○257日前
本作のコミカライズを担当してくださったぺぷ先生と新しいコミカライズがスタートしますのでご連絡です。
『愛され聖女は闇落ち悪役を救いたい』
KADOKAWA フロースコミック様にて
漫画/ぺぷ先生 キャラクター原案/春野薫久先生
コミカライズ2025/08/29日より開始です。
デスゲーム漫画の黒幕殺人鬼の妹に転生して失敗した。小説版にはない二人のその後も収録したコミック最終巻⑥巻が発売中です。
そして本作が韓国のRIDIさん(電子ストアサイトです。国内でいうシーモアさんやピッコマさんです)
RIDIAWARD2024(2024年のお祭り)の次に来るマンガ賞を受賞しました。ありがとうございます。
朝のキッチンにじゅうっと卵の焼ける軽い音が響く。卵焼きをくるくる巻いていると、点けていたテレビからは『今週は冷えてしまいそうですねえ』なんて防寒着を着た気象予報士の男の人が街の名所で震えていた。
野島先生の事件からあっという間に時が過ぎ、十一月半ば。あれだけ暑かったのが幻だったみたいに気温は下がって、もうカーディガンやコートなしでは学校に行けない。寒くて死んでしまう。
そして私が兄の興味をほんの少し生き死にから遠ざけないと、来年の七月二十八日、私は死んでしまう。
もう寝る間もなく驚きを提供し続けてしまおうかとも思うけれど、私は兄の睡眠は邪魔しないという鉄の掟がある。人間充分な睡眠をとらなければ精神は不安定な状態へと陥る。ただでさえ猟奇的な趣味を持っているのに、不安定にさせてもっと趣向を歪めてしまったら危ない。
『お次は、視聴者の皆様から送っていただいたうちの子自慢のコーナーです!』
それまで各地の天気図を示していた画面が、視聴者が飼っている動物の写真を紹介するコーナーに切り替わった。カウンターキッチンの向かい側、兄はリビングのソファで「可愛いねぇ」とお母さんと和んでいるけど、きっと兄とお母さんの可愛いの意味合いは違う。
兄は可愛いと言っておけばとりあえず周囲の価値観と合うから言っているだけだ。絶対クラスの女の子の言う、「かわいー」と同じレベルに違いない。
絶対犬を殺そうか、人を殺す犬に仕立てようか悩んでるのに、「えー、可愛い。犬飼いたくなるなぁ」なんて言う背中を見据えながら、私は焼きたての卵焼きをお皿に置いた。
兄がデスゲームを開催するまで、あと約八か月。私が思いついたのはお弁当作戦だった。
衣食住は人間と密接にかかわっているし、三大欲求にも食は入っている。だから私はお母さんに頼みこみ兄の弁当を作ることにした。兄の予想を超える、驚愕させるような弁当を作るために。
そうして作ったお弁当は勿論驚き提供弁当だ。といってもめちゃくちゃ不味いとか、変なものが入っているような食材を無駄にするものではない。しっかりと衛生に気を付け、間違っても食中毒にならないよう、菌をつけない、増やさない、殺すことを念頭に美味しく栄養バランスがしっかり整ったお弁当を作っている。
中身は。
中身、だけは。
「お兄ちゃんお弁当出来たよー!」
冷めた卵焼きを可愛く切って弁当箱に詰め、しっかり蓋をして中身がばれることがないよう、厳重にバンダナで包んでから呼びかける。兄は模範的な笑みを浮かべてお弁当を受け取った。
「ありがとう、舞」
「今日のお弁当は自信作だよ」
「それ、いつも言ってない?」
「職人は毎日手を抜かないの!」
お弁当の驚愕ポイントはその外見だ。私は兄を驚かせるべくキャラクターもののではなく、名画や彫刻作品を模した弁当を作っている。
海苔で細密な幾何学模様を再現したり、時にはケーキに見せかけた全て食べられるちゃんとした定番お弁当メニューだったり。
でも食べる気しないと思われてしまえば本末転倒だから、きちんと芸術的であっと驚かせ、でも気持ち悪くはない。その微妙なラインを狙い続けている。
