彼岸
本作のコミカライズを担当してくださったぺぷ先生と新しいコミカライズがスタートしますのでご連絡です。
『愛され聖女は闇落ち悪役を救いたい』
KADOKAWA フロースコミック様にて
漫画/ぺぷ先生 キャラクター原案/春野薫久先生
コミカライズ2025/08/29日より開始です。
デスゲーム漫画の黒幕殺人鬼の妹に転生して失敗した。小説版にはない二人のその後も収録したコミック最終巻⑥巻が発売中です。
そして本作が韓国のRIDIさん(電子ストアサイトです。国内でいうシーモアさんやピッコマさんです)
RIDIAWARD2024(2024年のお祭り)の次に来るマンガ賞を受賞しました。ありがとうございます。
「貴方の名前は、なんていうの」
「……え?」
「名前……ひろしじゃないのなら、前の人生の、名前は……?」
どうやら、明日加は僕の話を信じてくれたらしい。状況も、状況だし、信じるしかないのかもしれない。
「……みづき。海に月って読むんだ。クラゲを漢字で書く時と、一緒」
クラゲは漢字で書くと、海月と書く。
母親が父親と行ったのが水族館で、記憶に残っていたのがクラゲだった。物心ついたときから、老若男女問わず女の子みたい、女の子かと思った。無限に言われた。バイト先だけだった。そういう煩わしいやり取りがなかったのは。そして、女の子だと間違えられる以上に嫌だったのは、名前負けしていることだ。こんな名前似合わない。海も月も綺麗なものなのに、僕はこのありさまだから。
「海月、くん」
か細く辿るように、明日加が僕の名を呼ぶ。前の人生、僕の名前を呼ぶ人間はほぼいなかった。母親は「ねえ」「ちょっと」で僕を呼んでいたし、病院で呼ばれるくらいだったけど、番号に変わった。
だから、反応が出来なかった。
「貴方は、消えちゃうの」
「え」
そこでようやく、彼女に言葉が返せた。
「だって、海月くんがそこにいるのなら、田中ひろしも、どこかにいるはずでしょう。それとも、いつか……海月くんじゃなくなっちゃうの……?」
明日加の声が震えている。
考えたことがなかった。いつか、田中ひろしがこの身体に帰ってくることも、あるだろうに。それとも僕のように別の人間の人生に存在しているのだろうか。
「……わからない」
「消えないでほしい」
「なんで……?」
明日加の目には涙が浮かんでいた。水滴というより、水で出来たことがかろうじて分かる宝石のように、光に反射している。
「なんでって、なんで分からないの……」
明日加が僕を見る。声音に眼差し、何故明日加が消えないでと思うのか、理由は想像できる。でもそんな想像をする自分が本当に気持ち悪くて、今すぐ窓から飛び降りたくなる。
「分からない」
だから分からない。分からないで止まる。期待したくないし期待するほどの人間性を僕は持ってない。
「私は、田中ひろしじゃなくて海月くんのことが好きなんだよ……」
明日加がぽたぽたと涙を流す。水滴が彼女の首から滴る血と混ざりあう。
「そんなことない……僕は人に好かれるような人間じゃない」
「人に好かれるような人間じゃない海月くんが好きだよ……」
「そんなこと……」
僕は同じ言葉を繰り返そうとする。けれど明日加は「なら証明する」と、包丁を自分の首に押し当てた。
「先に死ねば信じてくれる……?」
「やめて明日加、僕は明日加には生きていてほしいんだよ」
「そんなの私だって同じだよ!」
明日加が叫んだ。
「海月くんに生きていてほしいよ! 一緒に生きてよ! 生きるのが嫌なら一緒に死んでよ! どこにも行かないでよ!」
訴えに、ぐっと喉の奥が詰まった錯覚がした。不意に自分の目から涙がこぼれたのが分かる。
「私から離れないでよ……」
