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事実は絵画よりも奇なり

 おかしな縁談と思った時点で、もう少しそれなりの覚悟を決めておくべきだったのかもしれない。


 異国人たちとの国境沿いの土地を巡る小競り合いに、もう何度目かの勝利を挙げた父に敬意を表しての見合い話と聞いていた。タルシラート家の功績は著しい。領地替えだってあってもおかしくなかったけれど、それでもあの国境から動かせないでいるのはうち以上の適任者がいないからだと思う。それと、由緒ある他の貴族の目があるからか。武功で成り上がったうちは、政治の中枢を長年担ってきた家とは色々事情が異なる。


 そんな状況での第二王子との縁談。兄の言う通り私よりもふさわしい相手が山ほどいるはずだ。言ってて悲しくなるけれど、漏れ聞こえてくるタルシラート家の評判はそんなによくないし、まず私自身が多分「難あり」認定をされている。


(絶対あちこちから反対されそうなのに、やけにとんとん拍子で進んだのも怪しい……)


 初めて父から聞かされたときは嘘か酒の席での戯れだと思ったのに、次に話を聞いた時にはもう日程決めの段階にまで進んでいて、そしてあっという間に顔合わせの日だ。その間、私と件の王子殿下との間に手紙のやり取りすらない。


 リュクトール・ユラ・トゥイス殿下。年齢は私より1つ上の18歳。私が知っているのは本当にそれぐらいだ。王国の中心地にいる貴人の方々からしたら遥かに田舎者とはいえ、これでも情報にはそこまで疎くない……ほうだと思う。貴族ネットワークからは弾かれ者だろうと、ちゃっかり噂話に耳を傾けることはできるし領地に出入りする行商由来のゴシップだってあるのだから。にも関わらず、リュクトール王子のしっかりした情報はろくになかった。


 まず社交界にろくに顔を出さないこと。私だっていやいやながら出向くときは出向いているのに、リュクトール王子はまったくと言っていいほど現れない。言われるまで「誰?」という状態だったのは私の記憶力不足のせいではなさそうだ。

 そして彼は社交界どころか、行事にも滅多に顔を出さない。どこそこで見たかもしれない、というレベルのあやふやな噂を含めたとしても最後の目撃情報は2年ぐらい前。謎に包まれているどころか、生存さえ怪しむ声があるぐらいだった。

 それでも彼は少なくとも書類上生存しているし、領地もしっかり持っている。逆に言ってしまえばそれがまた不可解な点の一つなのだけれど。


 王都に近い、タルシラート領の5分の1ぐらいあるかないかの小さな土地が名目上ミドス公と言われるようになったリュクトール王子の治める場所だ。もともとそこを治めていた貴族はうちの領をいくらか切り取った土地に移る取り決めになったらしい。……などというややこしい話は置いておいて、大事なのは彼が王宮から出されたというところだ。傷害事件を起こして勘当とか、そういう感じでもない。


 うーん、考えれば考えるほど、いかにも触れちゃならなさそうな案件でしかない。


 そんな王子への噂は様々だ。

 きらびやかな美男美女ばかりと言われている王族の中で彼だけは実はとんでもない醜男で、表にはとても出られないとか。重い病を患っていて城から隔離されているとか。そんなのはまだ序の口で、王太子に手ひどく嫌われているから放逐されたとか、しまいには実は先王の隠し子で外に出すわけにはいかない存在だとか。

 無責任な噂話というのはすごいなあ、と思わないでもないけれど、正確な情報があまりにもないのだから話が膨れるのも当然と言えば当然だ。まだ年齢が二桁にいかない弟王子の方が性格だの好きなお茶の銘柄だのの情報があるのってどうなのよ。


 それでも断ろうと思わなかったのは単純に家のためもあるし、少しばかり夢を見ていたからでもある。ある意味で面倒な人間なら周りに大勢いるし、この縁談を蹴れば十中八九私は別の政略の一部で父や兄の知己と結婚することになるか、あるいは生涯独身で当主のブレーキ役を務め続けるかの二択になる。それは正直ごめんだった。多少の訳ありであったとしても、もしかしたら案外今よりずっと平穏でいい暮らしができるかもしれない。そういう下心があったことは認める。


