懸念と心配
自室に戻ろうとした時、レクバートさんに呼び止められた。
「アネット様、少しよろしいでしょうか」
え、と声を漏らしそうになって口を閉じる。リュカはまだ少し資料に目を通したいと言って執務室の中にいるから、もうこれは完全に私個人を指名しての声かけだ。いや、名指しの時点でそうなんだけど。
(何だろう……)
呼び出しのようにされると思わず緊張してしまう。この屋敷では主人のリュカに次ぐぐらいの地位にある人だから他の人たちよりかは話す機会があるとはいえ、まだまだ親しいかと言えば首を傾げざるを得ない間柄なのだ。
ただそんな構えた気持ちはすぐに見抜かれてしまったらしく、彼は苦笑した。
「いえ、苦情などではございませんよ。王都付近まで行ってきたものですから、いわゆるお土産です」
「お土産?」
確かに、レクバートさんはリュカの指示で森の件を調べるために動いていたと聞いた。その道の専門家に依頼しに行ったり、結構な大事だったようでもある。
「先日、画材が欲しいとおっしゃっていたでしょう?」
「あ……でもそれなら、もう受け取りましたけど」
「あれは急な話でしたから、顔料の色も多くは揃えられなかったんです。今回はその追加と言うことで」
こちらへ、と促されて私は別室へと歩く。
彼が持ち帰ったものも含め外とやり取りしたのだろう品々が並ぶその部屋は、一時的に物置のように使われているようだった。
物珍しさできょろきょろとしていると、レクバートさんのくすりと言う笑声が聞こえる。
「気になるものがあれば、リュカ様にねだってみたらいかがです?貴女の願いなら余程のことでない限り聞き入れて下さるはずですよ。他ならぬ貴女なら」
「……からかってます?」
自惚れかもしれないけど、リュカに気に入られている自信は……まあある。そこは素直に認めよう。どうしてそうなのかはさっぱり教えてもらえないけれど、少なくともリュカが私にあれこれ世話を焼いてくれるのは事実なのだから。
「いえいえ。側から見ていても、お似合いだと思いますよ」
にこりとレクバートさんは笑う。この人もこの人で真意が掴みづらい。具体的には本当に心からそう言ってるのか、からかいなのか、わかりにくいという意味で。
「私としても、最終的にリュカ様がお迎えになったのがアネット様のような方で良かった」
……それも、本気だろうか。というか、どういう意味だろうか。
喜ぶべきなのか引っかかるべきなのか迷って一瞬反応が遅れると、彼はぼそりと一言付け足した。
「…間違ってもエレーヌのような者ではなくて」
「え…?」
「失礼、聞こえましたか」
レクバートさんは申し訳無さそうに肩を竦めたけれど、間違いなくわざとだった。ごく自然に話題をもっていこうとするような、人の興味を引かんとする言葉選び。邪推かもしれないけれど、それが示すのは——。
「…もしかして、エレーヌはただ城に出入りしていた人間ってだけじゃないんですか」
「いいえ、ただの下女ですよ。少しの学と特別な能力があるだけの下女です。家柄も、品性も、大したことはありません。ただ、城に上がっていた以上——リュカ様と遭遇する可能性は充分でした」
「れ、レクバートさん。その言い方だと本当に、彼女とリュカが、その……」
どうにも遠回しなその説明が、考えれば考えるほどそれを示しているようで胸がざわつく。口に出すことはついにできなくて、私は心の内だけで頭に浮かんだことを反芻した。
(……それってまるで恋仲だったみたい……なんて)
リュカはエレーヌのことを多く語らない。
ここに来てから私が知らされたのは、その女の子にリュカが魔法をかけられた「のだろう」ことだけ。けれどよくよく思い返せば彼が絵に閉じ込められたその日に消えたという状況証拠だけでエレーヌを魔女と信じて疑わないのは、少し乱暴すぎるようにも感じてくるのだ。特にレクバートさんの慎重さに、さっき触れたばかりだからか。
それなら他に何か……私が聞かされていない何か他の事実がその仮定を裏付けているならば、どうだろう。
「少なくともリュカ様の方にその気はないと思いますけれどね」
「……エレーヌは?」
「どうでしょう。田舎娘の淡い憧憬と言いましょうか」
「レクバートさん。知ってるんですよね? リュカが絵になる前から二人には何かあったんだって。確信がないなら言わないはずでしょう」
じれったくて私は聞いた。レクバートさんは何でもない顔で頷いた。
「ええ、当時も私はリュカ様の補佐をして居ましたから。ただし私はあの人がエレーヌ・デラに声を掛けるのを何度か見ただけです。本当にただそれだけ。本当ですよ?」
「リュカにそのことは聞いたんですか?」
「いいえそんな、差し出がましい」
緩く首を振ってから、彼は自分の主人の居るであろう部屋の方を見た。
「リュカ様はきちんとご自分の役割を理解されているお方だ。間違いはないでしょう。……けれどエレーヌにその気があって、彼女がリュカ様に魔法をかけるだけでは飽き足らずこの土地まで追いかけてきているのなら?」
ようやく得られた目撃情報。それを彼は、どうやら良いニュースとは捉えていないらしい。ため息混じりにレクバートさんは続ける。
「……私はそれを心配しているのです。気を悪くされたかもしれませんが、アネット様にも関係することですから……お伝えしました」
「そう……ですか」
ありがとうございます、と私は唇を動かした。唇も喉も変に乾いていた。
リュカとエレーヌの関係。しっかりと考えたことなんてなかった。頭にちらつくのは、今も執務室にいるだろうリュカの顔。
これは確かに、私一人を呼び止めない限り話せない話だ。聞けて良かったと頭では思う。
(リュカは……実際のところは、どうなの?)
それは、私が聞かないといけない。古い付き合いであっても、結局のところ主従の関係である限りレクバートさんからリュカに突っ込んだことは聞きづらいだろう。リュカが拒もうと思えば永久に突っぱねることさえできる。
だから私から……私から聞いて、私はどんな答えが欲しいのだろう。
リュカは少なからず私のことを好いてくれていると感じている。そこに、ここに来て急浮上した疑惑である。
ざわざわとあまり良いものではない心地がして、考えがまとまらなかった。だからどうと言えるわけでもないのに。
政略結婚だ。都合の良いように扱われるだけの可能性も想定していた。むしろ用意された「恋愛結婚」という設定に、リュカから受ける対応に驚いていたぐらいだったのに——。
(……何に裏切られたみたいな気持ちになってるのかしら、私。らしくない。まだ聞いてもいないじゃない)
まだ憶測の域を出ないのに勝手に思い悩んで 、空振るかもしれない。それなのに、すぐに割り切れなかった。
「何かあればお申し付けください。私にできることならお手伝いいたしますから」
「……ありがとうございます」
「相談にも乗ります。私に話しづらいようでしたら、どうかメリルに。魔女のことは伝えていませんが、アネット様がお悩みとあらば力になりたがるでしょう」
メリルは、森の一件以降も私付きとしてよく働いてくれている。妙な現象に巻き込まれた体験を共有する唯一の人間として、私としてもこの屋敷の使用人の誰かに相談しようと思うなら彼女が一番話しやすい。
あの子、恋愛事に詳しかったりするかしら……なんて。
リュカには悪いけれど、邪推も詮索もしないではいられなかった。