そして、動き出す
実家と比べればずっと過ごしやすいとはいえ、こちらも少し肌寒くなってきた。
年の暮れが少しずつ近づいてきていると感じるのと同時に、季節が移っていく感覚は私がここに来てからの時間の経過を教えてくれる。
事態は、あんまり進展していない。
「はあ……」
思わず少し大きく息を吐くと、そばにいたメリルがうろたえた。
「あ、アネット様、どうされました? 何か悩みごとですか? もしかして、私がお力になれてないから……」
「気にしないで。ちょっと深く息を吸って吐いただけで深い意味はないから」
「そう……ですか?」
リュカとエレーヌの件は、結局深入りできないまま止まっている。
よくよく考えれば城にいたときのリュカを知らない私とメリルでうんうん唸っても真実は明らかにならないわけで、メリルがリュカから何も聞いていないのならもうそれ以上考えようがなかった。
かと言って、本人に聞く……こともできずにいる。
(そのせいで、なんだかぎこちない応対しかできなくて申し訳ないけれど)
聞こうか、聞くまいか、悩みながらの会話はどうしても上の空になってしまう。
聡い彼にはもう怪しまれているけれど、何でもないとしか答えられなかった。
仮に、エレーヌと恋仲だったか、と聞いたとして。
リュカなら「そうだよ」も「違うよ」も同じぐらいあっさりと答えてきそうだから。
「……あの!」
メリルが急に声を張り上げて、私は我に返った。
「ごめんなさい、何か話しかけてた?」
「あっ、そうじゃなくて。いえ、今思いついて……本日のご予定もリュカ様のお手伝いだったと存じますが、もしよろしければそのあとお屋敷の外へお散歩に出かけませんか?
彼女らしい笑顔で私に提案してくるメリルには、何か考えがあるようだった。
「ちょうど今、紅葉が綺麗なんです」
「紅葉……もしかして、あの森のことかしら」
「はい、そうで……」
元気よく頷いたメリルが、途中ではっとしたように口をつぐんだ。
一体何かと思えば、彼女が俯く。両手の指と指を合わせたり離したりしながら、どんよりとこんなことを言い出した。
「……あ……そうですよね、怖い目に遭った場所に行っても、気分転換になんてなりませんよね……」
言いながらさらに落ち込んだらしく、メリルはすっかり肩を縮めて小さくなってしまう。そこまで自分を責める必要はないと思うんだけど……。
前にも彼女は「そこまでしなくても」ってぐらい自分の態度を恥じていたし、気にする性質なのかもしれない。なんだか可哀想になって、私はメリルの肩を叩くと大袈裟なぐらいの笑顔を作った。
「いいえ、別にそうは思ってないから大丈夫よ。気分転換の提案、ありがとう」
「そ、そうですか?」
ええ、と頷くとメリルの顔が華やぐ。元気を取り戻したみたいで良かった。
とは言っても、別に完全なお世辞、メリルのための嘘というわけでもない。彼女は私が森の方に行くのを嫌がるかもしれないと考えていたようだけれど、逆なのだ。
(あれ以来、向こうには行っていないし……行きたいとか言ったらリュカに反対されそうだし。気分転換を兼ねて様子を見に行けるなら、それもいいかも)
現状、リュカに聞く以外で唯一魔女エレーヌについての手掛かりを得られるかもしれない場所。それが例の森だ。気味の悪さより知りたい気持ちの方が上回るぐらいには、私はエレーヌに興味を持っている。
窓の外に視線を投げても、色がすっかり変わっているという森は見えなかった。
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気分転換の散歩。そういう名目だったからか、リュカへの話は驚くほどスムーズについた。
前に領地見学をしたときのようにレクバートさん経由で護衛をつけろという条件ではあったけれど、これも前のときと同じで目立たないようにしてくれることになった。
「本当、綺麗ね。この辺りからもう色の変わった木がある」
