魔女の手がかり
用事を終えたヴァルサスさまは、本当にあっさりと帰路についてしまった。もちろんそのお忍びを長く止めるのも(城の混乱を察するに)いけないので見送ったのだけれど、慌ただしい。それから、
「ヴァルはいつもあんな感じだよ」
と見送りながら疲れた様子でリュカが言うので「また」の機会は案外あるのではないかと思っている。
「全く、急に訪ねてくるものだから毎回予定が狂うんだよ。いろいろ僕だって一日の予定を考えているのに」
「一日の予定? ああ、朝確認しているみたいな?」
「いや、単にやることを筋立てているだけじゃなくて。この辺りで休憩を入れてアネットと遊ぼうかなぁとかそういうことだよ」
「遊ぶって……子どもじゃないんだから」
「でもアネットは付き合ってくれるじゃないか」
くすくすと楽しそうにリュカが笑った。その様子は本気で子どもみたいだった。
(……散策とか言葉遊びのことね)
なんだかんだ集中しているときには軽口を叩くことのないリュカは、その代わり仕事に打ち込んでいないときにはよく話しかけてくる。この屋敷にも人が多いとは言えないし、話し相手がいないと寂しいってやつだろうか。別に話し相手が少ないのは私も同じなのでそれに付き合うくらいは全然いい。
「それじゃこれからお仕事を再開するの?」
「まあそうなるだろうけど。その前に」
不自然にリュカが言葉を切ったので、私は首を傾げた。
リュカの入った額縁を抱えているのは私だから、行き先は彼に聞かないといけない。執務室に戻るにしろ、自室に戻るにしろ、今は私が彼の足だ。
「……レクバートから報告があるみたいだから」
コツ、と靴の音がする。振り返った先に立っていたのはレクバートさんだった。私と目が合うや否や恭しく一礼してみせた彼につられて会釈しかけ、「報告」の意味を考える。
「もしかしてこの間の森の件?」
「さすがアネット、察しがいい。並行して調べさせていたんだ。で、どうやら持ち帰れる成果があったみたいだから……ヴァルの訪問ですっかりタイミングが狂ったけど」
リュカがため息をついた。レクバートさんの手には何枚かの紙があり、報告書形式にまとまっているのは見てわかった。
持ち帰れる成果、とリュカは今言った。つまりその調査は徒労には終わらず、何かしら実りがあったのだ。だからそこにそれがある。
「アネット様にも関わりがあることですので、お二人が揃っているときに詳しくご説明できればと思っておりました」
「というわけだから、ちょっと座れる場所に行こうか。立ち話には長くなりそうだし」
メリルと赴いた森で見た幻覚と、私だけが見たエレーヌかもしれない姿。リュカの方で調べておくと言われていたから待っていたけれど、それはどういう形に実を結んだんだろう。
私の意識は好奇心の方へと傾いていた。
* * *
報告はリュカの執務室で行われた。屋敷の中で機密性の高い話をするには、この場所がリュカの「本体」が厳重保管されている部屋の次に適していた。リュカは額縁に寄りかかり、私は椅子に座ってレクバートさんの言葉を待つ。
「では報告させていただきますが、あの森での一連の事件には魔法が絡んでいるとみて間違いありません」
「言い切るね」
リュカは驚きもせず、けれど疑うような合いの手を入れた。
魔法絡みだろうってことは彼自身も予想していたし、私もそれならそうなのかもしれないって思っていたから新しい発見でもない。ただ、疑惑が確証を得た。そういうことだ。
「鑑定が行える者を手配しましたので。そうそう動いてくれるものではないのですが、今回の不可思議な証言やリュカ様直々の口添えのおかげです。存外あっさりと認可が下りました。いえ、やっとですか」
「いや、君の手腕の賜物だよ。真実だろうと伝え方次第じゃガラクタに成り下がる」
「恐縮です」
認可……何の認可だろう。調査してもらうにも説得する材料が必要ってことだろうか。
すっかり真面目モードになったリュカが口元を緩めた。
「アネットを巻き込んだ以上、早急に片をつけたかった。この件に一つ結論が出せたのは嬉しいよ」
まだ話は始まったばかりなのに、彼はそんなことを言う。
(結論……?)
