クラゲとイルカ
本作のコミカライズを担当してくださったぺぷ先生と新しいコミカライズがスタートしますのでご連絡です。
『愛され聖女は闇落ち悪役を救いたい』
KADOKAWA フロースコミック様にて
漫画/ぺぷ先生 キャラクター原案/春野薫久先生
コミカライズ2025/08/29日より開始です。
デスゲーム漫画の黒幕殺人鬼の妹に転生して失敗した。小説版にはない二人のその後も収録したコミック最終巻⑥巻が発売中です。
そして本作が韓国のRIDIさん(電子ストアサイトです。国内でいうシーモアさんやピッコマさんです)
RIDIAWARD2024(2024年のお祭り)の次に来るマンガ賞を受賞しました。ありがとうございます。
「ずる休みして電車に乗るのって、なんか、変な感じ」
通勤時間が過ぎ、人身事故で遅延中の路線から外れた各駅電車の座席に座り、明日加が呟く。
ほかの乗客は、遠くに寝坊したらしい私立の小学生と、お年寄り。二人とも遠くに座っている。あれから僕は、気持ち悪くなり、どうしても行けないこと、明日加に付き添ってもらっていると学校に電話をした。フライトに間に合わない、参加は無理かもしれないと教師に言われたが、望むところだった。そのまま欠席の旨を伝え、風邪かもしれないこと、明日加にもうつしているかもしれないと言い、電話を切った。
間に合わなくていい。手遅れでいい。明日加の両親には謝るけど学校はどうでもいい。
キャリーケースは邪魔なので駅のコインロッカーに預けた。幸い海外宿泊用に、定期券の電子マネーは上限ぎりぎりまでチャージしているし、海外渡航用に軍資金もある。
「悪いことしてるみたいじゃない?」
明日加が聞いてきた。
「みたいじゃなくて、悪いことしてると思う」
明日加に対し、僕は悪いことをしている。ずっと。
「あはは。じゃあ共犯だ」
明日加は楽しそうに僕にもたれかかってくる。ふわり、と花かシャンプーか、いい匂いがした。小学校や中学校の頃、彼女が僕に汗拭きシートを貸してくれたことで、時折彼女からする甘い香りの正体を知ったけれど、今日は分からない。シートじゃないことは確かだし、それよりいい匂いなのかどうかわからない。
分かるのは、こんなことを考えていると最悪な気持ちになるだけだ。
明日加は僕の共犯じゃない。徹頭徹尾ただの被害者だった。自罰的な言葉を用いるならば僕の行為は誘拐に該当するけど、僕は完全犯罪が出来るほどの知能を持ってないし、そんな実行力もない。
「最初に言ってくれてたら、もっとおしゃれしたのに」
不満をにじませた声で明日加がもたれ掛かってくる。ぬるい体温に、自分の身体じゃ絶対感じない柔らかさを感じた。明日加の体はほかの女の子よりしゅっとしているのに、不思議だ。明日加の太ももと僕の太ももが密着している。小学校の頃だってこんな距離にはならなかった。手を繋いだことはあったし、むしろそちらのほうが意識的に触れているはずなのに、呼吸がしづらい。
「最初に言ったら、やだって言われるかもと、思って」
「言わないもん」
明日加は不貞腐れたように、僕の太ももを叩く。ぱちん、と軽い音がした。恥骨には重く響く。今度は二の腕が触れた。
「ついていくよ──どこへでも」
触れ合っている温もりとは対照的に冷ややかな声だった。
徳川明日加は田中ひろしに恋をしている。
どこへでもついて行くだろう。
でも僕は彼女を田中ひろしとしてどこかに連れていくことは出来ない。
僕はどこへも行けない。そういう人間だから前の人生でああいう末路をたどった。
それなのに彼女の「どこへでも」を信じてしまいそうになる。
僕に向けられたものでは決してないのに。
明日加とともに電車に乗って向かったのは、小学校の頃に向かった水族館だった。薄暗い館内は、社会科見学の小学生や、高齢者のツアー客がまばらに見える程度で空いていた。こちらの照明の影響を与えないよう、特殊な加工を施された硝子の向こうには、海藻や珊瑚が適度に配置され、魚が遊泳している。
人間に整えられた、水の箱庭。浅瀬に生きる魚、深海で過ごす魚と別々に振り分けられ、それぞれが生きやすい環境が維持されている。
理由は動物愛護的な思想だってもちろんあるだろうけど、そもそも元気のないものなんて誰も見たくないからだ。
前に小説家のインタビューで読んだことがある。人は元気になれる、見ていて応援したくなる主人公を求めているらしい。簡単に言えば、前向きな頑張り屋で、スカッとするような、共感と憧れを集めることが出来る主人公。みんなに好きになってもらえる主人公だ。
そのインタビューを見て、だからかと、納得した。
そんな主人公に、僕は共感も憧れも抱けない。そもそも人物を応援したいと思ったこともなければ、憧れることもない。