そして「見た目が派手なだけか」と、油断している頃を狙って、実はハンバーグ弁当に見えて、ハンバーグを二つに割ってみれば生姜焼きが出てくる、なんてギミックをつけた偽装ハンバーグ弁当など、油断させつつ驚かせる弁当も作る。
そして今日は、昨日、一昨日と見た目の驚きを重視した弁当だったから、普通にゆるキャラの弁当だ。
でも数々のギミックを仕込み、二重にも三重にも驚ける仕掛けがある。
『さて、今日の運勢は〜?』
いつの間にかお母さんが見ている番組が占いコーナーを始めていた。そろそろ家を出ないとまずい。私がばたばたと二階に駆け上がり支度を済ませていると、一階から兄の声が聞こえてきた。
「舞、準備できた?」
「いま! いま終わる!」
私は慌てて階段を下りる。両親に「いってきます!」と元気よく声をかけてから玄関に向かった。兄はもう扉を開いているところで、私は急いで走っていく。
「そんな慌てなくてもちゃんと待ってるよ」
兄は私の様子にくすくす笑っている。そんな笑顔もこの二か月でどんどん高一の黒辺くんに近付いていくのだから気が気じゃない。それにもうすぐ兄が車に轢かれた白猫を目撃し、『生き物を殺したい』から『人間をぐちゃぐちゃにしてみたい』と思う、狂気段階がアップグレードしてしまうXデーが来てしまうのだ。
時期的に言えば、その猫が轢かれるタイミングはもうすぐだ。そのシーンは回想として事細かに記されていたけど、猫が轢かれている姿を見ていた黒辺くんのモノローグには中学三年生とあったし、彼は今は巻いていない真っ黒なマフラーを首に巻いていた。
背景で描かれていた駅ビルの建設現場は三階建てだったけど、そっくりな建物が大通りに建設され、今ちょうど一階を作っている。工事のおじさんに聞いたところ六階建てで、三階の建築が始まるのは二週間後、四階はその二週間後からの予定らしい。要するにその間気をつけ猫を轢かれないようにするか、兄に目撃させないようにしなければいけないのだ。
よって私はこの冬、駅ビルの三階が建設されている間は兄とつかず離れずでいく。
「そういえば野島先生、実家帰ったんだって」
ちょうど信号が赤になり足を止めると、ふいに兄はこちらに顔を向けた。
「えっ……」
「クラスにお母さんが病院で働いてるやつがいてさ、言ってたよ」
「あれ、意識戻ってまだ一か月くらいじゃ……」
「うん。でも骨がどうこうとかは無かったらしくて、わりとすぐ話せるようになったみたい。それでね、先生はこっちいる気だったらしいけど、親に実家戻れって言われて結構病室で喧嘩してたみたい」
野島先生は二週間くらい集中治療室にずっといて、意識が戻るまで一か月かかった。兄は心配そうにしているけど、ものすごく心を痛めている……なんて様子はない。
「犯人も捕まったし良かったよね。まだなんか怖い感じもあるけどさ」
「うん……」
兄は、手を汚してはいない。
野島先生以前の事件だって、現場に……それも死んでいる現場に居合わせただけだった。死に行く姿を観察して救急車を呼ばなかったわけでもなく、野島先生の動画を体育館で投影しただけ。
それから先生が処分されて午前中に帰宅になるか、それとも放課後帰宅になるかは殆ど賭けに近い。先生が犯人と会えば刺される瞬間が見られるかもしれない、見られなかったら予想外だから嬉しい。結局兄は自分が両方得するよう動き、半々の結果が得られたのだ。
「でもさぁ、まさか朗読会の後に刺されるなんて驚きだよね」
ニュースによる犯行時刻を確認したら、ちょうど野島先生が襲われたのは兄が予想場所へ向かう途中だったらしい。現場を見ることは出来なかったようだった。
兄は、悲鳴を聞きつけた会社員が救急車を呼び、救命措置を行っているときに到着した。
スマホで撮影していた人がいて、一部始終がネットにアップされているのを見た。そこには介抱する会社員に駆け寄る兄の姿がはっきりと映っていた。
現場を予想できたなら通報すべき……と思わなくもないけど、警察に通報しても中学生の声で信じてもらえるか危うい。客観的に見れば彼は見殺しにしたという言葉すら当てはまらないのかもしれない。
