建前の愛
「そんなに緊張しないで」
とヴァルサス殿下は言うけれど、どだい無理な話である。
慣れない来客、身分差、そもそも少し前に知り合った人。打ち解ける云々よりも前に粗相をしないかが先に思考に上って、うまく応対できる気がしない。
「いえ……殿下の前ですし……」
「リュカの兄だ。そうと思って接してくれて構わない。弟とはそれなりに仲が良さそうだったじゃないか。……ああ、いっそ弟と同じように私のこともヴァル、と呼んでも」
「せめてヴァルサスさま、でお許し下さい」
「! はは、構わない。それが精一杯というのなら許そう」
カラッとした笑い方をする人だった。人には好かれるタイプだろう。リュカが言うように「苦手」と思う人もいるだろうけれど、概ね。
パッと見で本当に似ていると思ったヴァルサス殿下——さまとリュカの兄弟だけれど、しばらく見ていると少しずつその違いが目につくようになってきた。色黒とは言わないけれど適度に日に焼けた肌は、外に出られないリュカとは違う。リュカは私すら羨ましくなるぐらい白くて(私も実家じゃ外に出ることが多かったので仕方ないけど)きめ細かな肌を(油絵のくせに)しているから、それが印象づいてしまっていた。
(リュカは兄弟のこと、どう思ってるのかしら。まだあまり聞いたことがないけれど)
普通の政略結婚以上に情報がない中で知り合ったものだから想像しかできない。けれど、なんとなくリュカが苦手視するのにはそんなところも関係するのかもしれないと思った。本当に、勝手な想像だけど。
……例えば私が母に似ていると言われるたびに、母ほど淑女らしくない自分を気にするように。
「それにしても、素敵な庭園だ。以前訪ねたときよりもさらに手入れが行き届いている気がする。アネットが来たからだろうか」
くすりとヴァルサスさまは笑って、中庭を見回した。
「私は特に関わってはいないのですけれど……」
「いいや。リュカが気合を入れたかな、と思って」
気合を。そういえば先日の未解決の謎——リュカが庭園を私のために整備したとかいう嘘か本当かわからない話——があったと思い出して、私は頭を捻った。
「ヴァルサスさまから見てそう思われるような変化なのですか?」
「ん? ……ああ」
頷きが返ってくるものだから、ますます謎は深まった。
実の兄から見てそうなら、そうなんだろう。どうにも私がこの縁談をもらったタイミングとリュカの方でのそれにはズレがある気がしてならない。一体どういうことなんだろうか。深入りはしない、とひとまずあの時は見逃したものの、やっぱり気になるものは気になる。
「弟はかなり貴女のことを推していたようだから、そう不自然な話でもない。私も興味があったんだ。リュカがそこまでする女性とはどんな人物だろうかと——」
「……あの、お言葉ですが。私と彼は少し前に知り合ったばかりのはずです」
「何?」
怪訝そうな顔をされたけれど、私の方も疑問なのだ。兄も言っていたこの縁談話における私とリュカの熱愛報道は、私からすると第三王子の縁談を進めるための良い口実として用意された話だろうという感じだったんだけど……庭の件といいヴァルサスさまの態度といい、まるでそれが真実だと言った方が自然なようだった。
もちろん真実でないことは私が一番よく知っている。だって当事者ですもの。
「私の実家は王都からも離れていますし、私も彼も社交界にはあまり顔を出さずに育ちました。だからあり得ない話のはずです」
「弟はなんと?」
「それは……はぐらかして教えてくれません」
「ふむ……」
正直リュカをとっ捕まえて吐かせれば一瞬で終わりそうな話なんだけれど、それができないから困っている。
いっそリュカよりも立場の強そうなこのお義兄さまに頼んで聞き出してもらうかとも思ったけれど、それはそれで重い対価が発生しそうな気がしてやめた。腹の底の知れない人にあれこれ頼るのは危険だって父もよく言っている。
