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Yの遺伝子  作者: 阿彦
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8話 望郷


「廃人になる」ということを身をもって体験することになった。


 生きる意味とは、「やり甲斐のある仕事」、「家族を持つこと」、「子孫を残すこと」だと思っていた。


 これまで積み上げてきたすべてのものを、『知らない力』によって粉々に壊された。


 何をするにしても、気力がなくなり、食欲もでない。自分の心がここまで、脆いものだということをこの歳で知った。


 単身赴任で本当に良かった。


 実際に妻と光輝の顔を見なくて済むのだから……。いや、正確にいうと戸籍上息子の彼と。


 表面上は親子ごっこを続け、気づかないふりをしながら、同じ空気を吸って生活をする。想像しただけでも生き地獄だ。


 不貞を働いた妻はどうしてるのかというと、この前の一件で、一人で育てることの不安を感じたらしい。私がここへ赴任してからの素っ気なさが嘘だったかのように、頻繁に電話やLINEをしてくるようになった。


「うちの息子が、話かけるようになりました」


「うちの息子が、ボールを蹴るようになりました」


「うちの息子が、おむつがとれました」


 LINEの写真や動画を駆使して、満面笑顔の息子を、これでもかというくらいに送ってくる。


 他人の子供自慢ほど、ウザいものはないのに、これはきつい。


「パパ、いつ帰ってくるの?……」


……つらい………


「いったい、誰の子だ!!」


 妻を問い詰めたい気持ちも湧き上がってくる。


 だが、本当に全てを失う勇気もなければ、そもそも言い争う気力もない。


 なので、LINEの返信は最低限。電話も敢えてでないようにしてる。自分の小さな小さな殻に引きこもって、逃避することに決めた。



 私の人生、どこが、悪かったのだろうかと自己否定する。


 妻は、不倫のドラマにハマっていた。得体の知れない輩と若手注目俳優を重ねていたのだろうか。


 仕事中心の生活で家族をかえりみなかったからだろうか。もっと、オムツを替えたり、皿洗いや風呂掃除をするべきだったのだろうか。いや、そこまで仕事を優先させたつもりもない。


 光輝が生まれたときに、2人で喜びあったあの瞬間はなんだったのだろうか。あのとき、妻はどうような心境だったのだろうか?


 頭の中が、疑問だらけでグルグルする。会社にも妻にも、私は人生の敗北者という名の烙印を押されたような気がする。


 いや、これは悪夢だ。全てはなにかの間違いではないかとも思う。


「遺伝子からは逃げられませんから」


 いまとなっては、理事長の言葉が、ずっしりとのしかかってくる。





 休日、この狭い部屋にいると、死にたくなる。


 誰も知らない、心が休まるところにとにかく行きたい。だが、行き先で思い当たるところさえない。


 目の前に、総会で配られた「我々の歩み」が転がっていた。


 こいつらのせいで、酷い目にあった。そもそも、庄の国なんて、あるのだろうか?