例の変装をしてメリルと二人歩きながら、道沿いに見える木々を見上げる。赤やオレンジに色づく葉は、故郷で見かける木とは違っていた。それが新鮮で、確かに見ていて楽しい。
「落葉の季節ですからね。このあたりにもぽつぽつありますけど、やっぱり森の方が迫力あって……」
「ふふ、そうね。楽しみ」
もう既に結構気分転換は叶っているような気がしているけれど、本題はここからだ。メリルのおすすめの場所。見る前にハードルを上げてはいけないと思いつつ、楽しみなのは本当のことだった。
なのに、メリルは度々心配そうに私の様子を窺ってくる。
「あのう、本当に大丈夫ですか? 怖くないですか?」
「大丈夫って言ってるじゃない。それとも、メリルは怖いの?」
まるでいつでも引き返せるようにしているみたいだ。いくら怖がりなのがリュカにばれて……リュカ経由でメリルにもばれているかもしれないとはいえ、ここまで心配されるほどのことでもない。
それで半分冗談のつもりで返したのに、否定は返ってこなかった。
「……いえ……ううん、怖いです。あの変な出来事が、やっぱりこの場所が変わってしまった証拠みたいで……」
メリルは正直だった。そう感じるのも無理ないとはいえ、人に言うのには躊躇いがあるはず。私だって家族だって極度の怪談嫌いをそれとなく隠してきたのだから、そう思う。
幼い頃から知っている土地が、あるときから怪奇現象の噂がする不気味な場所になってしまう。しかも、その時期が自分の仕える屋敷の主人が来た時期に近い——なんて、色々考えてしまうだろう。
「でも、あの森の紅葉は本当に綺麗なんです。私、お仕えする方には絶対絶対教えて差し上げようって、昔から決めてたんです。お屋敷では見られない景色ですから」
沈んだ空気を変えるように言う彼女の声色はいつもより明るいぐらい。そこまで言わせる景色とはどんなものなんだろう。
一度来ただけの道はあまり自信がないので、私は彼女の誘導に大人しくしたがって歩いた。
「あ、そこの角を右です。そうしたら……ほら! 見えてきましたよ!」
メリルの指示通りに曲がってすぐ、彼女が嬉しそうに声を上げるよりいくらか早くそれは目に飛び込んできた。
燃えるように鮮やかなオレンジ色。森の木々のほとんどが衣装替えしているものだから、青空の下で夕焼けも一度に見られるかのよう。ここまでのものは一度も見たことがなくて、私は素直に息を呑んだ。
「わあ……本当、見事な景色ね。絵に描きたいぐらい」
呟いたのは思ったままの感想だった。創作意欲をかき立てる? と言えばいいのか、この景色にはつい筆を取りたくなる。何色を使えばこの色が出るんだろう。ただの朱や黄色じゃきっと味気ない。
「ふふ、そういえばアネット様は絵をお描きになるんでしたよね」
「スケッチブックを持ってくれば良かった。……そうだ、何枚か葉を持って帰ってもいい? この色だけでも持ち帰りたいの」
「もちろんです、せっかくだからもう少し近くで見ていきましょう。中に入るのは流石に……やめておこうと思うんですけど」
遠慮がちに、意向を確かめるようにメリルが上目遣いに私を見た。その方針に異論はない。勝手に(一応、外出することは言ったけど)森を訪れてもしまた何か危ない目に遭ったら迷惑どころの話じゃないし、怒られるじゃ済まなさそうだ。
(メリルの言う通り、入り口の辺りまでで留めておこう……ん?)
頷いて歩みを進めたところで、ふと森の奥に人影が見えた気がした。立ち入り禁止の森じゃないんだから、居てもおかしくはないと思うけど。
「待って、メリル」
「はい?」
流すには何か引っかかる気がして、私はせっかく歩き出した足を止めた。メリルのことも引き止めると、彼女は気づいていなかったみたいで不思議そうにしていた。
立ち止まったまま、目を凝らす。色づく森の奥、同じような色味だけど葉っぱじゃない——ちらちら揺れるスカートの赤色。
「あそこ……森の中に……誰か居るみたい」