大河兼任伝 -松島の勝利-
春、五月十七日。源頼朝率いる鎌倉軍は奥州へ侵攻を開始。道中も兵は増え続け、その数は二万を超えた。五月二九日に白河の関を落とし、勢いを保ったまま六月二日には信夫を攻略。
対する奥州軍は阿武隈川にて防ごうとしたが、戦いに慣れていない兵は無力だった。六月八日に鎌倉軍は防衛線を突破し、一気に北上する。
大河兼任、奥州藤原氏に仕える一人の大将である。当時は秋田城柵に詰めており、日本海側を進んでくる敵を待ち構えていた。しかし阿武隈川の防衛線が破られたと知らせが入ると、こちらには最低限の兵を残し、自らは山越えをして援軍に向かおうと考えた。
しかし目前の敵軍は早く、六月十日に鼠ヶ関を突破。守りを固めるため、兼任は南へ進む。六月十五日に最上川を挟んだところで両軍は対峙したが、強い雨が降り始めた。三日間引っ切り無しにやむことなく、川は増水。両軍は睨み合いつつ、互いに小高い丘に陣を移して静観。いつしか雨はやんだが川幅はさらに太く、平野はすべて沼と化していた。
兼任はこれ幸いと、抑えの兵を残して再び山越えを決意。六月二十日に発ち、最上峡を東へ進んだ。しかし……山をひとまず越えたところ、戸沢の辺りで凶報を受けたのである。
“平泉、陥落”
奥州藤原氏当主の藤原泰衡は、家来に殺されて生涯を閉じた。兼任率いる羽州軍は秋田城柵へ戻り、鎌倉軍の勧告を受け入れた。
ただし……兼任自身は納得していない。無傷の兵があまたおり、泰衡様さえ生きていればまだ戦えた。一回も我らは戦っていないのだ。
七月十五日。日本海側を進んできた鎌倉の別動隊は秋田城柵へ入る。兼任らはひれ伏して上座を譲る。敵の大将は宇佐美実政といい、少し高い背丈で、顔は優しそうな感じだった。誰もがひとまず安心したことだろう。厳しく罰せられることはなく、所領も減らされることもないと。
鎌倉方は手始めに検地を始めた。最初は土地の様子を押えるためだとの名目で、人の入らぬ奥地へも分け入った。ところが……彼らは杭を打ち始める。ここが太田領、あちらは木村領といった具合に。在地の者らは慌てたが、彼らは手を止めなかった。
多くの者らが兼任の元へ泣きついた。兼任も話が違うぞと宇佐美に訴える。宇佐美はというと “申し訳ない” というだけで、一向に対応しない。
そのうち遅れて秋田城柵に入った大将が一人。比企能員といい、鋭い目つきが印象的な人物。宇佐美よりも位は上で、なんでも将軍家と血縁があるという。そんな彼が言い放つ。
“当然ではないか”
お前らは負けたのだ。命あるだけ、ありがたいと思え。
八月に入る。在地民の不満は高まり、とうとう争いが勃発した。場所は羽州の能代で、とある豪族の蔵から作物が奪われた。犯人は鎌倉方の兵士らで、白昼堂々と盗んでいく。蔵の持ち主は兵士らを殺したが、生き残った者が仕え先の御家人の屯所へ駆け込んだ。
御家人は求めに応じ、その豪族の屋敷へと攻め入った。火が放たれ、逃げ遅れたものらは無残に散った。この事態は、近くに住まう五城目の兼任も知るところとなる。ぞくぞくと仲間らが兼任の屋敷に集結。一触即発の様相を見せた。
この事態を受けて鎌倉方は危惧する。我らは土地勘に薄いので、このままでは負けるかもしれぬと。すでに源頼朝を筆頭とする本軍は奥州から引き揚げた後。比企は自ら鎌倉へ知らせに走り、実際のところはトンズラ。残った宇佐美は秋田城柵で守りを固め、他の御家人たちも城柵へ逃げ込んだ。
……はたして、これでいいのだろうか。鎌倉へ立ち向かうことは、主君の仇を討つことだ。……しかし秋田城柵を取り戻したところで、あとから駆け付ける敵方に殺されて終わりなのではないか。
悩むのは似合わない。似つかわしい。羽州の大将あるまじき。そう思い直し、その場に立った。大河兼任、秋田城柵へ進軍を命じた。
右手には八郎潟。夜は葦のこすれる音が響く。風が少しだけ吹くだけで、ざわざわと乱れる。月は高々と、波は静かに。
事は起きた。
……仲間内から、叫び声が轟く。鎧が激しくあたる音、刀同士交わりあう冷たい音。……左手の茂みから大きな鬨の声を上げて、鎌倉方が攻め込んでくる。……敵か味方かもわからぬ。どうも裏切り者がいるようだ。
逃げようと沼地に足を取られる者もあまたおり。兼任は歯を食いしばりながらも、北への退却を命じた。
東日流の藤崎。兼任の盟友である安東高季は秋田での悪報を知った。これを放っておけるはずがない。東日流にも同じ思いの者はあまたいる。鎌倉方の搾取はとどまるところを知らず、死ねと言っているようなもの。
戦うなら、本軍が引き揚げた今しかない。
辺りは不自然な熱気で包まれる。そんな折、奥州藤原氏一族の生き残りが助けを求めてきた。藤原秀栄といい、先代秀衡公の弟君だ。
この人物を旗印に、藤原の残党が結集する……。拠点はどこがいいか。そうだ、十三湊がいい。代々藤原氏の直轄領でもあり、他国船行きかう流通の要所。新たな藤原氏を築くにはもってこいだ。