明日加が泣く。僕は彼女にゆっくりと近づいた。明日加は包丁を握りしめる手にさらに力を込める。
「明日加」
「やだ」
「分かったから、しないで」
「やだ」
「……一緒に、死ぬから」
「嘘」
「嘘じゃない……明日加と、死ぬ」
そう言うと、明日加は手の力を緩めた。僕は彼女から包丁を取る。そして、彼女の首を手で押さえた。女の子の力だ。そこまで深くはない。手当をしないと。でも、明日加は僕を強く抱きしめた。次の手を封じるみたいに。
「明日加」
「やだ……全部やだ……やだ!」
明日加は僕の腕の中で泣く。
海月くんと、何度も僕の名前を呼びながら。助けを求めるみたいだった。
「手当てしよう」
「したくない。一緒に死ぬの……」
明日加が子供みたいに言う。状況は深刻でしかないのに。
僕はしばらく考えて、呟いた。
「海に行こう、明日加。一緒に。そのままだと、電車にも乗れないから。だから手当てしよう?」
海に行く。
そんな僕の苦し紛れの提案は、承認された。ところどころ血の付いた制服を隠しながら、両親の寝静まる家に一度戻り、僕の下手な手当を受けた明日加とともに、最終運航のバスに乗り、僕たちはなるべく遠くの海を目指した。
そうして、日付が代わり、朝を迎え、昼が過ぎ、デスゲーム開催の夜を迎えたころ、僕は明日加と砂浜を歩いていた。彼女の首には、真夏ながら水色のショールが巻かれている。首の傷を隠すためだ。
教室は、めちゃくちゃにしたまま出てきた。血はそのままだ。そもそも床に垂れてない。ほぼ明日加の制服が吸収していた。
でも、教室がどれだけ血染めになろうが、明日加が生きていればどうでもいい。どうせ今日は、デスゲーム開催当日だ。
机と椅子が乱れ教室の中が血染めになろうと、それより酷い状況になる。
「座ろっか」
「うん」
明日加に促され、僕らは自然な流れで砂浜に座った。
この先のことを、何も考えてない。黒辺誠は僕らを見つけ、デスゲームに強制的に参加させるつもりなのだろうか。いったいどうなるのだろう。こうして海に向かう途中、黒辺誠に見つかったら、なんてことを考えていたけれど、こうして海に辿り着いてしまった。
「海月くんさ」
「うん」
「前の人生で恋人とか、いた……?」
明日加がおそるおそる問いかけてくる。
「いない」
「男子、大学生って言ってたけど……男の人が、好きだったり、したの? それとも、そういうの、興味なかった……?」
苦しみを滲ませながらの質問だった。性的嗜好について探っているのだろう。こんなことを、普段の明日加は聞かない。おそらく、彼女が僕の家に来た時、何もしなかったことを気にしているのかもしれない。
「恋愛対象は女の子。自認は男。機能に問題もなかった。経験がないのは、性格。そして性格を覆せるほどの見た目もない。全部、悪かった」
「私のこと好きだって言ったのに、なにもしてくれなかったのは、どうして?」
「どうしてって……普通に、田中ひろしの代わりに、出来るほど器用じゃないから……」
それに、たぶん無理だった。慣れてない緊張、田中ひろしとして求められている状況で、どうにか出来るイメージも浮かばない。
「……ああ……そっか。なんていうんだろう、身代わりみたいに、思うよね……海月くんの立場だったら……私も、姫ヶ崎さんの代わりに、って、されたら嫌だし」
「なんで姫ヶ崎……?」
「だって海月くん、黒辺くんとそうやって話してたから」
「あ……」
あれを見られていたのか……。
「あの、僕は別に……」
「知ってるよ」
明日加は僕の言葉をさえぎった。
「分かるよ。姫ヶ崎さんのこと好きじゃないって、今は」
「今は?」
「うん。聞いたときは、ショックだったけど、今までの海月くんこと考えれば、違うだろうなぁっていうのは分かるから。ただ、なんで黒辺くんに姫ヶ崎さんが好きだって思わせたのか分からなかったし……色々、海月くんのこと分かんなかったから、混乱したけど」
