メリルと冬の怪談
「……ない」
嘘でしょう。
箱をひっくり返したり辺りにかがみ込んでみたりして探すけど、どこにも見当たらない。
——つい昨日もらったイヤリングが。
昨日外したあと、大事に宝石箱に収めた。それから寝る前にもう一度眺めたけれど、また同じ場所に戻したはずだ。
箱の中には他にも実家から嫁入り道具として持たされた装飾品が入っていて、それらは今も変わらず収まっている。
(別の場所に入れた……? なわけないし)
他に入れそうな場所が思いつかない。なら、入れたつもりで出していた?
だんだん元に戻したという自信がなくなってきて、眉間に皺が寄る。ない事実は変わらない。
(たった一日で失くすって……)
だらしないとかそういうレベルの話じゃなくて、膝から崩れそうになった。
貰って一日、正確にはまだ一日経っていない。昨日の夕方に貰ったんだから。
せっかくリュカとメリルが私のために用意してくれたのに、我ながら酷すぎる。なんとしても見つけないといけないと意気込んだところでちょうどノックの音がした。
「アネット様、メリルです」
「わー!? 待って、ちょっと待って!」
朝の支度を手伝いに彼女が来てくれるのはいつものことだけど、今このタイミングでとは思ってなかった。いや、いつ来てもおかしくはなかったんだけど……!
今はまずい。机の上に広げたアクセサリー類は、いかにも何か探してた風を醸してしまっている。
「どうされました……?」
「い、いいから待ってて!」
怪訝そうな声と一緒に少し開きかけた扉を大急ぎで押し戻しに行ってから、私はこれまた大急ぎで片付けにかかった。急いではいるけど、これ以上物を失くさないようには注意しながら。
全てを収め終えて、箱を元に戻して、ふうと息を吐く。
これでよし。
「お待たせしてごめんなさい、さ、入って」
「アネット様……?」
改めて扉を開けに行って、メリルを部屋に招き入れる。完全に怪しまれているんだけど、それには気づかないふりをして。
「なんでもないのよ、ええ。なんでもないの。さっと支度しちゃいましょう、さっとね」
「あの、全然なんでもなく見えないんですけど」
「平気、平気」
流れるようにドレッサーの前に座る。普段なら雑談するけど、今話すとぼろが出そうなので今日はナシで。作り笑いで誤魔化しながらメリルに櫛を渡すと、一応何も聞かずに受け取ってくれた。
「今日はどのような感じにいたしましょうか。あの耳飾りが映えるように髪を上げますか?」
「……」
笑顔のまま凍りつく羽目になった。
当たり前の流れだったかもしれないけど、どうして。ピンポイントすぎる話題に私は頭を抱えたくなったけれど、悪あがきを続けた。
「い……いいえ、ちょっと今日はやめておくわ。ほら、昨日つけたばかりだし、連続になっちゃうでしょう?」
「別に続いても構わないんじゃないですか? リュカ様は喜ばれると思いますよ」
「ぐっ」
さっきからメリルは本当に当たり前の受け答えしかしていない。と、思う。私に後ろめたさがあるのがいけないのだ。
今日もイヤリングをつけていたら、きっとリュカは喜ぶだろう。メリルの言う通りだと思う。私がもし贈る側だったとしても相手が使ってくれているのを見たら嬉しいし。
「?」
だから、メリルのそのきょとんとした顔も、わかる。
わかるけど、それはとても、すごーく……罪悪感を刺激するのだ。
見つめ合うこと数秒。私はこのあとも続きそうな悪気のない責め苦を悟って、折れた。
「ええと……あの……その、ね。そのイヤリング……なんだけど……」
今ちょっと、すぐに出てこなくて。
口の中でごにょごにょしながら言う私に、メリルは容赦なく直球をぶつけてきた。
「えっ、あのイヤリングなくしたんですか?」
「まだ失くしたと決まったわけでは! ……ない、と思うから……でも、ごめんなさい……」
折れたといいつつ往生際の悪い私を見てメリルはどう思っただろう。
呆れられても仕方ないし、あの贈り物はメリルの選んでくれたある意味彼女からの贈り物でもある以上、私は深く深く反省して謝るしかなかった。
「昨日外したあとはどうされたんですか?」
「たぶん、手持ちの宝石と同じ場所に入れたはずなの。だけど見つからないし……眠る前に取り出したあとどうしたか、あまり自信がなくて……」
「部屋の中なんですね。私の方でも探してみますけど……うーん、亡霊に持って行かれたりしていないといいんですが」
「えっ、何それ!?」
失くしただけじゃなく、変な可能性まで出てきた。
メリルがあまりにも自然に発した不自然な単語に私は思わず後ずさって、それからもしかしてと彼女の様子を窺う。
「メリル……わ、私への仕返し……かしら?」
「あ、そういうことじゃないです。意地悪じゃないですよ。ご安心ください」
