○327日前
学校で肝試しをしようと集まったクラスメイトたち。彼らが主催の学級委員を教室で待っていると突然放送がはじまり、「おはようございます、地獄の時間です」と機械音声が流れ、血みどろのデスゲームが開催される。
このままだとそれは一年後の夏に訪れてしまうから、阻止しなければいけない。だから正直なところ委員会の仕事なんてしたくないけれど、免れることは出来ないらしい。
「あっ丁度いいところにいた。黒辺さん。退屈なら私と委員会の話をしましょう?」
休み時間、兄の教室で驚き提供の仕込みをしていると野島先生がやってきた。兄のクラスは前の時間科学室で授業だから、教室は誰もいなくてチャンスだと思ったのに。
「ごめんなさい。やらなきゃいけないことがあって……」
私が謝ると野島先生は嫌な顔をした。あまりに露骨すぎる。やめてほしい。でも、こちらは時間がないのだ。時間外の委員会活動は控えたい。
放課後の時間を委員会にとられる分、私の兄への驚き提供ノルマのハードルはぐんと上がった。
だから朝、私の靴ひもを奇怪な結び方にしたり、歩くとピヨピヨ鳴るクッションを私の靴に仕組んだりして通学時の驚き提供は勿論のこと、兄の教科書に書かれた物語の続きを盛大な冒険談にしたペーパーを教科書に差し込んだり、一見手酷い落書きをされているように見えて実は透明なフィルムが挟まっているだけ、教科書は無傷など、兄の授業を妨害しないことを鉄則にやれることはやっている。
そして今日仕込んだのは折り畳み式のびっくりカードだ。開くと兄が授業でやっている物語に出てくる木と山が現れる。それだけだけど、教科書を読み込んでいる時に、物語と同じ景色が飛び出てきたらきっと驚くに違いない。
なのに野島先生は「なにこれー!」と言って私の力作カードを掠め取った。
「これ黒辺さんが作ったの?」
「……はい」
「ええ、すごいわねえ。こんなに上手なら朗読会もすっごくいいものが出来上がるわ!」
このクオリティのものを、朗読会で披露する気はない。将来兄とクラスメイトになってしまう三十八人の命がかかっていることと、学校の行事では向けられる熱意にどうしても差が出る。
「あれ、でもどうして黒辺さんがここにいるの? ここは三年生のクラスでしょう?」
「……お兄ちゃんを……驚かせようと思って」
「もう! 中学生なのに小学生みたいなことしないの! ……あ、じゃあさ、このカード少し先生に貸しててくれない?」
「え」
じゃあって何? 全然じゃあじゃない。でも先生は畳みかけるようにこちらに近づいてきた。
「だってお兄ちゃんにならいつでもあげられるでしょう? 先生これ参考にしたいな〜! きっと幼稚園の皆も喜ぶだろうし」
「でも……」
「お願い!」
野島先生はお願いお願い! と何度も繰り返す。相手はもう女子大生なのに、幼稚園生みたいな行動にただただ引いた。でも、お願いのわりに返してくれる気配はなさそうだ。圧が強い。渋々頷くと先生は「えぇ〜」と声を上げた。
「なんだかそれじゃあ私が泥棒したみたい。黒辺さんに悲しい顔してほしくないなぁ!」
演技がかった声に酷く嫌な気持ちになった。漫画の黒辺舞は野島先生を前にどう接していたのだろう。いや、黒辺舞はそもそも教室にびっくりカードを差し込みにはいかないから先生とここで会うこともないし、クールな子だから「はい」で立ち去りそうだ。
「えっと、じゃあこれで」
立ち上がると、先生は「えぇ〜」とまたさっきと同じ声を上げる。脱力した私はそのまま兄の教室を出たのだった。
◇
「あれぇ、舞ちゃんどうしたの? プレゼント失敗しちゃったの……?」
教室に戻って最前列に座るゆかりちゃんの机にばん! と音を立てて伏せると、彼女は身体をびくっとさせてあわあわしだした。「アアアアアア」と呻いて見せ、すぐに動きを止める。
「野島先生にカードとられた」
「なんか学校に持ってっちゃいけないもの持ってきちゃったの?」
「ううん。朗読会の参考にしたいんだって……もうあの先生とやっていける気がしない……」
「それ朝も聞いたよぉ」
ゆかりちゃんはいつも間延びした話し方をするけど、別に苛々はしない。多分彼女には傲慢さが感じられないからだろう。おっとりしていて行動ものんびりだから、その延長なだけだ。
でも野島先生のあの話の感じはひどく鼻につく。
先生と優しい人を一日中同じ部屋に閉じ込めたら、皆黒辺誠になって帰ってきそうだ。