人が倒れていたら助けてあげるべき、ということに兄は共感しない。
根本的なものが違うから見殺しにしたと言われても何も思うことはないだろう。
でも、共感性や感情を伝えることはできなくても、デスゲーム開催は面倒だと思わせたり、ゲームに関心を持たないように少しずつ軌道を変えればいい。兄の本質に気付いていることを悟られぬよう、ふざけた方法を本気でして。
「そのうちもっと驚くことになると思うけどね、お兄ちゃんは」
「……なに張り合ってるの? 舞、野島先生は刺されたんだよ?」
兄はこちらを信じられない目で見てきた。悲痛そうな顔に信じられない気持ちになる。私が口を噤むと「野島先生嫌いなのはわかるけどさ」と私の頭に触れ、いつの間にか青になった信号を渡り始めたのだった。
◇
「おはよ!」
教室の最前列でメルヘンカラーのポーチをごそごそしているゆかりちゃんに声をかける。危ないものを持っていないか確認してからだから、結構気配で気付かれてるかもと思ったけど彼女は「はわわ」と肩をびくつかせた。
「あぁ、びっくりしたぁ。おはよぅ舞ちゃん」
「うん。やっぱり驚いた時ってこうだよね」
「え?」
「なんでもない」
スタンダードに兄を驚かしたこともあったけど、「わ、びっくりした」と驚いている演技だった。ゆかりちゃんの反応を見て、しみじみそう思う。
「うす」
「うわああああああ」
突然頭上から声が降ってきて私は飛びのいた。振り返ると不機嫌そうな岩井の顔があって、私は溜息を吐きながら彼の肩を叩いた。
「びっくりした。地鳴りかと思った」
「お前人の声なんだと思ってんだよ」
「だって先月あたりからぐんと低くなったじゃん。喉のあたりにだれか住み始めたっていうか」
「声変わりだよ気味悪いこと言うな。つうかお前の兄ちゃん見たぞ」
「ほぅ」
「なんだその返事」
私の返事に岩井は不服そうだ。理解できないでいると「お前兄貴見たら逐一教えろって言ってただろ」と指摘され、私は小学校のころ彼に何百回とお願いしていたなと思い出した。まだ私が兄を純粋無垢で優しいお兄ちゃんだと思っていた時だ。
「ごめん本当ごめん……兄上何してた?」
「なんか一年に注意してた。でもなんか変な感じだな」
「変な感じ?」
「ああ。全く怒ってる感じないっつうか、それで怒ったつもりか? って感じだった」
「確かに……舞ちゃんのお兄ちゃんってあんまり怒るイメージないかも……」
岩井の言葉にゆかりちゃんが同意する。思えば兄が本気で怒っているところなんて見たことがない。妹のことを心の中で「あれ」と言うくらいだし、人間を動いて話す生き物とか殺すための的にしか見えていないだろうから、怒りも湧かないのかもしれない。
道端にある砂利が文句言ってきても何も思わないのと一緒……くらいの認識だったりして……。
「あれ、っていうか何で岩井またこっちのクラス来てんの?」
「選挙どうするか聞きに来たんだよ。お前会長する気あんのか? 来年」
「まったく」
「は?」
私の言葉に岩井は大きく目を見開いた。もう十一月の下旬だから、今週中に次期生徒会に入りたい人が出馬をして、来月に選挙が行われる。それまでは選挙活動をするけれど、出馬さえしなければあとは選挙管理委員会の仕事だ。そして無事役職の座を得た生徒に今の役員が仕事の引継ぎをして、終わりになる。
「みんなお前が生徒会長になるって思ってんぞ」
「そんなん知らないよ。やりたい人がやればいいじゃん。私来年会長やるなんてひとことも言ってないよ」
「お前……自分勝手な」
私の言葉にゆかりちゃんは「でも、なんかそんな感じはしてたね……、舞ちゃんのお兄ちゃん、卒業だし」と納得した様子だ。
その通りだ。兄はもう三か月ほどで中学を卒業し高校に入学する。だから私に生徒会に入って頑張る余力はない。すべて兄への驚き提供に使う。
「もう選挙の時期なんだねぇ。舞ちゃんの隣でスピーチしたの、去年のことかぁ」
