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仮結婚式

 急に訪ねてきた神官(義兄)、急拵えの装束。急遽セットした祭壇。何もかもがあっという間のスピードで用意された婚儀は、例のリュカの「本体」がある部屋で行われた。


「今日はお日柄もよく——と言いたいところだが、今日のような状態ではなかなか締まらないな」


 ヴァルサスさまは神官らしい金刺繍の白装束をまとい、聖典を抱えて苦笑する。

 今日のような状態、というのはこの簡素にもほどがある式を言いたいのだろう。参列者はなし。子どもの頃に一度従姉(いとこ)にあたる親類の女性の結婚式に行ったことがあるけれど、それこそ普通は親族が集まるものだ。王子であるリュカのそれはもっと大掛かりになるべきだったはずで、きっとヴァルサスさまや彼らの弟のそれは文字通り盛大なものになる。……致し方ないとはいえ、それはあまりにもあんまりな差だ。


(……私としてはあまり緊張しないで済むけれど……リュカはどうかしら)


 窺い見るように額縁の中のリュカを見た。ヴァルサスさまがこのために持ってきて下さった絵画は三枚。リュカの衣装を描いた画が二枚と、リングピローを描いた小さな画だった。


「僕の不満は一つだけだよ。直で愛を誓うことができない」


 ……まあ、彼はいつも通りのようである。侍従の手など借りられない絵の中で自ら身支度した着こなしはそれでも完璧だし、何を考えているんだかいまいち掴めないその笑みも揺らがない。


「これでヴァルが僕の代理で指輪を嵌めるなんて言い出したらどうしようかと思ってた」

「そう言うと思って用意してきたんじゃないか。心配せずとも、私はリュカの選んだ女性を奪ったりしない。天罰が下りそうだ」

「天罰……?」


 神官としての勉強を積んだがゆえの発言なのか、それとも単にこの人の持論なのか測りかねる。もしかしたらそんな教えがあるのかもしれない、けどこの人が単にロマンチストを拗らせているだけのような気もしてならない。


「……だからなんでヴァルはそんなにアネットのことを気に入ってるの?」

「言ったじゃないか、彼女に運命を感じたから」

「人の婚儀で神官が言うことじゃなくない?」


 リュカが一気に不機嫌そうになった。相変わらずその疑いの目は晴れていない、というより苦手視する兄の発言だからこそ訝しんでいるんだろう。そこに関して私が何か言えることはない。フォローしようにもそれはそれで「ヴァルの肩を持ってる」とか言われそうで厄介な予感がするのだ。


「……あの……結構な雑談になってしまってますけど、いいんですか」

「あっ」

「あ……まあ女神様は寛容なお方だから問題ないだろう」

「神学校での勉強を曲解してない?」


 いくら参列者なしとはいえ、警備で部屋の前に立たせている方々やその間何かあった時の応対を任せている使用人たちがいることを忘れてはいけないし、何より締まりがない。おそるおそる突っ込んでもヴァルサスさまは鷹揚に流すような態度だったけれど、その後すぐに表情が引き締まった。


「だが、確かに雑談になってしまってはこのような場を設けた意味がない。二人とも、改めて向き合って」


 向き合って、と言っても向くのは私だけだ。リュカの向きは変わりようがない。壁にかけられた「本体」の額縁に収まる彼を見て、私はごくりと唾を飲み込んだ。


「——汝らに問う。大地の母、この地の偉大なる魂に誓ってその愛を貫く覚悟はあるか?」


 婚姻の儀のお決まりの台詞。重々しい声色は確かに知ったヴァルサスさまのものだけれど、どこか違うようにも思える真剣な響きだった。私がちらりとそちらを見てしまいそうになる前に、リュカがまっすぐに私の瞳を捉えたまま口を開く。


「ある。僕にはあるよ。アネットは?」

「……私は……」


 簡素な婚儀だし、いずれもしかしたらまたやり直すことになるのかもしれない。文面が一緒なだけで、そのフレーズも何十、何百と行われてきた婚儀の中のそれと同じ。そもそも言葉自体に法的な拘束力はない。


(なのに、どうしてかしら——すごく、重い)


 政略だろうと契約だろうと何でも来いと思っていたのに、いざ自分が口にしようとすると心が臆病になってしまったかのようだった。感じるのは責任。そんなもの強制されていないはずなのに、確かに重みを感じてしまう。

 その言葉を言えば、言う前とは何もかもが一変するかのよう。


「……アネット。大丈夫、何も怖いことはないよ」


 口を開きかけて固まってしまった私に、リュカが優しく語りかける。ヴァルサスさまも待ってくれている。重圧(プレッシャー)をゆっくりと解くように、その言葉はすっと心に入ってきた。


「気負わなくていい。君が嫌になるまでの間、僕と同じ道を歩いてくれるというならそう約束してほしいんだ。……これはそういう話」

「……約束」


 大規模で正式な、格調高い本来の婚儀でなくて幸運だったのかもしれない。迷いは振り切ったと思っていても改めて問われると緊張してしまうものだから。


「……約束します。その覚悟を」


 やっと言い切った、と思わず息を吐きそうになってしまった。いけない、まだ気を抜くには早い。そう思ってきゅっと唇を結んだのに、嬉しそうに表情を崩したのはリュカだった。


「アネット!」


 大きな笑顔がそこにあった。美術館で見たならばしばらく足を止めて見入ってしまいそうな笑みで、彼は私の答えを歓迎した。視界の端に映るヴァルサスさまが目頭を押さえているような気配がして横を見ることができなかった。

 ……この儀式、ちゃんと儀式として成り立ってるのかしら。とりあえず資格を取ってくださったヴァルサスさまが話を持ち帰ってくれるなら書類上はちゃんと成り立つんだろうけど……。


「では、その誓いをここに認めよう。確かに」


 あっけなくも認められた婚姻は、これで簡単には覆せなくなった。安心と取るか、逃げ場なしと取るか。いずれにしても、これでリュカの抱える問題との直接対決は免れない。私にとっては開戦の鐘かもしれない。


 ヴァルサスさまに促されて、リュカが絵の中のリングピローから銀の指輪を持ち上げた。

 次の瞬間、それはひどく不思議なことに——現実に私の目の前にある指輪をも、ふわりと宙に浮かせた。現象として理解はしているけれど、何度見ても目を瞠りそうになる絵画の魔法の仕組み。私は補助をするようにすっとその輪に指を近づけ、誓いの証を指にくぐらせた。


「ありがとう、アネット。こうするしかなくてごめんね」

「まあ別に……仕方ないことでしょう?」

「うん、だけど」


 だけど、とその続きをリュカは言わなかった。


(この先リュカの魔法が解けて……正式にもう一度結婚式をすることになったら、その時は同じ問いに胸を張って答えられるかしら)


 なんの迷いも躊躇いも、不安もなく。——魔女の気配は、あれ以来していなかった。




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