「俺も嫌いだわあいつ。昨日のあれだけで嫌だなって思った」
上から声がふってくる。ゆかりちゃんの机から顔を上げると、声の主である岩井は私の真後ろに立っていたらしい。彼のあごに私の頭がクリーンヒットし、彼は「いてぇ!」とのけぞった。
「ごめん岩井……、歯は抜けちゃってない?」
「お前俺の心配をしろよ歯だけじゃなく……いってえ……」
よほど痛かったようだ。岩井はあごを押さえている。小学校が一緒の私たち三人は、去年までずっと同じクラスだった。そして二年になってとうとう岩井が隣のクラスになったのだ。だから彼が同じ教室にいても受け入れてしまった。「なんでしれっといるの」と問いかけると、彼はこちらをじろりと一瞥して「教育実習生ってさあ」と私の横に立った。
「二か月いるらしいぜ、この学校に」
「本当に!?」
私の声が大きかったことで、ゆかりちゃんはまた肩をびくっとさせた。申し訳ないなと背中をさすりながら私は岩井に問いかける。
「きょ、去年教育実習生二か月もいた……?」
「いた。でも大学生だからいない日もあるらしいけど、基本は二か月だって」
「そういえば、私のお兄ちゃんのクラスに教育実習生が来たときは、三か月だったかも……大学は単位が取れれば行かなくてもいい日があるって……お兄ちゃんその人のこと大好きだったから、多分合ってると思う……」
ゆかりちゃんには高校生のお兄さんがいる。バンドマンになりたいからお寺を継ぐのが嫌で、わざわざノー寺! イエスライフという頓珍漢なシャツを着て歩いている。いつも彼女のお父さんと派手な喧嘩をしている街の有名人だ。
そしてこの中学校の卒業生でもあるから信憑性は高いだろう。
それにしても、野島先生がこの学校に二か月もいるのか。回想シーンに現れなかったけど、あんな感じの先生、兄が殺すには格好の標的ではないだろうか。猫が死ぬのを見る前に、ストレスであの人を殺す計画くらいはしそうだ。
不安に思っていると鐘が鳴った。私は不安を抱きながらもゆかりちゃんたちと別れ、自分の席に着いたのだった。
◇
放課後の生徒会もなくいつも通り兄と一緒に帰った夕方。私は手を洗うとすぐさま冷蔵庫に直行した。外は相変わらず三十度を超える暑さだから、家と学校の往復だけでも干からびて死んでしまいそうになる。
兄に麦茶を飲むか聞けば頷いて、私は二人分のグラスを棚から取り出す。いっそ醤油でも注げば驚きになるかと思うけど、飲食ドッキリは今後の食生活に影響が出そうだからしない。
「あら、二人とも今日は早いのね」
ちょうど二人分の麦茶が注ぎ終わったところでお母さんがリビングに入ってきた。手には空のグラスを持っている。近寄って麦茶を注ぐと「ありがとう」とほほ笑んだ。
「そういえば母さんにお願いがあったんだけど」
兄がお母さんに問いかける。お願い? 一体何をお願いする気だろう。のこぎり買ってとかなら、なるべく阻止していきたいけど。
「どうしたの? 勉強がわからないとか?」
「実は……カメラ貸してほしいんだ。パソコンに繋げられるやつ」
「カメラ? どうして? スマホじゃ駄目なの?」
「クラスでゲームするときお互いの顔を見ながらしたいなって。あと生徒会の仕事とか結構時間かかりそうでさ、いままだ殺人事件の犯人が捕まってないから遅くまで残れないし、これでミーティングできたらって」
「いいけど……使い方は分かる?」
「学校の授業で習ったから大丈夫。充電式だよね?」
「そうよ」
お母さんと兄はリビングを出て行った。もしかしてお母さんの予備のカメラで来年デスゲームを……? とも思ったけどただでさえデスゲームの会場になる高校は、窓は割れない強化ガラス、学校のドアロックは全て鍵では無くネット管理がされているようなお金のかかった学校だ。カメラ一台でどうこう出来る広さじゃない。機材の購入はデスゲーム開催二週間前だと回想で見たし違うだろう。
しかし改めて考えてみると、漫画の黒辺くんはデスゲーム中、スマホで通報できないように妨害電波を発したり、学校のセキュリティロックをハッキングしたりとかなりの技術を持っていた。
漫画を読んでいた時はラスボスだもんなと思っていたけど、お母さんの影響もあるのだろう。お母さんはネットセキュリティの会社で働いているエンジニアだ。お父さんは食品工場の専務をしているものの趣味は工芸で手先が器用。漫画で披露される致死率の高い罠はきっとお父さん譲りだ。
