表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/47

森の中の少女(前編)

「あそこ……森の中に……誰かいるみたい」


 手前までで様子を見るつもりだった。メリルにもリュカにも心配をかけるだろうから、本当に無理に森に入るつもりはなかったのだ。あのスカートの赤が目に入るまでは。


「えっ、どこですか?」


 メリルが私のすぐ横に寄ってくる。私の視線と重ねるように彼女が体を傾けるから、すっと手を出して方向を教えてあげる。指先の延長線上を追えばメリルも見つけられるはずだ。


「ちょっと距離があるけど……向こうできょろきょろしてる子。紅葉見物って感じじゃなさそう」

「一人で? 変ですね」


 木々の向こう側だからか、見つけるのに時間がかかっているようだった。メリルは首をひねったり、体をひねったりしながら唸っていたけれど、しばらくしてようやく「あっ」と声を上げた。


「あぁ、見つけました。ほんとだ」

「よかった、私の勘違いじゃなかったみたいね」


 ついでに幻覚でもなくてよかった。これでメリルには見えない何かが見えてるなんて事態になったら、できるだけ高速で足を動かして屋敷に戻っているところだった。


 でも、見間違いでも幻覚でもないとして、それはそれで妙だ。人影は別にこっちに通り抜けてくるでもなく、紅葉した葉を見上げているわけでもない。


「もしかして、道に迷ったのかしら。この森だとたまにあるって言ってたわよね?」

「言いましたけど、でも、ここから見えるんですよ。向こうだってこっちが出口だってわかるんじゃ」


 以前聞いた噂話を思い出しながら言ってみたけれど、メリルは納得していないようだった。

 確かにそれはまっとうな意見のように聞こえる。彼女だけならそれで片付けてしまうんだろうけれど、私はどうにも不思議な動きをするあの人影に既に興味が湧いてしまっていた。


 普通なら、見えている場所で迷子になんてなったりしない。「普通」なら。だけど、この森は「普通じゃない」森だ。


「私たちのときを思い出して、メリル。あのとき、私たちは必死に森から出ようとしてたつもりだったけれど……現実は違った。そうでしょう?」

「それじゃ、今まさに惑わされているところ……ってことですか? あっ、アネット様!」


 答える前に駆け出した。私を呼び止めようとする声が後ろから聞こえる。

 やっぱり、気にしているより実際に見て確かめた方が早い。百聞は一見に如かず、実家で身につけた経験から得た教訓だ。父や兄があれこれ予想で意見を交わしている間に、現場に行ってみたらあっさり解決したなんてこともあった。


「大丈夫、まっすぐ行ってまっすぐ戻るだけよ! メリルは待っていて!」

「待ってください! せめて私が……!」


 少し振り向いて大丈夫と言ってみたけど、メリルも駆け出していたのが見えた。捕まっては確かめさせてもらえない。私は少し足に力を込めて、スピードを上げる。


 メリルはきっと驚いているだろう。普通、使用人より速く走る女主人なんてなかなかいないはずだ。貴族の夫人や子女と言ったら、淑やかで然るべき。走るような場面にはまず遭遇しない。……うちの実家が特殊なだけ。


(変装しててよかった。動きやすい)


 お忍びのために着替えた軽装は、屋敷で纏っているドレスよりずっと走りやすい。

 とはいえ、なんならメリルだって普段こんなに走らないだろうなと思いつつ、実家を出てから今までの間に体が鈍りきってなくてよかったと思いつつ。私は宣言した通りまっすぐ森の道を走った。


 赤いスカートの女の子は、ちゃんとその先にいた。


「ねえ、そこの貴女! 大丈夫!?」


 猛然と走ってくる知らない人なんて怖いだろうと思って、私は早めに声を出した。大声で相手に呼びかける……のも、多分兄に小馬鹿にされるネタになりそうなことではあるけど。

 それまで何かを探るように歩いていた女の子が、私の方を見る。


「……え?」


 彼女はきょとんとしていた。

 「きょとん」とか「ぽかん」というフレーズが大変似合うような、つまりはまったく声をかけられる覚えがないと言いたげな顔だった。


 ……あれ、これって気まずいやつ?


「え? って……えっと、もしかして迷子、じゃ、ない……?」

「? ……はい」


 気まずいやつだった。

 立ち止まり、姿勢を正して、目を閉じる。ちょっと微笑みを浮かべて優雅に。小さめの歩幅に戻して歩く。今更変えても無意味なフォーマルモードに戻って……も、別に今の諸々がなかったことにはならない。


「あー……ごめんなさい。完全に勘違いしてたわ。私のお節介ね。あはは……」


 苦笑いしながらなんとか立て直そうと試みる。この状況から何をどう立て直すって話になるけど。迷っているんじゃって勘違いがなければ、声はかけなかったわけだし。

 予想で話をするのと実際とは違うって自分で考えたばかりなんだけど……。


「道はわかるので大丈夫です。あたし、ここにはもう何度も来てるし」

 

 大して気にした風でもなく相手が微笑んでくれるのが、せめてもの救いだった。さらっと慣れている人に声をかけてしまったことがわかって新たにショックだったりするけども。

 慣れている人なら改めて道案内なんかいらない。……慣れている?


