6人目『変若』
ずっと未来の日本。名前以外不明娘×皇子です。
その娘は、彼が生まれたときからその姿だった。
初めて会ったのは、彼が十の時。
「お前は誰だ」
皇子伊都は、都の外の丘でひとり、馬に乗っていた。そして、丘にたどり着いた時、一人の少女を見た。
彼女の服は、文献で知る遠い昔の服を着ていて、伊都は目を見張った。
少女は特に警戒するわけでも、恐れるわけでもなく、伊都に振り向いた。
「いやぁね。そんな威圧的な物言い、ガキがするもんじゃないわ」
少女はふふっと笑ってくるくる回った。彼女の脚はほとんど露出されていて、伊都は目のやり場に困った。
「私は、菜穂。名字は問題があるから名乗れないわ」
「・・俺は、伊都」
「そう。伊都っていうの。ふぅん」
少女は畏まるわけでもなく、畏れることもなく。
「驚かないんだな」
「あんまし関係ないし」
このとき、どうして彼女の言い方に注意できなかったのか。
「日が沈むわ。早く戻らないと門が閉まる」
「お前はどうする」
「私はここにいる」
「村もなにも無いのに」
「だって、私には関係ないのだから」
少女はずっと微笑したまま、伊都に近づいた。
「・・・一つだけ、約束して。決して、私のことを誰にも言わないで」
「・・・分かった」
このときは、単にこの不思議な娘と二人だけの秘密ができたことに純粋に楽しんでいた。
そして、五年の時がたった。
菜穂は相変わらずその姿のまま、ずっと丘で微笑んでいた。そして伊都は、そんな彼女の元へ、毎日足繁く通っていた。
「菜穂」
「伊都。いらっしゃい」
伊都が微笑んだら、彼女も微笑み返してくれる。それが、暖かくて、くすぐったい。
「今日もそなたの話を聞きたい」
伊都は馬から降りて、菜穂に駆け寄ると菜穂は両手を広げて優しく抱擁した
。
「そうね、今日は・・・私の昔話をしましょう」
菜穂は優しく微笑んで、腰掛けるように促した。
「・・貴方はずっと私の出所を不思議に思っていたでしょう」
「・・・あぁ。そなたはいつもどこから来たと言うことも教えてくれない」
「今日は貴方の十五の誕生日。元服があるのでしょう?もう、大人なのだから教えてあげる」
そして、彼女は語り出す。
「私が生まれたのは、遠い昔のこと。西暦でいくと、1999年だったわ」
「ーーー平成時代」
「そう。私はね、18歳までは普通の高校生だったの。でもね、ある夏の日に、私は死ぬことを忘れてしまった」
「どういうこと」
「そのままの意味。私は本当なら居てはいけないくらい長生きで、本当はおばあちゃんのひいおばあちゃんくらいの歳なのよ」
「・・・だから、何」
「もう、関わってはいけないの。私は遠い昔に全て失って、それでも命だけは消えない。これからもずっとそう。私は貴方を見送らなくてはならない」
「・・・嫌だ」
「貴方はこれからつらい現実を突きつけられる。私とは違った意味のだけど。そして、それは貴方が必ず通らなくてはならない道」
「嫌だ。菜穂はずっと俺の横で居るんだ。命令だ」
「・・・・だから、私は関係ないのよ。この世界の流れも、人の営みも、誰かからの命令ですら私を拘束できはしない」
「この国に居る菜穂はこの国の権力者に逆らえない」
「だったら国を出て行くまで。私はずっと昔から来た。外の言葉も知っているわ」
菜穂は笑って言った。
「私は世界の傍観者。だれも、流れゆく命を持つ者には、私を止めることは出来ない」
「だったら今だけでも、俺が生きている間だけでも、お前を拘束する」
「・・・けれど、貴方はいずれ消える命。私とは相容れない」
「それでも、俺はお前を愛しているんだ」
刹那。
菜穂は目を見開き、固まった。草原に居るのにさらさらと、砂の流れる音がした。
「・・・菜穂!?」
菜穂の右腕が、さらさらと、風に溶けていく。
「・・・・ありがとう」
微笑みながら菜穂は礼を述べた。
「貴方が私を愛してくれたから、私はやっと彼方へ逝ける」
「どういうことだ!」
思わず、伊都は抱きしめた。
「私は、長い間生きてきた。本来、肉体が朽ちているはずの歳まで生きた。詛いの力が私をこの世にとどめた。それが解き放たれた今、私は・・・」
脚が、腕が、胸が、消えていく。
「最期に・・・私も、貴方を愛していた。・・生きて」
口が消え、何も語らなくなった漆黒の瞳が優しく微笑んだ。
そして、最期まで、跡形もなく消えた。
「・・・菜穂と、添い遂げたかった」
殿下は決してこのことを語らない。ただ、あの丘を封鎖し、誰も立ち入れないようにした。そして時たま、気が向けば彼は消えた菜穂の影を求めて丘へ行くのだった。
そして、殿下は名君ながら早くに召されてしまった。後日、丘へ入ろうとした彼の部下が、丘に足を踏み入れる直前に不吉なものを感じて、早々に帰ってしまった。
タイトルの『変若』は荻原規子さん作品「空色勾玉」の『変若』をイメージしています。永遠の若さという意味で。