となると、あんまり技術を与えないようにしたほうが……? いやでも兄は呑み込みが早い。それにずっと一緒にいられるわけじゃないし、驚きの提供に労力を注いだほうがいいだろう。
半分ほど余っていたグラスの中身を飲み干して、私も頑張らねばと二階へと上がったのだった。
◇
私の生活の割合の約五割は、兄に対する驚きの提供に占められている。池飛び込みは即実行と見せかけて、一回目を除き毎晩ベッドでシミュレーションをしていた。ドミノ倒しはドミノを並べなきゃいけないし、穴掘りは言わずもがな、トランプカードを使って部屋いっぱいにピラミッドを建築するのだって準備が必要だ。
しかし兄に見せるのは一瞬。ほんのちょっとの瞬きしかないけれど、その一瞬のために私は時間を膨大に使っている。今私は段ボールで巨大な動物の制作をしているけれど、夕飯を食べてからずっと取り組んでいるにも関わらず終わりが見える気配がなかった。
時計を見れば日付が変わっていて、このまま部屋の電気をつけていれば両親に怒られると、私は慌てて電気を消した。
ドアの隙間から光が漏れないよう気をつけつつ懐中電灯をつける。淡い照明に先ほどまで作っていたキリンの頭部が浮かび上がった。まだ胴体を作っていないから、空想の恐竜にも見える。黙々と糊付けを繰り返していると、わずかに隣の兄の部屋から物音がした。
何事かと息を殺せば、何らかの気配が私の部屋の前を通った感じがする。
しばらくして、一階からカチャンと扉を施錠するような音が響いた。窓から下をのぞくと、兄がちょうど家を出てどこかへ向かおうとしていた。
なんだかすごく、嫌な予感がする。
さすがに通り魔に刺されたりはないだろう。漫画ではそんなこと書いてなかったし。でも近くで殺人事件があるのに出歩くのは普通に危ない。それに、もしかしてだけど、小動物あたりを殺しに行ってたりなんて不安もあるし。
心臓に嫌な感じの動悸がする。きちんと呼吸をしているはずなのに、生暖かい酸素しか取り込めない気がして不快だ。
そわそわしながら玄関前にある門を見つめていると、しばらくして兄が白いビニール袋を抱えて戻ってきた。ほっと安堵しながらも、今度は兄が何か殺してきたんじゃないかという心配が胸を占める。
私はとりあえず窓から離れ、じっとしてやり過ごそうとした。しかしすぐにギィ……と嫌な音を立てて扉は開かれてしまう。
「舞まだ起きてたんだ」
扉を開いた張本人である兄がビニール袋を片手に部屋へと入ってくる。懐中電灯で浮かび上がる彼の顔は穏やかで無邪気そうなものだけど、一層恐怖を煽った。
「いいものあるよ」
ささやかな物音を立てるビニール袋の中身なんて知りたくない。なのに兄は微笑みながら袋に手を突っ込むと、引き抜いたそれを私の顔に向けてきた。
頬に冷たい感触が当たる。ぺったりしたそれは水滴で濡れていた。幸い鉄の匂いもしないし、肉の柔らかさよりずっと無機質で硬い。
「アイス?」
ドライアイスなら、きっと私の頬は死んでいる。でもビニール袋特有のつるつるした感じだし、これはいつも食べている棒のアイスだろう。
「眠れなくてさ、買ってきちゃった。一緒に食べよう」
兄は自分の分もビニール袋から取り出した。丁寧に封を切ってぺろりと舐めている。
「お母さんとお父さんには内緒だよ」
「あ、ありがとう……、あのさ、大丈夫だった?」
「何が?」
「なんか通り魔みたいなの、いなかった?」
「あはは。舞はそればっかりだね。安心しなよ、指紋もべたべた残ってるってニュースで見たし、そんなに怖がらなくてもどうせすぐ捕まるよ」
兄はいずれ、クラスメイトを皆殺しにしてしまう。かといって不死身じゃないし包丁が刺されば死ぬのだ。私はどこかむすっとした気持ちでアイスを一口かじる。
「おいしい……」
「うん。ちょっといいやつ買っちゃった。どうせ外出たんだしと思って」
漢字や英語の検定に次々と合格する兄は親戚たちから一目置かれていて、私よりも多くお小遣いをもらっている。だからお金は私よりも沢山持っていて、さらに兄は……というか黒辺くんは殺生にしか惹かれないから無駄遣いをしない。玩具やゲームに関心を持つことがない分お金持ちだ。
そして将来、貯めたお金で兄はボウガンや改造銃を買ったり包丁を用意して、デスゲームを開催してしまう。
私はなんだか複雑な気分になりながら、暗闇の中兄と一緒にアイスを食べたのだった。