「何度も? 来て帰ってるの?」

「はい、何度も。不思議なことですか?」

「ええっと……私、この森にはあんまり良い噂がないって聞いてたから……」

「そうなんですか?」


 聞いていたイメージからすると、本当にこの森を通って向こう側に行かないといけない用がある人しか近寄らないような感じがしていた。私とメリルが以前迷ったときも、人気(ひとけ)はなかったのに。


(……この子、噂を知らないの?)


 不思議そうに聞き返す彼女は、全くそんなこと考えもしていないみたいだ。噂なんて一度も聞いたことがありませんって顔。私も、ここにやってきたばかりなら同じ顔で同じ反応を返したと思う。

 だけど、何度もここに来たことがあるような(おそらく)地元の人間がそういう評判を聞いたことがないって、ある?


「アネット様!」

 

 知った声が追いついてくる。メリルだ。私より幾分か遅れて走った彼女は少し息を荒げている。

 

「あ……メリル。本当に追いかけてきちゃったの?」

「当然ですよ! いつまでもお一人にはしておけません。それが私の使命でもあるので」

「でも、万一私まで迷ったときはメリルに外から呼んでもらえば良いんじゃないかって思っていたのよ」

「えっ」

 

 まっすぐ行ってまっすぐ帰ると決めたのは、絶対に迷わないためだ。一度問題の起きた場所にもう一度行って同じことをやった、なんて怒られるどころか呆れられたって仕方がない。

 幻覚を見せられる可能性があると分かっているのなら、視覚に頼らない指針が必要だ。

 

「森の外から中は問題なく見えてたんだから、例の不思議な出来事の影響も受けないんじゃないかと思ったの。まあ、今のところ問題なく来た道も見えてるし、いっか……」

 

 メリルの背後、自分たちが来た方を見る。森の道はまっすぐ外に続いているように見えるし、他に何も変なものは見えない。

 最悪のパターンにはならなさそうだと考えてひとまず息を吐いていると、小さな笑い声が聞こえた。


「ふふっ……あ、ごめんなさい。面白いお話だなって。さっきの"噂"ですか?」

「え、ええ……そうだけど。本当に知らないの?」

 

 笑い声の主、赤いスカートの女の子から見ればむしろ私たちの方がおかしいようだった。まあ確かに、知らない人からしたら何言ってるんだろうって言動をしていた自覚はある。

 でも実際、噂を知らない人っているんだろうか。メリルの話から風評被害まで出てそうな雰囲気を勝手に想像していた私は、そのあたりを聞いてみようと思い立つ。だけど私が質問するより早く、メリルが女の子に質問してしまった。


「あぁ、もしかしてアヴァルにお住まいですか?」

「はいっ。こっちでは聞かないですよ、森がどうこうなんて」


 その質問は、既に答えを予測したようなものだった。

 答える側もそれでまったく違和感がないように会話を成立させている。彼女とメリルの二人だけで。どうやら私だけが、何か前提を抜かしているようだった。


 アヴァル、というのは私たちの暮らすミドスの隣に位置する土地の名前だ。ならこの女の子は森の向こう側の人ということになる。

 魔の土地云々は、ミドスの中だけの問題なのかもしれない。同じ森に面しておきながら一切悪い噂がないということは、とても自然ではなかった。


「んー……。ミドス(こちら)からアヴァル(あちら)に通り抜けるのだけが駄目なのかしら。それも妙な話ね」


 リュカのように魔法の存在を前提として知らされて勉強してきたわけではないから、こういう時の判断に困る。帰ってからそれとなくリュカやレクバートさんに聞いてみよう。

 この件はここで悩んでも解決しない。それがわかったところで、私はもう一つ別の疑問があったことを思い出した。


「……それで、えっと……貴女はここで何をしていたの? 紅葉見物って感じには見えなかったから声をかけたんだけど……」

「あたしですか? ちょっと、人探しを。友達の行方がしれなくて」

「それ、大事件じゃない!?」


 さらっと言われた理由がとてもさらっと流していいものじゃなくて、思わず声が大きくなっていた。いけないいけない。むやみに大騒ぎするのも淑女として良くない。

 こほん、と小さく咳払いをして仕切り直す。


「一体どんな子なの? 私たちの方でも聞いてみましょうか?」

「あはは、大丈夫です。心配してくれてありがとう。けど、別に事件とかじゃないんで。あの子、昔からふらっとどこかに行く子だったから」


 どういう子なのかしらそれ。

 突っ込んでしまいそうになる口をそれとなく押さえて、私はうんうんと相槌を打った。

 他所の事情は他所の事情。当事者が事件じゃないというなら、そこにいちいち引っかかるのも野暮だし。


「黒髪であたしと同じぐらいの年頃の女の子なんです。名前はエレーヌって言って」

「……! エレーヌ? それって、エレーヌ・デラって子?」

「え? そうですけど……」


 食い気味に質問した私に女の子が目を丸くする。けど、私だって驚きで目をまん丸くしたい気分だった。

 レクバートさんから、近くでエレーヌの目撃情報があったことは聞いている。でも、今目の前にいるのはどうやら「目撃者」どころではなさそうだった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