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魔の土地


「アネット!」

 

 屋敷に戻ってすぐ、リュカの声が聞こえた。まだ夢現の境というか、何が起きたか飲み込みきれていない私にとっては意識を現実に引き戻すのに十分なものだった。

 

 まあその声もものすごく非現実的なところから放たれてるんだけどね!

 

 廊下の構造の都合上進行方向の横からしか私たちに声を掛けられない彼のために、私とメリルは壁の方に体を向けてあげた。他の人たちは各々仕事に戻っていったけれど、私たちはこの屋敷の主人に説明が必要だ。

 

「……リュカ……」

「リュカ様っ、申し訳ありません。私、森には行かないで良いと仰せつかっていたのに……!」

 

 私よりもずっと泣きそうな顔をして(実際さっきまで泣いていたんだけど)メリルが自分のスカートの布を握り締めた。まるでこれから断罪されるのを待つみたいな調子だった。

 リュカが彼女を叱るなら、それはお門違いだ。私は庇うように一歩前に出た。

 

「あの、行きたいって言ったのは私で——」

「——無事で良かった」

 

 ほう、と息を吐いて拳を握ったのはリュカも同じだった。ただしこっちは緊張が解けたようにすぐ脱力したけど。

 

「心配したよ。ああメリル、怒ってはいないから安心していい。君も、何事もなくてよかった。報告を聞いたときは心臓が止まるかと思った」

「そう、ですか……?」

 

 それを聞いてようやく少し落ち着いたらしく、メリルの表情が和らいだのを私は見た。この子、この調子で私が目を覚ましてからかなりの間泣き通しだったのだ。ちゃんと噂のことは教えてくれていたし、彼女が責められるべきではないと思うんだけど……責任感の強い子だ。

 リュカの視線が彼女から私の方へ向く。それがわかったから、私は先手を打って切り出した。状況を整理するためにも、私はまず彼を問い質さなくてはいけない。

 

「ねえリュカ、あの森のこと……貴方知ってたのよね?」

 

 リュカは分かりやすく押し黙った。ちょっと視線を泳がせかけてやめたのが見ていてもわかった。ごまかしを途中でやめたみたいに。言う覚悟を決めたみたいに。

 今度こそちゃんと私を見て、彼は重そうな口を開いた。

 

「知ってた。けど、こんなことになったのは初めてだ」

「こんなことにって」

「君に怪我させるつもりはなかったし、害を与えさせるつもりもなかった。誓って本当なんだ。信じて欲しい」

「リュカ……」

 

 行く前に私をからかっていたときとは全然違う真剣な顔だった。茶化すような色はどこにもない。それはここに来て初めて見る表情かもしれなかった。

 

「本気で怖がらせるような話をしたくなかったし、軽く脅せば行かないと思ってた。正直、君を舐めてたかも」

「舐めてたって……」

「余計に怖い思いをさせた。ごめん」

 

 彼が深く頭を下げるのを見て、私は思っていたよりも事は重大そうだとやっと悟った。メリルも相当だけど、リュカもかなり思い詰めている。

 

「ごめん。アネットが怖いと思うことがあるなら話して解決する。もちろん僕が知っている——今わかっている範囲になるけど、きちんと包み隠さず話すよ。それが誠意だと思うから」

「ええと、リュカ……別に実際には何もなかったから。怪我っていうか頭ぶつけただけよ?」

 

 そう、お恥ずかしい話、今の私の頭には軽いたんこぶがある。

 レクバートさんから受けた説明によれば私は森に入ってすぐにメリルと揃って倒れたらしく、受け身も何も取っていないのでまあ見事に体を強かに打ち付けた。肩もじんじんする。あと荷物もいくらか駄目になってしまった。

 けれど、それだけなのだ。私の記憶にある恐ろしい体験は、現実ではなかった。不審な馬車も何も見つかっていない。

 

「それでもだよ」

 

 リュカは苦々しげに目を伏せた。

 

「君に嫌われたくない」

 

 ……そう言われてしまうと、もう詰め寄ることなんてできないじゃない。

 色々意気込んでいたつもりが拍子抜けしてしまって、私は開きかけの唇をきゅっと結んだ。こんなにも真剣な謝罪を受けて、許さないでいるなんてどんな外道だ。

 

「……あのね。とりあえず私は一点何かあったぐらいで誰かを嫌いって突き放すことはしない主義だから」

 

 流石にそれは理不尽だろう。それに、振り回されるのは父と兄で慣れている。なんなら反省がはっきり見えるんだからリュカの方があの人たちより数百倍も良い。

 

「ほんと?」

 

