいは手紙に書いてくれてもいいんじゃないの? 城の庭園の花の話は置いておいてさ」
「ああ、それは致し方なかったんだ。とても手紙に書けることではなくてね……どうか許して欲しい」
「手紙に書けないこと……ですか? 何か重大な問題が起きたとか……」
直接口頭でしか伝えられないような大切なこと、あるいは前回のように何か私たちが集まってやらなければならないことがあるか。
様子を窺いながらそう訊くと、ヴァルサスさまは何故か目を輝かせて私の手を取った。
「そうだ。以前から感じていたが、聡明な女性だね」
「えっ……あ、ありがとうございます……?」
やっぱり何かものすごく気に入られている気がする。そんなに前会ったときの対応が大正解だったんだろうか。
はあ。
困惑する私ときらきらしたヴァルサスさまの間の空気を壊すように、大きなため息をリュカがつく。
助け舟というよりは単に拗ねているだけのような彼を見ると、ちょうど片手で顔を覆っているところだった。
「あのさ……、いや、いちいち突っ込んでたら話が進まない。重大な問題って何? 僕らの結婚に異論のある連中でも出てきた?」
「そう、というより正確には疑いを持っている者たちがね。全く……この私が立ち会っていると言っているんだから、納得して欲しいものだが」
王太子直々に立ち会っての結婚式。
言葉としてはこれ以上なく重たそうで、影響力がありそうに思える。
でも、少なからず弟を溺愛していそうな兄による内々の結婚式、と考えるとどうだろう。途端に疑わしくなってくる。
挙句夫であるリュカは以前から様々な疑惑の絶えなかった複雑な立場の人間ともなれば、そういう声が噴き上がるのも特別不思議なことではなさそうだった。
所詮噂、と言ってしまえばそれまでだけど。
「放っておけばいいじゃん」
リュカは大して興味もなさげだった。
ヴァルサスさまはそれを諫めるように「もう少しだけ聞いてくれ」と言った。
「しかし、その疑惑が国内だけで済まないから問題なんだ。第二王子ではなく第三王子と縁談を進めさせたい何らかの理由があって、その口実として偽装結婚を行ったのではないか――そういう疑惑が他国にまで伝わるとなると、我が国の印象も良くない」
「何らかって、何? 王太子の弟を出し渋って格の劣る側妃の息子を差し出そうとしてるとか? 邪推が過ぎるんじゃないかな」
第三王子マルク殿下の縁談。そもそも、私たちの結婚の話が持ち上がったきっかけはそれだった。
ヴァルサスさまは図星を突かれたようで、深く肩を落とす。
「困ったことにその通りだ。そんなあからさまで幼稚な嫌がらせじみた外交をすると思われているのも嘆かわしいことだが、こちらにリュカを出せない事情があるのは事実」
「……口実としての結婚も、事実ですしね……」
この結婚はリュカの抱える事情を隠したまま、外交を進めるにあたって必要なこと。そう私も聞いている。
中途半端に否定しづらい内容を含んでいるからこそ、ヴァルサスさまや国王陛下も手を焼いているのかもしれなかった。
「こちらとしても怪しまれないよう、君たちがいかに愛し合っているかを書かせた新聞を流通させたりしていたんだが。難しいものだな」
「……ヴァル?」
「……ヴァルサスさま? 今なんて?」
聞き間違いじゃなければ、とても恐ろしいことを聞いた気がする。
私より少し早くリュカも身を乗り出している時点で聞き間違いではなさそうだけど。
「ん?」
「ん? じゃないんだよ。まさか僕らについてあることないこと広めてるんじゃないよね?」
「そこは安心していい。ちゃんと実話に基づいたフィクションだ」
「やっぱり広めてるんじゃないか!」
リュカが立ちあがった。ここまで声を荒げる彼も珍しい。
ちなみに私はもう倒れそうな心地である。何やってくれてるんですか、ヴァルサスさま……。
「そういういかにも怪しんでくださいみたいなことやってるから疑われるんだよ。ただでさえ僕は直接否定できないのに」
「そうだろうか。国防の要を握るタルシラート家のご令嬢といずれ王弟となる我が弟が仲睦まじいのは民たちにとっても喜ばしいことだと私は思う」
「自分の感覚をもう少し疑ってくれないかな。少なくとも僕らに相談ぐらいはしてほしかったんだけど……いつも通りと言えばいつも通りか……」
リュカももう何かを言う気もなくなったようで、よろめきながら再び着席する。
流石のヴァルサスさまも私たちのこの反応には思うところがあったようで、しばらく考えこんでいた。
悪い人ではない。問題は、そこで至った結論だった。
ヴァルサスさまはうんと力強く頷いて、膝に置いた手を握りこんだ。
それからはっきりとした声で私たちに提案してきたことと言うのが――。
「よし。ではやはり、リュカの代わりに夫役を演じてくれる人間を用意させよう!」
椅子から落ちるかと思った。