 認めるけれど、だとしても、なんでこんな。

 




 ──気絶から覚めて、さっきからずっと現実逃避につらつらと回想していた。

 目を開けたときには見知らぬ天井があって、別の部屋に運んでもらえたのだと悟ると同時に私が婚約者の屋敷へ訪れたのが夢ではないことがわかってなんとも言えない気持ちになった。極めつけに視界の端に「それ」が見えてしまったから、私は寝返りを打つふりをして枕に顔を埋めることになった。もう完全に逃避だ。現実なのはわかっているけれど夢だと思いたいというか。本当に悪い白昼夢ならさっさと覚めてほしい。


「ねえ」


 何か声が聞こえる。若い男の人の声だけど、兄さんじゃないな。あー、そういえばこの枕ふかふかだなー、実家のとは大違いだ。さすが、高いのを使ってるんだろうなー。


「アネット・タルシラート。このまま寝たふりを続けるなら体当たりするよ」

「攻撃方法原始的すぎるでしょっ!?」


 叫んでからあっと口を噤んでももう遅かった。つい実家で兄を相手にするように答えてしまってから、相手の身分を思い出してさっと血の気が引ける。このまま放置して墓穴を掘り続けるわけにはいかず、こわごわと私は体を起こして「それ」を──「その人」を、見た。


 ベッドサイドの椅子に立てかけられた大人が抱えられるぐらいの額縁の中に、微笑みを浮かべる青年の顔。絵になるというか、絵だ。額縁が窓枠とでも言わんばかりに肘をつき、時折瞬きもしているけれど、それは絵だ。


「冗談だよ、僕はここから出られないからまず不可能だもの」

「……はあ……」


 もう何が冗談なのかわからない。冗談というなら、この状況が冗談みたいだ。なんだこれ。国境近くの比較的いろんな文化が出入りする場所で生まれ育ったと思うけれど、動く絵なんて一度も聞いたことがない。私じゃなくても悲鳴ものだ。前世で何をしたらこんな珍妙なことに巻き込まれる運命になるんだろう。


「……あの、確認してもいいですか」

「うん、何?」

「リュクトール殿下……で合ってます?」

「合ってるよ、そして君の未来の夫でもある」

「まだ決まってませんからね!?」


 おそるおそる訊くこっちとは対照的にあっけらかんと話す絵に、思わずそう言い返す。またやってしまったと口を押さえる前に、絵の中の青年は綺麗な顔を悲しそうに歪めた。


「……アネットは結婚したくないのかい?」

「え、そ、そういうわけではないですけど、そうじゃなくて……」

「いいんだね? じゃあ決まりだ。よろしく、アネット。僕のことは気軽にリュカって呼んでくれ。親しい人にはそう呼ばせている」

「いや人の話は聞いてくださいっ、殿下!」


 父と兄も大概私の話を聞かないけれどこの人も聞いちゃいない。そういう手合いには遠慮したら最後、どこまでも相手のペースに持っていかれる。経験からはじき出した結論は、もう不敬とか今は考えないで強く出ることだ。


「リュカだよ」


 私をまっすぐ見つめてぽつりと彼が言う。薄いすみれ色の瞳がじっとりこちらを睨んでくる。……ええと、これは。


「……殿下」

「リュカ」


 愛称で呼ぶまで話に応じないとかいうやつか。子供か、と言いたくなるのをぐっとこらえて私は彼を呼び直す。


「……リュカ様……」

「敬称もいらない」

「リュカ」

「よし」


 満足そうにリュクトール王子──改め、リュカは笑みを深めた。

 本当に、どうしてこんなことになったのか。また気が遠くなりそうだ。心なしか嬉しそうな様子でにこにこ私を見る額縁の中の王子様に笑顔を返すことはできそうになかったけれど、出てきそうになるため息をなんとか飲み込むことには成功した。


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