「ごめん……」
「ううん……でも、海月くんは……どうなの? 私は、たぶん、海月くんが同情してた私とは……違う気がするけど……なんかこう、姫ヶ崎さんと一緒にいる田中ひろしを、見送ってたりしてたんだよね? 好きだからって」
「うん……」
「包丁とか握って死ぬとか、言ったりしない感じ……だよね?」
「まぁ……そういう激しさは、漫画になかったよ」
「私のどんなところが好きか聞いたとき、曖昧な返事だったのはそれ?」
「いや……」
僕は言葉を濁す。気持ち悪さの集大成のような返事はしたくない。
「漫画で同情したなら、見た目?」
「いや……」
「私の好きなところ、ない?」
明日加が悲しそうな顔をした。僕は思わず「違う!」と否定する。
「なら、どこ」
「……食べるの、ゆっくりでいいってしてくれてるところと、喋らなくても、楽しいって思ってくれるところ……それが、本当なら」
「え、なにそれ」
想像通りの反応だ。だから言いたくなかった。
「気持ち悪いと思うから、いい、分からないままで」
「別に気持ち悪いとは思ってないよ。ただ、食べるのゆっくりとか喋らないって、海月くん特有のもの……だよね?」
「たぶん。田中ひろしは、良くしゃべるほうだし」
僕の負債は、前の人生のものをそのまま引き継いでいる。田中ひろしには本来ないものだ。
「なら……漫画の私は、海月くんに言ってないかな」
「言わないと思う。」
「そっか……」
明日加はどこか嬉しそうにしている。一瞬、もういいかとも思ったけど、改めて否定した。
「だから、君が僕の……というと難しいけど、田中ひろしの部屋に来た時、君に問題があったわけじゃない。ただただ、僕に問題があった」
「私が、田中ひろしを好きだと思ったから」
「うん」
「……消えないで」
明日加は言う。たぶん彼女はもう、死ぬ気はない。僕が死のうとしない限りは。だから、消えないでと願う。今死ぬなら、どうでもいいことを願う。
僕は返事が出来なかった。
消えないでと言われても、田中ひろしが返ってくるかも分からない。主人公ならずっと傍にいるよとか、一緒にいるよと言えたのだろう。でも僕はずっと傍にいて欲しいと思うことはあっても、約束ができない。というかそんなことは言えない。似合わない。
「消える消えない以前に、デスゲームが始まるから」
そして僕が僕であるかぎり、明日加はいつか僕から離れるだろうという疑いは消えないし、こんな自分は一生誰にも好かれないという諦めと戒めで作った骨格なしに、僕は立っていられない。恐ろしいから。死ぬことに抵抗はない。教室をめちゃくちゃにしたとき、たぶん、何人か殺せる気もした。体力的にも腕力的にも勝てる相手なら。でも、明日加が僕を好きだと認めることはずっと怖いし、その時点で駄目なんだと思う。
「始まらないかな、デスゲーム」
「……え」
明日加が信じられないようなことを呟く。漫画の徳川明日加ならば、絶対に言わないようなことだ。
「海月が消えるんだったら、デスゲームが起きて一緒に死にたい。私のほうが先に死にたい。後悔してほしい。私の好きを、信じてくれなかったこと」
「すごく、苦しいよ。斧とか、モデルガンで撃たれたりするかもしれないんだよ」
「いいよ。海月が消えるくらいなら、全部、そのほうがいい」
子守唄をうたうように明日加は言う。人魚姫は美しい声を引き換えに足を手に入れるが、今の彼女は足を失い声を取り戻していると錯覚するほど、澄んだ響きだった。
「海月くんが、キーホルダー、クラゲ選んだのって、名前が理由?」