 不思議な感情が湧き出てくる。


 確かめたくなってきた。


 居ても立っても居られなくなり、車を走らせた。妻と繋がっている煩わしいスマホをおいて………。


 庄の国は、ここから車で2時間くらい飛ばせば着くところにある。


 そう考えれば、会社に飛ばされたこの辺境の地は、ただの偶然ではなく、遺伝子に導かれた運命のような気もしてきた。


「庄の国」があると言っていた町には、ナビによって難なく来ることができた。


 かといって、土地勘がないため、どこにいけばいいのかが、全く分からない。今更になって、スマホを置いてきたことを悔いた。


 とりあえず、先人たちが武器を放棄したと言われる祠とやらを探そうと思った。さすがに、有名ではないにしても史跡となって残されているに違いない。



 暇そうに歩いている第一村人に尋ねてみる。


「ん!? 庄の国? なに寝ぼけたこと、言ってんのや。わしは生まれてから、ここにずっとおるが。そんな話なんて聞いたこともないわ」


「それよりも、あんた。東京から来たんけ? テレビの取材かなんかけ? 」


 歯の抜けたじぃさんに大笑いされた。芸能人は何処に隠れているんだと探ってくるあたりが、かなりのミーハーだった。彼はこの町内の班長さんだった。


 さすがに、ここまで糸口がないと、庄の国どころか、財団法人自体の存在も怪しくなってきた。



 途方にくれて、コンビニの駐車場でコーヒーを飲みながら、そろそろ帰ろうかと思った。


 なんのためにここまで来たのだろうと虚しくなってきた。心が病んでるとは言え、なにをやってるんだろう。ありもしないものを追っかけて。


 帰り道のナビに手を伸ばそうとした。


 そのとき、コンビニから出てきた男の顔はみえなかったが、一瞬、山籠りをするかのような大きなリュックが視界に入った。


「あっ、ちょっと待ってください!!」


 急いで、車を降りて男のところに向かった。


 リュックの持ち主は、財団法人の経理担当である木枯だった。


 なぜ、こんなところに一人でいるのだろう……。



 私の顔をみると、木枯はまるで逃げるかのように去ろうとした。彼には聞きたいことが沢山ある。しかし、立ち止まろうともしない。



「私には、あなたに会わせる顔もありせんし、お話しすることもありません……」


 相変わらず、聞き取ることも困難な小さな声で呟いた。


「木枯さん!! 待ってくださいって。別にあなたを責める気はありませんから。あなたに聞きたいことがあるんです。ここには、その昔、庄の国があったんですよね。総会で言っていた『祠』とは、何処にあるのでしょうか? せっかくここまできたんです。それだけでも教えてください!!」


 木枯は立ち止まった。


 もっと、山手の奥にあると指差した。その説明では全く分からない………


「せっかくならば、木枯さん、一緒にいきませんか? 同じ一族ではないですか!」



 そういって、嫌がる木枯を半ば強引に車に引き込んだ。彼は車の中では観念したかのように大人しかった。


 ほんとに口下手で、車の中でも全く話さず、微妙な空気が流れた。唯一聞き出した情報は、私と同い年だった。



 車は、庄の川沿いの道を上流にあがった。次第に、民家どころか、人影、人の匂いもしないようなところになってきた。


 山深くなっていくにつれて、道も狭くなり、不安になってきた。


「花城さん、着きました。ここの脇道を進んだところにあります。いきましょうか……すこし、歩きますよ」


 ん!? どこに脇道があるのだろうと思いながら、車を停めた。


 ここならば、ほとんど車も通りそうもないので、通行の邪魔にならないだろう。


 木枯は車から降りると、森の中の道とも言えないようなところを、枝を掻き分けながら、入っていった。はぐれないように、私もついていく。


 獣道を、すでに15分程歩いたのだろうか………


 周りは静寂が包み、2人の中年男の枯葉と枝を踏む音だけが響き渡る。日頃の運動不足がたたって息が切れてきた。


 ただ、山道をあがるにつれて、空気が澄み渡り、気分は悪くない。


「着きました。ここです」


 なんだこれは!と思った。


 木々達が、競い合うように銅色や金色、燃えるような朱色に染まる美しい秋の森が目の前に広がっていた。


 森の中に、ぽつかりとした空間が現れる。


 秋空から和らいだ夕陽が真っ直ぐ射し込んだ先には、小さな朽ちかけた祠の残骸が佇んでいる。


 もともとは石祠だったのだろうが、崩れかけており、控えめな苔が彩りをそえている。


 神社のような立派な社があるものと勝手に考えていたが、長年誰からも気づかれなかったうちに廃れたその姿は、どこか寂しさを感じる。


「ほんとに、ここが『庄の国の祠』なのでしょうか。とてもそうは見えませんが。ここを掘ったら、本当に遺跡とかが出てくるのでしょうか? 」


「わかりません。少なくとも、私の従兄弟の楪葉は、古文書を研究した結果、そうだと言ってます。財団のなかでは、本格的な発掘調査をして、新たな社を建立すべきだという意見もあります」


