仲良し計画、その後
「今なら聞ける気がするから聞くんだけどさ」
メリルが下がり、二人きりになった後。
妙な沈黙が流れる中、リュカは突然切り出した。
「何?」
「結局このところレクバートと何の話をしてたの?」
「へ?」
じとりとした視線を向けられる。何かこういう視線を浴びたことが前にもあったような気がするんだけど、何だったっけ。
なんとなく本能的にここで変に誤魔化したり黙り込んだりするのはあまり得策でないような気がした。答えないといけない、けれどリュカのその切り出し方はやっぱりあまりにも急すぎやしないだろうか。
「……『結局』の意味がわからないんだけど、もしかしてそれってこの贈り物に関係あるのかしら?」
「前に貰った花のお返しなのは本当だよ。別にご機嫌取りとかじゃないって」
否定するわりには妙に言い訳がましい気がする。不審に思いながらも、私はひとまず彼が聞きたい内容だけは把握した。
(まあ……別に何としてでも隠したいってわけじゃなかったし、いっか)
いつどこで見られていたのかという疑問は残るけど、深く突っ込めば不要な言い争いを生む気がしてやめた。それだと何か後ろめたい何かがあるみたいにもなるし。
「少し、魔法について習ってたのよ」
「えっ。アネット、魔女にでもなりたいの?」
リュカが意外そうな顔をする。額縁から乗り出せたら乗り出してきていそうな食いつき方に少し呆れつつ、私は首を横に振った。
「そういうことじゃなくて。まあ、おとぎ話に出てくるような空を飛んだりドレスを一瞬で作っちゃったりする魔女には、ちょっと憧れもあるけど……実際のところはそういう感じじゃなさそうだし」
物語は物語、現実は現実。イメージと事実には差があるものだ。
それにがっかりしたわけではないけれど、期待に全て応えてくれるほど万能でもなさそうだというのが今の私の感想だった。
仮に魔法が万能なら、人を絵画に変える反対の要領で絵画を人にだってできて当然なのだから。
「前にちらっと、現実に存在する魔法にはどういうものがあるかって話をしたでしょう? もう少し詳しく知っておけば貴方の力になれるかと思って、レクバートさんに聞いてみてたの」
「……」
敵を倒すにはまず敵を知ること。と、父がいつも言っている。
性質や弱点がわかっていてこそ見えてくるものもあるし、エレーヌ探し――ひいてはリュカを元に戻すことに協力すると言った以上は私も勉強しておくべきだと思った。
「……リュカ?」
ちゃんと質問に答えたつもりだったんだけど、何故か良い反応が返ってこない。というか、反応が返ってこない。
本物の肖像画になってしまったかのように固まっているリュカを不審に思って首を傾げていると、ようやくリュカが口を開いた。
「……えーっと……もしかして僕、ものすごく愛されてる?」
……。
…………。
「そういう発言が出るところはどうかと思ってるわ」
「ごめんごめんごめん。軽口叩いて悪かったよ」
今度は私がじとりと睨むと、即座にリュカは謝罪した。素早い反応だった。なら最初から茶化さなきゃいいのに、とは思うけど……リュカってこういう人よね。
「だけどさ、僕に聞いてくれれば良かったのに。僕だって勉強してきてるんだから」
「知っていることを何でも話せるわけじゃないでしょう?」
遮るように指摘すると、リュカは黙った。口を閉ざして幾度か瞬き、何か反論を捏ねようとしていたようだけれど何も言わなかった。
思っても話せないことがある。まさに今のように。
(リュカに不自由があるなら……私ができることも増やしておかないと。特にエレーヌ絡みのことは、詳しく事情を知る人も少ないわけだし)
リュカの今の状況の真実を知る人はとても少ない。彼が城を出てこちらに越してきたこともあって、さらに味方は少なくなっている。
彼が未だ私に全てを話してくれてはいない風なのも、そういった事情が関係していないとは言い切れなかった。それなら、私は私でできることを探した方がいい。
「……それで、どんな話が聞けたの?」
リュカは話を戻した。
私は今度も正直に質問に答える。
「レクバートさんも忙しいから、端的にどういう例があるか聞いたぐらいよ。物や生き物を操ったり、意識を乗り移らせたり、逆に情報を読み取ったり……とか。使い方によっては本当に役に立つ力よね」
「使い方によっては?」
興味深そうにリュカが紫の瞳を瞬かせる。特に変なことを言ったつもりはないんだけど。
