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●1日前

 舞を殺す前日。俺は舞と遊園地へ向かった。生きている、ちゃんとした舞を見ておきたかったからだ。水族館に動物園。選択肢は色々あったけど、そこを選んだのは二人きりの空間を主張する写真がチケットに映っていたから……だと思う。


「なんかお兄ちゃんとバス乗るの久しぶりじゃない?」

「そうかもね」


 遊園地を終点としたバスに乗り込むと、最後部に座った。舞が窓側、俺が内側。これで舞は俺がどかない限りバスを降りられない。


「塾とか学校歩きだしさあ、高校も電車でしょ? どっか出かけるのも電車だし、新鮮じゃない?」

「ん」


 舞の言葉に曖昧に頷く。出かけるときからずっと繋いでいた手の力を緩めて、指を絡ませていく。繋ぎ方を変えたことに舞はすぐ気付いた。


「お兄ちゃん?」

「なに?」

「……いや、なんでもない……です」


 じっと見つめると舞は、躊躇いがちに俺の指に自分の指を絡ませる。それだけで自分の心臓が動きを変えたことに気付いて、そっと苦笑した。


「な、なんで笑ってるの?」

「天気がいいからかな」

「いや絶対違うでしょ」


 舞が怪訝そうに顔を近づけてくる。今舞の顔を押さえればキスだってできる。


 でも俺は後頭部を支える髪を軽く撫でた。くすぐったかったのか舞は笑ったあと、じゃれるように頭をぶつけてくる。


 空には入道雲が浮かんでいる。強い日差しもなく過ごしやすい。まるで去年、舞と帰った日みたいだ。あの頃に戻りたい。好きになってもらえるよう、やり直したい。


 それかこの時間が永遠に続けばいい。


 このままバスがどこかに落ちて行き、一緒に死ねたなら舞の心を壊さず、最後まで一緒にいれるのに。でもそれが最良かは分からない。そのままバスは事故に遭うこともなく、遊園地の前に停車したのだった。





 遊園地に訪れてすぐは、舞はどこか戸惑ったような、そんな様子だった。


 俺自身遊園地に対して楽しもうという意識を持ったことはなく、舞と親二人と行ったことは何度もあるけどはしゃぐ舞や、親二人、そして周りの人間たちを見て別の世界の生き物を見ているとしか思わなかった。


 だから遊園地を楽しむ気持ちが分からない。でもしばらくすると舞は乗り物を楽しみ始め、嬉々として俺の腕を引くようになった。


 別に前後に揺さぶられたり、振り回されたり、高いところから滑り落とされることに楽しさも興奮もない。だけどそれらに怯え、楽しみ、興奮する舞のその姿を見ていると、楽しいと確かに感じた。


 俺は舞に勉強を教えるけど、俺は舞を通じて感情を学習している。


 勉強は誰に教わっても結果は同じだ。でも俺はきっと舞以外の人間からそれらを学ぶことは永久にないんだと思う。もっと早く舞を好きになっていれば俺は並の人間と同じになっていたのだろうか。


 これから暗闇に引きずり込むのに舞はずっと笑っていて、時折俺を見て胸を痛めるような眼差しを向ける。今まで何かを求められることも贈られることも特に思うことがなかったはずなのに、舞の願いを叶えたいと思う。


 何かを願っているのなら言ってほしい。そうしたら叶えるから。でももし舞に自分を解放してと願われたら、絶対に叶えない。だから聞くのは不誠実だ。それなのに舞の笑っている声を聞いたりすると、全てを引きずり出して聞き入れたくなる。


「舞、そろそろ帰る時間だけど、最後に乗るものは俺が決めてもいい?」


 日が暮れて周りの家族連れが出口へと向かっていく中、舞に声をかける。舞は「いいよ」とどこか覚悟した目で真っすぐと俺を見た。


 優しくしてやりたい。甘やかしたい。そう思うのに、それと同時に独り占めしたい。全てを奪い尽くして貪りたいと思う。


「なら、観覧車に乗ろう」


 そう言って、俺は舞の腕を引いた。





 幸い行列を成していることもなく、舞とどうでもいい会話をしている間にすぐ自分たちの番が回ってきた。他愛もない会話で腹の探り合いをして、結局お互いあと一歩を踏み出さないまま俺たちはゴンドラに乗り込み、向かい合わせに乗り込んで座る。何をするでもなく舞は外を眺めていて、俺は寂しい気がして声をかけた。


「舞と乗りたいと思ってたんだよね、観覧車」

「え」


 最後に観覧車に乗ることは初めから決めていた。人間たちが蠢きひしめき合う環境の中で、舞と一緒の空間になれる場所はそこしかないからだ。静かに空間が浮上していく窓辺から視線を移した舞は、驚きながらこちらを見た。