僕は見ていて、なんとなく、「この人物はこういう風に考えるんだ」と、誰かの考えや想いを知るものとして、物語に触れていた。
ようするに僕の不完全性や欠陥は、ものを楽しむという方向にもきっちり作用している。
逆を言えばエンターテインメントすらまともに楽しめないのだから、普通に生きていけるはずがなかった。
生きることにも人間であることにも絶望的に向いてない。
向いてないことをするのは他人に迷惑をかける。死ぬのも迷惑をかける。どうしようもできない閉塞感の中、さよ獄を読んでいるときは、少しだけ楽だった。
田中ひろしはさておき、デスゲームに参加させられた人々は皆正気を失うし、前向きな頑張り屋だって、これから先どうやっても幸せになれない世界だった。
死ぬことが決まっている。
努力は報われない、報われない努力を──何の役にも立てず、死んだほうがいいのに生きていても、許されるような気持ちになっていた。
デスゲームは本来、読んでいてハラハラしたり、誰か助かってほしいと祈るもの。こんな愉しみ方は間違っているだろうけど、正しくても正しくなくても皆結局死ぬ世界に、勝手に肯定されていた。
そんな僕に、報われてほしいと思われたところでどうにもならないのに。
水槽の魚たちを見ては、「この魚の名前は」と、手前にある解説を読む明日加を見ていると、つくづく思う。僕は彼女には報われてほしい。この世界は持っている人間しか報われなくて、僕は報われない。そんな状況に苛立つのに、全部持ってる明日加には、そのまま報われてほしい。
「あ、ひろし、クラゲがいるよ」
明日加と見て回っていると、彼女がつん、と僕の服の裾を引っ張った。触れられることは嫌いじゃない。なのにやめてほしいと思う。最近、明日加のこうした何気ない関わりが辛くなって仕方なくなる。それも今この瞬間じゃなく、触れられてしばらく経った後、ひどい虚無に襲われる。生きていたくなくなる。
「うん」
つまらない返事しか出来ないのに、明日加は僕を見ている。
「最近、クラゲメインの展示とか増えてるんだって、ここはやってないみたいだけど……」
「へぇ……」
クラゲ、小学校の頃は水族館の生き物として名前が上がるかすら危うい印象だった。メインの展示……どうしてだろう。どこかの水族館が資金難でたくさんクラゲを買って、展示したら好評で追随……とか。
しばらく明日加とクラゲを見ていると、彼女がこちらに振り向いた。
「なんでクラゲ選んだの……?」
「ん、なにが」
「キーホルダー」
明日加が自分のつけているイルカのキーホルダーを示す。よく見ると、イルカのひれのあたりに大きな傷がついていた。
「えっと……」
当時の記憶は、ちゃんとある。僕が一人で回っているのを見かねた明日加が、一緒に見て回っていた女の子たちから離れ、僕と回ってくれたのだ。そうして一緒にお土産屋さんに行き、彼女は一緒にキーホルダーを買おうと言った。
種類は、たくさんあったと思う。イルカのほかにウミガメとか、エンジェルフィッシュとか、イカにタコ、子供の海の図鑑に載ってるようなラインナップがそのまま反映されていた。
明日加はイルカを眺め、それにした。主体性のない僕はどれでも良かったけど、明日加と一緒のイルカ以外にしようと決め、クラゲを選んだ。
僕なんかとお揃いは良くないから。
「存在感が薄い、と、思ってたから」
「薄い?」
「うん、透明だし……」
クラゲは、食べることもできる。でもほぼ水分で出来ていて、栄養価はない。クラゲを食べるのならほかのものを食べたほうが元気になる。そうした意味でも、僕と合ってる。いいものを選んだ。
「澄んでて綺麗じゃん。汚れがなんにもない」
明日加は「綺麗」と、水槽のクラゲを見てうっとりしている。
「食物連鎖のなかでも、下のほうにいるから、クラゲは」
生き物は自分より弱い生き物を食べる。自分より弱い生き物が貯めこんでいた毒素ごとだ。大きくて強い生き物ほど、多くの命が必要になる。結果的に大きな生き物の腹の中には、相当な単位の生き物の毒素が溜まる。そういう魚を食べて食中毒を起こしたりする。
クラゲは微生物を吸収する程度で、食事をするための歯なんてない。そこらへんでただ浮いているだけだ。
「だから綺麗なんだ」
明日加は微笑む。
笑顔が苦しい。
彼女の笑顔を見ていると、嬉しくて苦しい。
そして途方もなく、死にたくなる。
本作のコミカライズを担当してくださったぺぷ先生と新しいコミカライズがスタートしますのでご連絡です。
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RIDIAWARD2024(2024年のお祭り)の次に来るマンガ賞を受賞しました。ありがとうございます。