「防衛にも使われることがあるって貴方が言ったんじゃない、リュカ。貴方を閉じ込めてる魔法も、こんな使われ方だから本当に厄介だけれど……もっと違う使い方をすればきっと人の役に立つのに」
「ふぅん。例えば?」
「例えば!? そうね……あ、省スペースで物が運べる……?」
思わぬ無茶振りに焦ったものの、なんとか数秒のうちに返しを思いついた。
もちろん元に戻せることが前提となるけれど、この魔法の最大の特徴は(応接間の等身大の額で確認した限り)けして小さくはない成人男性のリュカを私が持ち運べる程度に小さな額にさえ収納してしまえていることだ。
「荷馬車いっぱいの荷物をキャンバス一枚に収めれば、十倍も二十倍も荷が積み込めない? 物流に革命が起きるわよ」
うん、慌てて考えたにしては我ながら悪くない考えじゃないだろうか。
実家で領内の面倒ごとの相談役を引き受けていたとき、度々壁となったのが荷運びの問題だった。
大がかりな工事をしようと思えばそれだけの人手が要るし、近隣の土地と食糧の取引を行うにもやっぱり人が要る。そこにこの魔法があれば……。
……と、さらに考えていると吹き出すリュカに思索を遮られた。
「ぶっ……くく、物流って。何を言い出すかと思ったら」
「ちょっと、私結構真面目にアイデア出したのに!?」
リュカは隠そうともせず肩を震わせて笑っていた。
むっとする私に気が付いたのか、すぐにぶんぶん手を振ったけど。
「や、天才だよ! ほんと良い案だと思う、僕には思いつきもしなかった」
「それ本当に良い意味で言ってる?」
そういうからかいというか、嫌味じゃないかと疑う。
リュカは笑うだけ笑って波が引いたのか、今度はいやいやと首を振って否定した。
「本気だって。『これ』にそんな良い意味を持たせられるなんて思わなかった。魔法が便利なだけじゃないこととか、悪用厳禁ってことを考える機会はいくらでもあったけど——悪い魔法の良い使い方までは考えたことがない」
話しながら、いつの間にか彼の口元から笑みは消えていた。真面目なトーンは装っているわけでもなく本気のよう。
それに呆れるのも今更だけど、私はため息をついた。
「使い方次第でどうとでも化けるなら、良い魔法も悪い魔法もないんじゃない?」
「君から見たらそうかもしれない。けど、僕たちは手段を選ばず狙われる側だったからね。害を与えようとしてくる悪い魔法からいかにして身を守るか、そういう論調の授業ばかり受けてきた」
リュカは腕組みをして、昔習ったことを思い出すようにゆっくりと話した。
「魔法を行使する媒介になるようなものにはなるべく気を付ける、いざと言う時には術者を無力化する……『対策』は数多く習っても、『活用』についてはそこまで。秘匿されてるのもあるけど、この国で魔法が発展しないわけだね」
「そっか、そういう事情が……」
はっとした。便利なことが知られているなら、多少のデメリットや悪用の危険はあれどもう少し普及しているはず。それを元々なかったことのように扱い続けているということは、活用しようという考え自体がそこまで大きな流れではないのだ。
おそらく、それは良い面以上に悪い面を見ているから。
「レクバートに今の話した?」
腕を解いて、さっきよりは軽いトーンでリュカが言った。
「荷物を絵に収める話? まさか。たった今貴方に言われて思いついたんじゃない」
「言ったら絶対驚くよ。レクバートも僕らと同じように教育を受けてきたからね」
「そうなの?」
「うん。レクバートの母親は僕とヴァルの乳母でね。小さい頃から僕らの遊び相手だった。ある意味兄みたいなものかな。それで自然と側付きになって……僕が城を出る時にもついてきてくれた」
「……そうだったの」
その話は初めて聞いた気がする。相当長い付き合いなのだろうとは思っていたけれど、そこまでとは思わなかった。
リュカがレクバートさんを側近としてなんでも任せている理由の一端はそこなのかもしれない。血のつながりはないけれど、家族のようなものだから。
「だからきっと、考えたこともないはずだよ。僕以上に。魔法のそういう使い方をさ」
「それじゃもし、悪くない魔法の使い方が広まったら……今は見つかっていない魔法使いたちも、もう少し見つかるようになるかしら?」
エレーヌ・デラは国の把握していない魔女だろうと目されている。反対に、エレーヌの方はどうだろう。
魔法の存在を国が把握していると、城仕えの魔女たちもいると知っていただろうか? ――ここに来るまでの私を含め、多くの国民がその存在を知らないのに?