「ううん、イルカは似合わないなと思って……手に取ったのが、クラゲだった。栄養にもならないし、浮いてるだけだし、それっぽいなと思って。漫画では、田中ひろしはイルカを選んでたけど……」
「私は」
「イルカ。お揃いにしてた」
「えー、でも、田中ひろしって最後には姫ヶ崎さん選ぶんだよね?」
「うん」
「なら、海月くんも最後には姫ヶ崎さんを選ぶ?」
「いや……僕、ほら今……不謹慎だけど、クラスメイト、見殺しにしてる状態だから」
今、放送がかかっている頃だろうか。黒辺誠はどうしているのだろう。この先どうなるのだろう。色々なパターンを想像する。
僕と明日加だけが、肝試しに行かないパターン。
黒辺誠は自分の期待を超える存在を探している。同時に、予想通りに行く……自分の想定通りに事が進むことも望んでいる。だから堂山を消した。
ゆえに一番考えられる結末は、教室に集まったクラスメイトを殺した後、集まらなかった僕と明日加を殺しに来るパターンだ。2人が来ないことを予測は出来てない。そのことに喜びつつも、全員殺しておきたいと、自分の想定を正そうとする。
漫画で田中ひろしは黒辺誠に敗れた。僕が勝てるわけない。
黒辺誠の家に火でも付けたら変わるだろうか。それとも学校に。
教室で自殺を考えたとき考えたけど、黒辺誠の家に火をつけたところでたぶん黒辺誠は死なないし、学校に火をつけたところでスプリンクラーに妨害されるとやめた。スプリンクラーを壊して済むならやってるけど、よりによって教室に取り付けられているそれは最新式、何かエラーがあれば通報されるシステムだった。
「海月くんは私のこと選んでくれたんだ」
「そんな大層な感じじゃないよ」
「でもよくあるじゃん。世界を敵にまわしてもって」
世界を敵にまわしても。そもそも世界が敵になるような存在とは一体、なんて疑念を抱く。そしてああいうのは世界側の人間が、大切な存在を守るためにそこから外れることが感動的であり、僕の場合、そもそも世界側に属してないし、失うものがないのだ。感動もなにもない。
「イルカとクラゲが一緒にいる方法、ずっと考えてたんだよね。海月くんが、クラゲのキーホルダー選んだときから」
「うん」
「おなじ鯨のおなかの中にいること」
「ああ……」
「でもね、深海に潜れるイルカも、クラゲもいるんだって。深くて暗いところが好きなの。それぞれ、なかなかない種類らしいけど」
イルカは温かく浅い場所で暮らしている。そして深海は冷たい場所だ。太陽の光が届かないこと、理由は色々ある。そして暗い。星が瞬く宇宙とは違う。本当の闇の底だ。
だから、よく思っていた。自分は、陸の生き物じゃなくて深海に生まれるはずだったプランクトンか何かが誤って人間に生まれてしまったのだろうと。
「だから海月くんは、田中ひろしじゃなくて海月くんとしていて。私も、漫画の徳川明日加には、たぶんなれないから」
少し諦めたような、寂しそうな声音に、なぜかとても安心した。
いつの間にか夜はあけ、朝焼けが僕らを照らす。朝日を受けた波打ち際は、少しだけ赤みを帯びて見えた。
本作のコミカライズを担当してくださったぺぷ先生と新しいコミカライズがスタートしますのでご連絡です。
『愛され聖女は闇落ち悪役を救いたい』
KADOKAWA フロースコミック様にて
漫画/ぺぷ先生 キャラクター原案/春野薫久先生
コミカライズ2025/08/29日より開始です。
デスゲーム漫画の黒幕殺人鬼の妹に転生して失敗した。小説版にはない二人のその後も収録したコミック最終巻⑥巻が発売中です。
そして本作が韓国のRIDIさん(電子ストアサイトです。国内でいうシーモアさんやピッコマさんです)
RIDIAWARD2024(2024年のお祭り)の次に来るマンガ賞を受賞しました。ありがとうございます。