「うん。選挙が終わったら冬休みだし、今年ももう終わりだ……」
冬休み、自分で言ってはっとした。そうだ、冬休みだ。兄が猫が轢かれるのを目撃するのは、ぎりぎり冬休みに被るくらいでは。
私は黒板の隣に貼ってあるカレンダーを見て、建設現場の予定と当て嵌めていく。するとぎりぎり兄のXデーに該当しそうなXウィークは、午前授業の日と冬休みの半々だった。全部冬休みだったら家に留められるのに学校もあるとなると厳しい。いっそ家に無理やり閉じ込める……? 犯罪だけど、何十人が死ぬよりは絶対ましなはずだ。
「舞ちゃんは冬休みどこか行く?」
「毎年おじいちゃんの家に行ってたんだけど、今年と来年は兄と私が受験だからイベント系全部なしだと思う」
「そっかぁ……お兄ちゃん栄嶺高校志望だっけ」
「うん」
今、兄は受験勉強をしているけれど、最悪なことに兄は県内で最も偏差値が高く、セキュリティも優れ最新設備の整った、デスゲームを開催した高校を志望していた。
遠回しに「もっと偏差値高いところ狙えるんじゃない?」と都内にある、偏差値が高くて歴史的に趣のある、間違ってもハッキングして校舎内に人を閉じ込めることができない古めの校舎の高校を勧めてみたものの、「家も近いし」との一点張りだった。
驚き提供もあんまり目立った成果はないし、受験勉強をしている間邪魔できないし、兄は高校受かると思うし、なんだか先行きがよくない気がする。
「今月三連休一つ潰れてるしなぁ……」
ちょうど今月、三連休が一つ潰れてしまった。なんだかどんどん悪いほうに行っている気がして、私は黙ったままカレンダーを見つめていたのだった。
◇
今年は基本的に祝日がまばらで、三連休どころか連休に恵まれることは少なかった。土日や日曜日に祝日が被ることがままあって、結果的に私は学校によって兄と過ごす時間を削られ、驚きの提供も必然的に減らされていた。
だから土日が勝負になるわけで、私は金曜日の夕方今日もこつこつと兄に驚きを仕込む。
今まで教科書に仕込むのはびっくりカードだけだったけど、今回は教科書に出てくる架空の動物のぬいぐるみだ。
教科書を開きその生き物を見て何となく自分の机の中を探ったら、教科書に出て来た動物と同じものが目の前にいる。とんでもないファンタジー世界だ。きっと兄の度肝を抜くだろう。
ちくちくと布を縫い、綿を詰めることを繰り返す。布に刺したいのにたまに自分の指を刺してしまい声が出そうになった。投げ出してしまいたい気持ちになり、気分転換に伸びをして縫いかけのぬいぐるみを立たせる。
サイズを間違えたのか綿の配合を間違えたのか。トリケラトプスとゾウ、そしてクリオネを掛け合わせた架空動物は全く首が座ってくれない。周りの声に反応して震えるぬいぐるみを買って捌いて取り付け、首が座らないことを武器にするか考えていると、一階から私を呼ぶお母さんの声が聞こえてきた。
「はーいっ」
私は針をぬいぐるみの頭に刺してから部屋を後にする。リビングの電話機の前に立つお母さんは私の顔を見るとすぐに「おじいちゃんの家に行くわよ」と言った。
「え」
「お父さんのほうのおじいちゃん、倒れたんだって。去年おばあちゃん死んじゃったでしょう。だから行ってあげないと。舞も準備して」
焦ったお母さんの様子に私は慌てて頷く。
「俺も行くよ」
振り返ると兄が後ろに立っていた。どうやらお母さんの声を聞いてやってきたらしい。
「でも誠くんは受験があるでしょう」
「別に判定が悪いわけでもないし、おじいちゃん死んじゃってるかもって心配しながら勉強するのも嫌だよ。それに勉強はおじいちゃんの家でも出来るしね」
兄の言葉に背筋がひやっとするのを感じた。
兄は的確に最適解を導き出し社会に同調する人間だ。おじいちゃんが心配だからついていくのも人としてありかもしれないけど、「俺は受験勉強してるけどどんな状況かは教えて」と健気に振る舞う選択だってあるはず。
もしかして、おじいちゃんが死ぬのを見たい、とか……?
