3話 血統
検査キットを返送してから約1ヶ月後、「遺伝子検査結果のご案内通知」がメールで届いた。
最初の頃は、新しい世界を知ることができるような高揚感があったため、ホームページで解析進捗度を毎日のように確認していたほどだった。
ところが、解析度70%付近からなかなか動かなくなったため、チェックすることもなくなっていた。私にとって、解析結果までの1ヶ月は長すぎる。検査をしていたことも忘れていたほどだ。私自身が飽きっぽい性格なのと、変わり映えのない平凡な毎日が、興味そのものを奪っていた。
帰宅途中の公園で、ベンチに座った。日も落ち、近所の子供達はすでに帰って、静かだった。
検査結果を確認しようと思い、IDとパスワードを入力する。検査結果を見る前に「アンケートにご協力ください」との表記がでた。生まれた場所、両親の出身地、血液型、職業など約50項目にわたる。このアンケートに答えないと解析結果を見ることができない仕組みになっている。情報収集が目的なのだろうが、かなり、めんどくさい……
アンケートへの回答に挫折しそうになりながらも、なんとか50の質問に答えた。最後に宣伝も含まれていた。
「アンケートのご協力ありがとうございました。家族キャンペーンで申し込みすると、検査価格は半額となります!!」
『解析結果を見る』というボタンを押すと、黒くて重厚な扉が開き、光が差し込むという大げさな演出のあとに、検査結果画面に移った。
検査対象は200項目もあり、興味があるものを斜め読みしてみる。ワインが好むかとか、記憶力が高いかなど、面白いものがあったが、アスパラガスの匂いを感じやすいかなど、その能力はどこに使うのかというものもあった。
【将来の病気リスク解析結果】
がん発生リスクは、平均に比べるとやや低い。
生活習慣病、高血圧リスクはやや高い。
【身体的な体質に関する解析結果】
やや太りやすい遺伝子体質
(糖質による内臓脂肪がつきやすい)
男性型脱毛症になりやすい体質
【祖先の部門】
ミトコンドリアDNA: ハプロDグループ(中国中部が起源とされ、この国で35%以上を占める最大のグループ)
Y染色体:判別不能
(この国で数%しかないグループで、判別できません)
新しい世界はどこにも広がらなかった。私の遺伝子検査結果は、「メタボ気味ですので、規則正しい食生活を心がけて、運動をしましょう」であった。検査結果の『あなたは、ハゲやすい』というのは心外だが、健康診断の二次検診の医師と概ね同じ内容であった。5,000円ならば、まぁいいかというレベルだった。
秋が終わりを告げ、朝の空気が入れ替わった。午前中、会社で書類に目を通していると、知らない電話番号からの着信があった。いま、開発を手掛けている仕事絡みの取引先かと思ったが、意外にも遺伝子検査会社w社と名乗る女性からのメッセージが残されていた。
「当社の遺伝子検査サービスをご利用頂き、誠に有難うございました。至急、お伝えさせて頂きたい事がございまして、ご足労をかけますがご来社頂ければと思いますので、よろしくお願い致します」
私の遺伝子に異常が発見されたのだろうか?
それとも、私の体から病気そのものが見つかったのだろうか?
一瞬、昨日のテレビ番組で特集していた新手の詐欺商法が頭をよぎった。最近の特殊詐欺は、複数の演者が登場し、実に巧妙なやり方をするもんだと感心させられる内容だった。しかも、電話の声からすると、美人なお姉さんが待っているのだろう。よく、中年の男心をわかっていらっしゃる。
さすがに、遺伝子検査詐欺なんて聞いたこともないし、そもそも私が騙されるわけもない。それよりも、本当に体に異常が発見され、それが病気だったら、それはそれでまずい。先方から指示された時間と場所に、仕事を抜け出して向かうことにした。
電話のお姉さんから指定された場所は、職場から二駅で行くことができる都内の雑居ビルの一室だった。フロアにはx社の記載がある。その外観は、とても遺伝子検査をやっていますという最先端企業とは思えず、明らかに違和感を感じた。だが、ここまできたからには、話だけでも聞いてから帰ろうと覚悟を決めた。
部屋に入ると、受付の女性が座っており、「お待ちしておりました」と、どこか大袈裟に、そして馬鹿丁寧な対応してきた。これが詐欺だったら、教育がよくできている。
通された応接室で待っていると、初老の老人と秘書らしい女性が入ってきた。老人から差し出された名刺には、x財団法人 理事長との肩書きであった。理事長の名前は、赤海と言った。どこか自尊心が強そうで、気難しい老人との印象をうける。
「突然、このようなところにお呼び出しして、誠に申し訳ありません。驚きになったことと思います」
理事長は見た目とは異なり、低姿勢に挨拶をした。私は警戒心から、理事長の次の言葉を待ったが、しばらく沈黙の時間が流れた。理事長、秘書とともに、私を品定めをしているかのように痛い視線を送ってくる。丁寧な口調とは裏腹に、目は笑っていない。