「木枯さんは、どう思われますか? 」


「わかりません。それが事実であろうが、偽りだろうが、私はどちらでもいいと思います。そもそも、私は争いごとが嫌いで、苦手です。彼らが武器を棄てたことはいいことだと思いますが………」


 そういって、木枯は石碑の上に覆いかぶさっている枯葉を落とした。


「庄の民は、武器を全て捨ててしまったことは、正しかったのでしょうか。そのせいで、すべてを失い、身を潜めて生きる羽目になった。いまの世の中も同じようなものです。さすがにこの国での殺し合いは無くなりましたが、会社の中では、自分の保身のために、人を社会的に殺してしまう。結局はそれが人間なのでしょう。私には、これはという武器はありません。だから、いまの会社であっさりと抹殺されて飛ばされました。その点では、木枯さんには公認会計士という社会的な武器がある。羨ましい限りです」


「そんなことはありません。私は昔から計算が好きだっただけです。資格をとって、会計事務所に入社しましたが、周りとうまくいかず、逃げ出してしまいました。独立して事務所を開こうにも、客がいないと成り立たない商売です。私にとっては、人と接することは苦痛にしか過ぎません。なんの武器でもありません」


「そうですか。今は何をされていたのですか? 」


 リュックから取り出した雑巾のようなもので、崩れかけの石祠を丁寧に拭く木枯に、少しずつ興味をもった。


「会計事務所をクビになり、拾ってくれたのが、この財団法人であり、赤海理事長なんです。それで、経理の仕事とか雑用とか。それで、ここにもよく来るんです。ここは、田舎で何もないところですが、この土地が結構好きなんですよ。花城さんは、どうしてこの地へいらしたのですか? やっぱり、この前の幹部会のことがあったからですか? 」


 木枯は視線を落とした。


「どうしてですかね。私にも、さっぱりわからないのです。正直いうと、あなたら、財団法人も庄の国も信用していないんです。私は、仕事も家族も全て失いました。この世の終わりというものを知りました。どうしてかわからないのですが、ここに向かっていたのです。やっぱり、生まれた土地に帰りたかったのでしょうかね」


 私は、自分でも思ってもない事を言った気恥ずかしさを隠すように微笑んだ。


「息子さんの遺伝子解析結果の話は聞きました。ほんと、なんて言ったらいいのか………」


 木枯は、触れてはいけないものを言って悔いている。


「そもそも家族って、親子ってなんなんでしょうね。同じ屋根の下で住んで、昼間は別々に過ごし、ご飯を食べて、毎日同じことの繰り返し。知らないうちに子供は成長する。でも、それが家族だと思っていました。そこには、血の繋がりが当たり前にあるのだからと。子供が生まれて、自分の子か疑う方がおかしい。それが、いきなり………科学的に正しいと言われるもので、あんたらは親子ではないと言われて………遺伝子検査なんてやらなきゃよかった……。真実なんか知らなきゃ良かった」


 また、感情が溢れ出てきた。何度、この感情を味わったことか。木枯の前で涙は流したくない。だが、誰にも相談できずに、このように言葉にしたのは初めてかもしれない。


「私には家族がいないのでわかりません。すみません。わかりません……」


 木枯はそういうと話さなくなった。


 陽がだいぶ落ちてきて、秋風も冷え、薄暗くなってきた。陽が落ちるのも急に早くなってきた。早く戻らないと、遭難してしまいそうなので、戻ることにした。


「木枯さん! 幹部会の前に、私は一度あなたにお会いしたことがあるんですよ………」


 息を切らしながら、先を行く木枯に言葉をぶつけた。


「えっ、どこでですか?」


「東京の電車のなかです。若い人に絡まれてましたよ」


「えっ、あの時いらしたんですか? お恥ずかしい限りです。ホームで私が暴れてしまって、ホームの誰かが緊急停止ボタンを押したやつですね。見られていたとは………」


 自分は争いごとは嫌いだと言ってたくせに……。切れたら怖いタイプなんだと思った。


 ただ、張り詰めていた緊張の糸が少し緩んだような気がした。この人とは、遠い昔に繋がっていた仲間だったのだと。


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