いやでも父方のおじいちゃんだし、兄とは付き合いが長い。というか生まれてからの付き合いだ。僅かな情があるのかもしれない。
「そうね……分かったわ。一応日曜日の夜には帰るつもりだから、誠くんも四日分の着替えの準備をしてきて」
「うん。行こう舞」
ぽんと肩を叩かれる。私はどこか疑う気持ちで準備に急ぐ兄の背中を見つめていたのだった。
◇
父方のおじいちゃん……要するにサイコパスのお兄ちゃんと血が繋がるおじいちゃんの家は、私たちの住んでいる県から三つほど離れ、俗にいう盆地と呼ばれる場所だ。準備をした後私たちはすぐにお父さんの運転する車に乗り込んだけど、到着までには三時間ほどかかり、着いた頃には二十時になっていた。
「父さん、孝之だけどー」
おじいちゃんの家は時代劇に出てくる屋敷みたいな家で、インターホンはなくドアのチャイムだけ。さらに庭にある鹿威しと水の音に定期的にかき消されるから声を大きくしなければいけない。周りは田んぼしかないし、隣の家までは一キロくらいあるから大きい声を出してもそこまで迷惑にならないけど、街灯だって無いしその分倒れたり何かあったりしたときは危険だ。
「ああ、今行く」
遠くからおじいちゃんの声が響く。しばらく待っているとがらがらと音を立てて両開きドアが開き、頭と左腕に包帯を巻いたおじいちゃんの姿が現れた。
「わざわざ遠いところからすまんな……ん、誠も舞も連れてきたのか……」
「そうです。おじいちゃんが心配って……、どうされたんですか」
「まぁ、とりあえず入れ。寒いだろ」
おじいちゃんは私たちを中へ入るよう促す。大きな玄関には真っ赤な壺があって、中に無造作に工具が入れられていた。隣には熊のはく製がかけられ瞳が怪しく光っている。去年の冬来た時と変わらない景色を眺めて歩いていると、客間へと通される。部屋の中央には「日進月歩」と習字で大きく書かれた額が飾られていた。
「それで、おじいちゃん怪我の具合は?」
お父さんがお茶を入れている間に、お母さんがおじいちゃんに問いかける。私と兄は母の隣に座っていた。
「まぁ……、神社に行ってる時に石階段に躓いただけだがなぁ、打ち身程度で済んだんだが頭を打ったせいで神社の若いもんに隣町の大きい病院まで運ばれて、ちょっとな……」
「ちょっとって?」
「転んだなんて関係なく、俺の頭ん中にあっちゃいけねえもんがあるらしい。来月手術だと。はぁ」
母は大きく目を見開く。おじいちゃんは軽い口調ではは、と笑って見せた。
「手術って言っても別に今すぐどうこうなることじゃない。そんな心配するな。それに今日のことだって、倒れたなんて医者の奴らが言ったみたいだが、大げさなんだよ。悪かったな誠の受験もあるのにこんなところまで来させちまって。まぁゆっくりしていけ」
おじいちゃんはとても明るい性格をしている。黒辺くんを闇属性とするなら、完全な光属性の人だ。初めて会ったのはお母さんとお父さんが再婚して一年くらい後のことだから、大体三年前になる。
冬に遊びに行って大きな雪だるまの後ろから出てきたときはたいそう驚いたし、翌日広間にある甲冑を着て朝起こしに来たときは死ぬかと思った。
「それにしても誠は大きくなったなぁ。背なんてそのうち孝之を越すんじゃないか」
「ははは」
一方のおじいちゃんとお兄ちゃんはわりと微妙な距離感で、どこか遊ばれてる子供と遊んであげてる大人のような感じだった。遊ばれてる子供は、勿論おじいちゃんのほうだ。
「舞もまた背伸びたなぁ。去年なんか小豆くらいしかなかったのに」
「もうちょっと背あったよ!」
でも、おじいちゃんが元気で安心した。電話の感じでは死の瀬戸際……みたいな感じだったし。手術は心配だけど……。兄のほうを見ると相変わらず張り付けた笑みを浮かべている。わざとらしい感じは一切ないから、兄について思い出さなかったら私もこの笑顔に騙されていたんだろう。
結局その日はおじいちゃんの家に泊まることになって、私はその夜、少しそわそわした気持ちで眠りについたのだった。
◇
かちかちと、秒針が時を刻む音が部屋に響く。おじいちゃんの屋敷は広く部屋の数も多いから、私、兄、お父さんとお母さんで、別の部屋が宛がわれた。ただ全室和室なのは共通している。だから畳とほんの少しのお線香の匂いが部屋に広がっていた。