「言い出しやすくなれば、名乗り出る人もいるかもしれないし……もっと情報交換ができて、もっと良い使い方ができるかなって思うんだけど……」
「そうかもね。こういう話はヴァルにもするべきだな」
「確かに……ゆくゆくは陛下だものね」
改めて言うと重たい響きのような気がしてきた。陛下、そう、次期陛下である。何事もなければ……なんて不吉なことを言っちゃ駄目か。
かなり鮮明に思い出せるあの嵐のような義兄訪問から結婚式までの流れが脳裏を駆け巡って、私は目を伏せた。……次期陛下である。
「……君は、あの魔女を許すのかな。僕を今こんな目に遭わせてるわけだけど」
「え? ……あっ」
一瞬彼が何を言ったのかよくわからなかった。
少し間をおいて理解して、さあっと自分が青ざめるのを感じる。
「あ、貴方を閉じ込めたことまで美化するつもりはないわ! それは悪いことよ、間違いない」
内心だらだら冷や汗をかきながら口走ったのは、誰がどう見ても苦しい言い訳だった。
エレーヌの事情と、リュカの事情と。最近の悩みの種だったまさにその問題が、今目の前に立ちはだかっていた。しかもよりによって本人の前でそんな態度を取ってしまうなんて。
(私が処罰されてもおかしくないレベルの失言……だし、それ以前に当事者に絶対言っちゃいけない類の話じゃない……!)
思えば「使い方によっては?」って聞かれたあたりから既に彼の雰囲気が変わっていたかもしれない。
誘導したんじゃないかって訴えることはできるけど、結局それで引き出された本音がこれなのは確かで。取り返しのつかない状況にあれこれ考えを巡らせるけど、考えても考えても今更フォローのしようがない。
だけど次の言葉が見つけられない私を、リュカは怒らなかった。
「ふふ、わかってる。困らせてごめんね」
なんなら微笑を交えて言う彼に、私はまだちらちら視線を合わせたり外したりしながら呟く。
「いいえ……リュカには報復する権利がある、と思うわ」
「報復って。物騒な単語が出るのはお父上譲りかな」
「……そ……うかも」
おそるおそる様子を窺っていたけれど、どうやらリュカの笑みは愛想笑いではなさそうだった。
怒っては、いないらしい。本当に。
「それでいいよ、アネット。王族に手を出したから無条件で死刑ってのはやり過ぎだと思ってたんだ」
「死刑になるの!?」
さらっと言うことではない。
さらっと言うことではないけれど、リュカは驚く私に対して冷静だった。
「『彼女』が捕まって、僕が何も言わなければね。そういうものだよ、残念ながら」
リュカは微笑を崩さない。眉ひとつ動かさなかった。それがおそらく当たり前のことだと知っているから、彼にとっては今更口に出したところで動揺する理由にはならないのだ。
でも私は戸惑う。
「……それは……それって……」
「戸惑うのも無理ないよ。僕だって呆れてるんだから。確かに王族に魔法をかける——大袈裟に言えば危害を加える——さらに大袈裟に言えば国王への叛意を示す、これは重罪だ。僕はそんな単純にこの事件を片付けるのは愚かだと思ってるけど」
今思いきり「愚か」って言い切った。
私がさっき魔女寄りのような反応をしてしまって冷や汗をかいていたのに、彼ときたら堂々国家批判である。
(身内が言うのはセーフなのかしら……セーフよね、きっと)
そういうことにしておこう、と私は天井の隅に視線を向けた。
そんなこちらの心情に気づいているのかいないのか、リュカは話を続ける。
「君みたいに柔軟な見方のできる人間が味方にいてくれるのは心強いんだよ。僕も人間だから、独りで異論を突き通すのはちょっとしんどいし」
「……それじゃ、リュカはエレーヌを許すの?」
怒っていない理由と、なんなら私の態度がある意味で彼の思い通りだったことはわかった。それにはほっとするけれど、かえってすごく不自然な気がして私は訊いた。
要するに――一番の被害者がこんなに寛容で、いいの? と。
リュカは答えるのにあまり悩まなかったようだった。
「それもまた一つの見方だよ。だって有名な絵画じゃ、解釈が割れるなんてよくあることだろ?」
悪戯っ子のように小さく舌を出して、絵の中の彼は笑ってみせた。