「……興味深い話だ。少し私の方でも調べておこう」
あ、しまった、興味を持たれた。た、頼んだわけではないからセーフでしょう……たぶん。
「まあ、その件は一旦置いて。それなりに弟に興味は持ってくれているとわかって安心したよ」
「それなりにって……別段婚約話が嫌だったわけではありませんし、相手のことを知ろうとするのは当たり前のことです」
「だがそれが建前じゃないとも限らない。私はそのあたりも確かめたくて貴女を一人で呼び出したんだ。……本当に弟を受け入れる気はあるのかとね」
ヴァルサスさまが首を傾けると、リュカと同じ色素の薄い髪が揺れる。すっと目を細めて、彼は私を試すように見た。緊張で背筋がこわばるのを感じる。
「……政略結婚に愛の有無は不要、と人は言うが……やはり弟に不幸な結婚をされるのは本意ではない。もちろん貴女のためにもならないだろう。今後何十年と添い遂げていくことになるかもしれないのだから」
「リュカにかかった魔法のことなら……だからといって不満に感じていることはありません。共に解決していこうと話していますし」
「共に?」
「そうです。やられっぱなしなんてやりきれないじゃないですか……あ」
また淑女らしくないことを言ってしまった気がして口を押さえ、慌ててヴァルサスさまを見た。幸い、特に気分を害された様子はない。
……本当、こういうところをどうにかしないといけないんだけど。内助じゃなくて率先して前に出てしまうのが私の好まれない点であり、どうしようもない父の血だった。
「つまり……貴女が我が弟を救うと?」
「え、いや、そ、それはなんというか……差し出がましいかもしれませんが……」
言われたフレーズに違和感しかなくて私はどもった。いや、そんなかっこいいことを言った覚えはない。第一リュカ自身に悲壮感がないし。悲劇のヒーローと言うにはふてぶてしすぎるのである、あの男。
答えに詰まっている私を待つでもなく、何かその先を彼なりに解釈したのかヴァルサスさまが笑い出す。私はただきょとんとしてそれを見るほかなかった。
「……はは、なるほどなるほど……なるほど」
「……ヴァルサスさま?」
あのう、と問おうとすると、突如として肩を掴まれる。
「良い!!!」
「——はい?」
ぱっ、と紫の瞳を華やがせて。厳格に見えた王太子殿下は破顔した。
……え、いやいやいや、どういうこと。良い? 何が? 今の私の応対?
頭上に「?」をたくさん浮かべているであろう私に説明をしてくれる気があるのかないのか、彼は嬉しそうに語り出した。
「いや、ね、これは弟に話すといつもうんざりとした顔をされてしまうのだが——私は『真実の愛』というものがこの世に存在すると信じている。夢想家と笑いたいなら笑ってくれ。私は今、貴女にその片鱗を感じた。弟の運命の相手はまさに貴女に違いない!」
「え? あの、ちょっと……」
両手を取られ、ぶんぶん振られる。早口でまくし立てられて私は思わず天を仰いでしまった。
さっきまでの「食えない男」オーラはどこへやら、ここにいるのはまるで夢見る乙女である。口調こそ同じであれど、同一人物かと疑うほどに。
「貴女が良ければ、もっと詳しく話を聞かせてほしい。ああ、私と我が婚約者の話も良ければしよう。片側が平面であると何かと勝手が異なることもあるだろう? 気になっていたんだ、それも……」
「あ、あの……ヴァルサスさま、だからまだ知り合って日が浅いと……」
だめだ聞いてない。火がついたのかその調子で質問を重ねる、もとい一人で勝手に喋り始めたヴァルサスさまに緊張感と引き換えに場の空気を持って行かれてしまった。おそらく、本気でこのまま恋バナに花を咲かせる気だろう。そんな話せるストック私にはないんだけれど。
(リュカ……これは確かに、私も相手取るのは苦手かも)
なるべく早く合流して助けてほしい。
二つ上の義兄のことが恐ろしくはなくなったけれど、代わりに何か別の食えなさを感じてしまった親睦の場だった。