「なに?」

「いや、なんか意外だなと思って」

「否定は出来ないかな」


 ほんの少し、空間が揺れる。窓に目を向けると地上とはだいぶ離れたところに来ていて、本当に、世界で二人きりになったかのような錯覚すら覚えた。今までイルミネーションなんて明滅としか思わなかったのに、夕焼けと曖昧に混ざった光はかけがえのないものに思えてくる。


「……ただ上って、後は落ちるだけのものに、並んで乗るなんて理解できなかったけどね」


 今まで、娯楽と呼ばれる物事に、何一つ興味が持てなかった。心惹かれるのは生き物が息途絶える刹那の瞬間だけ。何を見ても聞いても想像通りのものが続く世界は苦痛でしかなくて、その中の微かな光は、生き物が命を失う一瞬だけだった。


 溢れる液体を見る度に落ち着いて、微かな呼吸生命の芽吹きが途絶えて空虚に堕ちていく瞬間こそが俺の永遠だった。


 それなのに舞によって全てが変わった。変えられてしまった。それは他の命にとっては最良であると言える。でも舞は違う。舞だけが、世界で一番大切な存在が犠牲にならなくちゃいけない。舞だけが不幸の世界だ。俺は、一番大切にしたいのに。


「こんな風な景色だったんだね……」


 時間の流れが酷く憎々しく感じる。明日なんて来なければ良い。今が永遠になって、この時間がずっと続いて、舞と溶けて同じになりたい。ただひたすらにあり得ないことを願っていれば、舞が隣に座った。


「どうしたの、舞」

「何でもない。こっちのが景色良さそうだったから」

「なら場所変わろうか?」

「ううん、このままでいいよ」


 舞は手すりを握りしめている。まるで一人で何かを耐えているようで、全て暴いて抱きしめたくなる衝動を必死で抑えた。


 ただ溢れる思いが殺しきれず、舞の手を握る。離れたくない。この時間が永遠に続けばいい。時間が止まればいい。離れたくない。ずっと傍にいたい。


 祈りを込めてただ手を握っていると、舞は握り返してきた。


 気持ちを返してもらえてるんじゃないか。受け入れようとしてくれるんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。


 きっとこうやって手を繋ぐことは今日で最後だ。明日には舞の心か命、どちらかを弔うことになるだろう。


 他でもない、俺の手で。


「舞、何で泣きそうになってるの?」

「なってないよ、泣きそうになんて、怖くないし」

「本当に?」

「本当!」


 舞の吐息が涙で震えているような錯覚を覚えて問いかけると、舞の声色がかすかに震えた。それだけのことなのに、途方もなく好きだという気持ちが溢れ出す。


 泣かせたいわけじゃない。好きだ。全ての表情も感情も、舞ならば、舞だけは愛おしい。


 こんな世界でも未来に向かって何かを思える存在は舞しかいない。好きだ。好きなのに、好きで好きで仕方がないのに、明日、そんな舞の存在を俺は、消す。消さなきゃいけない。


 今だって殺したいのだ。今の舞を永遠にしたい。こんな俺を舞が受け入れるわけがないのだから。受け入れられない、愛してもらえないのに、変われない。


 舞が異常者を愛せるわけがない。そんなことは自分が一番よく分かってる。


 なのに、好きであることが止められない。不幸せにしてしまうのに、好きで、好きで、苦しい。好きだ。舞のことがどうしようもなく好きだ。それなのに、殺す。どうしようもなく好きなのに。愛しているのに、それなのに殺す事しか、奪う事しか出来ない。


「……舞」


 好きだと言ってしまえばいいのだろうか。どうせ明日、失うのだから。


 そう思っても喉がただ焼けていくばかりで、声が出ない。舞が窓に顔を近づける。そのまま抱きしめたい。触れたい。好きだと伝えたい。それなのに俺の手は舞の手を握るばかりで、全く動かない。今まで舞と過ごして来た出来事が、次々と頭に浮かんで、消えていく。舞の笑顔、泣き顔、少し怒ったような顔、俺に期待をする目、笑う声、舞との思い出が溢れて、同じように好きだという気持ちが止まらない。止まってくれない。


「来年も来ようよ! また、一緒に!」


 舞が元気を振り絞るように言う。そんな未来は来ない。俺が壊す。来年なんて一生来ない。それなのに苦しい。俺は今ちゃんと笑えているだろうか。「そうだね」と肯定をすればいいのに、言葉が出ない。


 今まで何百回、何千回と嘘を吐き続けたのに口から出てこない。どうしてもその四文字が言えない。もどかしさで舞の手を握りしめると、舞も同じように握りしめて来て、余計に胸が締め付けられる。


 そうして最後まで俺は舞の言葉を肯定することが出来なかった。




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