沈黙に耐えきれず、私のほうから堰を切った。
「単刀直入にお聞きしますが、私を呼び出されたのは、どのようなご用件でしょうか? なにか、私の体に異常が見つかったのでしょうか? 」
「いえいえ、貴方はいたって健康です。それも、今回の遺伝子検査の解析によれば、特有の長寿遺伝子もお持ちです。なんの心配もございません。ご安心下さい!!」
「それならば、なぜ? 」
「まずは、私どものご紹介をさせて頂けませんか? 」
理事長は、ゆっくりとした口調で、検査会社w社の成り立ちを話しはじめた。財団法人が全額出資してスタートした会社であること、遺伝子検査の精度には自信があること、我々の活動には社会的使命を持っていることを熱く語った。
「そうですか。私も仕事で新規事業開発に携わるものとして、御社の事業には興味はあります。やっていらっしゃることは、素晴らしい事業だと思います。ただ、私が呼ばれた意味が全くわかりません。真意を教えてください……」
「そうですね。弊社の遺伝子解析結果をご覧になって、気づかれたこと、気になったことはありませんでしたか? 」
「そうですね。とくに体質に問題あるところはなかったかと安心しましたが。やはり、本当は問題があったのではないですか? はっきり言ってください!!」
私は、赤海理事長との噛み合わないやりとりに、苛立ちを隠せずに結論を迫った。
「私たちが、遺伝子検査のメイン分野としている祖先のルーツの結果はご覧になりましたか? 」
「たしか、中国の南部のほうからやってきたとかと記憶してますが……」
祖先の結果については、あまり興味もなく正直いうと記憶になかったが、頭の片隅にあったものをひねり出した。
「それは、母方のルーツのほうです。よく、思い出してください。父方のところの結果は、判定不能となっていたはずです。なぜ、わからなかったのか、不思議に感じられなかったでしょうか。ここにお越し頂いた理由はそこにあります。私は、あなたにそれを説明する義務があるのです」
赤海理事長はそういうと右手を挙げた。そういうと、部屋の電気が消されて、天井から大きなスクリーンが音を立てて降りてきた。秘書がタブレットを操作すると、スクリーンにはオープニング画面が映し出された。黒くて重い扉が開き、目映い光が差し込んだ。どこかで見たことがある。ホームページの遺伝子検査結果に入る画面と同じだ。
赤海理事長の説明を、端的に要約するとこうだ。
① 20万年前にアフリカで、我々の祖先が誕生し、広大な世界へ旅に出た。
② 人類は世界中を旅をしながら、環境に適合することによって進化した。
③ その進化の過程は遺伝子で追うことができる。分岐のタイミングで、共通祖先を特定でき、よく似た集団をハプログループと呼ぶ。
④ Y染色体は男系は万世一系である。たとえば、「元」帝国のジンギス・ハンに由来するY染色体DNAを持つ人々は、男性総人口の8%、およそ1600万人という推定もある。
⑤ Y染色体の系統樹があり、ハプログループとしてアルファベットで表記される。
⑥ 人類史の争いで絶滅した系統も複数ある。
「ここまでのお話のなかで、遺伝子検査におけるY染色体が示す可能性、重要性をお分かりになりましたでしょうか。しかし、貴方は遺伝学の解析の結果、どのハプログループにも属していません。なぜでしょうか? 」
「いや、なぜでしょうか……」
「……それは、世の中に認知されないほどの少数種族なのです。しかも、分岐点がかなり古い旧タイプであると分かっています。世間一般では、このタイプは認知もされてもいないものですから、我々は勝手に、その遺伝子をUタイプと呼んでいます。実は私もUタイプに属しています」
「つまり、あなたと私は遠い親戚ということでしょうか? 」
「そういうことになります。遺伝子は嘘をつきませんから。我々のUタイプは、この国に古くから住み着いたものと考えられています。それを、後から来たものとの闘いに敗れて、平和な生活と家族を奪われたのです。我々の祖先は、各地へ離散し、慎ましく生きることもゆるされなかったのです。後から来たものは、我々の一族は絶滅したと完全征服宣言をしました。その証として、我々の伝統と歴史を壊し、功績を語りつぐために、各地に痕跡を残しています」
赤海理事長は、凄まじい怒りが眉の辺りに這い、腹立たしさが高じて涙が出るほど胸が詰まらせている。
「しかし、我々の祖先は、生きることを決して放棄をしないで繋いできた。あなたの体にも刻まれているのです。x財団法人は、格式の高いUハプログループの集団によって、民族の復興と後から来たものへの復讐を目指して組織された法人です。x社を設立し、遺伝子検査を始めたのも、離散した我々の仲間を集めるためだったのです」
スクリーンの光加減により、青白い理事長の険しい顔が見え隠れする。
「つまり、貴方を探し出すために、x財団は20億をつぎ込んだんです」
平凡で退屈な毎日が終わりを告げ、未知なる世界へ足を突っ込んだ感覚がした。