閑話 もう一つの密談
今回はリュクトール視点のお話です。
「では、これらの書簡は速やかに送付いたしますね」
「うん、よろしく」
こなしていた作業がこれでようやくひと段落した。僕が伸びをする前で、執務机の上の紙束や書簡をレクバートがまとめていく。
その手元は、僕の目の前に広がっているはずの景色は、ガラス一枚隔てたように遠い。
キャンバスの中に閉じ込められて随分経つけれど、それにすっかり違和感をおぼえなくなったわけではなかった。
いつまでもこのままでいい、とは流石の僕も思っていない。
「『森』の方、今日は何か進展あった? 行商の出入りする頃だよね」
運び出すものをひとまとめにし終えた側近に声を掛け、窓の方を見る。今の僕の視点からではよく外の景色は見えないけれど、そっちの方角に森があることは知っている。
ミドスという土地の境界、まるで高い塀のように街道の先の景色を覆い隠す常緑の森。この場所を「魔の土地」と呼ばせてしまっている主な原因で、領地運営にあたっての頭痛の種のようなものだ。
「ああ……出入りした方からお話を伺っておく件ですね。残念ながら、何も。私も直接赴いてもっと調査をしたいところですが」
「そこまではいいよ。正直、他にもやることは山積みだ。レクバートにしか任せられないことも多いんだから、そっちを優先してほしいな」
「恐縮です」
ちら、と目を向ければレクバートが恭しく頭を下げていた。昔はああじゃなかったんだけど、真面目な男だ。二人きりの時ぐらいは古馴染らしく自然体でいてくれて構わないのに、それは結局のところ僕の我儘でしかない。
いや、そんな感傷はさておき、今は今あるカードをどう使っていくかだ。
(目撃情報も、体験談もなし……アネットとメリルだけが『あれ』を体験した。って、なんか偶然とは思いづらいよね)
僕を絵画にした彼女のことも、戻る方法も、長らく何の進展もなかった。
ことが動き始めたのは、他ならないアネットがここに来てからだ。
(いっそ、例の現象に遭遇したのがレクバートならよかったのに。それか、他の誰か。とにかく、アネット以外で)
そうだったなら森の調査をひとまずその人間に任せる、という判断ができた。でも、アネットだからそうもいかない。
アネットは怖がりで(そういうところ可愛いと思うけれど)、何より欠かすことのできない存在だ。
彼女に何かあれば、僕の十年は無駄になる。
「それと、件の魔女らしき姿の目撃談もあまり進展がございません。事情を把握している者たちもそう多くはおりませんので捜索の人数も限られていますが……いかがなされますか?」
「それも現状維持で。別に人員を増やす必要はないよ。もちろん見つかれば嬉しいけれどね」
「……承知いたしました」
あまり相手を刺激しそうなことをするのも得策じゃない。一見すればやる気がないとも取られそうな態度で、僕はレクバートの申し出を断った。
(やっぱり慎重にならざるを得ないな。体が動けば手の打ちようもあるんだけど)
僕一人が無茶して終了する問題だったらどんなに楽だったろうなと思う。現実はそうもいかないから、歯がゆくなりながらも攻めては出ない。
「最初に追手をかけて、そして何の手がかりも得られなくなってから随分経つ。あの時に、もしかしたらこのまま相手は見つからないかもしれないとちょっと思ってたんだ」
「そんな気弱なことを仰らないでください。ご自分の立場を――」
「立場は理解してるよ。わきまえてもいる。それに、兄上がこうなるよりは何倍も良かった」
同じ日に、同じ母から、同じ血を分けて生まれた兄弟。だけど僕とヴァルの価値には大きな差がある。今兄として、王太子として認められているのはヴァルだからだ。
「自分で言うのもなんだけどさ。存在自体ちょっと訳ありの第二王子が呪われるのは、王太子殿下がそうなるよりずっと都合がいい」
「リュカ様」
レクバートが目を閉じて深くため息をつく。ほとほと呆れ果ててるって感じだけど、否定はできないはずだ。
……だから、出来過ぎとも言える。
「まあ、もしもう一度エレーヌに会えるなら……理由を詳しく聞いてみたいとは思うよ。どうして僕を選んだのか」
魔女による単独犯の事件として扱われているこの件だけれど、正直僕は怪しいと思っている。その綺麗に設計図を描いて線路を敷いたような収まりの良さが。
もしも裏に糸を引いた人間がいるとすれば、その目的は何か。あまり嬉しくないことに、僕の実家はそういう暗い駆け引きのちょうど中心にある。
などという思索に耽りそうになっていると、ふっと吹き出すような音が聞こえて僕は顔を上げた。
「……ふふ、奥方様の嫉妬を買われませんようにね」
「はっ?」
「いえ、ね。政略婚とはいえ、アネット様もうら若き乙女でございますから」
本当に何を言い出すのかと思った。あ、別にアネットを貶す意図はない。そういうことではなくて、まさかこの男からそんな恋愛相談的な助言をされるとはまったく思わなかったという話だ。
「あのさ、完全に面白がってるよね。もしかして暇なのかい? 自分は恋人の一人も紹介したことないくせに?」
「私はいいんですよ。主人を差し置いて色恋にうつつを抜かしている側近、欲しいですか?」
「極端だなぁ。……その辺りをむやみに詮索したいとも思わないけど」
色恋にうつつを抜かしている知り合いの姿は、正直見るのが気まずい。具体的に言うと双子の兄。どうやらアネットの前でもそれを披露したらしく、身内としては頭が痛い。ヴァルはあれさえなければ結構理想的な為政者なのに。
「というか、アネットについてなら僕も聞いておこうと思ってたことがあるんだよね」
「はい、なんでございましょう?」
額縁に頬杖をつき、じっとレクバートを見つめる。何の揺らぎもない視線が返ってくる。
彼からこういう手段で何か引き出そうとするのは、やっぱり難しいらしい。
「……アネットに何か言った? 最近様子が変なんだよね」
「さあ、何のことだか。先日画材を差し入れいたしましたが、それだけですよ」
「……」
口を閉じて、いろいろ諦めた。これは確実にクロで、かつ何も明らかにする気がないパターンに決まっている。
アネットもアネットだ。何を言われたかは知らないけど、だからってこそこそレクバートやメリルとばかり話しているのはどうなんだろう。僕が聞いても「何でもない」って返してくるし。
「ふふふ、リュカ様も側から見れば十分初恋に踊らされてらっしゃいますよ」
「うるさいな」
絵画にされた不便にも割とすぐ慣れたっていうのに、僕は現実のままならなさにこっそり唇を噛んだ。