 だからそうやって濡れた子犬みたいな目でこっちを見るのをやめてほしい。やりづらいから。

 ああもう、何を問い質そうとしていたか忘れてしまった。

 頷くとぱっと顔を輝かせるリュカとなぜか「良かったですねリュカ様……」と涙ぐむメリルという微妙に気の抜ける二人を前に、私は小さくため息をついた。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 森の不思議な出来事云々は置いておいて、側から見れば貧血で倒れたかのような状態である私はその後部屋で療養という名の待機になった。

 

 メリルも同じような立場だったものだから控えに下がってしまい、他の屋敷のメイドさんたちに着替えやらベッドメイキングやらを手際よくやってもらってあとは放っておかれている。

 放っておかれているというのは聞こえが悪いか。一応何かあればベルを鳴らして呼ぶように言ってもらえているし、単に今は皆他の仕事(というか本来の自分たちの仕事)に忙しいだけだ。

 あと、部屋に一人ぽつんと残され……ているわけでもない。

 

「大丈夫? アネット。もし何か気分が悪くなったりしたら言うんだよ」

「大丈夫だから。あと当たり前のように私の部屋に出入りするのやめなさいっ」

 

 ご覧の通り、ひょこひょこと部屋の額縁を行ったり来たりするリュカが一緒だ。もとより寝込んでいるわけでもないから別にいいんだけど、まるで寝られそうにない。ただベッドに転がっているだけって感じだ。

 

「いいでしょ家族なんだから」

「未確定だけどね」

「ひどいっ、婚約破棄?」

「……はしないけど、とりあえず部屋中の額縁外してやるわよ」

「それはやめて。お話できなくなっちゃう」

 

 しゅんと項垂れるリュカ。デリカシーがないようでいてその実ナイーブというか、うん、ちょっと面倒だけど面白くもある。とか言ったら落ち込むのかしら、怒るのかしら。向こうも私のことを面白がっているんだからおあいこだと思う。

 くすりとこっそり笑っていると、リュカはそれに気づかず改めて例の話を持ち出した。

 

「あのさ。あの森であんな大事になったのは君が初めてなんだよ」

「あんまり嬉しくない一号ね……」

 

 えぇ、と思わず声を漏らす。そんな一番貰っても不名誉すぎるだけだ。

 リュカは眉間に皺を寄せて難しい顔をしながら続けた。

 

「まあ、これまでに報告されてた転んだっていう話も実害といえば実害だけど……幻を見た上失神なんて話を聞くと、急いで対応しないといけないなと思うよね」

「……聞こえも悪くなるでしょうしね」

 

 最初に駆けつけてくれたレクバートさんにも、リュカにも、私が見た夢については説明してある。メリルからも同じような証言が得られて、私たちは同じ幻覚を見ていたらしいこともわかった。ただ、それはあくまで幻覚。現実の私たちは道を外れた時点どころかそれよりももっとずっと早くに気絶していたらしいというのだから奇妙な話だった。

 

 メリルが森の中で私に話したこと、あの会話はちゃんと成立していた。現実ではないけれど、ちゃんと私たちは会話していたのだ。同じ幻覚の中で。

 つまりどういうことかと言えば——あの森のおかしな現象がリュカの絵画化とほぼ同時期という話も、「魔の土地」と囁かれるようになったことも、事実。

 

「メリルから聞いたんだっけ、あまり良くない噂も」

「聞いたわ。初めて聞いた。うちの実家までは届かなかったけれど、この地域では当たり前に広まってるのかしら」

「……僕が表に出られないからね。領主としての力がどうしても足りないのは認めるよ」

 

 悔しそうにリュカが呟いた。

 力不足。姿を見せない領主では、領民の真の信頼は勝ち取り得ない。そうなれば必然的に治安も危うくなる。彼はそう言いたいのだろう。もっとできることはあるはずなのに、キャンバスから出られない体のせいでそれもままならないと。


「そのせいで奇妙なことが起こるんだ、とか言われても正直はっきり反論はできないと思う」

 

 自信なさげだった。言われたこと、あるんだろうか。あるいは彼自身が言われることを恐れているのかもしれない。

 

 リュカが絵画に変えられた時期なんて、彼が絵画であること以上に知っている人の少ないことだろう。その繋がりを突っ込む人なんてそうそういないと思うんだけど。それに彼はずっと城にいてミドスとは縁遠かったわけだし、どうしてそれが彼の責任になるだろう。

 

(——ん?)

 

 時期の共通点。けれどリュカと関係がある可能性はおそらく低い。

 それでも全くの偶然とするにはまだもやもやが残るようなこの感じ——それがぞっとするような恐ろしい記憶の、あの最後の一瞬に張り付いた映像と突然結びついた。

 

 黒髪の見知らぬ女。

 

「あれは……エレーヌ・デラ……?」

 

 事情を詰め込まれたときに見た似姿の「魔女」を、記憶の中から引っ張り出す。呟けば、見上げた額縁の中のリュカがぴくりと肩を震わせて私を見た。

 

 

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