まるで話が終わるような言い回しだったから、変に思った。それだけならこんな改まった報告会をする必要はないし、資料の意味もない。
「ねえリュカ、幻覚の内容については」
「まあそう急かさないで、アネット。順に説明してもらおう。君も一度に詰め込んでは混乱するだろうし、どうか落ち着いて?」
「……わかったわ」
遮られたのがちょっと引っかかるけど、確かに話の進行は一人に任せた方が散らからなくて良い。とりあえず本当に終わりではなさそうだったので、私は大人しく座り直した。
レクバートさんが咳払いを一つして、話を再開する。
「森にかけられた幻術……調べではせいぜい迷い込んだ者を脅かし、惑わせるものです。アネット様がご覧になったような『馬車』や『人間』は実在しません。もちろん術者もふんわりとした認識では罠をかけられませんから、モデルにした事物はあるでしょうが……」
「罠? ……罠なんですか?」
「ええ、まあ。鑑定結果としては撹乱に用いられる魔法ということでしたよ。そんなものを通り道に設置して、無差別に罠にかける目的はわかりませんがね」
レクバートさんの説明はいつかリュカが言っていた内容と似ていた。相手を陥れる罠。のどかなミドスにはおよそ似合わないし必要もないだろう罠だ。
「……愉快犯?」
私は呟く。いたずらにしてはタチが悪いけれど、前にメリルが話していたようにあの森で不思議な現象に遭遇する人が全てではない。無傷、無事で通りすぎる人だっているのだ。というかそうじゃないとやっていけないだろう。何しろ、あそこは王都に繋がる——。
「——ちょっと待って。ヴァルサスさまはどうやって帰ったの!?」
それならば彼だってあの森を通らないといけなかったはずだ。誰にも言わずに訪ねてきた行きはともかく、帰りについては誰かしらが警告すべきだっただろうに。気付かずに見送った自分が大変な過ちを犯した気がして焦る。けれどリュカは、「大丈夫だよ」と私を宥めた。
「ヴァルはそういうものへの対処法は心得てる。王室の一員として、魔法で狙われることも当然想定のうちだからね。僕も不意打ちでなければ……こんなことになってなかったはずなんだけどな」
「リュカ……」
やれやれやられたよ、と軽い調子でリュカは言う。かなり重要なことだと思うんだけど。でも、逆に言えば魔法を認識してそれへの対策も整えていたはずの彼を絵の中へと閉じ込めたエレーヌは相当の手練れと言えるのかもしれない。
「アネット様。こちらも護衛なしで帰したわけではありません。どうかご安心を」
「あ、そうなんですね……良かった、ならきっと、大丈夫よね……」
「そんなにヴァルが心配? 妬けちゃうな」
「リュカ。大切なことでしょうが」
レクバートさんの補足でようやく安心できた。うん、やっぱり人をちゃんとつけてくれたというのは信頼できるわよね。
リュカは早くも真剣さが崩れ始めたのか、またそんなことを言って話の芯をぶれさせる。それを窘めてから、私は脱線させてしまった話を元に戻した。
「ごめんなさい、また口を出して。話はまだ続きがあるのよね」
「……うん、僕としては知りたかったことは解決したんだけど、成果は大きい方が嬉しいのも確かだ。レクバート、他に何かあるかい?」
「ええ。実は特大のものが、まだ一つ」
勿体ぶるようにレクバートさんが言うものだから、私とリュカは驚いて顔を見合わせた。特大のもの……本題にも匹敵しそうなそんな報告が、まだ尻尾の先も出ていなかったなんて。
「リュカ様が絵になった、その初動捜査以来の進展かもしれません。出ましたよ、エレーヌ・デラの目撃情報」
「えっ!?」
さらにリュカを見る。彼は首を振った。おそらく通じている、アイコンタクトでの会話。『私の話をレクバートさんに伝えた?』『いいや』……っていう、否定。
それなら、報告のエレーヌは私の見た幻覚かもしれないエレーヌ(仮)ではない。リュカの側近として事件発生からずっと関わってきたのだろうレクバートさんが認めた信憑性の目撃情報が、はっきりと私たちの前にもたらされたのだ。
私が来たせいなのか、それともただの偶然か。リュカの事件はどうやら再び動き始めたらしい。