……仕損じることなく、進めねばならぬ。土地勘がないといっても敵軍は三千。こちらは千。何か切り札は……。
少しして兼任ら残党も東日流へ逃げ込む。藤崎にて藤原秀栄・大河兼任・安東高季の三者が集まった。
兼任がこちらに入った以上、鎌倉方が攻めてくるのは確実である。打ち勝つにはどうすればいいか……。
“袋の鼠” の策をとる。
藤原秀栄は十三湊で挙兵。千人にも満たない人数であったが、意気は盛んだ。鎌倉方の行いに反発する者、奥州藤原の再興を望む者の支えにならんとした。
加えて “北の兵” に頼ろうと。北の兵とは、大陸の遊牧民のことである。金さえだせばどことなり参上する。夢物語のように思えるが、実際のところ蝦夷ヶ島まで渡ってきたことがあるらしい。蝦夷がいいなら東日流にも来られるはず。
ただしその存在を誰も見たことない。兵らの不思議な熱気によって、真実は覆い隠されている。“袋の鼠” という捨て身の策に賭ける想い。
鎌倉軍三千は総大将を宇佐美実政とし、羽州の大館側より山を越えて侵攻。大きな抵抗を受けることなく、十三湊を目指す。辺りに家があれば中へ押し入り、蔵があれば自らの懐にいれる。捨てた後の藤崎も同じ目に合ったらしい。
岩木川……当時は大河という名前であるが、鎌倉軍は川をたどって下流へと進みゆく。行きつく先は十三湊。
……東日流には、“江留沼”という土地がある。大河と十川の分岐点より北側を総じて“江流末郡”というときもあるが、名前はこの沼地に由来する。海よりだいぶ離れているのに、潮の満ち引きが沼の水位を左右している。その真ん中には “松島” という丘があり、鎌倉軍はそこに本日の寝床を設けることにした。
少し曇りがちな空。その隙間より日が顔を出し始める。鎌倉軍の兵士らに緊張感はなく、寝ぼけた眼をこすり欠伸を出す。鎧なども身に着けず、衣は暑さに任せて乱れたままだ。
辺りに鬨の声が響く。
前方に、大きな白旗があがった。
……一番大きなものには、何やら人の名が書いてある。
“源義経”
起きたばかりで頭が働かない。……死んだはずではないか。
別の者が気付く。後方にも旗が掲げられたと。
“木曽義高”
義高とは、かの木曽義仲の子。将軍頼朝の娘大姫の婚約者であったが、すでに殺されている。義仲が朝敵となったためだ。
…………
敵はいくらいるだろうか。一万はいるかもしれない。我らは三千……。
生きているはずがないことは分かっている。だが、誰もが噂したものだ。“実は生きている” と。
誰もが恐ろしくなる。いくら屈強な鎌倉武士だといっても、怨霊と戦って勝てるのか。
勝てるはずがない。
南北合わせ僅か五百の兵は、鎌倉軍三千を圧倒した。北からは大河兼任、南からは安東高季が迫る。大将は馬鹿でかい脚をもつ奥州馬にまたがり、他の兵は沼に沈みにくいように竹のカンジキを足に付けて進む。
鎌倉軍は怯えきってしまい、勇ましい武者には程遠い。やはりあの二人の名前は心に響きのだろう。悪気があるのだ。幼き木曽の遺子を殺した報い、兄に恨みある義経がよみがえることの恐ろしさ。
鎌倉軍大将の宇佐美実政は討死。敵兵のほとんどは刀で切り刻まれたか、矢が鎧兜を貫いたか……逃げようとした者は、沼に足をとられ、その場で殺された。
この戦いの大勝利により、東日流や外ヶ浜・秋田の静観していた豪族たちはこぞって十三湊に馳せ参じた。奥州藤原氏の生き残りである藤原秀栄を頂点として、実質的に大河兼任が軍の最高責任者としての地位を確立する。
鎌倉方は体制を立て直すべく、秋田城を放棄。平泉に座す奥州総奉行の葛西清重はたいそう戸惑った。秋田城柵が反乱軍に渡れば、次はこちらだと。鎌倉にも知らせは届いていたが、なによりも本軍の引き揚げた後なので、すぐに奥州へ出立することはできない。さらには義経や木曽の遺子が生きていたとの報が一気に駆け巡る。
続けて兼任率いる五千の軍勢は八幡平より平泉を目指す。北上川を南進し、胆沢に陣を構えた。かつて悪路王の本拠があったという。
……何を思ったか。兼任は弟たちを呼んだ。次弟で僧侶の大円と、末弟の大河二藤次忠季である。
曇る夜、松明が陣中の白地に影をなす。三人は丸いござに座り、真ん中に酒を一瓶置く。
「皆々抜かりなく。私は大陸に向けて使いを出した。屈強な北の兵もいずれははせ参じることだろうから、我らの願いは叶うことだろう。」
兼任はまず、大円に命じた。
「お前は坊主である身分を使い、坂東へもぐりこめ。鎌倉方の話をこちらへ送れ。」
大円は “御意” と返し、軽くうなずく。次は二藤次だ。
兼任の口は、急に重くなる。辺りは静まり返る。……すると兼任は酒瓶を持つなり、封を素手でこじ開けた。次に言う。
「お前は、裏切り者になれ。」
そう話すなり二の句を告げさせず、酒瓶の注ぎ口から直接飲み干そうとする。だが決して若くはないので、途中でむせた。兼任の顔は赤くなるが、忠季の顔は青ざめる。大円は二人を静かに見守る。
…………
兄弟ゆえ、訳はわかる。
二藤次はは兄の持っていた酒瓶を奪い、残りを勢いよく飲み干した。