「意地悪って言って! 本気で言われてる方が怖いから!」
いっそ意地悪からの作り話の方が何百倍良かったことか。怯える私をメリルは目を丸くして見てから、くすりと笑った。
「ふふっ、アネット様は本当に怖い話が苦手なんですね」
「笑いごとじゃないのよ。ただでさえ寒くなってきたって言うのにさらに震えちゃうじゃない……」
だからといって夏なら良いってわけでもないけど。ぶるっと震えてみせたけれど、メリルはそのままその話を続けた。
「昔からこのあたりでは言うらしいんですよ。きらきら綺麗なものを不用意に置いておくと、亡霊に取られちゃいますよーって」
「そんな恐ろしい言い伝えが……」
うちの父が聞いたら即座に強固な金庫を拵えそうな話である。
そんな話があるのならもっと早く聞いておきたかった気持ちが半分、怖いからそのまま知らずにいたかった気持ちがもう半分。
少なくともメリルの何気ない怪談話は私をすっかり怖がらせるのに十分で、なのに彼女は割とあっさりその話を打ち切った。
「ま、ただの言い伝えですけどね。大切なものはちゃんとしまっておくか肌身離さず身に着けておきなさいっていう教訓ですよ。私もおばあちゃ……祖母からよく言われたものです」
言いながら、メリルは自分の襟元に手を遣った。首に細い鎖がかかっていたようで、彼女がそれを引き出すと赤い石のペンダントトップが現れる。
そんなものを使用人のお仕着せの下に身に着けているなんて知らなかった。それが彼女なりの「亡霊対策」らしい。
「でも、このお部屋の中にはあるのは確実でしょう。探していたらそのうち出てきますよ」
「……だと、いいけど……」
出てきてもらわないと困る。出てきたら、「やっぱり失くしただけじゃない」で済むんだから。
メリルの話を聞いてしまった今となっては、出てこない事実が失くしたことをリュカに知られるよりも遥かに恐ろしくて落ち着かなかった。
* * *
その夜。
私はベッドに入っても未だにメリルの話が気になって、全然落ち付けずにいた。
結局のところイヤリングをつけていなかったことに関してはリュカに突っ込まれずに済み(明日以降もつけていなかったら流石にそのうちバレると思うけれど)、そちらは表立って問題にならなかった。そして、イヤリングも出てこなかった。
メリルに頼んでそれとなく使用人の皆の間でもそれらしいものを見かけたら取っておくように共有してもらったんだけど、外に転がって行っちゃうなんてことは限りなく低い可能性で。私の部屋から出てこないとなると……もう……。
(亡霊……っ、いやいや。そんなこと)
あり得ないとは思う。けど、夫が絵の中にいる身で何を今更って思い始めれば、もうなんでもありだ。
少なくとも亡霊に物を取られる方が、平面の王子様と結婚するより随分あり得そうな気がする。
くすくす……くすくす……。
「……え?」
そんな私の考えを笑うような声が良いタイミングで聞こえた気がして、固まった。
「き……気のせい、よね?」
寝たまま左右を確認してしばらく考える。この部屋には誰もいない。はず。私だけ。
「……リュカ? 悪戯……?」
違った場合本人に知れたら失礼なと怒られそうだけど、私は唯一考えられる可能性を口に出した。自分でもわかるぐらい声が震えている。
私だけの部屋で、声が聞こえるとしたら理由はいくつか考えられる。
まず、リュカの不法侵入。
「……」
——というわけでは、なさそう。
次に、幻聴。気のせい。
「……」
くすくす……、……ははっ……。
「〜〜〜〜っ!!」
また笑い声が聞こえて、私は飛び起きた。明かりを全て消していなかったのが本当に幸いだった。これ以上暗かったら私は絶対にパニックを起こして叫んでいた気がする。
だけど、多少の明かりがあるからって落ち着いているわけでもない。
リュカの悪戯でなく、幻聴でもない。なら、それは。
本当に亡れ
「無理……私絶対このままここで夜を明かすなんて無理……!」
なるべく大きな独り言を言いながらベッドを出て、付けっぱなしの燭台を掴む。それからずんずん扉まで突進して、裸足のまま私はまだ明るい廊下に出た。
良かった、廊下の明かりはついてる。
たぶん少人数で暮らす屋敷だから、夜間も見回りの人が通るために明るくしているんだと思う。助かった。
「けど……廊下で過ごすのもそれはそれで……あれよね……」
いちいち状況を口に出さないと恐怖で押しつぶされそうで、燭台を握り締めながら大丈夫大丈夫大丈夫と何度も口に出す。
廊下で立ったまま夜を明かすのは現実的じゃないし、かといってどこに行けば良いのか。どこに……。
「……リュカ、起きてるかしら……」
考えた末に至った結論。
なんとも情けない話だけど、私は引けた腰で歩き出した。