二つの仲良し計画(後編)
アネット視点に戻ります。
(……メリルはレクバートさんと会えたかしら)
なんとなく窓の外を見ながら、勝手にメリルの慌てる様子を想像してくすりと笑う。
いつも私の世話をしてくれたり話し相手になったりしてくれるメリルは、今日はお休みをとっている。
どうしても欲しいものがあって朝から市にお買い物に行くと言っていたのが印象に残っていて、それで私は小さな企みをしたのだった。
(鉢合わせしたら面白いな、と思ったのよね)
今はレクバートさんもミドスの外に出てのお仕事がないようで、屋敷にいる時間が長い。直に歩くことができないリュカに代わり領内の巡回をすることがあると知っていたから、私は少しばかり彼の足止めをさせてもらった。
——メリルが行くだろう市の開く時間と、レクバートさんの巡回の時間が被るように。
私の予想が正しければ、せっかくならとあれこれ見るタイプのメリルが市でゆっくり買い物をしているところにレクバートさんが通りがかるはず。
そして隅々まで丁寧に仕事をする彼なら、適当に通り過ぎたりしないでちゃんと市の中まで入っていってくれることだろう。上手く行っていればいいんだけど。
トントントン、と扉が叩かれる。
「はい、どうぞ……何かしら?」
レクバートさんとメリルが外出中となると、私をわざわざ訪ねてくる人も用も思いつかない。もちろんこの屋敷には二人以外の人たちが働いているものの、言葉を交わす機会はほとんどなかったからだ。
そうしたら、訪問者はもっと意外な人物だった。
「アネット。僕だけど」
扉の向こうから聞こえたのはリュカの声だった。次いで少し扉が開いたけれど、ドアノブを握る手は見えない。これは怪奇現象、ではなくて……リュカが以前言ったように、扉の絵を使って扉を開けたからだと私はもう理解している。
むしろ日中に彼が私を訪ねてきたことの方に驚いていた。私が手伝いをしないときも彼は何かしらの仕事をしているみたいだったから、そんなこと思いもしなかった。
扉を開けるだけ開けて、リュカはまだ部屋に入るつもりがないようだった。それも変な話。いつもなら結構遠慮なく絵と絵の間をひょいひょい行き来しているっていうのに。
私を戸惑わせたのはそれだけではなく、仕方なく出て行った先に「もう一人」が立っていたことだった。
「リュカ……それにメリルも? 一体どうしたの?」
「少し君に用があって。今時間、ある?」
お休みのはずのメリルが、どうしてここにいるのか。それも謎だし、何故リュカと一緒にいるのかも謎である。
怪訝そうな私に対してリュカの調子はいつも通りだったので、そこまで深刻な用件ではない、と思いたいけれど。
(随分改まった様子だし……何かあったのかしら)
やっぱりいつもと違う雰囲気は何か異常事態を疑うには十分で、私の声は自然と緊張で硬くなった。
「どうぞ、入って」
リュカが私の部屋にかけられた額縁に移動し、メリルが一礼して部屋の中に入ってくる。今気づいたけれど、メリルの手には小さな包みがあった。
えっ、何? 何を持ってきたの?
「今日はえっと……君に渡したいものがあるんだ」
「渡したいもの? えっと、今日は何かの日だったかしら。それに確か、メリルは今日お休みだったはずよね?」
「あ、それは……色々と事情がありまして。でもそれは後に」
メリルから差し出された包みを、ひとまず受け取る。彼女からはそれ以上の説明がなかったのでリュカの方を見ると、頷かれた。
「どうぞ、いいよ」
いいよ、とは言われたものの。いくら二人を信頼していると言っても、身に覚えがない上に何なのか見当もつかないものを開封するのは結構怖いんですが。
それでも何か期待するような二人の視線に急かされて、私は思い切って包みを開けた。
目に入ったのは、金と薄紫が混ざり合う夕の空のような色彩。それは繊細な細工が施されたイヤリングで、私は息を呑んだ。
「綺麗……」
「今日、メリルに頼んで選んできてもらったんだ。僕からのプレゼントって言えるかは微妙かもしれないけど」
はにかむリュカに、私は全てを悟った。メリルが急遽お休みを取るほどに必要なもの。それには彼が一枚噛んでいたのだ。
「ほら、前に花をくれただろ? あれにお返しができてないなって、ずっと引っかかってたんだ」
「あれのお返しを、わざわざ?」
あげた私すらすっかり忘れていたのに、リュカは真面目だ。しかもあげたのは庭の花(の絵)なのに。
「ちゃんと覚えてるよ、何しろ初めて貰った贈り物だからね。それに実はまだ持ってるんだ。絵の花は枯れなくて助かってるよ」
そういえばそんなことを言っていた気がする。絵に描かれたものは本物ではないから、生きてはいないから、と。
イヤリングをもう一度まじまじと見る。絵の具で作り出そうとすれば簡単にはいかない、自然のグラデーション。
「……で、どう? 気に入ってくれた?」
「もちろん。ありがとう、リュカ。メリルもよ。わざわざおつかいしてくれたんだもの」
「アネット様、大したことでは……いえ、一生懸命選びました。嬉しいです」
そんなことを二人で計画してるなんて全く知らなかったものだから驚かされたし、もちろん嬉しい。それに贈り物の内容も素敵だ。
「ちなみに、付けて見せてくれたりすると僕としては嬉しいんだけど——」
「大丈夫、わかってるわ。ちょっと待って」
ドレッサーに向かい、包みを一旦置いてからイヤリングをつける。メリルが急いで追いかけてきて手伝ってくれたからあっという間に済んだ。
耳のすぐそばで揺れる飾りは、鏡を見て支度しているだけでも気分を上げてくれる。
「どう? リュカ。見える?」
額縁の前まで歩いて、髪をかき上げてみせる。絵の向こうからでもわかるだろうか。
リュカはこちらをじっと見つめて、微笑した。
「似合ってる。すごく綺麗だ。手を伸ばして触れられたらどれだけ良かっただろうね」
そっと、彼が伸ばした手はキャンバスにぶつかって止まる。窓に手をつくようにそこで止まってしまった指先は、どうしても平面のままだった。
「……イヤリングは触るものじゃないと思うわ」
「違う。君に」
「……」
この前アンナに会って以来、エレーヌの事情を慮ろうとしていたけれど——それは情に絆される、とでも言うべきことだったのかもしれない。
リュカにとってはもう半ば当然のことになってしまったようなこの制限は、魔法によって齎されたもの。そして姿を消したエレーヌが、姿を消すだけの疾しさを抱えていたのも確かだろう。知らぬふりはできない。
気がつけば一歩進み出していた。
「なら……これで代わりになるかしら」
描かれた手のひらに指を重ねるように触れる。絵に直接触るなんてあり得ないと昔の家庭教師に厳しく叱られそうな行為だったけれど、今は特例と見逃して欲しい。
リュカは私のすることをしばらくきょとんとした顔で見ていたけれど、やがてふっと鼻で笑った。
「全然駄目だね」
「えっ」
「駄目だよ。体温も何も感じられないし、触ってる気がしない。もっと近くに寄りたくなっても近寄れないしね。あーあ、やっぱ今のままじゃちょっとばかり不便だなぁ」
はは、と零されたその笑いは、どこか乾いていた。無理な笑いで、無理な不満を誤魔化そうとしていた。
「でも、今はこれで我慢しとく」
わざとおどけてみせる絵画に、私も彼の言う不便さの意味を理解してしまった。
私たちの世界は、こんなにも明確に隔たれている。