私の使う部屋は、虎の屏風が飾られている。なんとなく寝付けなくて暗がりの中見つめているとトイレに行きたくなってきた。私は布団から抜け出し、長い廊下をそっと歩いていく。
ぎしぎしと足を踏み込むたびに音が響いてしまうから、一応慎重に。廊下に面している庭に目を向けると、風に揺られてはらはらと枯れ葉が揺れていた。トイレは一つしかなく、さらにこの長い廊下を通っていかなければいけないから大変だ。しばらく歩いていると、障子の隙間から光が漏れ出ていることに気付いた。
こんな時間に何をしているんだろう。そっと隙間から覗くと、おじいちゃんがアルバムを整理していた。
「おじいちゃん?」
「舞か。こんな時間まで起きてるとまた小豆みたいに縮んじまうぞ」
「そんな小さくならないから! 何してるの?」
「ちょっとな」
部屋に入ってみてみると、広げていたアルバムは兄のものだった。
確かお父さんが前の奥さんと離婚してから、私のお母さんと再婚するまでの間兄はここで暮らしていたらしい。見てみると大体幼稚園の年長あたりから小学校に入学し、三年生くらいまでの写真がアルバムに貼られている。
「お兄ちゃん小さいね」
「ああ……」
おじいちゃんは複雑そうな顔だ。そしてアルバムを閉じた後、ずいっとこちらに差し出してくる。
「丁度いい。これもなんかの縁だ。いっつもすぐ寝て八時にならんと起きんお前が今起きてるってことは、神様の思し召しなんだろうな」
「えっ」
「お前に、誠はどう見える?」
デスゲームの、主催者。そう答えるわけにもいかず言葉に詰まると、おじいちゃんは視線を落とした。
「あいつの母さんは、怒ると手の出る人間だったらしい」
「え」
兄の本当のお母さんが、兄を叩いていた?
そんなこと、今まで一度も聞いたことがなかった。ならもしかして、お父さんと離婚したのは、それが原因で……?
「なんも知らなんで、幼稚園の年長になる頃になって、明らかにおかしな痣あるって先生が言って気付いてなぁ。ばあさんが怒ってこの家連れ帰ったんだ。それからは、誠を母さんに会わしてない」
おじいちゃんは、そう言ってアルバムの下から一枚のメモを取り出した。そこには隣町の花屋の名前と、古関という苗字が書かれていた。
「今日、病院行くときたまたま見かけてな。誠も高校生になる。一回顔会わしたほうがいいかと思うんだが、どんな人間になってるかが分からん。麻美さんを元嫁に会わすのもよくないだろ、俺と孝之は顔が分かってる。お前しか頼めん。頼まれてくれるか」
「えっと……明日、お兄ちゃんのお母さんに会いに行って、どんな人か確かめて来いってこと……」
「そうだ。人でも雇おうか思ってたところに丁度お前らが来た。誠と年近いほうが子供に対してどんな反応するかわかりやすいだろ」
おじいちゃんの言葉に、妙な違和感を覚えた。普通子供を叩くような危険人物に、中学二年生の女の子を会わせに行くだろうか。漫画には再婚前の兄のルーツに関する描写は残酷な性癖以外描写されてなかったから、兄のことを知るにはいい機会だけど……。
もしかして、おじいちゃんの頭の中にあるものはかなり重いもので、先が長くないから手段が選べないような状況に置かれているのかもしれない。
「別にいいけどさ……、手術、本当に大丈夫なの? もっと酷くて、死んじゃうような病気なの?」
「そんなんじゃない。お前は心配しすぎだ。そんなんで心配してたら胃に穴が開くぞ」
「でも……」
おじいちゃんはこちらの心配をよそにけらけら笑う。私はメモを受け取りおじいちゃんの部屋を後にしたのだった。
本作のコミカライズを担当してくださったぺぷ先生と新しいコミカライズがスタートしますのでご連絡です。
『愛され聖女は闇落ち悪役を救いたい』
KADOKAWA フロースコミック様にて
漫画/ぺぷ先生 キャラクター原案/春野薫久先生
コミカライズ2025/08/29日より開始です。
デスゲーム漫画の黒幕殺人鬼の妹に転生して失敗した。小説版にはない二人のその後も収録したコミック最終巻⑥巻が発売中です。
そして本作が韓国のRIDIさん(電子ストアサイトです。国内でいうシーモアさんやピッコマさんです)
RIDIAWARD2024(2024年のお祭り)の次に来るマンガ賞を受賞しました。ありがとうございます。
 




